第41回 東北の山中に残された「史上最大の大量絶滅」の痕跡…「次の絶滅」のヒントは過去にある?地質を極める研究者の情熱が凄かった!
第41回 東北の山中に残された「史上最大の大量絶滅」の痕跡…「次の絶滅」のヒントは過去にある?地質を極める研究者の情熱が凄かった!
東北の山中に残された「史上最大の大量絶滅」の痕跡…「次の絶滅」のヒントは過去にある?地質を極める研究者の情熱が凄かった!
講談社ブルーバックス編集部が、産総研の研究現場を訪ね、そこにどんな研究者がいるのか、どんなことが行われているのかをリポートする研究室探訪記コラボシリーズです。
いまこの瞬間、どんなサイエンスが生まれようとしているのか。論文や本となって発表される研究成果の裏側はどうなっているのか。研究に携わるあらゆる人にフォーカスを当てていきます。(※講談社ブルーバックスのHPとの同時掲載です。)
2023年3月30日掲載
取材・文 中川 隆夫, ブルーバックス編集部
地球が誕生して46億年。生命が誕生したのが約38億年前あたりといわれています。それ以降、生物は何度も大量絶滅を繰り返してきましたが、なかでも約2億5000万年前には、地球史上最大の大量絶滅が起こったとされています。
生物を大量絶滅に追いやったものは、いったい何でしょうか。そもそも、何を調べれば当時の生物のことがわかるのでしょうか。
そうした生物史の大きな謎を解くために、東北の山の中をひたすら歩いている地質学者がいるらしい──。地質学者なのに、なぜ生物の研究を? なぜ東北の山?
不思議に思った探検隊は、そのご当人、産業技術総合研究所 地質調査総合センター 地質情報研究部門 層序構造地質研究グループの武藤俊さんを訪ねました。
2億年以上も前のことが「付加体」を見ればわかる
武藤さん、これまで探検隊が訪ねてきた研究者たちのなかでも飛び抜けて若い。
「産総研に入って4年になります。その前は、東京大学大学院で、日本のジュラ紀につくられた付加体(ふかたい)の研究をしていました。付加体とは、海洋プレートが水平移動してきて大陸プレートの下に沈み込むとき、海洋プレートの堆積物が削り取られて大陸プレートの端にくっついたものです」
日本列島の下では何枚ものプレートがひしめいている。海洋プレートである太平洋プレートは、年に8 cmほどのペースで太平洋を水平移動してきて、大陸プレートである北アメリカプレートやユーラシアプレートに日本海溝あたりでぶつかり、沈み込んでいる。それが2011年の東北地方太平洋沖地震のような巨大地震を起こす原因にもなっているのだが、このときに、カンナで削られるように大陸側に削りカスを残していく。これが付加体だ。
「付加体によって、深海の堆積岩が日本列島の端に残されます。ジュラ紀の付加体は北海道の道南あたりから南は琉球まで、日本列島の基盤のかなりを占めているんです。2億年以上前の太平洋の深海に堆積した古い地層から、生物の死骸などを見つけ出して、当時の生物や地球環境を知るための研究をしていました」
付加体の厚みは、思ったよりある。陸地に近づいたときに堆積した泥や砂も含めて、1 km弱。チャートなどの深海堆積層だけで200 mだという。そんなに厚いのかと思ったら、武藤さんはむしろ薄いと感じているそうだ。2億年という時間をかけて積もったにしては薄い、ということらしい。そうした日本の付加体の中に、2億5200万年前の史上最大といわれる大量絶滅の時代の地層も含まれている。
「たとえば、前期三畳紀と呼ばれる時代(現在から約2億5190万年前~約2億4720万年前)の深海の地層が、岩手県の北上山地や、愛知県と岐阜県の県境あたり、大分県の津久見あたりの付加体で見られます。
前期三畳紀の付加体、というと、前期三畳紀に大陸に付加した地層という意味になりますが、ここで述べているのは前期三畳紀に陸から遠い深海で堆積し、プレート運動で陸の近くに運ばれてきてジュラ紀に付加した付加体です」
太平洋の南半球? そんなに遠くから来たのですか?
「少なくとも赤道あたりの南洋から、海洋プレートの動きに合わせて、2億年以上をかけてやってきました。しかし岩手の北上山地の付加体は、どのあたりのものか推定ができていません。そこでいま、産総研の業務として、この一帯の地質図をつくりながら、付加体を調査しているのです」
かつての「超海洋パンサラッサ」の痕跡が日本列島にある
2億年前といえば、日本列島はまだなかったはずですよね。
「まだユーラシア大陸の東の端にくっついていた時代です。と言ってもその頃は、地球上に存在しているのは『パンゲア』と呼ばれるたったひとつの大陸だけでした。ユーラシアも南北アメリカもアフリカも南極も、すべてつながった『超大陸』です。その時代太平洋は今よりずっと広く、それを『パンサラッサ』と言います。ですから、この時代の付加体を調べることは、パンサラッサの深海堆積物を調べることになるのです」
ムムム・・・・・・。パンゲア大陸は聞いたことあるぞ。3億年前から2億年前にかけて存在した「超大陸」だったはず。ここから大陸分裂が起こり、いまの5大陸が生まれた。パンゲアの名づけ親は、プレート・テクトニクスを提唱したウェゲナーだ。たったひとつの大陸と、それを取り囲む「超海洋」パンサラッサ。そんな巨大スケールの時代に生きていた深海生物の名残りが、この小さな日本列島に残っているんですね。
「遠くにある海の底の地層が、日本で発見される。それこそがプレート運動によって地層が運ばれている証拠です。最近ではテレビ番組の『ブラタモリ』でも、『チャート』という言葉をよく聞くようになりました。チャートとは、プランクトンなどの微細な生物の死骸が海底にたまってできた岩石で、それが山の中に出るということは、昔そこが深海だったということです。
パンサラッサの海は、当時の地球の6割を占めていたといわれます。では、その海の中の情報が、いまどこに残っているかというと、ほとんどの地層はプレート運動によって地球の内部に沈み込んでしまっていて、残っていません。唯一、付加体のなかに押しつぶされてゴチャゴチャになった状態で残っているものだけが、われわれが得られる情報なのです」
「コノドント」は小さいけれど「有能な化石」
すると、付加体から出てくる生物の化石は、貴重な地球史のレコーダーということになるんですね。山の中で発見される付加体の岩石から、時代はどのように推定するのでしょうか。
「時代を推定する方法はいくつかあります。一般的に有名なのは、たとえば『放射性炭素同位体比』というものですが、あれは5万年前くらいまでのものにしか使えません。数千万年、億年という単位になると、別の同位体比が使われます。ただし、同位体比で年代を数値化できる物質は限られていて、多くの場合は当時生きていた生物の化石から推定します。
三葉虫、アンモナイト、放散虫などが有名で、いわゆる示準化石(しじゅんかせき)と呼ばれるものです。ただ、これらも時代や地層によって使い分けが必要で、私が研究している2億5000万年前の大量絶滅の時代は深海の地層では『コノドント』という魚のような生物の化石を使います」
コノドントはヤツメウナギのような生物で、カンブリア紀(約5億4200万年前~約4億8830万年前)から三畳紀にかけて、極地以外の海に広く存在していたとされる。体長は10 cmほどだったようだ。三葉虫や放散虫といった他の生物の多くが絶滅した時代も生き延びて、その痕跡を残している。つまり、史上最大といわれる大量絶滅を生き延びているのだ。
「彼らが示準化石として有能なのは、生きていた時代によって形を変えていることです。そのため、化石によって年代が決定できるのです」
武藤さんはそう言って、箱に入ったいろいろな石片を取りだして見せてくれた。灰色がかった石の中に、白く5 mmほどの丸印がつけられている。その丸の中で、黒く見えている点がコノドントなのだという。しかし、そう言われてよく見ても、ただの点にしか見えない。こんなに小さいもの、山の中でよく見つけられますね?
「慣れてくれば、20倍のルーペで見分けることができますよ。山から見つけたものを持ち帰ると、くわしく化石の種類を調べます。サメの化石には歯が多いように、生物の身体で化石として残りやすいのは、硬い骨のような部分です。コノドントの場合も、化石として残るのは口の奥にある歯のようなエレメントと呼ばれる部分だけで、われわれはそれを見ているのです」
それにしても、生物の96 %が絶滅したという大量絶滅事変を、コノドントはよく生き延びたものですね。
「96 %というのは生物種の数ですから、個体数としてはもっと残っていた可能性もあります。コノドントのなかにも、絶滅した種もあれば、生き延びた種もある。地球上でも環境の変化は場所によって差があるので、生き残ったコノドントが化石として残っているのです」
わかってきた大量絶滅の「本当の原因」
高等生物が地球に出現して5億年余り。その間に、5回の大きな絶滅期を経験したと聞きます。なにが原因なのでしょうか。
「最大の絶滅が起こったペルム紀末(約2億5000万年前)は、地球上では火山活動が盛んでした。活発なマグマの活動により、洪水玄武岩と呼ばれる大量の溶岩ができたのですが、それが出てきた場所が、運の悪いことにシベリア地域でした。シベリアの地層は、昔の植物の体が堆積してできた石炭の層など有機物が多く、溶岩によって燃やされることで大量の二酸化炭素が放出されてしまいました。そのため温暖化がひどくなり、海洋の無酸素状態や地球温暖化が進んだと思われます」
同じように洪水玄武岩が上昇してできた場所に、オントンジャワ海台がある。オントンジャワ海台は、太平洋ソロモン諸島の北に、約1億2000万年前に火山活動によってできたとされる巨大な海底の台地だ。このときも二酸化炭素の排出はあったものの、2億5000万年前のシベリアのようにひどくはならなかったという。
火山活動や二酸化炭素の大量排出にともなう温暖化が大量絶滅の原因と考えられるなか、ペルム紀末のものが最大の絶滅となった理由は、ほかにもあるのではないかと研究者たちは考えている。
「ここ10年くらいの研究によって明らかにされつつあるのは、絶滅後の回復期においても、それを阻害するような環境変動があったのではないかということです」
その原因は、やはり温暖化と考えられているそうだ。
「ペルム紀末の絶滅では、そのあとに温暖化のピークがあり、実はそのときは、ペルム紀末よりも地球は暑くなっていたのではないかともいわれます。赤道あたりでは海水が40℃を超えていたという話もあります。しかしむしろ、もっと寒い極地のほうが影響は大きかったのではないでしょうか。30℃が40℃になるより、5℃が15℃に上がるほうが生物にとってはこたえるはずですから」
人類も絶滅するのか
温暖化という言葉を聞くと、いきなり現代の環境問題に思いをはせてしまう。すると、いまの温暖化も、かつて生物が大量絶滅に至ったのと同じ道なのだろうか。
「いま語られている温暖化とは、100年という短い単位で起きていることです。数百万年、数千万年という単位で考える地球史上の大絶滅と直結させて考えるのは、短絡的すぎるかもしれません。いまの温暖化が1000年後、1万年後まで続いているなら、第6の大量絶滅につながるのかもしれません」
たしかに、人類の経済活動で上昇したこの100年ほどの気温の話と、5億年におよぶ生命の歴史を並列では語れないのは、よくわかる。5億年の間に地球上の大陸は、分離していたものが集まってパンゲア大陸を形成したあと、また分離している。「気が遠くなる」という言葉もなまやさしいほどの、さらに遠い時間が積み重なってできている。
生物にとって「絶滅」とはなにか
武藤さんは生物にとっての「絶滅」ということの意味について、こんな面白い話もしてくれた。
「いずれの絶滅のときも、生物はそれでも回復しているのです。回復があったから、いまわれわれはここにいる。見方を変えれば、大量絶滅によって生物種が大幅に減っただけではなく、生態系がガラリと変わったということです。生態系を担う役者たちが入れ替わったのです。わかりやすい例が、6550万年前の隕石衝突を起因とした環境変化による、恐竜の絶滅です。その代わりに、人間の祖先を含む哺乳類が舞台の中心に出てきたのです」
大量絶滅のたびに、生物の種の数は元通りに増えてきた。進化したともいえる。いま、その頂点に立っているのは人間かもしれないが、いずれは次の大量絶滅の時代を経験することになるのだろう。コノドントが2億年以上も生き延びたように、人類も生き延びることはできるのだろうか。いまや地質学者も、環境変動が生物にどのように影響を与えるのか、といった問題に直面する時代になってきたのだろう。
付加体の山の中を歩き、小さな小さなコノドントの化石を探しながら、武藤さんはいま、数千万年、数億年をさかのぼる旅をしている。岩手の地質図をつくることで、地球の生物たちが生きてきた時間と向き合っている。
「もしかしたらこの100年の変化は、地球史からみたら些細なことなのかもしれません。でも、これまで起きたような大量絶滅を避けることができるのかどうかは、わかりません。まずは、過去にどのようなことが起きたのか。それを調べていくことに意味があると思います。絶滅期だけではなく、平常の状態を研究しないとわからないこともある。地球上に残る生命の記録をなるべく多く理解することに、意味があると思っています」
地質調査総合センター
地質情報研究部門
層序構造地質研究グループ
研究員
武藤 俊Muto Shun