わずか数個の細胞も見逃さず迅速ながん診断を可能に
わずか数個の細胞も見逃さず迅速ながん診断を可能に
2024/05/22
わずか数個の細胞も見逃さず迅速ながん診断を可能に
「人生100年時代」に向けて、健康長寿社会の実現が望まれています。その一環でさまざまな「がん」の予防や医療の対策が進められていますが、私たちの命や健康を脅かす疾病であることに変わりはありません。産総研では新しいバイオチップを使ったがん診断技術を開発しました。血液検査だけで、がん転移や抗がん剤の効果を正確に調べることができる技術が、実用化へと動いています。
がん転移に関わる細胞を検出し、抗がん剤の効果判定にも活用
がんは40年以上にわたって日本人の死因第1位で、高齢化が進むにつれてがんの患者数や死亡者数は増えています。日本人の2人に1人が一生のうちにがんにかかり、4人に1人ががんで死亡していることをみても、誰にとっても他人事ではありません。
がんの対策が重要な理由の1つは、死因のほとんどが転移によること、もう1つは抗がん剤の副作用が強いことです。これまで抗がん剤の効果がうまく出ているかを判定するには通常1~2か月かかっていました。その間、患者は辛い副作用に耐えながら、症状に合っていて効果が出ているかどうか確認ができていない抗がん剤を投与されることとなります。そのため、抗がん剤の効果やがん転移を早く判定できる技術が待ち望まれていました。
そこで産総研が着目したのが、血中循環がん細胞(Circulating Tumor Cell : CTC)です。がん原発巣から遊離して血管に入ったCTCは、血流に乗って移動し、離れた臓器に転移巣をつくります。このようにCTCはがん転移に深く関わっており、血液中のCTCを追いかければ、「数が多いと生存期間が短くなる」「数が減れば抗がん剤の効果が出ている」など、バイオマーカーとして活用できると期待されています。
平板バイオチップに細胞を並べ高感度に検出できるプロセス
CTC計測の難しさは、その数が極めて少ないことにあります。血液10 ml中に白血球は数千万~1億個ありますが、CTCはわずか数個から数十個程度しか含まれていません。
現在、アメリカで認可されているCTC計測によるがん診断法は有用ですが、細胞を濃縮するプロセスによってCTCを見落としやすい点が弱点です。またこの診断法では、すい臓がんのCTCがほとんど検出できないなど、がん種によって十分な感度が得られない問題もあります。
それらを克服するため梶本和昭が開発したのが、プラスチックでできた手のひらに乗る程度の大きさの平らな板状チップに細胞を単層に並べて高感度でCTCを検出する技術です。
「表面処理をした平板バイオチップの上に血液由来の細胞懸濁液をポトポト落として静置すると、細胞が全体に広がって単層に並びます。このチップ上でがん細胞を検出するため免疫多重染色を行い、蛍光顕微鏡で観察します。スライドガラス大のバイオチップ1枚で約1,000万個の細胞を吸着し、その中に1個でもCTCがあれば見つけることが可能です」
医療機関と連携してすい臓がん患者の血液を調べたところ、血液7.5 ml中にCTC25個を検出。また、がん種にかかわらず効率よく検出できることを確認できました。さらに、抗がん剤投与を開始して1週間後にCTCが9個に減っていることを確認。抗がん剤の効果を早期に判定できる技術になると期待されています。
実用化を近づける3つの技術 表面処理、AI、自動化
開発したバイオチップの実用化に向けて、梶本は3つの課題に取り組みました。1つはチップの表面処理です。CTC検出プロセスでは、細胞を乗せたバイオチップを洗浄する工程がありますが、余分な細胞を除去して細胞を単層で保持できるようにする表面処理がカギとなります。しかし、当初の酸素プラズマ処理では効果が1~2週間しかもちませんでした。これでは、実際に使えるツールとして流通させることはできません。そのため、効果が長期間持続する表面処理方法の開発に挑みました。
「化学合成はまったくの専門外でしたが、300種類以上さまざまな材料を合成しては試行錯誤を重ね、2年がかりで独自のポリマー材料を開発しました。それをコーティングすることで、酸素プラズマ処理に比べ極めて短時間で細胞を吸着させ、かつ単層に並んだ状態を長期間安定して保てるようになりました」
2つ目の課題は、極めて数が少ないCTCをいかに正確に検出するかです。これには、深層学習による画像認識を用いて自動判別する手法を開発しています。
「所内の画像認識が得意な研究者に協力してもらい、がん細胞を判別するAIモデルを構築しています。現時点で、培養細胞モデルにおいて、チップ上のがん細胞をほぼ100 %の精度で自動選別することに成功しています。もし領域融合プロジェクトがなければ、この仕組みの開発はもっと遅れていたかもしれません」
3つ目の課題は検出プロセスの自動化です。正しい結果を早く出すため、徹底した自動化を目指しています。イメージとしては、採血をしてチップとサンプルを検査装置にセットしたら、あとはボタンを押すだけで洗浄・染色・検出まで自動でできるようなシステムです。なるべく人の手を介さず検査できるようにすることで、誰が操作しても間違いなく正しい結果が出るようにするのが狙いです。
バイオチップを活用しテーラーメイド医療の実現を目指す
梶本は、細胞ひとつだけを掴める「ナノピンセット」を使った研究も並行して進めています。「CTCを検出して数を数えるだけでなく、もっと詳細に遺伝子レベルでがん細胞を解析するため、見つけたCTCを1個だけナノピンセットで回収しようとしています。どの臓器由来のがん細胞か、どういう特性を持っているかなどを調べるほか、治療を始める前にどの薬が効くか予測できるようになるかもしれません。将来的にはバイオチップとナノピンセットの技術を統合し、本当の意味でのテーラーメイド医療の実現に貢献したいと考えています」
研究を通して、闘病中のがん患者やがん治療を経て社会復帰した方々と接する機会が多い梶本は、「多くの人に本当に役立つ技術として、何としても実用化したい」という強い使命感を持っています。最終ゴールとして思い描くのは、がん検診にCTC検出を組み込んで、簡単に検査を受けられるようにすること。誰もがどこでも必要な医療を受けることのできる社会の実現に向けて、着実に前進していきます。
次世代治療・診断技術研究ラボ
がん・ウイルス診断技術研究チーム
研究チーム長
梶本 和昭
Kajimoto Kazuaki
産総研
生命工学領域
次世代治療・診断技術研究ラボ