国立研究開発法人 産業技術総合研究所【理事長 中鉢 良治】(以下「産総研」という)スピントロニクス研究センター【研究センター長 湯浅 新治】電圧スピントロニクスチーム 塩田 陽一 元研究員(現:国立大学法人 京都大学 大学院理学研究科 助教)、野崎 隆行 研究チーム長は、電圧書込み方式の磁気メモリー(電圧トルクMRAM)の書込みエラー率を飛躍的に低減させる技術を開発した。
非常に薄い金属磁石層(記憶層)を持つ磁気トンネル接合素子(MTJ素子)にナノ秒程度のごく短い時間電圧パルスをかけると、磁化反転を誘起できる。今回、記憶層の磁気特性を最適化し、電圧磁気異方性変調効率と熱じょう乱耐性Δ 0を向上させて、書き込みエラー率をこれまでの報告値(10-2~10-3)より二桁以上低減(2×10-5)した。これにより1回のエラー訂正(ベリファイ)の実行で実用的な書込みエラー率を実現できる。電圧書込み方式は原理的に電流が不要なため、現在MRAMの主流である電流書き込み方式と比較して飛躍的な低消費電力化が可能となる。今回の成果により、高信頼性と高速性を持つ超低消費電力電圧トルクMRAMの研究開発の加速が期待される。
この成果の詳細は、2017年7月13日(米国現地時間)にApplied Physics Lettersにオンライン掲載される。
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書込みエラー率のパルス電圧強度依存性
単一パルスでの書込みエラーを2x10-5(青星印)まで低減できた。 |
超スマート社会の到来により、IT機器の消費電力低減は急務の課題となっている。例えばモバイルIT機器では、CPUとメモリーによる消費電力は、全消費電力の30~40%を占めており、充電ストレスフリー化に向けて消費電力のさらなる低減が求められている。その1つのアプローチに不揮発性エレクトロニクスデバイスの開発がある。スピントロニクス分野では、磁石の磁化が持つ不揮発性機能を利用した待機電力ゼロの不揮発性メモリーMRAMの開発が行われている。しかしながら、現在世界規模で製品開発が進められているMRAMでは電流書込み方式が採用されており、電流による発熱を原因とする不要な電力消費が駆動電力低減の障害として懸念されている。
一方、電圧トルクMRAMは、原理的に電流が不要な超低消費電力性、ナノ秒程度の高速動作、高い繰り返し動作耐性などの特徴を持つ。そのため次世代MRAMとして期待されているが、書込みエラー率の低減が課題となっていた。書込みエラー率はベリファイを繰り返して低減できるが、より高い信頼性と高速性を両立させるには単一パルスによる書込みエラー率を低減することが求められている。
産総研はこれまでにスピントロニクス分野で世界的にもトップクラスの研究開発を行ってきている。その蓄積を生かして、電圧トルクMRAMの研究開発に取り組んでいる。国立大学法人 大阪大学大学院 基礎工学研究科 鈴木 義茂 教授らと協力して、厚さが数原子層程度の金属磁石薄膜に電圧をかけて、磁化の向きやすい方向(磁気異方性)を制御する、電圧磁気異方性制御技術の開発に取り組んできた(2012年5月1日産総研プレス発表など)。またそれを用いた新しい磁化反転制御法を開発し、単一パルスによる書込みエラー率 4×10-3を実現した(2015年12月10日 産総研プレス発表)。さらにパルス電圧の波形を工夫することで書込みエラーを低減することができる新たな書き込み方式とそれに必要な新型回路を開発した(2016年12月5日産総研などプレス発表)。書込みエラー率はベリファイを繰り返すことで低減させることが可能であるが、より高い信頼性および高速性を両立させるためには単一パルスによる書込みエラー率の低減は非常に重要な課題である。
これまでに、電圧トルクMRAMで課題となっている書込みエラー率を低減するためにはMTJ素子の記憶層に高い熱じょう乱耐性を持たせることと、それをちょうど打ち消す強度の電圧をかけることが有効であることがシミュレーションによって予測されていた。しかし、これまでのMTJ素子は熱じょう乱耐性が低く、エラー率の低減に限界があった。そこで今回、記憶層となる超薄膜金属磁石層の作製プロセスを改善して、高い熱じょう乱耐性と高い電圧磁気異方性変調効率を両立する記憶層を開発し、単一パルスによる書込みエラー率の低減に取り組んだ。
なお、本研究開発は、内閣府「革新的研究開発推進プログラム(ImPACT)」の研究開発プログラム「無充電で長時間使用できる究極のエコIT機器の実現」(プログラム・マネージャー:佐橋 政司)の一環として行い、一部、独立行政法人 日本学術振興会 科学研究費補助金 若手研究A(課題番号:JP16H05977)の支援を受けた。
図1に今回用いた垂直磁化型MTJ素子と電圧書込み方式の模式図を示す。記憶層/絶縁層/磁化固定層を基本構成とし、記憶層の鉄コバルト合金は電圧によって磁気異方性を制御するため数原子層程度と極めて薄い。この素子は電圧をかけている間だけ磁化が回転するため、ちょうど半回転したところで電圧を切ると回転が止まり、磁化が反転してメモリーへの書込みが行われる。
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図1 パルス電圧による磁化反転の模式図 |
今回記録層の鉄コバルト合金の組成比と熱処理温度の最適化を行った。図2に示すように、鉄コバルト合金のコバルト組成が31at%で、250 ℃で熱処理すると最大の垂直磁気異方性エネルギーと磁気異方性変調効率が得られた。その結果、熱じょう乱耐性Δ0が従来素子の1.4倍で、電圧による磁化反転、すなわち書き込みできるMTJ素子が実現した。
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図2 さまざまな組成の鉄コバルト合金の垂直磁気異方性エネルギーと電圧磁気異方性変調効率の熱処理温度依存性 |
次に電圧による書き込み動作後の素子抵抗の変化から磁化反転の成功・失敗を判定し、これを繰り返して書込みエラー率を評価した。図3に、書込みエラー率と電圧をかけた時間(電圧のパルス幅)との関係を示す。ちょうど磁化が半回転する時間だけ電圧をかけた時に、効率よく書き込みが行われ、パルス電圧強度1.56 Vで書き込みエラー率は2×10-5となった(図3星印)。一方、電圧磁気異方性変調率は同じで、熱じょう乱耐性Δ 0が2/3程度の記憶層を用いたMTJ素子の書き込みエラー率を評価したところ、書き込みエラー率は10-3台に留まったことから、熱じょう乱耐性の向上が書き込みエラー率低減の鍵であると考えられる。
今回、MTJ素子の記憶層の特性を改善して書き込みエラー率をこれまでに報告されている値の1/200に低減した。これはベリファイを一回実行するだけで実用的な書込みエラー率のターゲットとなる10-10台を実現できる値である。また、これまでのベリファイを複数回必要とする素子と比較して書き込み時間が短縮されることで10ナノ秒以下での書き込みが可能となり、高信頼性と高速性を持つ超低消費電力電圧トルクMRAMへの適用が期待される。
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図3 書込みエラー率と電圧をかけた時間との関係(パルス電圧強度 = 1.56 V) |
さらなる書込みエラー率低減に向けた新材料開発に加えて、実デバイス上での安定な書き込みを実現するために特性バラつきを改善し、併せて電圧トルクMRAM用回路技術の開発を進める。