第38回 5年後には「日本製冷蔵庫」が世界を席捲?
第38回 5年後には「日本製冷蔵庫」が世界を席捲?
5年後には「日本製冷蔵庫」が世界を席捲?「冷やすメカニズム」を根底から変える「磁気冷凍」の凄い技術
講談社ブルーバックス編集部が、産総研の研究現場を訪ね、そこにどんな研究者がいるのか、どんなことが行われているのかをリポートする研究室探訪記コラボシリーズです。
いまこの瞬間、どんなサイエンスが生まれようとしているのか。論文や本となって発表される研究成果の裏側はどうなっているのか。研究に携わるあらゆる人にフォーカスを当てていきます。(※講談社ブルーバックスのHPとの同時掲載です。)
7万年前に出現して以来、さんざん地球を痛めつけてきた人類はいま、さまざまなところでしっぺ返しにあい、これまでのやり方の見直しを迫られています。現代ではなくてはならない道具となった冷蔵庫も、その1つ。もう従来の「冷やし方」は許されなくなってきているのです!そして日本には、世界に先駆けて破壊的イノベーションを起こそうと燃えている研究者がいます。
2023年2月24日掲載
取材・文 深川峻太郎, ブルーバックス編集部
いま冷蔵庫で何かが起きようとしている
どこのご家庭もそうだと思うが、わが家の冷蔵庫も「掲示板」の役割を兼ねている。税金の納付書、近隣の工事のお知らせ、イベントのチケット、最近では新型コロナウイルスワクチンのクーポン券など、とりあえず磁石で貼りつけておくのに冷蔵庫は便利だ。冷蔵庫あるところに磁石あり、である。両者はとても相性が良い。
とはいえ掲示板は、あくまでも冷蔵庫の「副業」である。ところが、磁石がいま、冷蔵庫の「本業」にも役立とうとしている、という情報をキャッチした。それも「磁気冷凍」という破壊的イノベーションによって、冷蔵庫の歴史が大きく書き換えられようとしているというのだ。
かつて電化製品の「三種の神器」のひとつとして戦後経済成長を支えた冷蔵庫に、もしそんな「革命」が起これば、そのインパクトはきわめて大きなものとなるだろう。はたして本当にそんなことが起こるのか?われわれ探検隊は情報の真偽を確かめるべく、愛知県は名古屋市にある産業技術総合研究所 中部センターの磁性粉末冶金研究センターでエントロピクス材料チーム長をつとめる藤田麻哉さんに話を聞いた。
冷蔵庫はなぜ「冷える」のか?
新技術の意義を理解するために、まずわれわれは、そもそも冷蔵庫がなぜ「冷える」のかを知らねばならない。そう、そんなこともわかっていなかったのだ。
じつは、現在の冷蔵庫が冷えるのは「蒸気圧縮」という基本原理のおかげである。藤田さんによれば、この原理を最初に発見したのは、電磁気学の立役者の一人であり名著『ろうそくの科学』でも知られる、あのマイケル・ファラデーだそうだ。19世紀の話である。
「液体が気化するとき、周囲の熱を吸収します。これが気化熱です。この気体を圧縮すると温度が上がり、吸収した熱が外に捨てられます。これを利用して20世紀初めに発明されたのが、電気冷蔵庫です。気化したガスが熱を吸って庫内の温度を下げ、それを圧縮機で液化して庫外に熱を捨てて、液体を再び庫内で気化させるというサイクルです」(藤田さん)
電気冷蔵庫がこうしたサイクルでものを「冷やす」という基本的なしくみは、200年前から変わっていないそうだ。
だが20世紀も終わり頃になると、環境問題が指摘されはじめ、この冷却サイクルに使用するガス、いわゆる「冷媒ガス」は検討を迫られた。それまで使われていたフロンは、大気に漏洩するとオゾン層を破壊するとされ、先進国では生産が中止される。その後は代替フロンの開発・利用が進んだが、それらも、地球温暖化の原因となる温室効果が二酸化炭素の何倍も大きいことがわかってきた。
「もはや代替フロンも撤廃しようというのが、世界的な流れになっています。でも、それに代わる冷媒ガスがなかなか見つからない。冷却能力があっても、価格が高かったり、性質が不安定で10年も経たずに状態が変わってしまったりするんです。いま国内の家庭用冷蔵庫で使われているガスも、微燃性があるのが問題です。日常レベルでは安全基準を満たしてはいるのですが、大量に集めて火をつければ燃えるんです」
そんなガスは使わずに済むなら、そのほうがいいに決まっている。こうして、気体と液体を使う蒸気圧縮とは根本的に原理が異なる方法が議論されるようになった。電気冷蔵庫の誕生から200年が経って、初めてゲームチェンジの機運が生まれてきたのだ。そして考えだされたのが、「固体冷凍」という方法だった。
磁石と温度の意外な関係
しかし、そもそも「固体を使って冷やす」とは、いったいどういうことなのか。固体なのだから、もちろん気化熱とは関係ないことくらいはわかるが……。ここで登場するのが、それまで冷蔵庫の「副業」のお手伝いをする存在にすぎなかった磁石である。
じつは、磁石には「温度が上がると磁力が弱まる」という性質がある。液体がある温度を超えると気体になるのと同じように、磁石の温度がある境界線を超えると、磁気が失われるのだという。ちょっと難しい言葉を使うと、「強磁性体」(磁力が強い磁石)の温度が上がると「常磁性体」(磁力がすごく弱い磁石)に変化する、ということになる。
「強磁性体が磁力をもつのは、電子の向きが揃っているからです。電線をぐるぐる巻きつけたコイルに電気を流すと、円電流(電子の円運動)から磁力が生じて電磁石になりますが、1個の電子でも、回転すると磁力が発生します。このため、電子にはそれぞれN極とS極があります。しかし、マクロな物体ではたくさんの電子のN極とS極がバラバラな方向を向いているため、磁力が打ち消し合います。この状態にあるのが常磁性体です」
物体内の電子の向きが揃うと、その物体全体が強磁性体、いわゆる磁石になる。
そして強磁性体の温度が上がると、揃っていた電子の向きが徐々にバラバラになって磁力が失われ、常磁性体になる。つまりほとんど磁石ではなくなる。この、強磁性体が常磁性体に変わる境目となる温度を「キュリー温度」というそうだ。「キュリー」はあの有名な夫人のほうではなく、その夫、ピエール・キュリーさんにちなんだものだ。
「蒸気のサイクル」から「磁気のサイクル」へ
「物質によって沸点が違うように、キュリー温度も物体によって違います。みなさんが冷蔵庫にメモをくっつけているような磁石は、キュリー温度がすごく高いので、日常レベルの室温でポロリと取れることはありません。でもキュリー温度が室温に近い磁性体なら、そういう現象も見られるでしょう」
ネットで調べてみたら、一般的な磁石の材料である鉄は、キュリー温度が約770 ℃だという。たしかに、少なくともわが家の日 常レベルの室温よりはかなり高い。
「液体が気体になるときに熱を吸うのも、ゆるゆると結合していた分子がバラバラになるからです。つまり分子であれ、電子であれ、秩序あるものがバラバラになるときに、熱変化を起こすんですね。そのバラバラ具合のことを、熱力学では『エントロピー』と呼んでいます。バラバラになるとエントロピーが高くなり、熱を吸収するわけです」(藤田さん)
キュリー温度を超えて電子がバラバラになった常磁性体は、磁場を失い、そのかわり増加したエントロピーを熱として吸収する。この現象を「磁気熱量効果」というそうだ。気化したガスが、周囲の熱を吸収するのと同じである。逆に、常磁性体の電子の向きが揃って磁場を得ると、圧縮されて液化したガスと同じように、熱を外に捨てる。
ということはつまり、蒸気圧縮でいう気化(蒸発)は常磁性体になるときに相当し、液化は強磁性体になるときに相当するというわけだ!
磁気冷凍は「良いことずくめ」
磁気冷凍のサイクルには、フロンガスを使わないというほかにも、蒸気圧縮にはない利点があると藤田さんはいう。
「蒸気圧縮のサイクルでは、途中でどうしても気体と液体が混在する状態が生じます。それを圧縮して均等に熱を運ぶようにコントロールするのは難しく、エネルギー効率を犠牲にせざるをえないのです。しかし固体なら、そのような混在が発生しないので、効率を上げることができます」
冷却効率が上がれば省エネにもつながり、環境への負荷はさらに低減される。さらには、こんな利点もある。
「蒸気圧縮で冷媒ガスを圧縮するために必要な装置(コンプレッサー)は、作動中の振動音が小さくありません。その点、磁性体の磁場を変えることは少ない振動で、静かにできます。状況に合わせた温度の微調整も、蒸気圧縮より連続的でスマートにできます」
ノンフロンで、省エネで、静かで、おまけにスマート! 磁気冷凍は良いことずくめだ。わが家も明日からそっちに切り替えたいぐらいである。
めざす方向の逆を研究したら大発見が待っていた
とはいえ、実際の冷蔵庫で磁気冷凍を実現することは、まだまだ簡単ではないらしい。このサイクルに使える磁性体の材料には、かなり厳しい条件があるからだ。
「人間が変化を感じられるだけの磁気熱量効果を生むには、わずかな温度変化で急に磁力が消えて、エントロピーが高まる磁性体を使う必要があります。でも、ほとんどの磁性体は磁力が減りはじめてから完全に消えるまでの温度の幅が広いので、そういう効果は得られません。冷蔵庫で実用化するには、狭い温度幅でパッと磁力が消える磁性体の材料を探す必要があるのです」(藤田さん)
じつは、その貴重な材料を発見したのが、藤田さんらの研究グループだった!というわけなのである。
が、意外なことに、藤田さんは最初から磁気冷凍に使うための材料を探していたのではないそうだ。「いわゆるセレンディピティなんですよ」と藤田さんはいう。磁石の研究が冷蔵庫と結びついたのは、思いがけない偶然だったというのだ。
「基本的に私たちの研究分野で求められるのは、当然ながら、強い磁石、安定性の高い磁石の開発です。温度が少し変わったぐらいで磁力を失ってしまうようでは、不安定すぎて使い物にならないわけですから。
でも、安定した磁石をつくるためには、どうしたら不安定になるのか、ということも知る必要があります。そこで、それを突きつめて研究していたら、室温レベルでもわずかな温度変化で急激に磁力を失う材料が見つかったんです。2000年前後のことでした」(藤田さん)
たしかに、ちょっと温度が変わっただけで落ちてしまうような磁石では、冷蔵庫を掲示板にできないので困る。だが、そんな役立たずの磁石を追求する、いわば「逆張り」の研究が、冷蔵庫の「本業」に役立つことになったのだ。
ちょうど同じ頃、磁気冷凍サイクルに関わる、ある問題が解決されようとしていた。それ以前から、極低温を扱う物理学の分野では磁気冷凍技術が使われてはいたのだが、それを冷蔵庫のような室温レベルで実用化するには、ある課題をクリアする必要があった。
「極低温の状態と違い、室温の場合は、磁性体に熱が溜まるんです。固体がもつ熱の一部は原子の格子振動(原子がそれぞれの安定な位置の周辺で行う微小な振動)に由来するのですが、この熱は磁場に反応しません。それが温度を“底上げ”してしまうので、磁場によって熱を変化させても、人間が感じられるほどの変化にならないんです」(藤田さん)
この問題を解決するための冷凍サイクルのアイデアが、やはり2000年前後に出てきた。藤田さんが発見した材料は室温レベルで変化する性質をもっていたので、ちょうどその冷凍サイクルに使うことができた。
「磁性体の材料と冷凍サイクル技術という2つの分野で、たまたま同じタイミングでブレークスルーが起きたことで、実用化へ向けた動きが一気に進んだんです。国際磁気冷凍学会が立ち上がったのも、その頃です」(藤田さん)
その当時は、藤田さんらが発見したものも含めて、磁性体の材料候補はいくつもあった。しかしその中には、リンやヒ素の化合物を含むものものあり、食品を扱う冷蔵庫では使いにくかった。安全性のほかにも、コストや供給の安定性など、実用化への課題はいくつもあった。しかし藤田さんらの発見した材料は、それらをクリアして生き残った。
「われわれが開発した磁性体は、ランタン・鉄・シリコンを組み合わせたものです。ランタンは産出量が少ない希土類ですが、構成元素のおよそ9割は鉄なので、コストや供給の面での問題はありません。そして鉄は人体の構成要素でもあるので、安全です」
このような希土類・鉄・軽元素を組み合わせた磁石は、珍しいものではないという。たとえば、いま実用化されている磁石の中では最強とされているネオジム磁石。発明した佐川眞人氏は、ノーベル賞候補としても名前が挙がっているが、この磁石も希土類のネオジムと、鉄と、軽元素のボロンを組み合わせたものらしい。
「世界最強の磁石も、温度変化で急激に磁力を失う磁石も、この3つの組み合わせでつくれるというのが面白いところですね」(藤田さん)
イノベーションは5年後にも!?
こうして、2000年頃を境に一気に本格化した感のある磁気冷凍冷蔵庫の開発だが、その実用化はいつになるのだろうか。こちらにも買い替えのタイミングがあるので、気になるところだ。
「いま、メーカーと一緒に開発を進めているところですが、なにしろ従来の冷蔵庫とは発想がまったく違うので、解決すべき課題がたくさんあります。磁性体をどのように搭載すれば効率よく熱交換できるか、に始まり、そもそも冷凍機の形は何がベストなのかも、まだわからない状況です」
藤田さんはそう答えたあと、言葉に力を込めた。
「ただ、いまはSDGsを含めて環境問題への社会的な要請もありますから、10年もかけたくはありません。フロン削減や温暖化防止は政治的にも大きなテーマなので、追い風も吹いています。5年後ぐらいには、市場に認知されるものを具体的な形で示したいですね」
おお、5年後!
「日本の製品開発は昔から慎重なところがあって、じっくり検討して問題がないことを確認してから世に送り出すのが従来のやり方でした。でも、それでは追い風を生かせなくなるかもしれない。欧米のように、とりあえず形にして世に出してから、さらにブラッシュアップしていくというやり方もありうると思っています」(藤田さん)
藤田さんの夢が実現すれば、世界中の家庭用冷蔵庫が買い替えられることになるかもしれない。そのときまで、わが家の冷蔵庫が故障しないことを祈りつつ、新時代の冷蔵庫が颯爽と登場する日を楽しみに待つことにしよう。
磁性粉末冶金研究センター
エントロピクス材料チーム
研究チーム長
藤田 麻哉Fujita Asaya