独立行政法人 産業技術総合研究所【理事長 吉川 弘之】(以下「産総研」という)生物機能工学研究部門【部門長 巖倉 正寛】の 深津 武馬 生物共生相互作用研究グループ長らの研究チームは、ミツバチやアリなどのように社会性を有する“社会性アブラムシ”の兵隊階級において特異的に発現しているプロテアーゼ(タンパク質分解酵素)を同定し、兵隊が外敵を攻撃する際に注入する毒液の主成分であることを解明した。
本研究は、兵隊アブラムシの分化にかかわる分子機構や、兵隊特異的な生物機能の分子基盤の解明を目指して行われたもので、兵隊アブラムシの特異的発現遺伝子を初めて明らかにした研究である。このプロテアーゼはこれまでまったく未探索のユニークな生物に由来する生理活性物質であり、生物の社会性や利他的階級の機能と進化、生物毒の起源と進化などにも新たな洞察を与える知見といえる。
本研究成果は、米国の学術専門誌『Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America: PNAS』(米国科学アカデミー紀要)の7月26日付けの※オンライン版に発表された。
※ Kutsukake M., Shibao H., Nikoh N., Morioka M., Tamura T., Hoshino T., Ohgiya S.,
Fukatsu T. (2004) Venomous protease of aphid soldier for colony defense.Proc. Natl. Acad.Sci. U. S. A. 101 (31): 11338-11343.
地球上にみちあふれている、めくるめくほどに多種多様な生物は、進化の過程でそれぞれに特異かつ高度な生物機能を獲得してきた。このような多様かつ巧妙な生物機能は、科学的好奇心や探究の対象になるのはもちろんのこと、審美的な価値も有するし、生理活性物質や医薬のリード化合物として大きな応用的・経済的価値を産み出す場合もある。生物多様性のこのような側面は、しばしば「生物遺伝子資源」という言葉で形容されてきた。しかし、これまでに人類が実際に探索し、研究し、利用してきた生物というのは、実際の膨大な生物多様性に比すればまさに「氷山の一角」に過ぎない。
なかでも“生物毒”は、激烈な作用を示す生理活性物質として、古くから大きな関心を集めてきたものである。さまざまな生物が、攻撃のため、敵から身を守るため、競争者を排除するために、さまざまな毒物質を合成し、蓄積し、利用する能力を発達させてきた。これまでに蛇毒、サソリ毒、クモ毒、ハチ毒、フグ毒、貝毒などさまざまな生物毒が研究され、一部は薬などとして利用されているが、それらもまた「氷山の一角」に過ぎないことはいうまでもない。
ミツバチやアリなどの社会性昆虫では一般に、コロニーを防衛するために毒物質で武装した「労働階級」「兵隊階級」などと呼ばれる、特定の役割に特殊化した一群の個体が存在する。社会性昆虫というとすぐにハチ、アリ、シロアリが思い浮かぶが、じつは一部のアブラムシ類に社会性種が存在することはあまり知られていない事実である。
アブラムシは植物の汁液を吸って生きている微小な昆虫で、植物上にしばしば大きなコロニーを形成する。弱々しいアブラムシはさまざまな肉食昆虫の格好の餌食で、テントウムシ、ヒラタアブ幼虫、クサカゲロウ幼虫などに襲われている場面がよく見られる。ほとんどのアブラムシ類はただ捕食されるままであるが、一部の“社会性”アブラムシでは攻撃に特殊化した兵隊幼虫(幼虫のまま脱皮、成長しない)がいて、捕食者に反撃して撃退し、コロニーを防衛する能力をもつ【図1参照】。
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図1 天敵のヒメカゲロウの幼虫に襲いかかって攻撃するハクウンボクハナフシアブラムシの兵隊幼虫。
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この兵隊幼虫ができてくる過程が興味深い。アブラムシは母虫が交尾せずにメスの子をどんどん産む。したがって、アブラムシのコロニーは遺伝的に同一のクローン個体の集まりである。にもかかわらず、同じ母親から生まれてきた幼虫の中から、形態、行動、生殖能力などが大きく異なる兵隊幼虫と普通幼虫が分化してくる【図2参照】。遺伝子レパートリーがまったく同じなのに表現型が大きく異なるということは、遺伝子の使い方、すなわち発現パターンが異なるからに違いない。ということは、兵隊幼虫に特異的に発現する遺伝子群を同定することにより、兵隊幼虫と普通幼虫の分化にかかわる分子機構や、兵隊特異的な生物機能の分子基盤を明らかにできる可能性がある。このような観点から我々は、社会性アブラムシのモデル種として、2令の兵隊階級を有するハクウンボクハナフシアブラムシ【図2参照】を選定し、兵隊特異的発現遺伝子の探索に着手した。
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図2 ハクウンボクハナフシアブラムシの普通幼虫と兵隊幼虫の比較。
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cDNAサブトラクションという手法を用いて、ハクウンボクハナフシアブラムシの2令の兵隊幼虫でたくさん発現しているが、2令の普通幼虫ではあまり発現していないような遺伝子を探索したところ、得られたクローンの過半数が、カテプシンBというプロテアーゼ(タンパク質分解酵素)をコードする1種類の遺伝子に由来するものであった。この遺伝子は兵隊幼虫で普通幼虫のおよそ2000倍という高発現をしており、体内における発現部位は消化管であった。この遺伝子の産物であるプロテアーゼも兵隊特異的に検出され、やはり消化管に局在していた。
このプロテアーゼの生体内での機能については、消化管に存在していることから、タンパク質消化酵素ではないかと考える向きもあろう。しかし、アブラムシの食物である植物の汁液にはタンパク質がほとんど含まれていない。しかも、消化に関与するなら脱皮成長する普通幼虫にこそ必要なはずなのに、このプロテアーゼは普通幼虫にはほとんど検出されない。すなわち、通常のタンパク質消化酵素として機能している可能性はきわめて低い。その高度な兵隊特異的発現を鑑みると、なんらかの兵隊特異的な生物機能に関係があるものと推察された。
ハクウンボクハナフシアブラムシの兵隊幼虫は、敵に対して口針で刺して攻撃を行う。攻撃された敵はのたうち回り、麻痺して動かなくなり、そのうち死に至る【図1,図3A参照】。兵隊幼虫に攻撃されたガの幼虫のタンパク質を分析したところ、このプロテアーゼが多量に検出された【図3B参照】。すなわち、兵隊幼虫は攻撃時にこのタンパク質を敵の体内に注入していたのである。このプロテアーゼ自体が殺虫活性を有するかどうかを調べるため、組換えタンパク質を微生物学的に生産した。この組換えプロテアーゼを注射すると、ガの幼虫は死に至り、確かに殺虫活性をもつことが証明された。
これらの結果から、このプロテアーゼは“兵隊アブラムシの毒液”の主要構成成分として、兵隊階級の主要な社会機能であるコロニー防衛に用いられる物質であることが判明したのである。
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図3
(A)ハチミツガの幼虫を攻撃するハクウンボクハナフシアブラムシ兵隊幼虫。
(B)イムノブロット法による兵隊特異的プロテアーゼの検出。
1.兵隊幼虫2匹から抽出したタンパク質。兵隊由来のプロテアーゼが検出される。
2.兵隊幼虫30匹に攻撃されて麻痺したハチミツガ幼虫から抽出したタンパク質。注入されたプロテアーゼがガの幼虫から検出される。
3.普通幼虫30匹と共存させたハチミツガ幼虫から抽出したタンパク質。ガの幼虫自体からプロテアーゼは検出されない。
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この兵隊特異的プロテアーゼがなぜ殺虫活性を示すのか、その分子基盤を明らかにしたい。具体的には、さまざまな部位に変異を導入した組換え変異プロテアーゼを作製して、それらをガの幼虫に注射して生物検定することにより、プロテアーゼのどの部分が殺虫活性に重要なのかを解明できるであろう。
このプロテアーゼの進化や起源についてもさまざまな事実が明らかになりつつある。ハクウンボクハナフシアブラムシに近縁な社会性アブラムシの兵隊幼虫にも、同様のプロテアーゼが特異的に発現しており、これらのアブラムシの共通祖先で兵隊特異的プロテアーゼがすでに進化していたことが判明した。毒蛇や毒貝の毒タンパク質では、遺伝子の塩基配列が加速進化することが報告されているが、このプロテアーゼの分子進化解析からも、やはり同様の加速進化パターンが検出された。
このプロテアーゼはおそらく、兵隊幼虫と普通幼虫との分化経路の最終段階で発現する、兵隊機能に直接関わる分子と考えられる。より早い段階で発現する兵隊特異的遺伝子についても、さらなる探索をすすめていく必要がある。
アブラムシ類は世界からおよそ4000種類が知られているが、そのうち50種ほどが攻撃性のある兵隊幼虫を産生する。多様な兵隊アブラムシにおける特異的発現遺伝子の探索や、さまざまな社会行動に関与する分子の同定も今後の研究課題である。
本研究成果は、産総研の生物機能工学研究部門・生物共生相互作用研究グループ(以下、生物共生G)及びゲノムファクトリー研究部門・分子発現制御研究グループ(以下、分子発現G)を中心として構成された以下の研究チームによるものである。沓掛 磨也子(生物共生G・産総研特別研究員),兵隊プロテアーゼの同定や機能解析など本研究の主要部分;柴尾 晴信(生物共生G/筑波大学・日本学術振興会特別研究員),兵隊アブラムシの生理学的解析;二河 成男(放送大学・助教授),兵隊プロテアーゼの分子進化解析;森岡 瑞枝(東京大学大学院・助手),兵隊プロテアーゼの構造解析;田村 具博(ゲノムファクトリー研究部門・遺伝子発現工学研究グループ・研究グループ長),兵隊プロテアーゼの活性解析;星野 保(生物機能工学研究部門・遺伝子資源解析研究グループ・主任研究員(現:独立行政法人 新エネルギー・産業技術総合開発機構)),組換えプロテアーゼの構造解析;扇谷 悟(分子発現G・研究グループ長),組換えプロテアーゼの生産;深津 武馬(生物共生G・研究グループ長),研究全体の立案・統括。