独立行政法人 産業技術総合研究所【理事長 中鉢 良治】(以下「産総研」という)生物プロセス研究部門【研究部門長 田村 具博】深津 武馬 首席研究員(兼)生物共生進化機構研究グループ 研究グループ長、貝和 菜穂美 産総研技術研修員、細川 貴弘 元 産総研特別研究員(現 九州大学助教)らと、大学共同利用機関法人 自然科学研究機構 基礎生物学研究所【所長 山本 正幸】(以下「基生研」という)重信 秀治 准教授らは共同で、放送大学、国立大学法人 東京大学と協力して、クヌギカメムシ類に見られる特異な卵塊ゼリーの産生機構、化学成分、生理機能、適応的意義を明らかにした。
クヌギカメムシ類は日本を含むアジア地域に分布し、晩秋にクヌギなどの樹幹にゼリー状物質に覆われた卵塊を産みつける。幼虫は厳冬期に孵化してゼリーのみを餌として成長し、早春から植物の汁を吸いはじめる。ガラクタンという多糖類からなるゼリーには、孵化した幼虫が3令まで成長するのに必要な栄養分と、春からの植物の汁を餌とする生活に必須な共生細菌が含まれており、クヌギカメムシ類の特異な生態を支えていることがわかった。寒天、カラギーナン、ペクチンなど多量のガラクタンの産生は藻類や植物では知られているが、動物では例外的であり、その生物機能を解明したことは基礎的にも応用的にも興味深い。
この研究成果は2014年9月26日1時(日本時間)に米国の学術誌「Current Biology」(カレントバイオロジー)にオンライン掲載される。
|
ゼリー状物質で覆われた卵塊を産むクヌギカメムシ雌成虫 |
昆虫類はこれまでに記載された生物種の過半数を占め、陸上生態系の主役となる動物群として、その高度かつ多彩な生物機能を利用すべく、さまざまな研究開発が進められてきた。
カメムシ類(半翅目:異翅亜目)は世界では40,000種以上、日本では1,500種余が知られ、多くの農作物の重要害虫を含むため、農業的、経済的に重要な昆虫群である。植物の汁を吸うカメムシ類の腸内には、生存に必須な共生細菌がすみ、栄養供給、植物適応、農薬耐性などの重要な生物機能に関わっていることが知られている。
クヌギカメムシ科は東南アジアを中心に7属80種程度、日本には2属5種が分布する。この仲間のクヌギカメムシやヘラクヌギカメムシは、晩秋の11月頃に腹部が大きく膨らんだ雌成虫がクヌギやコナラの樹幹に集まり、ゼリー状物質に覆われた卵塊を産みつける(図1A)。ゼリーの中には呼吸管を備えた卵が2列に並んで埋まっている(図1B、C)。厳冬期の2月頃に孵化した幼虫は、このゼリーのみを摂食して3令まで成長し、3月末から4月初めの芽吹きの時期に植物の汁を吸いはじめる(図1D)。この風変わりな習性については、1910年代から日本語の報告があり、一部の昆虫愛好家や昆虫写真家の間では知られていたものの、以来100年近くにわたり本格的な研究例は皆無であった。
|
図1 クヌギカメムシの卵塊 |
(A)樹皮上にゼリーに覆われた卵塊を産みつける雌成虫。 (B)卵塊の拡大像。ゼリー層から突き出す呼吸管が見える。(C)単離した卵。矢印は呼吸管を示す。(D)ゼリーに群がる1令幼虫。 |
産総研では、昆虫の体内に共生する微生物がもつ重要な生物機能の解明(2004年3月26日、2007年6月13日、2009年12月22日、2012年4月24日、2014年7月1日 産総研プレス発表)、昆虫と共生微生物の間の高度な生物間相互作用の理解(2007年7月2日、2012年5月28日 産総研主な研究成果、2002年10月29日、2013年6月11日、2013年6月21日 産総研プレス発表)などに取り組み、世界を先導する数多くの研究成果をあげてきた。
特に昆虫類の産生する機能性物質の同定については「兵隊アブラムシの攻撃毒プロテアーゼ」(2004年7月27日 産総研プレス発表)や「アカトンボがどうして赤くなるのかを解明」(2012年7月10日 産総研プレス発表)などの特筆すべき研究成果がある。
基生研では、生物機能情報分析室に最新型の次世代DNAシーケンサーを保有し、昆虫共生細菌その他の生物のゲノム解析に多くの実績がある。
今回は、いまだ謎に包まれたクヌギカメムシ類の卵塊ゼリーの産生機構、化学成分、生理機能、適応的意義を解明すべく、共同で一連の研究に取り組んだ。
なお、本研究成果の一部は、文部科学省 科学研究費補助金 新学術領域研究・基盤研究(S)の支援を受けて遂行した。
野外から採取したクヌギカメムシの卵塊を用いて、採取したままの卵塊(対照群)(図2A)、ゼリーを除去した卵塊(図2B)、ゼリーを除去後に戻した卵塊(図2C)を作成し、それぞれ実験室内で幼虫の発育を観察した。すると卵孵化率は変わらなかったが(図2D)、2令脱皮率はゼリー除去により有意に低下し(図2E)、3令に脱皮できた幼虫は皆無であった(図2F)。また、ゼリー除去群の2令幼虫は対照群に比べて明らかに小さく、生育が阻害されていた(図2G)。ゼリーを戻した群では2令脱皮率、3令脱皮率ともに有意な回復がみられた(図2E、F)。これらから、クヌギカメムシの幼虫にとって、ゼリーを摂食することが生存や成長に必須であることがわかった。
|
図2 ゼリー摂食がクヌギカメムシの幼虫に与える影響 |
(A)そのままの卵塊。(B)ゼリーを除去した卵塊。(C)ゼリーを除去後に戻した卵塊。(D)卵孵化率への影響。(E)2令脱皮率への影響。(F)3令脱皮率への影響。(G)2令幼虫の体サイズの比較。異なるアルファベットは統計的に有意差あり、n.s.は有意差なしを示す。 |
ゼリーの構成成分を分析したところ、水分60 %、炭水化物(糖類)26 %、タンパク質(アミノ酸)8 %であった。炭水化物を加水分解して糖組成をしらべたところ、90 %以上がガラクトースであり、ガラクトースが主成分の多糖類であるガラクタンがゼリーを構成していることがわかった。藻類由来の寒天やカラギーナン、植物由来のペクチンは産業的に広く利用されるガラクタンであるが、動物由来のガラクタンの報告は少なく、新たな生物由来高分子である可能性がある。また、ゼリーを除去後に戻した卵塊ではしばしばカビが発生し、そのままの卵塊に比べて2令脱皮率および3令脱皮率が低下する原因となっていた(図2E、F)。ゼリーの表層部分に抗菌活性が存在する可能性があり、今後の検討課題である。
さらにクヌギカメムシの卵、ゼリー、3令幼虫を加水分解してアミノ酸の組成と含量を調べたところ、ゼリーには孵化幼虫が3令幼虫まで成長するのに必要かつ十分なアミノ酸が含まれることが判明した。
すなわち、クヌギカメムシの卵塊ゼリーの中には孵化幼虫が3令に成長するのに必要な栄養分が過不足なく用意されており、このことが厳冬期における幼虫の成長を可能にしていると考えられた。天敵のきわめて少ない冬の間に幼虫が育ち、春の芽吹きの頃にはすでに大きくなった幼虫が栄養豊富な新芽を餌として利用するという生態は、クヌギカメムシにとって大きな適応的意義があるものと推察される。
腹部が大きく膨らんだ産卵直前のクヌギカメムシの雌成虫を解剖すると、巨大な卵巣の基部に成熟卵とともに透明なゼリーが蓄積しており、卵巣基部がゼリーの生産および貯蔵の場であることが判明した。卵塊ゼリーの内部構造を顕微鏡で観察したところ、無数の共生細菌の集合体がみられた(図3A)。ゼリーを摂食中の幼虫では、消化管の後端部に共生細菌が集積していた(図3B)。すなわち、ゼリーの摂食により共生細菌が獲得されることがわかった。
|
図3 クヌギカメムシ幼虫によるゼリー中の共生細菌の獲得 |
(A)ゼリー中に散在する共生細菌の小塊。緑色に光る顆粒が共生細菌の集合体である。
(B)1令幼虫の体内における共生細菌の局在。 |
この共生細菌の全ゲノム配列を決定したところ、多くの遺伝子や代謝系が失われ、極度にゲノムが縮小しているにも関わらず、タンパク質合成に必要な必須アミノ酸類の合成系は保存されていた。すなわちこの共生細菌は、春以降にタンパク質をほとんど含まない植物の汁を餌とする宿主カメムシを、栄養的に支える重要な機能をもつことがわかった。
今後は、ゼリーを構成するガラクタンの構造を決定するとともに、その物性や生理機能の解析を進める。ゼリーに存在する可能性のある抗菌活性およびその原因物質についても検討したい。さらに次世代DNAシーケンサーを用いた網羅的発現遺伝子解析をおこなうことにより、共生関連機能の基盤となる分子機構の解明に取り組んでいく予定である。