国立研究開発法人 産業技術総合研究所【理事長 中鉢 良治】(以下「産総研」という)生物プロセス研究部門【研究部門長 田村 具博】深津 武馬 首席研究員(兼)生物共生進化機構研究グループ 研究グループ長、春本 敏之 元 日本学術振興会特別研究員(現 ローザンヌ工科大学 博士研究員)らは、共生細菌スピロプラズマが宿主ショウジョウバエをメスだけにしてしまう、オス殺しという生殖操作に関わる重要なしくみを解明した。X染色体とY染色体を持つショウジョウバエのオス(XY)は、X染色体のみを持つメス(XX)の半数しかX染色体がなく、遺伝子発現量を倍加させる活性をもつタンパク質-RNA複合体(遺伝子量補償複合体)がX染色体の全域にわたり結合している。スピロプラズマはこのタンパク質-RNA複合体が結合した染色体に損傷を与えることにより、特異的にオスの胚発生の過程でプログラム細胞死(アポトーシス)を誘導する。その結果としてオス卵がすべて死亡し、メス卵のみが正常に発生することを明らかにした。
これにより、共生細菌による宿主生物の生殖操作の理解が進むとともに、有用昆虫のメス特異的な生産や、天敵農薬の効率的生産などの技術開発に資することが期待される。
この研究成果は2016年9月21日(英国時間)に国際学術誌Nature Communicationsにオンライン掲載される。
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キイロショウジョウバエ(左)の体液中の共生細菌スピロプラズマの暗視野顕微鏡像(右)
らせん状の形態をしており(矢印)、宿主ハエにオス殺しを引き起こすため、感染メスの次世代はすべてメスになってしまう。
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微生物の高度な生物機能は、食品生産、医薬品開発などのさまざまな分野で利用されてきた。近年、多様な微生物の中でもとりわけ、動物や植物と共生して高度な生物機能を発揮する共生微生物が未探索の生物資源として注目されている。昆虫類もまた、生物多様性の中核を担う動物群として、その多彩な生物機能の開発や利用が期待されている。
昆虫類と微生物の共生関係はしばしば見られるものであるが、なかでも共生微生物が感染することにより、宿主昆虫がすべてメスになる、宿主昆虫の性分化や生殖様式が劇的に変化するなど、いわゆる生殖操作という現象は、基礎生物学的に興味深いだけでなく、有用昆虫の雌雄別の生産や天敵農薬の効率的生産などの技術開発につながる可能性もある。しかし、その具体的な分子・細胞レベルの機構についてはまだ不明の部分が多い。
産総研では、昆虫の体内に共生する細菌がもつ新規な生物機能の解明(2004年3月26日、2007年6月13日、2010年11月19日、2012年4月24日、2013年6月11日 産総研プレス発表)、昆虫と共生細菌の間の高度な生物間相互作用の理解(2013年6月21日、2014年9月26日、2015年7月14日、2016年1月11日 産総研プレス発表)などに取り組んできた。
特に宿主昆虫の生殖を操作する能力をもつことで有名な共生細菌ボルバキアについては「共生微生物から宿主昆虫へのゲノム水平転移の発見」(2002年10月29日 産総研プレス発表)、「共生細菌抑制によりオスとメスの中間的なチョウができる」(2007年7月2日 産総研主な研究成果)、「トコジラミに必須栄養素を供給する細胞内共生細菌ボルバキアの発見」(2009年12月22日 産総研プレス発表)、「トコジラミの生存を支える共生細菌ボルバキアのビタミンB7合成能力」(2014年7月1日 産総研プレス発表)などの研究成果がある。
今回は、ボルバキアとは異なる生殖操作能力をもつ共生細菌スピロプラズマについて、そのオス殺しという表現型の分子・細胞レベルの機構解明に取り組んだ。なお本研究成果の一部は、科学研究費補助金 特別研究員奨励費の支援を受けて行った。
キイロショウジョウバエのメスが産む卵からは、通常はオスとメスがほぼ半々の割合で発生するが(図1A)、共生細菌スピロプラズマに感染したメスの産む卵からはメスのみが発生する(図1B)。
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図1 スピロプラズマ非感染メス/感染メスの次世代のショウジョウバエ
(A) 非感染メスの子には腹部先端が黒いオスと腹部全体が淡色のメスがみられる。(B) 感染メスの子は発生過程でオス胚が殺されるためメスだけになる。
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スピロプラズマ感染メスの産む卵の孵化率は半減しており、オス卵が殺されてメス卵のみが孵化するオス殺しが起こっていることがわかる。卵内の胚を調べてみると、メス胚は正常なのに対し、オス胚全体にアポトーシスというタイプのプログラム細胞死が起こっており(図2A、B)、これがオス殺しの直接の原因であることが示唆された。
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図2 ショウジョウバエ胚におけるスピロプラズマ感染によるオス特異的な細胞死
白い輝点が細胞死のシグナルであり、点線は胚体の輪郭を示す。感染メス胚では細胞死はほとんど見られない(A)が、感染オス胚では全身に細胞死のシグナルが見られる(B)。p53欠失突然変異体の感染オス胚では細胞死は顕著に抑制される(C)。
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なぜオス胚のみにアポトーシスが起こるのかを調べるために、次世代シーケンサーを用いて、スピロプラズマ感染オス胚、感染メス胚、非感染オス胚、非感染メス胚における発現遺伝子を網羅的に解析したところ、感染オス胚でDNA損傷/修復関連遺伝子群およびアポトーシス関連遺伝子群の発現が顕著に上昇していた。
先行研究において、がん抑制遺伝子として有名なp53遺伝子が、DNA損傷に応答してアポトーシスを誘導することが知られていた。そこでp53遺伝子を欠失したハエにスピロプラズマを感染させてみたところ、オス胚におけるアポトーシスは抑制された(図2C)。すなわちスピロプラズマ感染オス胚では、DNA損傷を引き金としてp53経路を介した細胞死が起こっている可能性が示された。
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図3 スピロプラズマ感染/非感染ショウジョウバエのオス胚細胞におけるDNA損傷の局在
赤はX染色体、青はその他の染色体、緑はDNA損傷を示す。(A) 非感染オスではDNA損傷はほとんどみられない。(B) 感染オスではDNA損傷は主にX染色体上に検出される(矢印)。
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次に、スピロプラズマに感染したオス胚のどこにDNA損傷が生じているのかを調べるために、染色体上の DNA損傷部位を可視化してみたところ、オスのX染色体上に集中していることがわかった(図3A、B)。細胞分裂の過程を観察したところ、オスのX染色体はうまく娘細胞に分配されず、頻繁に架橋や切断が生じていることが観察された(図4A、B)。
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図4 スピロプラズマ感染ショウジョウバエのオス胚でみられる細胞分裂時におけるX染色体の分離異常
赤はX染色体、緑はその他の染色体を示す。(A) 他の染色体は両極に移動して分離しているのに対して、X染色体のみが分離せずに取り残されている(矢印)。(B) 取り残されたX染色体が切断されている(矢印)。
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それではどのようにスピロプラズマはオスのX染色体を識別しているのか。ショウジョウバエのオス(XY)はメス(XX)の半分しかX染色体がなく、遺伝子発現量を倍加させる活性をもつタンパク質-RNA複合体である遺伝子量補償複合体がX染色体の全域に結合することにより、遺伝子発現量を調節していることがわかっている。試しにショウジョウバエのオス胚における遺伝子量補償複合体の形成を妨げたところ、スピロプラズマ感染オス胚におけるアポトーシスが抑制された。さらにショウジョウバエのメス胚において、遺伝子量補償複合体を強制的に発現させたところ、スピロプラズマ感染によりメス胚も死ぬようになった。
つまりスピロプラズマは、遺伝子量補償複合体が結合したオスのX染色体を認識してDNA損傷を起こし、胚発生の過程でp53経路を介した細胞死をオスに特異的に誘導している。その結果としてオス卵がすべて死亡し、メス卵のみが正常に発生する。
今回スピロプラズマによるオス殺しのしくみを解明したが、スピロプラズマが遺伝子量補償複合体の結合したX染色体を認識してDNA損傷を起こす具体的な分子機構は未解明である。DNAや染色体に結合性のある毒素やエフェクター分子、標的構造依存性のDNA分解酵素などが候補として考えられるが、スピロプラズマのゲノム解析、スピロプラズマ感染ショウジョウバエの代謝産物解析などから、その分子実体の解明に取り組んでいく。
有用昆虫はオスとメスで産業応用的な価値が異なるものが少なくない。たとえば寄生バチ類は天敵農薬として広く利用されるが、害虫の体内に産卵して殺す能力をもつのはメスだけなので、メスを選択的に生産できると都合がよい。本研究の成果を応用することにより、昆虫を雌雄別に生産できる技術開発につながることが期待され、そのような観点からの研究も展開していく。