微生物工学とゲノム解析で廃水処理に革新を起こす
微生物工学とゲノム解析で廃水処理に革新を起こす
2023/04/05
微生物工学とゲノム解析で廃水処理に革新を起こす PET原料製造廃水の効率的な処理システムを提案
家庭から出る生活排水はもちろんのこと、工場などの製造現場やさまざまな場所から多種多様な産業廃水が排出され、日々その処理が行われている。廃水処理の設備や機能は巨大な社会インフラの一つであり、それを維持・運用するには多大な費用とエネルギーが投入されているため、廃水処理システムを効率化することは、社会的コストや環境負荷の削減の面からも重要だ。
水を使用するあらゆる活動において不可欠な廃水処理システムの運転制御技術は、時として体系化することが難しく、現場技術者による「経験則に基づく属人的な制御」に依存しているのが実態だ。
産総研生物プロセス研究部門の黒田と成廣は、強みである微生物の培養技術とゲノム解析技術を駆使して廃水処理のプロセスの実態を明らかにし、廃水処理が抱える課題に対して微生物学観点からのアプローチによりその解決に挑戦している。最初に手掛けたのは、ペットボトルや衣服用のポリエステル繊維などに使われるPET(ポリエチレンテレフタレート)の原料である高純度テレフタル酸(PTA)とテレフタル酸ジメチル(DMT)を製造する際に排出される産業廃水を想定した処理工程の効率化・システム化だ。
微生物学の専門家として彼らが発案したのが、現実には個別に運用されているPTA製造廃水処理プロセスとDMT製造廃水処理プロセスをそれぞれ効率化させていくのではなく、これら2種類の廃水を混合して処理してしまうという逆転の発想だ。それぞれの廃水の成分と、各成分を分解する微生物の特徴に着目することで、これまで個別に運用されていた工程を一つにすることができたのである。これにより、廃水処理工程が効率化されることはもちろん、微生物の機能を駆使して処理工程を最適化することで、これまでにない新たな廃水処理プロセスのコントロールが可能となった。
廃水処理の常識に微生物工学の知見で変革をもたらす
「微生物の研究を進めながら、化学工業などの製造現場から出てくる廃水や廃棄物を処理し、できるだけ再利用したい。環境負荷を軽減し、廃水が100 %循環するような理想的な社会を実現するために何ができるかを考えていました」この研究を始めたきっかけを微生物生態工学研究グループ長の成廣隆が振り返る。
成廣らのチームはまず、産業廃水処理の現状をよく知ることから始めた。
廃水そのものが処理されずに流出してしまうと環境や生態系に多大な影響を及ぼすため、法令などに定められた水質基準に従い、国や自治体と産業廃棄物処理業者ら産業界が連携してその処理に取り組んでいる。
一般に、廃水処理技術には物理化学的処理と生物学的処理がある。チームが取り組む生物学的処理技術は、さらに好気処理と嫌気処理に大別され、組成や機能の異なる微生物群が処理の中核を担っている。
施設に流入した廃水は、重量物などを除去するための最初沈殿池を経て、酸素のある環境を好む「好気性微生物群」が活躍する活性汚泥反応タンクへと送られる。活性汚泥反応タンクでは曝気(ばっき)装置により槽内へ空気が供給され、好気性微生物群が廃水中の有機物分解や窒素成分の除去を担う。この工程は「標準活性汚泥法」と呼ばれる。活性汚泥反応タンクで処理された水は、消毒処理などを経て河川や海洋へ放流される。
活性汚泥反応タンクでは廃水が浄化される一方で、それを担う好気性微生物が旺盛に増殖する。余剰になった好気性微生物の菌体は最終沈殿池で引き抜かれ、その一部は活性汚泥反応タンクへ返送され、一部は濃縮処理へと回される。
濃縮された余剰微生物菌体は、消化タンクで酸素のない環境を好む「嫌気性微生物群」により分解される。その際に発生するバイオガスからはメタンが精製され、エネルギーとして再利用されている。この工程は嫌気消化法と呼ばれる。
廃水処理施設では、流入する廃水の種類の量や成分の変化、処理の不調を引き起こす微生物の異常増殖などのトラブルが日常的に発生する。それを現場の技術者が、長年にわたり蓄積した知識と経験に基づき運転制御し、一定程度安定した状態で処理工程を維持しているのだ。
廃水処理施設は大規模なインフラであるがゆえに、設備やシステムを新しくしようとすると、ある程度の初期投資が必要だ。いったん安定して運用されている状態では、新しい処理技術が開発されたとしても、それをすぐに現場へ導入することに対してはどうしても慎重になってしまうという事情があるのだ。
また、水質汚濁防止法により自然界に排出できる水質基準値は細かく規定されているため、どのような状況でも十分な処理ができるように、廃水処理を行う事業者はあらかじめ反応タンクの容積などにゆとりを持たせたシステムを組んでいる。そうしたことに対応するためのコストは排出元の事業者が負担することになるため、廃水処理システム全体の最適化が社会経済の面からも積年の課題だった。
成廣と黒田らのチームは、従来の廃水処理産業の仕組みにも配慮しながら、微生物工学の観点から、処理の中核を担っている微生物の機能と多様性を把握し、それを廃水処理プロセスのシステム化・高度化に役立てたいと考えた。
微生物工学の発想でPET原料製造廃水処理を効率化
チームが最初に対象としたのは、産業廃水の中でもペットボトルや衣服などに使われるPET(ポリエチレンテレフタレート)の原料を製造する際に排出される産業廃水だ。PETの製造量は世界規模で増加傾向にあり、廃水の量も飛躍的に増えることが予想され、その処理工程を改善することの重要性も高まるだろうと考えたからだ。
PETは、石油由来の高純度テレフタル酸(PTA)とテレフタル酸ジメチル(DMT)を主原料として製造され、その過程では分解されにくい有機物を高濃度で含む廃水が出る。現状、PETの製造過程で排出される高濃度の難分解性廃水は、PTA製造プロセスから排出される廃水と、DMT製造プロセスから排出される廃水で、それぞれが個別に立地している工場で生産されているため、廃水もまた個別に処理が行われている。
この廃水処理過程には先述した一般的な都市下水の処理過程とは異なる点が一つある。先述のように通常の廃水処理工程は、まず「好気性微生物」によって有機物や窒素を分解したのち、余剰微生物菌体を「嫌気性微生物」で分解する。しかし、PTAやDMTの製造廃水処理の場合はこれが逆転し、先に嫌気性処理が行われていたのである。
この研究の中心メンバーの一人、黒田恭平はこの処理工程を調べるうちに「量も性質も異なる2種類の廃水を混合して処理することはできないか」と思いついた。
PET原料製造廃水を調べているうちに、PTA製造廃水には分解が難しい有機物である芳香族化合物が多く含まれている一方、DMT製造廃水は比較的分解しやすい有機物が多い。特に、DMT廃水には、ギ酸やメタノールというメタンの生成を担う微生物が利用可能な成分が含まれていることが分かった。
「ギ酸やメタノールがあれば、分解の難しいPTA製造廃水の分解を促進する微生物群の成長に有益になるのではないかと考え、一括処理ができないか試してみたのです」(黒田)
黒田はまず、実験室スケールで芳香族化合物分解を行う微生物と、各種化学物質を分解する嫌気性共生細菌を含む汚泥をセットした「上昇流嫌気性スラッジブランケットシステム」を製作した。廃水が分解処理されるとエネルギーとしてメタンガスを取り出せるこのシステムで、芳香族化合物を主成分とするPTAの廃水に、メタノールやギ酸を主成分とするDMT製造廃水を混合して処理したところ、芳香族化合物を分解する微生物とメタン生成微生物がその相互作用で活性化され、これまで報告されていた方法を上回る効率で分解できることがわかったのである。(2022/5/13プレスリリース記事)
微生物の相互作用を解明する。
新たな発想で進めた実験では、500日を超える期間で連続して廃水を処理することができたのだ。
だが、分解できた、というだけではPET原料製造廃水以外の廃水への応用はまだ難しい。
「実は、芳香族化合物を分解する微生物とその分解経路はいまだ明らかになっていないものが多いのです。たとえば、PTA製造廃水に含まれている有機物のひとつオルソフタル酸は、分解されたという現象は報告されていたものの、どんな微生物が分解しているのかがわかっていませんでした。私たちはこのリアクターから得られる微生物群のゲノム情報を取得し、遺伝子データからドラフトゲノムを構築し、機能遺伝子を調べて代謝機能を推定することで、オルソフタル酸を分解する微生物を新たに提案することができたのです」(黒田)
黒田は反応過程で機能している微生物の遺伝子配列を解読し、ショットガンメタゲノム解析という手法を使って、廃水中に高濃度で存在する芳香族化合物の分解経路を推定した。
一方で成廣は、PET原料製造廃水処理プロセスの菌叢(きんそう)構造データを統計学的に解析することで、菌同士の相関関係を可視化している。「興味深いことに、分解に関わる微生物は主に芳香族化合物分解グループと脂肪酸分解グループの2つに大別されることがわかりました。このことは、どちらかの存在量が極端に変動してしまうと廃水処理性能が安定しないことを示唆していて、両者のバランスが安定処理のカギになると見込んでいます」
このような研究成果をもとに、今後チームが目指すのは、石油由来原料以外の原料も含め、プラスチック製造プロセスから生まれる多種多様な難分解性廃水・廃棄物に対応する処理技術のシステム化・高度化だ。
廃水処理研究分野では、ラボスケールのリアクターの設計から微生物の分離培養、菌叢解析やゲノム解析までを網羅して研究開発を推進できる研究チームは多くはない。黒田は「自分が培ってきた培養技術やリアクターの設計技術に、さらに遺伝子解析技術を組み合わせることで、リアクターの中で起きている複合的な現象をできるだけ単純化しつつ、複合系をありのまま理解したい」と考え、自分たちの強みに磨きをかけている。
コントロールできる廃水処理で目指す循環型社会
チームが研究成果を発表して以降、社会的な環境配慮への意識が急速に高まってきたこともあり、この研究が「廃水処理の使用エネルギーを大幅に減らせる可能性がある」と期待する企業からの問い合わせが届くようになった。
「この廃水処理技術の成果を発表したあと、私たちが得意とするPET原料製造廃水以外に、化学工業を中心にさまざまな種類の廃水処理の相談がきています。私たちのバイオ技術を生かして、それぞれの製造環境に合った微生物機能を駆使したオーダーメイドな解決策を作り上げる。そのような役割が期待されていると実感しています」と黒田は表情を引き締める。
微生物学的な観点によるアプローチで、廃水の成分に合わせて微生物群と処理工程をオーダーメイドする。まずは、この手法の確立と高度化が必要だ。それにより、効率化が難しかった廃水処理の工程に、微生物機能による技術革新をもたらすことができる。
その一方で、最終的に達成したいことはその先にあるとチームは将来を見据えている。
「廃水を処理するだけではなくて、処理を担う微生物の機能を明らかにすることで、プロセス自体をコントロールしたいのです。思い通りのコントロールが行えるようになれば、例えば廃水から有用な物質を抽出して再利用したり、生物学的処理を利用する上で避けて通れない余剰菌体の課題を解決したりすることが可能になると考えています」と成廣は意気込みを語る。
持続可能な社会を構築するためには、資源を循環して利用することが不可欠だ。廃水・廃棄物を有効利用する必要性は日本だけでなく、世界中で高まっていく。将来、工場がどのような廃水を出すか、どのような再利用ができるかで、隣接すべき工場の組み合わせが決定づけられるかもしれない。「資源循環の最終工程である廃水・廃棄物処理が、新たな資源の再出発点となる。そんな時代に向けて微生物の研究を通して貢献したい」チームの夢は広がっている。
生物プロセス研究部門
微生物生態工学研究グループ
研究員
黒田 恭平
Kuroda Kyohei
生物プロセス研究部門
微生物生態工学研究グループ
研究グループ長
成廣 隆
Narihiro Takashi
産総研 北海道センター
生命工学領域
生物プロセス研究部門