スマートセルとは?
スマートセルとは?
2023/10/18
スマートセル
とは?
科学の目でみる、
社会が注目する本当の理由
スマートセルとは?
スマート(性能が高い)セル(細胞)とは、細胞の生産能力を生かして、工業製品の素材や医薬品をつくることができるよう人工的に改変した細胞を指します。ゲノム解析やゲノム編集技術などを駆使して、医薬品やプラスチック、ゴム、塗料原料、繊維、肥料、食料などをつくることができます。スマートセルを用いたバイオものづくりは、製造プロセスでのCO2削減や環境負荷の低減にもつながると期待されています。
カーボンニュートラル社会の実現に向け、バイオものづくり技術を基盤とした経済活動「バイオエコノミー」の規模が拡大すると考えられています。バイオものづくりが得意とする化学合成が難しい物質の生産だけでなく、細胞の生産能力を生かして、工業製品の素材や医薬品をつくることができるよう人工的に改変した「スマートセル」によるものづくりへの期待が大きくなっています。スマートセルの特徴や、実現に不可欠なコンセプト「DBTLサイクル」について、さらには具体的な応用事例と今後のプラットフォーム構想について、生命工学領域の田村具博領域長に話を聞きました。
スマートセルとは
細胞の物質生産能力に注目したスマートセルからバイオエコノミー市場の形成へ
私たち人間を含めて、あらゆる生物は細胞から構成されています。細胞の中には、さまざまな代謝系が構築されており、代謝物などの物質を生産するための仕組みが備わっています。この細胞の物質生産の仕組みを活用しようというのが、「スマートセル」のコンセプトです。
スマートセルとは、「細胞がもつ物質生産能力を人工的に最大限まで引き出し、最適化した細胞」のことです。細胞をそのまま扱うだけでなく、遺伝子組換えやゲノム編集などを用いて細胞の遺伝情報を改変することもあります。
スマートセルを、製品の製造プロセスの中に組み込んだ産業群を「スマートセルインダストリー」と呼びます。さらに、スマートセルのほかにもさまざまなバイオ技術を生かして、物質を生産する取組みは、バイオものづくりと呼ばれます。(「バイオものづくりとは?―科学の目でみる、 社会が注目する本当の理由―」)
スマートセルやバイオものづくりの手法を駆使して製造される物質が幅広い製品に使われるようになれば、バイオテクノロジーを基盤とした経済圏が生まれます。これらのバイオテクノロジーを基盤とした経済活動全体が「バイオエコノミー」であり、環境負荷の少ない持続可能な経済活動を実現できると期待されています。
OECD(経済開発協力機構)の予測によると、バイオエコノミーの市場は2030年には1.6兆ドル(約234兆円)規模になるとされています。内訳は、工業が39 %、農林水産は36 %、健康・医療は25 %です。この規模であれば、経済活動が成り立つのではないかと各国それぞれ目標を立てて取り組んでいます。日本政府は、2020年に策定した「バイオ戦略(市場領域施策確定版)」で2030年度までに市場規模を92兆円まで拡大させることを目標としています。
スマートセルの開発
スマートセルに関わる4つの技術の進歩
今、スマートセルが注目されている理由は、スマートセルに関連する技術が大きく進歩したからです。スマートセルに関連する技術には、「ゲノム解析」、「IT・AI」、「ゲノム編集技術」、「DNA合成」の主に4つが挙げられます。
第1のゲノム解析については、2000年ごろではヒトゲノムを解読するのに10年と約1億ドルを要しましたが、次世代シーケンサーの登場により現在では1日と1000ドルで解読できるようになりました。
第2のAI技術は、ゲノム配列が示す意味を解明し、その細胞がどのような機能を持つか予測するのに役立てることができます。また、細胞実験の結果を解釈し、どのように培養条件や遺伝情報を変えればより効率よく物質生産が可能になるか、その推測に活用することもできます。
第3のゲノム編集技術の代表例はDNAを任意の場所で切断することができる技術、CRISPR・Cas9です。遺伝子の機能をさらに強化して生産能力を向上する場合に、ゲノム編集技術は欠かせません。(「ゲノム編集とは?―科学の目でみる、 社会が注目する本当の理由―」)
最後のDNA合成も、化学合成方法の発展により、ゲノム解析と同様にこの20年でコストが大幅に減少しています。
これら4つの技術により、スマートセルの研究開発が近年劇的に進展しています。
スマートセル創出におけるDBTLサイクル
スマートセルを生産するときには「DBTLサイクル」という考え方でつくっていきます。これは、Design(デザイン)、Build(構築)、Test(実験)、Learn(学習)の頭文字をとったものです。
まず目的の物質生産に適した代謝経路を選定し、有用物質を生産する微生物のゲノムを「デザイン」します。そのゲノムデザインに合わせてDNAを合成してゲノム編集を行い、実際にゲノムを構築するのが「構築」のパートです。その細胞で「実験」を行い、得られたデータをAIに「学習」させ、さらなるデザインに生かすという流れがDBTLサイクルです。
DBTLサイクルの大きな特徴は、特にデザインのステップにおいて情報科学を取り入れていることです。従来のトライアンドエラーだけでなく、情報科学によって代謝経路を予測して効率よくゲノムをデザインしようとしています。いかに情報科学を駆使してデザインの精度を上げるかが大きな鍵となります。
生産プロセスの大規模化と最適化も重要
目的の物質を生産できるスマートセルを作っただけでは、製品の製造には不十分です。スマートセルを用いた生産プロセスの最適化も求められます。
スマートセルで生産した目的物質は、細胞内にとどまっているか、細胞外に放出されるかのどちらかとなります。物質の製造技術として実用化するには、スマートセル内に目的物質がとどまっている場合には細胞を破壊して目的物質を分離する技術が、スマートセルの細胞外に放出される場合には培養液の中から分離する技術が必要になります。
また、スケールアップという課題もあります。一般的な研究室では、一度に培養できる培養量は大きくても数十リットル程度ですが、工場での生産となると数百リットルから数千リットル単位が要求されます。研究室での小規模培養の条件でそのまま工場での大規模な量の培養がうまくいくことはほとんどないため、スケールアップ時の条件検討も重要です。これらの課題を解決してはじめてバイオエコノミーが実現できるのです。
スマートセルを社会で使える技術にするには、細胞内や培養液からの分離工程の効率化、分離した物質を精製するための製造工程全体の最適化、そしてスケールアップも求められます。産総研では、製造工程全体の最適化にも積極的に取り組んでおり、人材育成にも力を入れています。
スマートセルの実用化事例とプラットフォーム構築
実際にスマートセルをつかって生産性を大幅に向上した事例があります。旭化成ファーマ株式会社と産総研のプロジェクト*1では、人の生体に直接使用しない体外診断用医薬品の原料となる「コレステロールエステラーゼ」という酵素の生産性を、スマートセルによって向上させることに成功しました。従来の育種法では生産量を約2.8倍までにしか高めることができなかったものが、スマートセル技術によって約30倍にまで高めることができました(2021/02/25プレスリリース)。このように、すでに確立された方法で微生物生産を行っている場合でも、スマートセル技術を活用することで生産性を大幅に向上できる可能性があります。
こういったスマートセルを含めたバイオものづくり技術への期待は高まっています。産総研では、微生物の探索、開発、評価まで、それぞれを専門にする研究者が集まり、DBTLサイクルや生産プロセス全体を網羅するプラットフォームの構築を始めています。「バイオものづくり拠点」を北海道とつくばに整備しています。企業のみなさんと一緒にスマートセル技術の実用化にむけて取り組んでいきたいと考えています。
*1:国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)「植物等の生物を用いた高機能品生産技術の開発」[参照元に戻る]