国立研究開発法人 産業技術総合研究所【理事長 中鉢 良治】(以下「産総研」という)スピントロニクス研究センター【研究センター長 湯浅 新治】金属スピントロニクスチーム 薬師寺 啓 研究チーム長は、次世代の不揮発性メモリーである磁気ランダムアクセスメモリー(MRAM)の参照層に、新たにイリジウム(Ir)を用いたスペーサー層を用いて、大容量MRAMに求められる性能を達成した。
高性能な垂直磁化TMR素子は、大容量MRAMを実現するための中核技術であり、情報を記憶する「記憶層」、酸化マグネシウム(MgO)の「トンネル障壁層」、記憶層情報の判定基準である「参照層」により構成される。参照層は、上部強磁性体層、下部強磁性体層と、その2層の間の厚さ0.5 nm程度の極めて薄いスペーサー層からなり、判定基準の強固さ(参照層の強固さ)が求められる。スペーサー層は参照層の強固さに影響するが、今回、これまで広く用いられてきたルテニウム(Ru)の替わりにイリジウムを用いたところ、ルテニウムより強固な参照層特性が得られることを発見した。また、要求される性能を達成できるスペーサー層厚さの範囲が約2倍となったため、製造が容易になると考えられる(下図)。強固な参照層を与えるイリジウムのスペーサー層は、大容量MRAMにおいて現在標準的に用いられているルテニウムを一新するとともに、MRAMの大量生産に貢献すると期待される。
この技術の詳細は、2017年2月27日にApplied Physics Lettersにオンライン掲載される。
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参照層のスペーサー層の厚さと強固さの関係 |
MRAMは、不揮発、高速、高書き換え耐性などの特徴を持ち、特に不揮発性による省エネルギーの観点から、新世代ユニバーサルメモリーとして注目を集めている。MRAMには、磁界書き込み型MRAM、電流書き込み型MRAM(STT-MRAM)、電圧書き込み型MRAM(電圧トルクMRAM)の3種類がある。垂直磁化TMR素子をベースとしたSTT-MRAMはギガビット級の大容量化が可能であり、国内外のメーカーが製品化を進めている。また、電圧トルクMRAMは基礎開発段階であるが、STT-MRAMを超える省電力性と高速性が見込まれる。STT-MRAMや電圧トルクMRAMは、不揮発性を活かした周辺メモリーや、従来の半導体メモリー(DRAM)を凌駕する大容量メインメモリーへの応用が考えられ、近い将来、多くのモバイルIT機器やコンピューターにこれらのMRAMが搭載されると見込まれている。
産総研は、大容量STT-MRAMを実現するための中核技術として、2004年にMgOトンネル障壁層を持つ高性能TMR素子を発明し、2008年には、NEDO「スピントロニクス不揮発性機能技術プロジェクト」(株式会社東芝との共同研究)の一環で、世界で初めて垂直磁化TMR素子ベースのSTT-MRAMを試作するなど、国内外をリードするSTT-MRAM開発を行ってきた(IEDM会議発表 2008年12月17日(DOI: 10.1109/IEDM.2008.4796680)、産総研プレス発表 2004年3月2日、産総研プレス発表 2004年9月7日、産総研プレス発表 2004年11月1日、産総研プレス発表 2015年12月17日)。現在もDRAM代替向け超大容量STT-MRAMやSRAM代替を目指した電圧トルクMRAMの開発を行っている。
TMR素子は小さくなるほど「記憶層の記憶安定性」と「参照層の強固さ」の確保が難しくなる。記憶層については、産総研において材料開発が広く行われ、DRAM代替向けで必要な、TMR素子直径20 nm以下の実現に向けた成果が得られている。一方、参照層の研究開発はあまり精力的には行われてきておらず、20 nm以下のサイズに必要な性能は、極めて限定された条件でしか得られていなかった。そのため、今回、極薄膜の積層技術を基本技術として参照層の強固さ向上のための研究開発に取り組むこととした。
なお、この研究開発は、内閣府 革新的研究開発推進プログラム(ImPACT)「無充電で長期間使用できる究極のエコIT機器の実現(平成26~30年度)」による支援を受けて行った。
今回開発した垂直磁化TMR素子の概略を図1に示す。垂直磁化TMR素子は、参照層/トンネル障壁層/記憶層を基本構成とし、各層の厚さは数nm程度と薄い。参照層は、上部強磁性体層、下部強磁性体層と、その2層の間のスペーサー層からなるが、スペーサー層(図中ではイリジウムスペーサー)は0.5 nm程度と極めて薄い。
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図1 今回開発した参照層を含む垂直磁化TMR素子断面の模式図と電子顕微鏡像 |
参照層のような3層構造では、上部と下部の強磁性層が特徴的な磁気結合を持つ(層間交換結合)。特定のスペーサー材料(ルテニウムやイリジウムなど)を0.5 nm程度と薄くした場合には、上下の強磁性層の磁化方向が逆向き(反平行)の磁化配置の状態で強固に結合(反平行結合)する(図2)。反平行結合が強いと、参照層は強固になるので、図2に示した結合強さ( Jex)を大きくする必要がある。代表図に示すように、TMR素子直径20 nm以下のサイズのMRAMに必要なJexは、およそ1.8 erg/cm2以上である。この値は、既存のルテニウムスペーサーを用いた参照層でも得られるが、ルテニウムスペーサーの厚さは0.38 nmから0.48 nm程度までの0.1 nmの範囲内に収まらなければならない。一方、今回開発したイリジウムスペーサーではJexの最大値が2.6 erg/cm2と、ルテニウムスペーサーの最大値(2.2 erg/cm2)に比べて約20 %増加した。また、1.8 erg/cm2以上を示すスペーサー厚さの範囲は0.38 nmから0.57 nm(0.19 nm)と、ルテニウムスペーサー厚さの範囲の約2倍に広がった。これは、大量生産では極めて重要な点であり、新世代の低消費電力メモリーMRAMの生産性向上に大きく貢献することが期待される。
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図2 参照層の上下強磁性層の反平行磁化結合の模式図 |
さらに、イリジウムスペーサーを用いたSTT-MRAMの性能評価を行ったところ、データ読出特性(MR比)やデータ書込特性、耐熱性など各種特性は、ルテニウムスペーサーの場合と遜色無く、スペーサー層をイリジウムにすることで、性能の劣化は無く、参照層の強固さだけを高めることができた。20 nm以下のサイズだけではなく全ての世代のSTT-MRAMや電圧トルクMRAM、さらにはスピントルク発振素子などの参照層は、イリジウムスペーサーに一新されるものと期待される。
今回開発したイリジウムスペーサーを含む参照層は、広範囲なスピントロニクスデバイスに応用できる。今後は、この技術をベースにした大容量STT-MRAMの量産化技術の確立や、他のスピントロニクスデバイスへの応用を目指す。