第37回 マグニチュード8!房総半島沖で「未知の巨大地震」が見つかった
第37回 マグニチュード8!房総半島沖で「未知の巨大地震」が見つかった
マグニチュード8!房総半島沖で「未知の巨大地震」が見つかった津波の痕跡からたどる「地震の履歴書」
『しんよし原大なまづゆらひ』(東京大学総合図書館所蔵)
講談社ブルーバックス編集部が、産総研の研究現場を訪ね、そこにどんな研究者がいるのか、どんなことが行われているのかをリポートする研究室探訪記コラボシリーズです。
いまこの瞬間、どんなサイエンスが生まれようとしているのか。論文や本となって発表される研究成果の裏側はどうなっているのか。研究に携わるあらゆる人にフォーカスを当てていきます。(※講談社ブルーバックスのHPとの同時掲載です。)
2022年3月25日掲載
取材・文 中川 隆夫, ブルーバックス編集部
1000年前の巨大津波
日本列島近海の海溝を震源とする「海溝型地震」のなかでは、南海トラフと千島列島沖が最も危ないといわれている。政府の地震調査研究推進本部が発表した最新の長期評価によれば、南海トラフ地震が起こる確率は今後40年間で90%だ。
このような地震の発生確率は、どのようにして計算されているのだろうか?
当該地域で過去に起きた地震の履歴を調査し、巨大地震の発生サイクルを割り出す。なにごとも、過去を知らなければ未来はわからない。難しいのは、いかに巨大地震といえども、数百年前となると確かな記録が残っていないということだ。
しかし、「記録が残っていない=地震がなかった」では、もちろんない。
2021年、千葉県東部の九十九里浜で、約1000年前に巨大津波を引き起こした地震が発生していたとする論文が報告された。
歴史記録上は存在しない、未知の地震だ。「津波の痕跡」を調査することで、その存在をあぶり出したのだという。その方法とはいったいどのようなものなのか?
ブルーバックス探検隊はこのほど、論文を執筆した産業技術総合研究所・海溝型地震履歴研究グループの澤井祐紀さんと行谷(なめがや)佑一さんを訪ねてみた。
鎌倉幕府の開闢以前
1000年前といえば、平安時代の末期にあたる。大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でも注目を集める源頼朝が、鎌倉に幕府を開く前の話だ。
当時の日本の中心だった京の都から見ると、関東は田舎の外れだったことだろう。そんな時代に、九十九里浜で起こった地震の克明な歴史記録が残っているとは考えにくい。
──その当時の地震は、いったいどのようなものだったのでしょう?
「九十九里で津波による堆積物を調査した結果、推定でマグニチュード8クラスの巨大地震が、房総半島の太平洋側で起きたのだろうという結論にいたりました。当時の九十九里浜の海岸から1km以上の内陸にまで、津波が到達したと見積もっています」
海溝型地震履歴研究グループの上級主任研究員を務める澤井さんがそう説明してくれた。
九十九里浜は東日本大震災のときも津波による浸水はあったが、おもに調査をおこなった山武市の周辺では1kmを超える内陸に厚い津波堆積物を残すことはなかった。
「九十九里浜の沖に、津波の発生源があったと考えられます」(澤井さん)
津波の痕跡
房総半島沖では、明治以降にプレート境界型の巨大地震が発生していないため、測器観測による記録が存在しない。同グループ内で、歴史記録と、津波のコンピュータシミュレーションを担当する行谷佑一さんが解説してくれる。
「測器観測が始まった明治以降、九十九里沖でプレート境界型のマグニチュード8クラスの大きな地震が起こった事例は確認されていないんです。1923年の関東大震災は相模トラフが震源域で、九十九里浜の沖は地震調査研究推進本部でも発生不明領域とされています」
つまり、今回の調査結果は、地震空白域における新たな巨大地震の発見ということになる。津波堆積物の調査からこの結論にいたるまでには、どのような道筋をたどるのだろう。
津波の痕跡だけから、見たこともない地震の姿を推定するのは難しいように感じますが?
「東日本大震災のように、人々が生活している場所に海から打ち上げられた砂が残っていれば、もちろん取り除いて元通りに再生します。そうなれば『見たこともない地震の姿を推定する』のは不可能ですが、人の活動がなかった場所や時代に残された砂の層がある場所ならば、調査可能なんです。
九十九里浜では、全部で142ヵ所の地面を掘り、巨大津波の痕跡である砂の層を2つ見つけました。上側にある新しい津波堆積物は、江戸時代に起きた地震のものです。1677年の延宝地震か、あるいは1703年の元禄地震による津波だと推定されます。この2つの地震は時期が近く、津波堆積物が重なっている可能性もあります」
津波堆積物の調査に20年以上携わっている澤井さんが、そう教えてくれた。
ところが、その下の層にあったものは、ずっと古い津波堆積物だった。
「そのとおりです。約1000年前のもので、未知の地震でした」(澤井さん)
142ヵ所を掘削調査
澤井さんたちが今回調査した142ヵ所は、千葉県の匝瑳(そうさ)市、山武市、一ノ宮町にまたがっている。文化財の遺跡調査のように、このあたりと見当をつけて掘るのではない。広い九十九里浜のなかで、津波堆積物が残っていそうな場所をどんどん掘っていく。
「ジオスライサー(地層抜き取り装置)という専用の器具を地面に突き刺し、バイブレーターを装置の肩の部分に当てて、ジワジワと押し込んでいきます。田んぼのような湿地帯を選んで調べるので、重機を使うことは少ないですね」(澤井さん)
上の写真のように、長さ1~2mの金属製の平らな箱を地面に突き刺し、地中のサンプルを抜き取っていく。ところが、九十九里浜は知られるとおり砂丘のような場所だ。抜き取った土壌の上から下までがすべて砂という場所もある。
「調査する場所がポイントとなります。湿地帯のような、川砂や土が流れ込まない場所を掘っていきます。水中植物などが生育していた場所は、植物が枯れて水中に積もりつづけ、黒っぽい泥炭のような層を形成しています。そこに津波で海から運ばれてきた白っぽい砂の層が入ると、見事に境目ができて層が現れます。そのような場所に的を絞って探していくんです」(澤井さん)
九十九里浜には、浜堤(ひんてい)という海から運ばれた砂の盛り上がりが海岸沿いにあり、その奥に市街地や田んぼが広がっている。巨大津波は浜堤を越えて、内陸に土砂を残していく。
「堆積した年代」をどう測るか
その後、長い年月をかけて湿地帯に植物などの死骸が堆積し、砂地がサンドイッチされたまま、地中に残されていくというわけだ。湿地帯は現在、田んぼになっているような場所が多いという。そこを掘って、泥炭の層を探していく。
黒いチョコレートケーキのなかに、白いクリームの層がサンドイッチされていれば、ナイフを縦に入れたとき、クッキリとその境界層が現れる──。そんなイメージで想像してもらいたい。
2本のクリーム層が入ったチョコレートケーキが地中に現れたとき、それらクリーム層の形成された年代をどのようにして測るのか?
「砂の上下にある泥炭には、植物の種子やその化石などが含まれています。そこをおよそ1cm幅で切り取り、“ふるい”にかけて取り出します。放射性炭素年代測定を用いて、その年代を推定していきました。上下を挟む層の年代がわかれば、砂がたまった年代が推定できるというわけです」(澤井さん)
そのようにして、上部にあった砂の層を江戸時代の延宝地震か元禄地震、あるいはその両方によるものと考えた。
3枚のプレートが重なる複雑な地形
問題は、下部にあった1000年前と推定される層だ。当時の房総半島に、古文書等が残っているとは考えにくい。
古文書の調査と津波シミュレーションを担当する行谷さんも、これには頭を悩ませたという。
「九十九里浜には、江戸時代の延宝地震や元禄地震の記録はありますが、さすがに1000年前の記録は、今のところ発見されていません。記録がない以上、九十九里浜を浸水させうる地震の規模や震源域を、コンピュータ上でシミュレーションしていくしかありません」
重要なヒントになったのは、房総半島沖の特異な地下構造だった。
「房総半島沖の地下は、大陸プレート、太平洋プレート、フィリピン海プレートの3つが複雑に重なり合っています。この点が、日本海溝や千島海溝とは異なる特徴です。
大陸プレートに対して沈み込む太平洋プレートから生まれるひずみのように、2つのプレートから生まれるひずみであれば、震源域は比較的想定しやすいのですが、3枚のプレートが載っている房総半島沖のひずみの状態は非常に複雑です。そこで、これらのどこで『すべり』が起きたのか、モデルをいくつもつくって検討しました」(行谷さん)
比較的小さなすべり量でも浸水する
その結果を示すのが次の表だが、今回のように、3つのプレート境界をきちんと分けて検討したものはこれまで存在しなかったのだという。
「上の表中にグレーの網かけで示したケースでは、九十九里浜は浸水します。このなかには、モデル10や11のように『10m』という比較的小さなすべり量でも浸水するという結果が含まれていました。小さなすべり量でも、津波による浸水が発生する可能性を表しています」(行谷さん)
日本各地に観測機器が設置された明治以降、マグニチュード8クラスの大きな地震は相模トラフで起こっている。
そのような地震は、果たして九十九里浜に浸水を起こすのか──。その検証も必要だった。
注目されていなかった震源域
行谷さんが続ける。
「1703年の元禄地震は、フィリピン海プレートが大陸プレートに沈み込んでいる相模トラフで起きたと考えられています。房総半島の南端が6m隆起したとされる地震です。
一方の1677年の延宝地震は、揺れはそれほど大きくなく、津波を起こさせる地震だったという研究者もいます。先ほどの表でいえば、モデル11に近いかなと理解しています」
行谷さんは、3つのプレートが交差するそれぞれのモデルでシミュレーションをおこなった。結果的には、九十九里浜の沖に震源域を設定するのが最も自然であるという結論になった。
澤井さんが補足する。
「私は津波堆積物を調査するのが専門なので、行谷さんのおこなったシミュレーション結果を見て、これは九十九里浜の正面にすべりが必要なんだなと理解しました」
行谷さんはいう。
「これまであまり注目されていなかった『太平洋プレートとフィリピン海プレートの境界』で過去に大きな地震が起きていたという可能性があることが大事なんだと思います」
今回発見された1000年前の地震が、1677年の地震と同じ震源域だったと想定すると、九十九里浜沖では600~700年の周期で地震が起こっているという推定も可能になってくる。その詳細についてより正確に知るためには、今回掘った部分より、さらに下の地層を調べていく必要があるだろう。
膨大な時間を要する仕事
江戸時代以降の巨大地震であれば、それを記録した古文書は多く残っている。九十九里浜でもその時代のものに関しては、津波被害の供養塔が多く残されている。
しかし、それよりもずっと古い巨大地震を調査するには、堆積物の地質調査に頼るしかない。さらに、その震源域を推定するためには、広い範囲で津波堆積物を調査し、バラツキを修正しながら浸水状況をコンピュータにインプットし、震源域の可能性を探る……。一つの結論にたどり着くまで、膨大な時間を要する仕事だ。
澤井さんたちは、九十九里だけでなく、東北や北海道でも調査をおこなってきた。産総研の海溝型地震履歴研究グループは、20年以上にわたって津波堆積物の調査を進めてきたという。2003年には、北海道の太平洋沿岸域を巨大津波が17世紀に襲ったことを明らかにして注目を集めた。
澤井さんがいう。
「産総研が津波堆積物の調査を開始したころ、僕はまだ学生でした。おもに堆積物中の化石の記録から、過去の環境を復元する研究をおこなっていて、北海道を調査対象にしていました。北海道の湿原の環境変化が地震と関係しているのではないかという仮説から、地震による津波堆積物の研究に関わりはじめたんです。産総研に来たときは、常勤職員2名に、私ともう一人のポスドクだけという計4人の小規模なチームでした」
北海道から始まり、東北地方の津波堆積物の調査を終えたところで、東日本大震災が発生した。
震災後の変化
どの地域でも調査から研究報告の発表までには5〜6年はかかるという研究で、九十九里浜では142ヵ所だったが、東北では約400ヵ所の調査点を根気よく調査してきたという。
その途中に東日本大震災が発生するという悲劇には見舞われたが、現在も東海・東南海・南海の巨大地震が想定される太平洋沿岸でコツコツと調査は続き、九十九里浜はその一環としておこなわれている。
「当初は、堆積物の調査をしていても、それが何のためになるのか、なかなか理解されないこともありました。田んぼのまわりで一日中穴を掘っているわけですから、パトカーに乗った警察官に職務質問を受けることもあった(苦笑)。
震災後の変化としては、まず地元の人の理解が進みました。津波の痕跡から未来の巨大地震を予想する研究の意味が理解されるようになり、人々の意識も変わってきたように思います」(澤井さん)
最初は少人数のチームだった組織も、今では7名の研究職員にポスドクやサポートメンバーを加えたグループへと増員されている。
研究の醍醐味
古文書の渉猟(しょうりょう)にはじまり、現地の調査、さらにはコンピュータシミュレーションと、アナログから最先端までの広範囲をカバーする研究について、お二人にその醍醐味を聞いた。
「古文書を扱うというと、歴史学者のようなイメージをもたれるかもしれませんが、私はそうではありません。たとえば、地元に残された古い日記なども探していきます。たとえ『大きな津波が来た』という個人的な記録であっても、科学における1つのデータとして扱いたいと私は考えています。さまざまなデータを集めて検討するのは、文系/理系の別にかかわらず、大事なことですから。
未知のデータを探り当てて、過去にここで何が起きたのかを知るプロセスは、面白いものですよ。そのなかで、起きた地震の規模がわかればなお素晴らしい」(行谷さん)
「私は、古生物と古環境の研究からこの世界に入りましたが、その過程で外国人を含む多くの研究者と出会い、その出会いが津波堆積物の研究へと導いてくれました。堆積物の記録から地震・津波を考えるという異なる研究分野の融合に興味をもったからこそ、いまの私があります。自分の興味の向いている方向を突き詰めつつ、身近にいる他の研究者に関心を示すことも大事ということなんでしょうね」(澤井さん)
「終わり」のない研究
津波堆積物の調査研究は、日本の未来において必ず起こる地震災害を想定するうえで重要な研究となっている。その責任を感じつつ、「知りたいことを追い求めていったら、ここに来た」という研究者としての原点も忘れないこと──。それが結果的に、1ヵ所の調査研究に5年もかかるという地道な仕事につながっているのだろう。
「私たちの取り組んでいる研究に、『終わり』ってないんですよ」
そう語る澤井さんたちはすでに、次の調査に向かっている。九十九里浜は1000年前の話だが、北海道では5500〜6000年にわたる地震履歴がわかってきている。東北でも、3000年まで遡ることができるようになった。
地震の直接的な予知はまだできないが、「想定外の災害」を「想定内の災害」にするための努力は、いまこの瞬間も続いているのだ。
活断層・火山研究部門
海溝型地震履歴研究グループ
上級主任研究員
澤井 祐紀Sawai Yuki(写真左)
活断層・火山研究部門
海溝型地震履歴研究グループ
主任研究員
行谷 佑一Namegaya Yuichi(写真右)