津波堆積物からわかる過去そして未来の“地震の姿”
津波堆積物からわかる過去そして未来の“地震の姿”
2021/03/26
津波堆積物からわかる 過去そして未来の“地震の姿” 防災・減災対策に役立つ情報を伝える
過去の大震災を教訓として、将来発生することが予想される大地震に対してどのように備えるべきか、多くの研究機関がさまざまな研究手法で調査・研究し、その成果を防災・減災に役立てようとしている。産総研では地質の専門家たちが、過去の津波が残した地層を調査する手法で、海溝型地震の発生時期や津波浸水範囲などを推定し、将来の地震予測につなげようとしている。
文献にない過去を調べる
南海トラフでは、そう遠くない将来、東海地震や南海地震と呼ばれる巨大地震の発生が予測されている。これらは2011年の東北地方太平洋沖地震と同じく、プレート境界付近で起こる海溝型地震で、規模が大きく、揺れる時間も長い。震源が海の下になるため発生すれば津波も生じる。これらの巨大地震が、次はいつ、どこで起き、その規模や影響範囲がどのくらいになるのかを追究することは、地震研究にとっても、防災や減災対策を進めていくうえでもポイントとなる。被害を抑えるための対策や地域の人々の準備などが考えやすくなるからだ。
これまで、この「いつ、どこで、どのくらい」という3点を調査する方法としては、過去の文献を調査することが中心だった。例えば、南海地震については、古くは684年の白鳳時代の記録が「日本書紀」に残っており、その後も887年、1099年、1361年……と歴史資料が比較的調っていることもあり、発生時期をある程度追うことができた。いずれの地震も発生間隔に一定の規則性があるように見えることから、「どこで」だけでなく「いつ」についてもある程度の目安が立てられるのではないかとも考えられてきた。しかし、現在記録上確認されている発生の間隔は90〜260年とかなり幅があり、ここから次の地震のタイミングを具体的に示すことは難しい。活断層・火山研究部門の藤原治は、地震のタイミングに関して「過去の文献記録には空白の期間があり、地震のパターンはそれほど明確になっているわけではない」と言う。
例えば、発生が懸念されている東海地震は、西隣の領域で発生する南海地震と連動して発生する危険性が指摘されてきた。1707年宝永地震は、南海地震と東海地震の領域を含む南海トラフのほぼ全体が同時に地震を起こした。同じように887年に起きた南海地震のときも、東海地震が連動して発生した可能性が指摘されていた。しかし、東海地震が文献に残る最も古い記録は1096年で、南海地震に関する文献が存在する7〜11世紀には東海地震の発生についての情報は未確認である。また、12世紀以降の地震についても、東海・南海地震のどちらか一方の記録しかないこともあり、2つの地震が互いにどういうタイミングで起きているかは必ずしも明らかでなかった。
このような場合に有力な手掛かりとなるのが、津波堆積物の調査だ。津波堆積物とは、津波とともに海から海岸や内陸部に運ばれた土砂などが、波が引いた後もその場に残って堆積してできた地層のことだ。砂だけでなく、がれきや海の生き物など、さまざまなものが混ざっていることもあり、過去に津波を経験した土地の歴史を示すものと言える。
産総研は2011年から実施した静岡県西部を流れる太田川流域での調査で、7世紀末と9世紀末に東海地震が起きたことを示す津波堆積物を発見した。特に9世紀末の津波堆積物は、887年の南海地震が東海地震と連動して同時発生したという歴史記録に基づく推測を裏付けることになった。7世紀から11世紀の文献記録の空白期間を地質調査によって埋めることができたのである。
津波堆積物の調査結果と歴史的な史料を照らし合わせることで、当時の津波の発生状況をより正確に復元していくことも可能となる。しかし、信頼性の高い史料は江戸時代以降のものが大半で、さかのぼれても数百年程度だ。それ以前にさかのぼろうとすると、津波堆積物など地層や地形に残された地震の痕跡に頼るほかはない。津波堆積物を調査することは、津波を伴う巨大地震の繰り返しパターンをより長い期間で把握し、検証することに役立つのだ。
浸水域がわかれば津波の規模もわかる
前述した太田川低地での調査は、近隣の高校地学教諭の青島晃氏が、地学クラブで活動中の生徒と一緒に太田川の川幅拡張工事の際にできた大きな露頭に津波堆積物らしき地層を見つけ、藤原に連絡してきたのがきっかけだった。彼は以前に藤原の津波堆積物についての講演を聴いており、露頭の地層を見てピンときたのだと言う。
添付されていた写真と、その工事現場の土地の地質を示す柱状図から、津波堆積物である可能性が極めて高いと考えた藤原は、早速調査をスタートさせた。もともと防災意識が高い地域で、東日本大震災直後ということもあり、行政も調査には非常に協力的だった。
調査の結果、この露頭から7世紀末、9世紀末、11-12世紀、15世紀後半から17世紀初頭の4枚の津波堆積物が発見された。うち7世紀末と9世紀末については、前述の通り、これまで歴史記録が確認されていない時代に起きた、東海地震による津波の跡だった。
「これにより、7世紀までさかのぼって東海地震の繰り返しパターンを明らかにできました。これで東海地震は全部で9回が復元できたことになります。南海地震も8〜9回の復元ができており、わかっているほぼすべての2つの地震について、お互いが同時、あるいは数年以内に発生していることを示すことができました」
太田川低地の調査は、藤原自身では発見できなかった露頭を調べる機会に恵まれたことに加え、川幅拡張工事が広範囲にわたって行われていたために、調査が海から陸方向へ1 km以上にわたって行えたという幸運も重なった。
津波堆積物の分布から浸水域を把握することで、過去に起きた津波の規模なども推定できるようになる。さらに、浸水域や津波堆積物の厚さ・粒子のサイズは、津波の大きさやそれが起こした流れの速さ、深さなどを解明する手掛かりとなる。津波の大きさがわかれば、それを元に沖合でどういう断層がどのくらい動いたのかも絞り込んでいくことができる。つまり、津波堆積物は、過去の地震の震源やマグニチュードの推定にも重要な情報となる。また、浸水時の流れの速さや深さは建物や人への被害の程度を予測することにもつなげられるのである。
地質調査を防災・減災で使ってもらうために
「過去の事実は、将来の地震について検討し、人々の命と財産を守るためにどう備えるべきかを判断する一つの材料となります。そのため、明らかになった事実はできるだけ迅速に発表することを心がけています」と藤原は言う。
これに加えて、もう一つ藤原が意識し、実行していることがある。論文を書いて終わりにするのではなく、地質学以外の専門家や防災対策を行う行政担当者、またその土地に住む一般の人々に“使える情報”を伝えるということだ。津波を再現したり被害の大きさをシミュレートしたりする工学分野の専門家とデータを共有することで、具体的なシミュレーション結果が得られれば、行政に判断材料を提供できる。つまり、研究成果を、より防災・減災に実際につなげることができるのだ。また、自分が行った講演が前述した発見につながったことから、一般の方々にも研究の意味を理解してもらう機会を積極的に作っていきたいと考えている。
「そう遠くない将来、巨大地震が起こることは間違いありません。研究の成果を自分のこととして感じてもらい、地震や津波に対する備えに活かしてもらいたいと思っています」
人々が安全に、楽しく暮らしていけるよう、社会にある不安や不確実性を少しでも減らす。「それが自然科学者としての自分がやるべきこと」。藤原は最後にそう決意を語った。
地質調査総合センター
活断層・火山研究部門
副研究部門長
藤原 治
Fujiwara Osamu
津波堆積物について知りたい、また防災・減災に活かしたい方はぜひご連絡ください。
産総研
地質調査総合センター
活断層・火山研究部門