ゲノム編集とは?
ゲノム編集とは?
2022/08/24
ゲノム編集
とは?
―遺伝子組換えとの違い―
科学の目でみる、
社会が注目する本当の理由
ゲノム編集とは?
生物の特徴や機能といった情報すべてが集まっているのが、ゲノムです。ゲノム編集とは、酵素の「はさみ」を使ってゲノムを構成するDNAを切断し、遺伝子を書き換える技術です。従来の遺伝子組換えと比較して、安全に、そして狙った遺伝子を編集できる技術として、農業や水産業で応用が進んでいます。また、遺伝子が要因となる疾患の治療など、さらなる応用が期待されています。
2020年にノーベル化学賞を受賞した技術「ゲノム編集」は、なぜ従来の遺伝子組換えと比べて安全だと言えるのでしょうか。また、技術開発は現在どこまで進んでいるのでしょうか。私たちの生活やビジネスにはどのような応用が見込めるのでしょうか。バイオメディカル研究部門構造創薬研究チームの加藤 義雄グループ長にゲノム編集の現在と未来について聞きました。
ゲノム編集とは?遺伝子組換えと何が違うのか?
あらためてDNA(デオキシリボ核酸)、遺伝子、ゲノムの違いを整理してゲノム編集技術とは何かを考えてみましょう。
DNAは4種類の塩基から構成される配列で、遺伝情報を担っている分子です。遺伝情報として働く部分を「遺伝子」と呼び、人の場合は約2万個あると言われます。ゲノムとは、染色体を構成するDNAの配列で、生物をかたちづくるために必要な情報が書かれた設計図の本、とも言えるでしょう。
ゲノム編集とは、ゲノム内のDNA配列を意図的に切断し、切断されたDNAが修復される過程で必要な遺伝子の機能が書き換えられることを狙った技術で、遺伝子の機能を「停止」する、もしくは「強化」することができます。本のあるページを切り取って設計図を変え、その設計図からできる部品を変えること、とも例えることができるでしょう。
ゲノム編集は2000年ごろから、従来の遺伝子組換えに代替する技術として注目が集まり、これまでにさまざまなゲノム編集酵素が開発されています。ターゲットとするDNAの配列に結合する方法に異なる特徴があり、現在は「ZFN」や「TALEN」、2020年にノーベル化学賞を受賞した「CRISPR/Cas9」などが主要な酵素として利用されています。
遺伝子組換え技術では、ある生物のゲノムの中に狙った機能を持つ他の生物の遺伝子を挿入して、欲しい機能を得ます。外来遺伝子が生物のゲノムのどこに挿入されるかも、どのような働きをするかも十分にコントロールすることができません*1。そのため、想定しない機能を持つ生物を生み出す可能性があったり、新たな病気を引き起こす危険性があったりするなど、安全面や倫理面の課題が実用化の妨げとなっていました。
一方、ゲノム編集はあくまでその生物が持つDNAの狙った場所を切断して編集するため、遺伝子組換えと比較して、安全性が高いことがわかっています。
ゲノム編集研究の現在
安全性の高さがもたらす実用化事例
ゲノム編集技術のうち実用化が進んでいるのは、自然界でごく普通に起きているDNAが切れて遺伝子が変異する現象を、ゲノムの特定の部位で起こさせる技術です。DNAの狙った部位を切った後は偶然任せで変異を起こさせています*2。
現在、実用化が進み、厚生労働省へ届け出られている「ゲノム編集食品」は、すべてこのタイプです。
例えば、魚の品種改良。ミオスタチンという筋肉量に関係する遺伝子を抑制することを目的にゲノム編集をすると、魚の身が肉厚になり食べられる部分が増えます。これまで魚の場合は何世代も交配させることが難しいため、野菜で行われてきた自然変異の遺伝育種の方法では改良に時間がかかっていました。狙った遺伝子のみを変異させることが可能なゲノム編集の技術により、従来の品種改良をスピードアップすることが可能になっています。
植物への展開も進んでいます。GABA(アミノ酸の一種。脳機能改善効果や高血圧を改善する作用が認められている)を多く含むトマトはそのひとつです。これも通常の品種改良では目的の形質を得るために数十年と時間がかかり、また遺伝子組換えでは安全性に不安が残ることが課題でした。ゲノム編集技術を使うことで、大幅に開発期間が短縮し、安全な食品を作れるようになりました。
農業や漁業、畜産の業界は、古くからさまざまな品種改良を行ってきた歴史があり、もともと「変化させたもの」に対して社会受容性が高い分野です。また、ゲノム編集した生物の全DNA配列を解析してから使用するので、生態系にあたえるリスクを排除することができます。そのため安全性が担保されたゲノム編集食品の応用は進んでいるようにみえます。しかし、機能が判明している遺伝子にはまだ限りがあり、現在は海外企業が先行して開発・商品化している状態です。もし日本が新たな機能を持つ製品の開発を進めるのであれば、基礎的な遺伝子情報の探索からはじめなければならないと考えています。
医療分野への応用に向けて
ゲノム編集は、医療分野での応用も進められています。ここ数年、遺伝子治療のひとつの手段としてゲノム編集が用いられ、欧米を中心に臨床試験や治験の開始が報告されています。
例えば、AIDS(エイズ:後天性免疫不全症候群)。この疾患の根治はいまだ不可能ですがエイズの原因となるヒト免疫不全ウイルス(HIV)の体内での増殖を防ぐことができれば発症を遅らせることが可能です。そのため、HIVの受容体をゲノム編集により無効化する方法を、治療手段とできるか研究開発が続けられています。
他にも血液細胞は、ゲノム編集を行うために必要なCas9などのゲノム編集ツールを取り込ませやすいため、血液疾患へ適用するための研究報告が数多くなされています。
ゲノム編集は疾患の原因を取り除く技術です。薬を投与し続ける対症療法とは違って、一度の処置で根治できる可能性があります。医療分野の中でも特に難病疾患の克服などはニーズが非常に強いことから、社会の期待に沿って開発のスピードがあがるのではないかと期待されています。日本でも基礎研究の成果は出ていますが、医療応用では諸外国から大きく後れをとっています。新たな医療産業への参入を歓迎するような土壌が必要だと感じます。
ゲノム編集の課題と将来像
各方面での応用が期待されるゲノム編集技術ですが、まだ課題は多くあります。ひとつは倫理面での課題です。あくまでも治療目的でのゲノム編集だとしても、どこまでゲノム編集技術を施すことが許容されるかは法整備や社会の変遷とともに変わってくると思います。今の考えだけで規制しすぎると研究が進まないというジレンマもあります。この課題は今後も向き合い続けていくべきものと考えています。
オフターゲット現象による変異を防ぐために
研究者の立場からすると、技術面で二つ大きな課題があります。ひとつは、「オフターゲット」と呼ばれる、狙っていないよく似たDNA配列の場所を切ってゲノム編集してしまう現象への対応です。CRISPR/Cas9では、偶発的にオフターゲット変異が生じてしまいます。ゲノム編集技術を医療に応用しようとすると、疾患と関係のないゲノムを操作してしまうことで細胞ががん化してしまうのではないかといった心配がされています。
このオフターゲットによる変異を防ぐため、私たちはゲノム編集技術に「ブレーキ」と「アクセル」の役割を追加し、使用する酵素の活性を調節することを研究しています。例えば、Cas9の働きを阻害する分子を作ったり、特定の化合物が共存するときにだけ働いてくれるCas9変異体を作ったりと、オフターゲットを抑えるための研究開発に取り組んでいます。
目的の細胞までゲノム編集ツールを届けるデリバリー手法
もうひとつの課題は、目的の細胞にゲノム編集のためのツールを届ける「デリバリー手法」の開発です。最先端のCRISPR/Cas9を使うと、細胞内でのゲノム編集については、効率や精度が高くなってきました。ただし実際には、ゲノム編集をつかさどる「酵素タンパク質」を細胞の中へ送り届ける必要があります。デリバリーの効率がゼロだと、結局、ゲノム編集できないのと同じことになってしまうので、デリバリー手法の開発は必須なのです。
産総研では、酵素タンパク質を細胞内に送り届けるための新しい手法の開発に取り組んでいます。2012年には、タンパク質を直接的に細胞に送り届けることで、オフターゲットを減らしつつゲノム編集できる、ということを世界で初めて明らかにしました。タンパク質を使うことで、遺伝子組換え体に該当しない点も利点です。いろいろな生物種に対してデリバリーできるような手法を開発し、社会実装に向けた取り組みを継続しています。
欧米に先行されてしまっている印象が強いですが、ゲノム編集の本質的課題に焦点をしぼって研究すれば、優位性を見いだすことができると思います。遺伝子を変異させるというイメージで、一般の方には心理的な嫌悪感や拒否反応があるかもしれません。
しかし、ここまで説明してきたとおりゲノム編集は自然界で起きうるような変異を加速させる技術であり、食糧危機克服や難病治療など、私たちがさまざまな面で恩恵を受けられる可能性が高い技術です。
動物も植物も微生物も、みんな遺伝子からできているにもかかわらず、これだけ多種多様な姿かたちをしています。ゲノム編集で遺伝子を書き換えたら、生物の潜在能力を最大限に引き出してもっと社会に役立てられるかもしれない。そう思って研究を進めていきます。
*1: ゲノム編集技術を使わずに、相同組換えを利用することで目的の遺伝子箇所に挿入することが可能である。相同組換えとは、同一または類似したDNA配列間でDNAが交換されるプロセスである。酵母等の特定の生物種では相同組換えの効率が高いが、ヒト細胞では相同組換えが生じにくい。ゲノム編集技術を用いて、ゲノムの特定の箇所にDNA切断を引き起こすことにより、相同組換えの効率を高めることができる。自然の生物ゲノムに別の生物種に由来するDNA配列や人工的なDNA配列が挿入された場合には、ゲノム編集技術を用いたとしても、遺伝子組換え生物として扱われる。[参照元へ戻る]
*2: 紫外線や自然放射線等により切断されたDNAや、ゲノム編集酵素により切断されたDNAの多くは、細胞が本来有しているDNA修復機構によりつなぎなおされる。欠失型ゲノム編集技術において、ゲノム編集酵素の作用によってDNAを切断する頻度が高まると、DNA切断箇所からの欠失や挿入が生じた後に、DNA修復機構の一つである非相同性末端結合が生じるため、結果として変異が生じる。DNA切断箇所における欠失や挿入の程度は、現在の技術では完全には制御することはできず、ゲノム編集技術の精密性の向上が課題となっている。[参照元に戻る]
(2022/10/19に注釈を追記)