独立行政法人 産業技術総合研究所【理事長 野間口 有】(以下「産総研」という)生物プロセス研究部門【研究部門長 鎌形 洋一】環境生物機能開発研究グループ 菊池 義智 研究員および生物共生進化機構研究グループ 深津 武馬 研究グループ長らは、独立行政法人 農業環境技術研究所【理事長 宮下 淸貴】(以下「農環研」という)生物生態機能研究領域 早津 雅仁 研究員、多胡 香奈子 研究員、沖縄県農業研究センター【所長 坂本 守章】(以下「沖縄農研」という)病害虫管理技術開発班 永山 敦士 研究員らと共同で、ダイズの難防除害虫であるホソヘリカメムシが環境土壌中の殺虫剤分解細菌を取り込んで体内に共生させることにより、殺虫剤抵抗性を獲得しうるという現象を発見した。
これまで世界中の約500種類の害虫について殺虫剤抵抗性が報告され、農業や公衆衛生の面で問題となっている。従来、殺虫剤抵抗性は害虫自身の遺伝子で決定されるものと考えられてきたが、今回の発見はそのような常識を覆すものであり、害虫における殺虫剤抵抗性の進化や害虫防除戦略の策定に新しい観点を提示するものである。
なお、この研究成果は2012年4月24日(日本時間)、米国の学術誌「Proceedings of the National Academy of Sciences USA」(米国科学アカデミー紀要)にオンライン掲載される。
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図1 ダイズ葉上のホソヘリカメムシ |
近年、気候変動や人口増加による世界的な食糧難が懸念される中、環境負荷や残留農薬の問題はあるものの、食料の安定供給のために殺虫剤の重要性はますます高まっている。また、マラリアを媒介するハマダラカや睡眠病を媒介するツェツェバエなど吸血性衛生害虫や、シロアリやゴキブリなどの家屋害虫の防除にも殺虫剤の使用は必要不可欠である。
一方で、単一の殺虫剤を連続使用すると、しばしば殺虫剤抵抗性の害虫が出現することが古くから知られていた。現在までに約500種類の農業害虫、衛生害虫、家屋害虫などについて殺虫剤への抵抗性発達が報告され、大きな問題となっている。抵抗性の機構としては解毒能力の向上や標的タンパク質の構造変化などさまざまな事例が報告されているが、いずれも昆虫自身の遺伝子で規定される性質であるというのが従来の常識であった。多くの害虫がその体内に共生微生物を保有しているため、共生微生物が宿主害虫の殺虫剤抵抗性に影響を及ぼす可能性は指摘されていたものの、これまで実証されていなかった。
殺虫剤抵抗性害虫の出現は、医療現場における多剤耐性病原菌の問題と同様に、殺虫剤を開発する人類と抵抗性を発達させる害虫との「終わりなき戦い」といえる。新しい殺虫剤の開発には多大なコストと時間がかかるため、抵抗性の発達を未然に防ぐことはきわめて重要であり、そのためには抵抗性発達の機構を理解することが最重要課題といえる。
産総研では、昆虫の体内に共生する微生物が有する高度な生物機能に着目し、さまざまな研究に取り組んできた(2004年3月26日産総研プレス発表、2010年11月19日産総研プレス発表)。近年は、多くの難防除害虫が含まれるカメムシ類に着目して研究を展開してきたが、その過程でダイズの害虫として知られるホソヘリカメムシ(図1)がユニークな微生物共生系を持つことを見いだした。ホソヘリカメムシの消化管には盲嚢(もうのう)と呼ばれる袋状の組織が多数発達しており(図2B)、その中にバークホルデリアという細菌が共生している(図2C)。ほとんどの昆虫類では、共生細菌は母から子へと直接伝えられるが(垂直伝達)、ホソヘリカメムシでは、幼虫が環境土壌中に生息するバークホルデリアを毎世代新たに取り込んで共生すること(環境獲得)を解明した。
農環研では、微生物を利用した農地改良や環境浄化を目的として、土壌微生物の持つ多様な機能の研究を行ってきた。微生物が持つ有用な機能の一つに、殺虫剤を含む化学物質の分解や浄化がある。これまでに農環研により、さまざまな殺虫剤分解性の細菌が単離、同定されてきたが、その中にバークホルデリアも多数含まれていた。
今回の成果は、産総研における共生微生物の研究蓄積と、農環研における殺虫剤分解菌の研究蓄積を基に、それらを有機的に統合、発展させることにより得られたものである。また、沖縄農研が中心となって、カメムシ野外集団における殺虫剤分解菌の感染実態を調査した。
なお、本研究は、独立行政法人 農業・食品産業技術総合研究機構 生物系特定産業技術研究支援センター「イノベーション創出基礎的研究推進事業(BRAIN)」の支援を受けた。
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図2 ホソヘリカメムシの消化管・共生器官の写真
(A)ホソヘリカメムシ消化管の写真。矢印は共生器官を示す。(B)共生器官の拡大像。多数の盲嚢(△で示す)が発達し、(C)その中に共生細菌バークホルデリアをぎっしりと保有している(緑色の蛍光色素でバークホルデリアを染色して観察)。 |
フェニトロチオンは世界中で広く使われている殺虫剤の一つで、有機リン系化合物である。これまでに、さまざまな土壌細菌がフェニトロチオンを分解して炭素源として利用できることが報告されてきた。分解菌により、フェニトロチオンは昆虫にとってほぼ無毒の3-メチル-4-ニトロフェノールに分解され、その後複数のステップを経て炭素源として利用される(図3上)。フェニトロチオン分解菌は農耕地の土壌中に低頻度で存在しているが、フェニトロチオンの連続散布によりその密度が増加する。
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(上)フェニトロチオンの分解過程。(下)フェニトロチオン含有培地上における分解活性。分解菌のコロニー周辺にはフェニトロチオンの分解によるハローが形成される。 |
ホソヘリカメムシの共生細菌バークホルデリアは環境土壌中に普通に生息しており、幼虫が成長過程で経口的に取り込むことによって、毎世代新たに共生関係が成立する。バークホルデリアと共生させたカメムシは、共生させなかったものに比べて体のサイズや産卵数が大幅に増加することから、バークホルデリアは宿主カメムシの栄養代謝において重要な役割を果たしているものと考えられる。
いくつかの地域の農耕地の土壌やそこに生息するカメムシ類からバークホルデリアの分離・同定を行ったところ、土壌から分離されたバークホルデリアの中にわずかながらフェニトロチオンを分解する菌株が含まれていた(図3下)。
これらのフェニトロチオン分解性バークホルデリア(フェニトロチオン分解菌)とフェニトロチオンを分解できないバークホルデリア(非分解菌)をそれぞれホソヘリカメムシに感染させて、宿主への影響を比較した。その結果、フェニトロチオン分解菌に感染したホソヘリカメムシと非分解菌に感染したホソヘリカメムシの間で、共生細菌の定着率、宿主の生存率、成長速度、体のサイズなどに有意な違いは見られなかった。しかしフェニトロチオン分解菌に感染したホソヘリカメムシでは、非分解菌に感染したホソヘリカメムシに比べて、フェニトロチオンへの抵抗性が大幅に増大していた(図4)。これらの結果は、共生細菌の感染によって宿主カメムシが殺虫剤抵抗性を獲得したことを明確に示している。
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図4 フェニトロチオン処理した場合のホソヘリカメムシの生存率
フェニトロチオン分解菌を感染させるとほとんど死ななくなる。2つのカメムシ系統(TKS-1(左)、TKA-7(右))の結果を示す。 |
日本各地のホソヘリカメムシ846個体について感染調査を行ったところ、フェニトロチオン分解菌は検出されなかった(0%)。稲の害虫であるクモヘリカメムシやサトウキビの害虫であるカンシャコバネナガカメムシ(いずれもバークホルデリアと共生している)についても同様の感染調査を行ったところ、カンシャコバネナガカメムシの一部の集団にだけフェニトロチオン分解菌の感染が確認された(約8%)。すなわち、日本のカメムシ野外集団のフェニトロチオン分解菌への感染率は一般に低いことが判明した。国内農耕地ではフェニトロチオンの使用回数は年間1~3回程度に管理されているため、多くの農耕地土壌におけるフェニトロチオン分解菌の密度は検出限界以下にとどまっているものと思われる。
野外農耕地から採取してきた土壌にフェニトロチオンを実験的に散布(週に1回、合計4回)したところ、土壌中のフェニトロチオン分解菌密度が増し、そこから分離培養した細菌のうち80%以上がフェニトロチオン分解活性を示した。このようにしてフェニトロチオン分解菌を増やした土壌にダイズを植え、そのうえでホソヘリカメムシの幼虫を飼育したところ、90%以上の個体が成虫になるまでにフェニトロチオン分解菌を獲得した。これは、殺虫剤の連続散布は土壌中の殺虫剤分解菌を増加させるだけでなく、分解菌の害虫カメムシへの感染を促進し、ひいては害虫の殺虫剤抵抗性の獲得につながる可能性を示している。
これらの結果から、共生細菌バークホルデリアによる害虫の殺虫剤抵抗性獲得は以下のような過程で成立すると考えられる(図5)。
①殺虫剤の連続散布によって土壌中の殺虫剤分解菌が増殖する。
②カメムシがこれら殺虫剤分解菌を土壌中から取り込んで共生する。
③殺虫剤分解菌と共生したカメムシは殺虫剤抵抗性を獲得する。
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図5 共生細菌による害虫の殺虫剤抵抗性発達機構の概略図 |
本成果により、害虫の殺虫剤抵抗性に共生微生物が関係しうることが世界で初めて証明された。これまで、殺虫剤抵抗性の獲得は害虫自身の遺伝子に生じた突然変異によるものであり、害虫集団中に現れた抵抗性個体が殺虫剤の使用による選択を受けることで、次第に集団中の個体数が増加して顕在化すると考えられてきた。今回の共生細菌による殺虫剤抵抗性の獲得機構の発見は、従来の殺虫剤抵抗性発達モデルを否定するものではなく、それに加えて新たな殺虫剤抵抗性の発達モデルを提示するものと位置づけられる。
今後は、この殺虫剤分解性バークホルデリアの全ゲノム解読を進めるとともに、バークホルデリア感染前後の宿主カメムシの発現遺伝子変化を次世代シーケンサーにより網羅的に解析する予定である。これらの研究から、共生細菌感染によって殺虫剤抵抗性が発達する際に、宿主カメムシの遺伝子発現や代謝系にどのような影響があるのかを解明し、この基礎的にも応用的にも重要な現象の分子基盤を明らかにしていきたい。
また重要な応用研究として、どの程度の殺虫剤散布が農耕地土壌における殺虫剤分解性バークホルデリアの集積や、カメムシへの分解菌の感染につながるのかを評価する必要がある。野外の実験用農耕地において調査を行い、土壌における微生物群集の動態が宿主害虫の環境適応に与える影響について明らかにしていく予定である。
共生微生物が害虫の殺虫剤抵抗性を高める機構の解明は、害虫の抵抗性発達を未然に防ぐための新規防除技術の開発につながる可能性もあり、そのような観点から研究に取り組んでいきたい。
"Symbiont-mediated insecticide resistance"
(共生細菌による殺虫剤抵抗性)