自動化システムで放散虫を高速鑑定
自動化システムで放散虫を高速鑑定
2025/01/15
自動化システムで放散虫を高速鑑定 分取ロボットとAIを組み合わせた微化石鑑定技術の開発
地質の研究では、数マイクロメートルから数ミリメートルの大きさの「微化石」を鑑定・分取する技術が不可欠だ。微化石から得られるデータによって、その地層の年代や当時の環境が特定でき、また微量元素組成や同位体比組成の測定からは、その地質が生まれた時代に関する詳細な情報が得られる。つまり、微化石は地層解析のための「ものさし」であり、微化石から得られたデータは地質の研究だけでなく、ほかの研究分野やビジネスなどにも活用される。しかし長年にわたり、微化石の鑑定・分取は手作業に頼ってきた。そうしたなかで、産総研をはじめとした研究チームでは、微化石の鑑定・分取を自動化するシステムを開発。同システムの開発が求められるようになった背景、AIとマイクロ・マニピュレータを組み合わせた技術のポイント、その用途拡大や性能向上から今後の展開まで、開発に携わった研究者に話を聞いた。
手作業頼みだった微化石の鑑定・分取
微化石とは、地層中に含まれる放散虫、有孔虫、珪藻などの化石の総称で、その大きさは数マイクロメートルから数ミリメートル。砂粒や雑多な粒子の中に混じった、そうした微化石を目視で探し、分類し、拾い出すことが地質研究の第一歩になる。地質調査総合センターで地球変動史研究グループ長を務める板木拓也は、微化石についてこう説明する。
「私は放散虫というガラスの殻を持った単細胞生物を研究していますが、現在生存しているものだけでも800種類ほどが確認されています。絶滅種も含めると8000種類にものぼり、放散虫だけでも膨大な種類があるわけです」
放散虫はガラス質でとても美しく、形状が多様で、その姿をアート作品にする人までいる人気の微生物だ。産総研の地質標本館のミュージアムショップには、オリジナルグッズとして「放散虫フィギュア」を販売しているほど。見た目が特徴的なだけでなく、地質研究では化石が生きていた頃の時代を示す「示準化石」、その時代の環境を調べるための「示相化石」として重要な役割を持っている。
「堆積した地層から採取した粒子を顕微鏡で覗きながら、微化石を分類して選り分けるのですが、目視による計数(カウント)と拾い出し(ピッキング)には、『職人的な』知識と経験が必要になります」と、板木は言う。板木もほかの地質研究者も、これを長く手作業でこなしてきたのが現実だ。
「微化石を地層の解析に使うようになって50年以上が経ちますが、微化石の分類・分取の方法自体は、実は100年前から変わっていません。作業負荷が高いこともあり、この分野の研究者が減ってきていることも昨今問題になっています」と、板木は憂う。研究者が減ると、知見や技術の継承が途絶え、研究自体が継続されなくなるといったリスクが高まる。
AIと分取装置を組み合わせたシステムに置き換え
「微化石を自動で分類して拾わせるタスクを確立したシステムを開発したいという思いは、ずっと前から持っていました」と、板木は振り返る。この思いを具現化したのが、2018年にプロトタイプとして開発した「miCRAD(microfossil Classification and Rapid Accumulation Device)システム」だ。コンピューターで制御できる自動顕微鏡に、微細な物体を分取することができるマイクロ・マニピュレータを組み合わせ、顕微鏡で撮影した写真を基にディープラーニング技術を用いたAI(人工知能)が各粒子を分類、その結果から特定の種類の微化石だけを分取する――。つまり職人にしかできなかった、分類作業をディープラーニングに、微化石を拾い出す作業をマイクロ・マニピュレータに担わせた、というわけだ。この開発は、産総研チームと、AI技術を持つ日本電気株式会社(NEC)、マイクロ・マニピュレータ技術を持つ株式会社マイクロサポート、画像解析技術を持つ三谷商事株式会社が共同で行った。(2018/12/3プレスリリース)
miCRADシステム開発のきっかけになったのは、地質学会での出来事だった。
「研究のネタ探しに出かけた地質学会の会場で、ディープラーニングで粒子の分類ができること、それとはまた別の場所でマイクロ・マニピュレータの話をたまたま聞きました。その時、私の頭の中に、当時流行していたピコ太郎の『ペンパイナッポーアッポーペン(PPAP)』が浮かんだのです。ディープラーニングとマイクロ・マニピュレータの機能を組み合わせたら、人の労力を最小限にして微化石が拾えるのでは!と。これによって、群集解析や分析のための微化石のカウントとピッキングはもとより、特に小型の微化石を単種で大量に集めて同位体比の測定を行うといった、人の手ではできなかったことも可能になるのでは、と考えました」
研究者がより高度な研究に向き合える
板木は、ディープラーニングとマイクロ・マニピュレータの2方向で、同時に研究開発を進めていった。
ディープラーニングは、学習フェーズと運用フェーズに分けて技術を適用。学習フェーズでは、産総研の地質コレクションから学習画像(教師データ)を取得し、AIに学習させてモデルを構築。運用フェーズでは、構築したモデルを使い、①微化石を含む粒子画像から位置情報を自動取得、②学習フェーズで作成したモデルによる微化石の鑑定、③マイクロ・マニピュレータで対象となる微化石の分取と集積を行った。
板木は「私は打たれ弱いので失敗すると諦めがち。ですから、まず成功体験が得られるようにプロジェクトを進めました」と、笑う。最初にNECにディープラーニングによる分類試験を依頼した時は、2種類の放散虫を分類するというテーマを課した。教師画像の数は最小限だったが、2種類の分類については当初から90%近い正答率を得ることができた。
「2種類の放散虫の分類の成功体験を自信に、分類する種類を増やしたり、画像のバリエーションを増やしたり、間違ったサンプルを別のカテゴリーとして改めて教えるといった手法を採用したりと、一歩ずつ着実に開発を進めました」と、板木は話す。
しかし、開発はすべて順調に進んだわけではない。作成していたシステムは顕微鏡で撮影した画像をディープラーニングで分析するため、粒子が上下に重なった場合、画像解析時に1つの粒子と捉えてしまう間違いが起きていた。粒子が重ならないようにするにはどうしたらいいかを考える必要があったのだ。板木はその時、ふと自宅にあるたこ焼きプレートを思い出した。「たこ焼きプレートは、それぞれのくぼみにたこ焼きは1つずつ入る仕組み。粒子が重なってしまう問題を解決するには、たこ焼きプレートと同じように、微粒子サイズのくぼみがあるトレイを用いればよいのではないかとひらめきました」と板木は当時のことを振り返る。
このアイデアをもとに、製作所に「数センチメートル大のトレイに、直径100マイクロメートルのくぼみを6万個作ってほしい」と依頼。試行錯誤の末、粒子を一定以上分散して配置できるトレイが完成した。
ディープラーニングが分類して、位置情報がわかった粒子は、マイクロ・マニピュレータでピックアップしていく。このマニピュレータの先端は、スポイトのような吸引式を採用した。
「箸のように微化石をつまみ上げる先端も検討しましたが、微化石は複雑な形態を持っているので、手作業に比べると力の調節が非常に難しかったのです。吸引式なら、どのような形のものでもピックアップ可能。放散虫向けには、先端径が40マイクロメートルのノズルを使っていますが、ノズルは5マイクロメートルまで用意できるので、より小さいものもピックアップできます」と、板木。
miCRADシステムの導入により、微化石の鑑定・分取作業は大幅に効率化された。ディープラーニングに学習させるための教師画像の取得は、このシステムに組み込んだ画像処理技術を駆使。3万点に及ぶ産総研の粒子コレクションから、学習用の画像データをわずか数日で取得。従来であれば、数カ月必要だった作業である。実際に微化石を分析する運用フェーズの鑑定では、手作業なら1000粒に1時間かけていたが、20分ほどに短縮できた。また分取は、1000個のピックアップを約3時間でこなす。これも手作業ならば、数日かかる作業だったものだ。板木は次のように語る。
「miCRADシステムは、我々の作業時間と労力を減らしてくれるだけでなく、より高度な地質研究にも貢献するツールとなるはずです」
適用分野の拡大と大量分析への対応
miCRADシステムは世界初のシステムとして、特許出願されている。「専門家の一人である板木が不要になるという意味で、『いたきイラズ』と呼んでいます」と、板木はいたずらっぽく笑う。現在は共同開発を終え、必要となるアプリケーション開発やプログラムの改良を行っている。
「このシステムは微化石だけでなく、火山灰や石英など鉱物の分類にも使えることがわかってきました」と板木。例えば、同システムの分類技術に特化して、砂粒の自動鑑定や、空中飛散花粉の分類に応用したプロジェクトが進行中だ。
「砂粒の自動鑑定は、火山灰の研究者と進めています。噴火した火山灰を分析して、噴火が危険なものかどうかを判断する際、これまでは私たちのような専門家が現地入りしてサンプルを採取して分析するか、現地からサンプルや画像を送ってもらって分析していたので時間がかかっていました。このシステムが現場にあれば、その場ですぐに分析ができ、防災・減災に貢献できるのではないかと考えています。飛散花粉については、全国の医療関係者が毎年、スライドに花粉を取って、顕微鏡で分析してデータを出しています。それもスギやヒノキに限ったものが多く、それ以外の花粉についてはデータが非常に限られています。このシステムで、花粉を自動分類するといったテスト分析を始めているところです。かなり高い確率で分類できるので、飛散花粉の分析にも役立てると考えます」と、板木はこのシステムの用途の広がりに期待を寄せている。
適用分野の拡大とともに板木が目指しているのが、大量分析への対応だ。板木は、主に医療分野で用いられるバーチャルスライドスキャナの活用を試みている。これは、スライドガラス標本の光学顕微鏡画像を、デジタルデータとして取得・管理できるシステムである。2023年に導入した最新機器では、360枚のスライドを一度に装填し、スライド1枚あたり約5分でスキャンから画像の切り抜き、分類までできる。手作業で1年以上かかっていた作業が、27時間程度で完了するようになった。
次世代の礎を作るための地層解析
miCRADシステムについて、板木は「新しく何かを開発したというより、ディープラーニングとマイクロ・マニピュレータをくっつけたという発想が、新しかったに過ぎません。微化石の鑑定に特化した深層学習ソフトウェアの開発では、アルゴリズムにディープラーニングの代表的な手法である畳み込みニューラルネットワークを用いていますが、これは2012年頃にブームとなったものですし、画像解析で識別した鉱物粒子をマイクロ・マニピュレータで分取する技術についても国内で実用化済でしたから。特にAIは、こうしたかたちで、他の研究分野でも応用が広がっていくでしょう」と語る。
今後の課題は、このシステムや分析データを、いかに実社会に広く役立てていくかだ。例えば現在は、微化石の鑑定・分取による地層の年代特定が、石油の掘削現場で利用されようとしている。石油を掘り出すためにボーリングを行うと、コストがかかる。現場にmiCRADシステムを持ち込み、掘削中の地層の年代を特定すれば、あと何メートル掘ると石油が出るかが推定できる。現地でリアルタイムに分析することで、ボーリングによるコストの抑制が見込めるわけだ。
また、微化石のデータは気候変動などの予測にも役立つのだという。
「放散虫は、その時々の温度環境で存在状況が変わることが知られていますが、これまでの技術では1000年から1万年単位での変動を知ることが精いっぱいでした。しかし、大量のデータ分析が可能となるこのシステムを使えば、10年単位で過去の気候変動の様子を知ることができます。長い地球の歴史のなかでの、過去の環境変化の細かな様子を知ることにより、温暖化が今後の地球に与える影響、我々の生活に与える影響などを推測することも可能になると考えています。産総研の地質データは、その信頼性が評価されています。大量に取得したデータから、信頼性の高いデータセットのパッケージを作り、それを産業界で役立ててもらえないかと思案中です」と、板木。
地質の研究においても、新しい技術を取り入れることで、今まで知ることができなかったデータが効率よく得られるようになってきた。ビジネスで微化石鑑定の場面が広がるだけでなく、よりよい次世代社会を作り上げるため、新たなデータ活用と地層解析に、板木はこれからも取り組んでいく。
地質調査総合センター
地質情報研究部門
地球変動史研究グループ
研究グループ長
板木 拓也
Itaki Takuya