1ミリグラムよりも小さな質量でも正しく測定できるように
1ミリグラムよりも小さな質量でも正しく測定できるように
2024/05/29
1ミリグラムよりも小さな質量でも正しく測定できるように微小質量測定の基準となる微小分銅を世界最高精度で自動校正するシステムの開発
産総研の計量標準総合センターは日本の国家計量標準機関として、質量の国家計量標準を世界最高水準の精度で設定するための研究開発を実施している。さらに、国家計量標準を基準として、さまざまな質量測定の信頼性を確保するための分銅を校正し、産業界へ供給することも重要な業務だ。近年、大気中の微粒子分析などで、1ミリグラムよりも小さな質量を正確に測定する必要性が高まってきた。そういった微小質量でも正しく測定できるよう、0.1ミリグラム以上1ミリグラム未満の分銅を、新たに開発した微小分銅自動校正システムを用いて世界最高精度で校正するサービスを2021年から開始している。
1キログラム分銅の質量は本当に1キログラム?
小学校の理科の実験で、粉末の質量を測るときに上皿天びんと分銅を使った思い出がある人は多いだろう。工場や研究所でも何かの質量を測ることは日常茶飯事であり、多くの場合、上皿天びんよりも簡単に質量を測ることができる電子天びんを使っている。
しかし、この電子天びんによる測定結果がどのくらい正しいかは、どうやって確認すればよいのだろうか。例えば、1キログラム分銅の質量を測ったとき、表示値の1キログラムからのずれは、その電子天びんによる測定結果の信頼性を評価する手がかりとなる。この分銅のように計測の基準になるものを「計量標準」と呼び、この「計量標準」が表す値と測定器が示す値、あるいは別の「計量標準」が表す値との関係を明らかにする行為を校正という。
では、校正に用いた1キログラムの分銅の質量が本当に1キログラムかどうかは、どうやって確認したらよいのだろうか。こういった心配をする必要がないように、分銅はより正確な分銅を基準として校正されている。より正確な分銅は、さらに正確な分銅を基準として校正されている。こういった校正の連鎖をたどっていくと、産総研の計量標準総合センターが開発・維持している質量の国家計量標準「標準分銅群」にたどり着く。このような校正の連鎖に基づく分銅を用いることで、計量トレーサビリティが確保された正確な質量測定を実現することができる。(産総研マガジン「計量トレーサビリティとは?」 )
質量の国家計量標準である「標準分銅群」は1ミリグラムから20キログラムまでのさまざまな質量の分銅で構成されている。現在、キログラムは物理定数であるプランク定数によって定義されており、計量標準総合センターは各分銅の質量をプランク定数に基づき世界最高水準の精度で決定している。さらに、この標準分銅群を用いて、計量トレーサビリティ制度の校正事業者が持つ標準分銅を校正している。正確な計測を必要とするユーザーには、この標準分銅を用いて校正された分銅やはかりなどが供給されているのだ。
キログラムの定義について、計量標準総合センター工学計測標準研究部門の首席研究員、倉本直樹は次のように説明する。
「以前は、フランスのパリ郊外にある研究機関で管理されている分銅『国際キログラム原器』の質量として、キログラムは定義されていました。つまり、世界に一つしかない分銅の質量が厳密に1キログラムだったのです。しかし、表面の汚染などによる質量の変化や破損や紛失のリスクを考えると、人工物ではなく普遍的な物理定数を用いて定義するのが理想です。そこで、2019年からは原子の質量に関わるプランク定数によってキログラムが定義されています」
目に見えないプランク定数から、実際に測定に使うことのできる質量の基準を作り出すプロセスを「キログラムの実現」と呼ぶ。原理的には、各国の国家計量標準機関が独自にキログラムを実現し、その質量の国家標準を設定することができる。ただし、現時点では計量標準総合センターを含むいくつかの国家計量標準機関しか、キログラムを高い精度で実現する能力を持っていない。そこで、それらの機関が協力してプランク定数に基づき、国際的な質量目盛りの基準点である「キログラムの合意値」を決定している。さらに、この合意値をもとに国際キログラム原器の質量が決められている。質量はもはや1キログラムちょうどではなく、0.999 999 993キログラムである(2024年5月時点)。世界各国の質量の国家標準は、この国際キログラム原器の質量に基づき、校正されている。
計量標準総合センターがキログラムの実現に用いているのは、質量がほぼ1 キログラムのシリコン単結晶製の球体。シリコン原子1個の質量は、プランク定数から計算できる。さらに、倉本が計量標準総合センターの多くの共同研究者と開発したレーザー干渉計を用いて、この球体の中に含まれているシリコン原子の数を数える。原子1個の質量と原子数を掛け算すれば、キログラムを実現できるのだ。
この原子を数える技術は、もともと約130年前から使われていた国際キログラム原器にもとづくキログラムの定義を、プランク定数にもとづく定義に改定するために開発されたものだ。現在の定義の基準となっているプランク定数はこの計測技術などから導かれており、倉本らは科学の歴史に残るキログラムの定義改定に決定的な役割を果たした。(計量標準総合センター「プランク定数にもとづくキログラムの新しい定義の解説ページ」)
まつ毛ほどの小さな分銅を取り扱う0.1ミリグラム分銅校正の難しさ
標準分銅群のうち最も小さな分銅の質量は1ミリグラムだが、最近では1ミリグラムよりもさらに小さい分銅、つまりサブミリグラム分銅のニーズが増えていると、倉本と共に研究を進める質量標準研究グループの主任研究員、大田由一は話す。
「例えば、大気汚染を分析するときには、大気中に浮遊している直径2.5マイクロメートル以下の粒子であるPM2.5をフィルターで集塵して、集塵前後のフィルターの質量変化を分解能1マイクログラムの電子天びんを使って測定します。また、創薬研究ではごく少量の薬品の質量を電子天びんを使って測定します。正確に質量を測定する必要があるときには、計量トレーサビリティが確保された分銅を用いて、電子天びんの信頼性を確認する必要があります。そこでサブミリグラム分銅が必要になるのです」
日本国内では、0.1ミリグラム分銅、0.2ミリグラム分銅、0.5ミリグラム分銅が市販されている。アルミニウム製のワイヤー分銅とチタン製のシート分銅の2種類があり、ワイヤー分銅は肉眼で見えるかどうかというくらいの細さだ。
これらのサブミリグラム分銅と標準分銅群の1ミリグラム分銅を、大田自らがピンセットで何度も電子天びんまで運び、質量比較を繰り返すことで、サブミリグラム分銅を校正する。あまりにも分銅が軽いため、わずかな室温の変化や埃の有無も測定結果に大きく影響してしまう。また変形や紛失のリスクを避けるため、分銅を慎重に取り扱わなければならない。測定環境や分銅の取り扱いにも気を配る必要がある大変な作業だ。
「測定者が電子天びんの近くにいると体温や呼吸、汗などで温度や湿度が変化してしまい、正確な測定ができなくなります。また、小さな質量の繊細な測定なので、分銅を電子天びんのひょう量皿に載せるとき不用意に皿に触ってしまった場合も、正確な測定ができなくなります。そのため分銅の搬送には集中力が必要で、人力での正確な測定は数時間が限界です。いつか大きな失敗をするのではないかという不安がありました」
そこで大田が考えたのが、分銅の搬送と測定を自動化するシステムを開発することだった。人間の手作業によって曖昧さが生まれてしまうのであれば、ロボットが自動で行えるようにすればいい——大田はそう考え、無人環境でサブミリグラム分銅を自動校正するシステムの開発に乗り出した。
小さな分銅を自動搬送する自動校正システムの開発
大田は、手作業によるサブミリグラム分銅校正のどこに課題があり、どう改善すればいいのか検討し、自動校正システムを開発した。開発にあたって大田が最も苦労したのが、まつ毛ほどに小さな0.1ミリグラム分銅をどうやって運ぶかということだった。ピンセットによる搬送をロボット化するのは難しい。試行錯誤した末にたどり着いたのが、くし状のテーブルだった。搬送アームや電子天びんの分銅を置くところがくし形になっており、くしがお互いの隙間に入り込むことで分銅をすくい上げ、電子天びんに運ぶしくみだ。
くしの細さは0.2ミリメートル、くしの間隔は0.35ミリメートルと目が非常に細かく、遠目には隙間のないテーブルのように見える。しかし、実際に動かすと、くし同士がぶつかることなくスムーズに0.1ミリグラム分銅をすくい上げ、離れた場所に移す精密な動作ができる。この分銅の自動搬送システムと、天びんでの分銅の質量の自動測定の両方をコンピュータで制御するのが自動校正システムだ。
「搬送アームによる分銅の運搬スピードを上げすぎると振動や風によって分銅が落ちてしまうので注意が必要です。もちろん、ゆっくり運べば問題ないのですが、それでは時間がかかってしまうので現場での運用を考えるとあまり遅いと現実的ではありません。振動や風の影響を避けつつできるだけ運搬速度を上げることが苦労した点です。また、装置全体をコンパクトに設計することで運搬距離を短縮し、運搬時間を短縮したのもポイントです。手作りの装置なので、自動校正の制御プログラムを自分で開発する必要がありました。どうすれば効率よく正確に、ミスなく動作するかといったことも考えて作り上げていきました」
従来の校正では、分銅を持ち上げて電子天びんまで運び測定値を記録した後、分銅を天びんから取り除くという作業の繰り返しを手作業で行っていたが、全て自動化することで測定値のばらつきが半減。分銅の質量校正の不確かさを、手作業での校正と比較して、大幅に低減することに成功した。特に、0.1ミリグラム分銅と0.2ミリグラム分銅の校正の不確かさは、三分の一以下に小さくなった。この精度は、他の国家計量標準機関による校正よりも優れたものだ。
この一連の校正作業が自動で行えるようになったことで、サブミリグラム分銅校正を連続して長時間、安定かつ高精度に実施できる体制が整った。そこで2021年6月から、正確な質量計測を必要とする一般の方が利用できるサービスとして、標準分銅群を基準にして0.1ミリグラム以上1ミリグラム未満の分銅を校正するサービスを開始した。
サブミリグラム領域の微小質量精密測定技術の普及
大田は、1ミリグラム以下の質量の正確な測定が求められるシーンがこれまでよりも増えていると感じている。
「科学技術の発展により、例えば化学分析分野や創薬分野において、より小さな質量を正確に測りたいというニーズはさまざまな分野で高まっています。微小質量の精密測定について検討するときには、ぜひ私たちに相談してほしいと思います」
大田は質量計測器のメーカーやユーザーが集まるワークショップなどに赴き、開発したサブミリグラム分銅の自動校正システムやサブミリグラム分銅の校正サービスについて情報発信を進めている。またそういったユーザーと直接交流できる場でどのような分野で需要があるのかを聞き、要望に応えるための新たな研究開発にも着手している。
そもそも1ミリグラムより小さい質量の計測を手作業で行うこと自体が難しいため、まだ一般にサブミリグラムの質量計測が十分に活用されていないのが現実だ。大田は、「この自動校正装置は、分銅以外のサンプルの自動測定にも利用できます。この装置が技術移転などによってユーザーが使いやすくなれば、サブミリグラム分銅の利用も広がっていくと期待しています」と、装置そのものの応用も見据えている。
微小な質量を正確に計測すること、これを支える計量標準に携わる研究者の取り組みが、これからの産業の基礎を支えていく。
工学計測標準研究部門
首席研究員・
質量標準研究グループ
研究グループ長
倉本 直樹
Kuramoto Naoki
工学計測標準研究部門
質量標準研究グループ
主任研究員
大田 由一
Ota Yuichi
産総研
計量標準総合センター
工学計測標準研究部門