開発と環境保全を両立させるため海洋の今を知り将来に備える
開発と環境保全を両立させるため海洋の今を知り将来に備える
2024/01/10
開発と環境保全を両立させるため 海洋の今を知り将来に備える
周囲を海に囲まれた日本は、領海および排他的経済水域の広さが世界第6位の海洋国家です。海洋や沿岸域でさまざまな開発をする際に、環境への影響を無視することはできません。持続可能な社会を実現するためには、開発と環境の調和を図ることが強く求められています。そのため産総研は、海洋の環境影響評価の技術開発に取り組み、その成果を世界に発信しています。
開発の影響やリスクを抑えるためまず開発前の環境を詳しく調べる
深い海の底から、美しいサンゴ礁が見られる沿岸域まで、海の環境は気候変動や自然災害、そして産業などから大きな影響を受けています。例えば、日本列島を取り巻く海底には貴重な鉱物資源が眠っています。将来的にそれを掘り起こそうとしたとき、海底付近の生態系がどのような影響を受けるか、どうすればその影響を抑えられるか、判断するためのデータがなければ環境を保全することはできません。そのために必要なのが環境影響評価です。環境調和型産業技術研究ラボ(E-code)では、海洋鉱物資源の開発に関わる環境影響評価から沿岸域の生物多様性の保全や利用まで、幅広い研究を展開しています。
日本は2020年に南鳥島南方の排他的経済水域(EEZ)で、電池の生産などに不可欠な鉱物コバルトを含む「コバルトリッチクラスト」の掘削試験に世界で初めて成功しました。このような掘削試験を行うには、周囲の海洋の環境影響評価が欠かせません。人類共通の財産である海洋資源を、秩序をもって利用するための枠組みを管理している国際海底機構(ISA)の指針に従って、産総研が環境調査を進めてきました。
まず、開発前の自然な状態を調査して基礎となるベースラインデータを取得し、開発によって受ける影響を予測・評価することが求められています。たとえEEZ内とはいえ、海はつながっているので環境に配慮した開発をしないと世界の納得が得られません。産総研は、開発と環境を調和させる道筋を世界にさきがけて発信することを目指しています。
物理、化学、生物の視点から環境影響評価にアプローチ
環境影響評価における産総研の強みは、物理、化学、生物それぞれの専門家が研究を融合的に進めることができる点です。各分野でどのような研究がされているのか紹介します。
物理分野の長尾正之は、深海底の水流や音を計測するモニタリングシステムを開発しています。「深海底の画像を撮って環境観測をすることができる無人探査機に、2種類の流速計や水中音の録音装置などを新たに搭載し、マルチプラットフォームとして活用するための研究を進めています。より簡便かつ低コストで確実に海洋物理特性のベースラインデータを取っています」
産総研ではこの無人探査機で取得した画像や水中音などのデータとAI技術を組み合わせて、掘削によって深海で巻き上がった粒子や発生する音が深海環境に及ぼす影響を計測する研究も進めています。
化学分野の山岡香子は、海水に溶存している重金属元素のベースラインデータを取る研究をしています。「海底の泥や砂の金属元素を測定するときとは違って、海水中で濃度が低い金属元素を測るのは、技術的ハードルが高い仕事です。はじめは、海水に含まれる高濃度の塩分が邪魔をしてうまく測ることができませんでした。しかし計量標準の研究者と連携し、標準物質を使いながら技術的なサポートを得て分析を進め、信頼性の高い測定をすることができました」
生物分野の井口亮は、いま注目の環境DNA解析技術を駆使し、深海や沖縄の海洋生物資源を評価する研究をしています。これは海水を汲んで調べるだけで、そこにどういう生物がいるのかが分かる技術ですが、深海での取り組みにおいてユニークなのは海綿動物に着目している点です。海綿動物は海水をフィルターのような形でろ過して生きている生物で、体内にたくさんの周辺生物の遺伝子情報を蓄積しています。そのため海水を汲んでろ過しなくても、海綿動物を調べればその場の生物多様性を知ることができます。
これら、各分野の要素技術を高度化するだけでなく、環境情報を統合的に解析するE-codeらしい取り組み事例もたくさんあります。
最先端技術を駆使した研究でサンゴ礁が教えてくれること
井口は、サンゴを対象としたさまざまな研究をしています。「サンゴ礁というのは海洋で最も生物多様性が高く、多くの生物群を育んでいます。そのため世界中で盛んに研究されており、海洋生物の中で最新のゲノム解析技術が一番進んでいるのも実はサンゴなのです。ですからサンゴを対象とした環境影響評価研究は、先端分野といえます」
沖縄本島でも、豊かな自然が残された北部と、開発が進んでいる南部ではサンゴの健全度が大きく異なっています。その原因を突き止めようと、井口は飼育実験に基づく生体影響評価に取り組みました。
「陸地から過度の栄養塩が流れ込むとサンゴが減少することは知られていますが、そのメカニズムは謎でした。そこで、シャーレの中で北部や南部で採取した砂と共に生まれたばかりの小さいサンゴを飼育して比較し、砂から溶出したリンがサンゴの成長を直接妨げていることを北里大学・琉球大学との共同研究を通じて初めて突き止めました。この成果は海域のリン評価に役立ち、環境省のサンゴ保全プロジェクトにも利用されています」
さらに、遺伝子発現解析や低分子の化学物質を調べられる技術など最新の生体情報解析技術も駆使し、どのような環境でサンゴが育ちにくいか、死にやすいかを総合的に評価する研究に力を入れています。
ポジティブな評価にも使えてESG投資に役立つ技術へ
長尾、山岡、井口が目指すのは、自分たちが開発した環境評価技術を社会実装すること。しかも、リスクを評価するだけでなく、環境にポジティブな影響も評価できる技術として使ってほしいと考えています。
産総研は、開発と環境を調和させるための『社会の備え』として、環境影響評価技術をESG投資(環境・社会・ガバナンスに配慮した企業への投資)に役立てられるよう研究に取り組み、海洋の環境保全に貢献していきます。
環境調和型産業技術研究ラボ
海洋環境研究チーム
主任研究員
長尾 正之
Nagao Masayuki
環境調和型産業技術研究ラボ
海洋環境研究チーム
主任研究員
山岡 香子
Yamaoka Kyoko
環境調和型産業技術研究ラボ
沿岸環境研究チーム
主任研究員
井口 亮
Iguchi Akira