2023年ノーベル生理学・医学賞「mRNAワクチンの実用化を可能にした修飾塩基の研究」とは?
2023年ノーベル生理学・医学賞「mRNAワクチンの実用化を可能にした修飾塩基の研究」とは?
2023/12/20
2023年ノーベル生理学・医学賞
「mRNAワクチンを実現した修飾塩基の研究」
とは?
科学の目でみる、
社会が注目する本当の理由
mRNAとは?
ノーベル生理学・医学賞を受賞したカリコ博士とワイスマン博士が注目したメッセンジャーRNA(mRNA)。mRNAとは、生体内でタンパク質を作るための情報源です。2人は、体外で人工的に合成したmRNAを体内に入れたときの免疫反応に関する新たな発見をしました。この発見をきっかけに、さまざまな感染症に対するワクチンや医薬品の開発が進み、新型コロナウイルス感染症のmRNAワクチンの実用化につながっています。
2023年のノーベル生理学・医学賞は、ハンガリー出身でアメリカのペンシルベニア大学のカタリン・カリコ博士と、アメリカ出身で同じくペンシルベニア大学のドリュー・ワイスマン博士の2人に贈られました。
2人は、これまで医薬品やワクチンへの応用が難しいと考えられてきたmRNAを人工的に合成し、その構成成分の一部を別の物質に置き換えると、炎症反応が抑えられることを2005年に発表し、現在の新型コロナウイルスに対するmRNAワクチンの開発を可能にしました。mRNAとはどのようなものか、カリコ博士とワイスマン博士は具体的にどのような発見をしたのか、生物プロセス研究部門の小松康雄研究部門長に聞きました。
DNAからmRNAが作られ、mRNAからタンパク質が作られる
mRNAワクチンを解説する前に、まずmRNAとはどのようなものでDNAとどんな関係にあるのかを紹介したいと思います。ヒトを含めたあらゆる生物は、遺伝情報として細胞の中にDNAをもっています。DNAには、実際に生命現象を担うタンパク質(消化酵素、細胞骨格、筋肉など)の設計図が書かれています。ただし、DNAから直接タンパク質が作られるわけではありません。なぜなら、DNAは貴重な設計図の原本であり、損傷や紛失をしないように厳重に管理する必要があるからです。
そこで、タンパク質を作るときにはmRNAというDNAのコピーを用意します。mRNAは、細胞の中のタンパク質生産工場(リボソーム)に運ばれ、そこでタンパク質が作られます。つまり、DNAからmRNAが作られ、mRNAからタンパク質が作られるという流れです。
では、mRNAを含めたRNAはDNAとどこが同じで、どこが違うのでしょうか。まず、DNA(デオキシリボ核酸)とRNA(リボ核酸)は、どちらもリン酸、糖、塩基という3つのパーツからできているという共通点があります。その一方で、DNAとRNAは糖の構造の中で酸素1つ分が異なります。また、DNAの塩基はアデニン(A)、グアニン(G)、シトシン(C)、チミン(T)の4種類ですが、RNAではTの代わりにウラシル(U)が加わります。
獲得免疫の仕組みを利用するワクチン
まず私たちの体には自己と非自己を見極めて、非自己を排除する仕組みがあります。微生物やウイルスなどの病原体や異物に対する排除、抵抗性が免疫です。私たちの免疫には、自然免疫と獲得免疫の2種類があります。自然免疫は、自分の細胞でないものを素早く攻撃する反応で免疫の最前線です。一方、獲得免疫は、一度感染した病原体の特徴を記憶して、次に同じ病原体が来たらその病原体のみを強力に攻撃する仕組みです。例えるなら、自然免疫は目の前で突然起きた犯罪に出動する警察のような存在であるのに対して、獲得免疫は抗体という警備を「事前に配置」して指名手配犯を確実に捕まえるのに似ています。
ワクチンは、私たちの免疫系に事前に病原体のタンパク質などの特徴を記憶させ、本物の病原体が侵入してきたときに速やかに病原体を攻撃できるようにする、という仕組みを使った医薬品です。mRNAからタンパク質が作られるということは、mRNAを使ってタンパク質を体内で人工的に合成させることでワクチンを作ることができるかもしれない、と考えることができます。
ワクチンでは、獲得免疫の性質を利用します。毒性をなくした病原体を材料とする不活化ワクチン(インフルエンザや日本脳炎のワクチンなど)や、毒性を弱めた病原体を材料とする弱毒化ワクチン(風疹やBCGのワクチンなど)を接種することで、獲得免疫が病原体の特徴を記憶します。また、獲得免疫で実際に病原体の目印とするのは病原体の表面にあるタンパク質なので、そのタンパク質を体に注入するワクチン(HPVや破傷風など)もあります。しかし、これらのワクチンを製造するには、ウイルスやタンパク質を大量に作る「培養」という手順が必要になります。そのため、新型コロナウイルス感染症のように急速に広まった世界的な感染症の流行に即座に対応できないことが課題です。
これに対してmRNAワクチンは、タンパク質の設計図となるmRNAを人工的に合成して体に注入し、体内で病原体のタンパク質を作らせることで獲得免疫が記憶できるようにするものです。mRNAはその配列情報があれば素早く合成できるため、作製するタンパク質が特定できれば、ワクチンが急に、大量に必要となる感染症の流行にも対応できます。また、合成するmRNAの塩基配列を変えるだけでタンパク質の種類を変えられるため、病原体の変異株にもすぐに対応できる点も大きなメリットです。加えて、mRNAは体内で素早く分解されるので、人体に長期間影響を及ぼさないという安全性も備えています。
ワクチン |
長所 |
短所 |
活用事例 |
弱毒化ワクチン
(病原体を弱毒化) |
持続的な効果
少ない接種回数 |
開発に時間を要する |
麻疹、風疹、BCG、
水痘・帯状疱疹 |
不活化ワクチン
(病原体の毒性を無くしたもの)
トキソイドワクチン
(病原体のつくる毒素から毒性を無くしたもの) |
比較的安全 |
持続性が低い
開発に時間を要する
複数回の接種が必要 |
インフルエンザ、ポリオ、
日本脳炎、肺炎球菌、
B型肝炎、破傷風、百日咳 |
mRNAワクチン
(タンパク質をつくる遺伝情報の一部) |
効果が高い
短時間で開発可能 |
不安定
低温管理が必要
副反応有り
複数回接種が必要 |
新型コロナウイルス感染症 |
mRNAワクチンの開発を可能にした修飾核酸の活用
良いところがたくさんあるmRNAワクチンですが、研究の初期には乗り越えなければならない問題が大きく二つありました。一つは、mRNAは生体内であまりにも分解されやすいということです。そのため、mRNAをそのまま体に入れるのではなく、mRNAを包み、分解から守るカプセルのようなものを開発する必要がありました。そしてもう一つの問題が、人工的に合成したmRNAを体内に注入すると先に述べた自然免疫によって異物として認識され、炎症反応が起きてしまうことでした。
しかし、私たちの細胞の中でDNAから作られるmRNAには、当然ながら免疫は反応しません。さらに、哺乳類の細胞から取り出したmRNAをマウスに注入しても炎症反応が起こらなかったことなどから、人工的に合成したmRNAにはなぜ免疫細胞が反応してしまうのか、カリコ博士とワイスマン博士はその仕組みに注目しました。
2人は、細胞内で作られるmRNAの塩基は化学的な修飾を受けていることに着目し、そうした修飾をもった人工mRNAを合成して細胞に導入しました。すると免疫細胞は人工mRNAを異物と認識せずに炎症反応が起きなかったのです。この発見をもとに、人工的にmRNAを合成するときにウラシル(U)とリボースが結合した物質であるウリジンを、構造がわずかに異なるシュードウリジンやその誘導体である1-メチル-シュードウリジンに置き換えると、体内で炎症反応が劇的に抑えられることを2005年に報告しました。2008年と2010年には、塩基を修飾したmRNAを使うと、体内で作られるタンパク質の量が著しく増えることも発見しました。
これらの発見が、mRNAをワクチンとして使う研究を大きく進展させました。例えばジカウイルスやHIV(ヒト免疫不全ウイルス)、MERS(中東呼吸器症候群)に対するmRNAワクチンの臨床試験が行われてきました。2019年末から流行した新型コロナウイルス感染症では、高い安全性と有効性が示されたmRNAワクチンがおよそ1年というスピードで開発され、世界中で接種されるようになっています。この開発スピードは、従来の不活化ワクチンなどでは考えられなかった速さです。ノーベル委員会によると、新型コロナウイルス感染症ワクチンは世界で130億回以上接種され、数百万人もの命を救ったとのことです。
将来のmRNA医薬品の可能性
mRNAはワクチンだけでなく、がんなどの治療薬にも活用されようとしています。がん細胞の表面には、他の正常な細胞にはほとんどないタンパク質が存在することがあります。このタンパク質をmRNAに作らせ、免疫システムに攻撃対象と記憶させることで、そのタンパク質が細胞の表面にあるがん組織を免疫細胞が攻撃できるようにするというコンセプトです。
他にも、遺伝性疾患などで特定のタンパク質が欠損したり不足したりしているときに、そうしたタンパク質を生産するためのmRNAを注入することで不足しているタンパク質を作らせて補う治療法も研究されています。また、遺伝子を書き換える技術である「ゲノム編集」に必要なタンパク質を作るmRNAを体内に入れて、疾患の原因となっている遺伝子そのものを修正することを目指した研究もあります。
一方でmRNAワクチンはまだまだ改良の余地もあります。例えば副反応を抑えたり、現在は冷凍保存が必須条件であるのを常温保存できるようにして、世界の隅々までワクチンを行き渡らせたりする、といった開発が必要です。また、より少量のmRNAでも高い効果を得るために、mRNAが自ら増える自己複製型mRNAの研究も進められています。
カリコ博士とワイスマン博士が発見したmRNAの塩基修飾と免疫の関係は、人工的に合成したmRNAをワクチンや医薬品に活用できる可能性を示しました。これは、mRNAという設計図のみを体内の細胞に送り込むだけでさまざまな生産が細胞でできることを示した重要な発見です。
mRNAを用いた研究は今後も多岐にわたり、医学の進歩に大きく寄与していくと考えています。この知見は、医学的な応用にとどまらず今後も多様な分野において重要な活用が期待できます。