光スイッチで毎秒1.25億Gbitのデータ伝送を実現
光スイッチで毎秒1.25億Gbitのデータ伝送を実現
2021/08/31
光スイッチで 毎秒1.25億Gbitの データ伝送を実現 超大容量伝送が可能な次世代ITインフラ構築へ
写真も、動画も、音楽も、あらゆるものが「データ」として日常的にやりとりされている現代社会。スマートフォンの普及や通信網の整備が進み、日常生活でやりとりされるデータ量は爆発的に増加した。これに伴い、データトラフィックの問題はもちろん、データ処理に必要となる電力消費量の急激な上昇は、環境負荷の観点から大きな課題となっている。今回産総研が開発した‟シリコンフォトニクス光スイッチ”は1.25 億Gbitという膨大な量のデータをわずか1秒間で伝送できるだけでなく、電気スイッチに比べてエネルギー効率が10倍以上も高くなるという性能を示した。これはBlu-ray Disc 60万枚分のデータを1秒で伝送する速度であり、次世代スーパーコンピュータや大規模データセンターに十分に応用できる数値で、今後の展開が注目される。
ムーアの法則を超える大容量データの流通
2021年6月、産総研は、“シリコンフォトニクス光スイッチ”を使い、毎秒1.25億Gbit、Blu-ray Disc 60万枚分のデータを1秒で伝送する実験に成功したことを発表した。(6/4プレスリリース記事)
世界中の多くの人が、日常生活の中でパソコンやスマートフォンなどからインターネットを通じて多様な情報を得ることが、いまや当たり前となった。しかし、そのことは世界中のネットワークでデータ流通量の爆発的な増加とそれに伴う電力消費量の急激な上昇をもたらした。データトラフィックの問題だけでなく環境負荷の観点からも、これらの増加に対応できる技術開発が求められている。さらに近年、AIの実装や5Gモバイルネットワークの普及などが加わり、この趨勢は変わるどころか、加速する状況にある。
これまでデータ流通量および消費電力量増加は、“ムーアの法則”と呼ばれる半導体チップの集積度を1~2年でほぼ倍増するという技術進歩により実現・制御され、クラウドサービスやビッグデータ解析に代表されるコンピューティングの性能向上と省力化の両立を維持してきた。しかし、今後は半導体の性能進歩ではカバーできないデータ流通量と電力消費量の急増が想定され、現在以上にコンピューティングを高性能化・効率化し、省電力化を維持することが困難になりつつあり、これに代わる技術革新が期待されている。
その一つがネットワーク網などのインフラ上で行うコンピューティング技術の進歩だ。大量の情報を取得し、処理するには、情報伝達に不可欠なデータの交換をいかにロスなく効率的に行うかが重要な課題となっており、データ大量処理のインフラとして、光通信ネットワークの構築と光スイッチの実用化が待ち望まれていた。
“光スイッチ”とは?
コンピューティング技術の利便性向上は、機器側の性能向上とネットワーク網などのインフラに関連する技術進歩により実現されてきた。例えば、現在運用されているデータセンター内のネットワークなどは、電気スイッチと呼ばれるデータ交換のためのデバイスを用いて運用されている。しかし、今後のデータ流通量と電力消費量の急激な増加を予想したとき、半導体の集積度をこれ以上高めていくことは困難であり、機器側の飛躍的な性能向上が難しく、一般的な電子ルーターと電気スイッチを使ったネットワークシステムは大容量化の限界に近づいていた。
産総研では、電気スイッチの一部を代替する新しいスイッチ技術と、それを活用したネットワーク構築の研究開発をかねてから進めていた。その技術の一つが光通信ネットワークで用いる“光スイッチ”だ。光スイッチとは、光信号を電気信号に変換することなく特定の信号を分岐したり、行き先を切り替えたりすることができるデバイスである。電気スイッチに比べて優れたエネルギー効率を発揮することに加え、高い信頼性と量産性を兼ね備えており、光ネットワークやコンピューティングなどの分野において、電気スイッチのデメリットをクリアする重要なデバイスとして以前から注目されてきた技術だ。
クロー構成もできる光スイッチ
光スイッチを活用する上で、複数のスイッチを多段に重ねて接続する“クロー構成”は、超高速のデータ伝送を実現する大規模光ネットワークの構築に不可欠である(のカギとなる)。近年、データ処理はクラウド化の進展により大規模データセンターに集約される傾向にある。それゆえ、スーパーコンピュータやデータセンターの運営効率化という面からも、クロー構成ができる光スイッチの活用が期待されていた。
次世代スーパーコンピュータや将来のデータセンターでは10万ポート(経路)以上の大規模化が求められている。その要件を満たすデバイスとして、光スイッチはまさにうってつけといえる。そのような社会的ニーズを見据え、産総研では2016年に最先端の大規模光集積技術を使って、当時世界最大の32×32ポート光スイッチの開発に成功していた。今回、松本が手がけた実験も、このシリコンフォトニクス32×32ポート光スイッチが使われている。
「『この優れた光スイッチ技術を使って、さらなる上、世界一の成果を目指そう!』――上司からそう発破をかけられたことが今回の実験がはじまるきっかけになりました」と松本は言う。この業界(光ファイバ通信)は、国際会議で記録セッションが組まれるなど、世界記録に対するこだわりが強く、自身(松本)の研究者魂にも火が付いた。
先述した10万ポートという数字は、単純に考えると32×32ポート光スイッチを9段に接続すれば実現可能だ。その場合、13万1072ポートを構築することができる。単に光スイッチを重ねるだけで性能が出せるのなら、なぜまだ実現していないのだろうか。松本は次のように説明する。
「光スイッチが有していた問題は、大規模化に伴ってポート間の“クロストーク”の影響が大きくなることです。そのため光スイッチによるクロー構成において、どの程度のポート数やエネルギー効率を達成できるかが未解明でした。このことが光スイッチを実用化するための障害となっていたのです」
クロストークとは、伝送信号が他のポート(経路)から漏れ出して、信号が劣化してしまうことだ。この問題が存在するかぎり、「光スイッチをたくさんつなぎさえすればそれで解決」とはならないのである。松本は、光スイッチの性能を最大限発揮するための妨げとなっていたポート間クロストークの影響を詳細に解析するため、地道な検証実験をスタートさせた。
毎秒1.25億Gbitのデータ伝送実験に成功
検証実験では、32×32ポートの光スイッチネットワークに、用意した光信号を9周伝送させることによって、9段伝送と同じ状態を現出させた。そして度重なる実験がもたらしてくれたのは、総容量1.25 億Gbitという膨大な量のデータをわずか1秒間で伝送でき、しかも電気スイッチに比べてエネルギー効率が10倍以上も高くなるという結果だった。これは次世代スーパーコンピュータや大規模データセンターに十分に応用できる数値である。「Blu-ray Disc 60万枚分のデータを1秒で転送できる容量に相当する結果、とプレス発表したところ、大きな話題を呼びました」と、松本は顔をほころばせる。
実験から得られた数値があまりにも衝撃的だったため、松本の中に「どうしてこのような記録が達成できたのか?」「仮に性能の限界があるとしたらそれはどこか?」という新たな疑問が湧いてきた。研究者らしい好奇心と生来の完璧主義に背中を押され、松本はその疑問を追求していくことにした。
「統計的な分析手法を用いつつ、光クロストークの影響を数式とシミュレーションの側面から丹念に調べていくことにしました。その結果、それらが先の実験結果とほぼ一致することを突き止めたのです」
この検証が意味するところは大きい。松本は、光スイッチのポート間で生じるクロストークを統計的に解析して正確に予測することで、少量の誤差でクロストークの影響を推定する手法を編み出したのである。結果を検証する松本の研究者としての良心が、良好な信号品質の基準値を予測する“一般論”を確立させたことになる。
今まで誰もなしえなかったこの成果により、光スイッチを介したネットワークの設計時や運用時に達成が見込めるポート数、そして伝送容量を高い精度で予測することができるようになる。光スイッチの実用化に向けて、大きな一歩を踏み出したといえるだろう。
松本は、今回の成果について、「産総研が持つ総合力がいかんなく発揮された」と語る。
「産総研の研究者は皆、強い連帯意識を持っており、一致団結して先進的研究に取り組めるところがいいですね。また、個々人のプロフェッショナル意識がすこぶる高いため、決して“馴れ合い”にならないことも特徴です。その分同僚に対する注文やチェックも厳しい。今回の実験でも、取得したデータに関して疑問や意見が噴出し、彼らを納得させるために何度も追加のデータの再取得と検証を重ねました。隙のない論理とデータを整えることに苦心しましたが、それゆえにテーマの芯が強くなり、胸を張れる成果が手にできたのだと思います」
企業との連携によって夢の世界を実現したい
現段階では「実験に成功した」という段階にすぎないが、その価値は大きい。この光スイッチを活用したネットワークが実用化され、高信頼・大容量・低遅延のシステムが広く社会実装されたときに生まれるインパクトが、十分に想起できるからだ。実用化の先には、「夢のような世界」が出現するかもしれない。
「この技術が次世代スーパーコンピュータや大規模データセンターのインフラになり得ることが示されましたが、それら以外の領域でどのように活用していくかという点も重要です。最近5Gや6G、エッジコンピューティングというキーワードを盛んに耳にしますが、そういった次世代インフラの中でも今回の技術が使える場面がありそうです」
伝送可能な情報容量やクオリティが飛躍的に向上することにより、より低遅延でリアルなオンライン対面コミュニケーションが日常で使用可能になることが予想される。また、遠く離れた場所の空気感やさまざまな事象など多岐にわたる情報を、現実のように受け取ることも可能になるかもしれない。さらに、エネルギー消費の面でいえば、電力消費量が極めて多い暗号通貨やブロックチェーンのさらなる発展に寄与する可能性があり、活用の面でいえば、ロボットやAI、IoT、ビッグデータ、超スマート社会と呼ばれる世界の基盤を支える技術となり得る可能性もある。このように、光スイッチの可能性は無限に広がっているように思えるが、その実現に向けて「クリアすべきハードルはまだ多い」と松本は気を引き締めている。
「電気スイッチがそうだったように、実際に活用されていくためには、よりユーザーフレンドリーなかたちに進化させる必要があります。すでに産総研はシリコンフォトニクススイッチをテストベッドで運用するなど、スイッチ単体の使い勝手や性能は高い水準に達しています。残された課題は、ユーザーやオペレーターに近い視点で使いやすいシステム、ネットワークを組み上げること。そうした取り組みに関して産総研は経験が少ないため、一般企業を含む内外の専門家と連携を取りながら前に推し進めていきたいと思っています。関心をお持ちの方からのお問い合わせをお待ちしています」
松本は笑顔でそう語った。
エレクトロニクス・製造領域
プラットフォームフォトニクス研究センター
光ネットワーク研究チーム
研究員
松本 怜典
Matsumoto Ryosuke
産総研
エレクトロニクス・製造領域
プラットフォームフォトニクス研究センター