独立行政法人 産業技術総合研究所【理事長 吉川 弘之】(以下「産総研」という)エレクトロニクス研究部門【部門長 和田 敏美】と独立行政法人 科学技術振興機構【理事長 沖村 憲樹】(以下「JST」という)は、次世代の高性能不揮発性メモリであるMRAM(Magnetoresistive Random Access Memory)の心臓部として期待されるトンネル磁気抵抗(TMR (Tunnel MagnetoResistance))素子の磁気抵抗効果の発生メカニズムを解明し、大幅な高出力化に成功した。MRAMの高集積化のための新しい指針が得られたことにより、今後は量産プロセスに応用していく考えである。
○酸化マグネシウムを用いたTMR素子の巨大な磁気抵抗の発生メカニズムを実証
酸化マグネシウムをトンネル障壁の材料に用いたTMR素子(以下「新型TMR素子」という)は巨大な磁気抵抗を示すため、次世代MRAMの中核として期待されているが、そのメカニズムの詳細については解明されていなかった。
今回、厚さの異なる酸化マグネシウムのトンネル障壁から成るTMR素子を作製して、それぞれ磁気抵抗を計測することにより、磁気抵抗が周期的に変動するという新現象の観測に成功した。理論的には、新型TMR素子では、電流を運ぶ電子が「波動性」(電子の波としての性質)を保ったまま素子の中を伝搬することが欧米の研究者によって予測されていたが、この理論を世界で初めて実証することに成功した。
○TMR素子の大幅な高出力化に成功
酸化マグネシウムのトンネル障壁を原子レベルで平らにすると電子の波動性が良く保たれ、その結果、出力電圧が向上することを発見した。実際に今回、トンネル障壁界面の原子配列の乱れが極めて少ないTMR素子を試作することにより、世界最高の出力電圧(550mV)を達成した(これまでの最高は380mV)。
MRAMの高集積化のためには、TMR素子の出力電圧を上げることが極めて有効である。この成果はTMR素子の多層化を可能とするものであり、今後MRAMの高集積化(現行の数倍)に大いに貢献するものである。
なお、上記の研究成果は、産総研とJSTとの契約に基づき、JST戦略的創造研究推進事業個人型研究(さきがけタイプ)の研究領域「ナノと物性」【研究総括 神谷 武志(大学評価・学位授与機構 教授)】における研究テーマ「超Gbit-MRAMのための単結晶TMR素子の開発」【研究代表者 湯浅 新治】の研究過程において得られたものである。
この成果の詳細は、英国科学誌 Nature Materials 2004年12月1日号【速報電子版10月31日】に掲載される。(題目:Giant room-temperature magnetoresistance in single-crystalline Fe/MgO/Fe magnetic tunnel junctions 著者:湯浅 新治、長浜 太郎、福島 章雄、鈴木 義茂、安藤 功兒)
MRAM(Magnetoresistive Random Access Memory)は、DRAM(Dynamic Random Access Memory)に代わる大容量で高速な不揮発性メモリとして世界的に開発が行われているメモリである【図1参照】。海外ではモトローラや IBM がいち早く開発を開始し、既に16MbitのMRAMが試作されるに至っている。一方国内では、NECと東芝が2年ほど遅れて2003年度から国家プロジェクトをたてて本格開発を開始したところである。
TMR素子【図2参照】はMRAMの心臓部である。従来のTMR素子ではトンネル障壁の材料に酸化アルミが使用されてきた。これに対して産総研ではこれまでに、より大きなトンネル磁気抵抗効果を得るためにトンネル障壁に酸化マグネシウムを用いた新型TMR素子を開発し、画期的な高性能(室温で磁気抵抗230%)を達成している(産総研プレス発表:3月2日、9月7日)。しかし、このような巨大な磁気抵抗が得られるメカニズムについては不明な点が多く、これまで良く分かっていなかった。
(1)酸化マグネシウムを用いた新型TMR素子の巨大な磁気抵抗の発生メカニズムを実証
金属や半導体の中を流れる電流は、電荷を帯びた粒子(電子)が移動・伝搬することによって流れる。このような電子は、粒子であると同時に「波」としての性質(波動性)を併せ持っている。
従来型TMR素子のトンネル障壁の材料である酸化アルミはアモルファス物質(原子の配列が不規則な物質)であるため、電流が流れる際にトンネル障壁の中で電子が散乱されて波動性を失ってしまう【図3(a)参照】。これに対して新型TMR素子では、トンネル障壁の酸化マグネシウムが結晶(原子が規則正しく配列した物質)であるため、電流が流れる際に電子は散乱されずに波動性を保ったまま直進すると理論的に予想されている【図3(b)参照】。米国の研究者の理論(W.H.Butler, 2001年)によると、このように電子が波動性を保ったまま伝搬する現象が、巨大な磁気抵抗が現れるための必須条件である。しかし、このような現象が実際に起こっているかどうかは、これまで全く証明されていなかった。
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(a) トンネル障壁が酸化アルミ(アモルファス物質)の場合。原子の並び方が不規則なため、電子が散乱されて、波動性を失う。 |
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(b) トンネル障壁が酸化マグネシウム(単結晶)の場合。原子の並び方が規則的なため、電子が散乱されずに波動性を保ったまま直進すると予想される。 |
図3 従来型TMR素子と新型TMR素子
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今回、超高真空蒸着法を用いて、高品質の酸化マグネシウムのトンネル障壁と鉄の電極から成るTMR素子を作製し、その磁気抵抗を計測することによって、酸化マグネシウムの厚さが変わると磁気抵抗が周期的に変動するという新現象の観測に成功した【図4参照】。図中の赤矢印の厚さのとき磁気抵抗は大きくなり、青矢印の厚さのとき磁気抵抗は小さくなる。この現象のメカニズムは、電子の波動性に関係している【図5参照】。酸化マグネシウムの中で、電子の波は、ある特定の長さ(周期)を持つ。酸化マグネシウムの中に整数個(1, 2, 3,・・・)の周期の波があるとき磁気抵抗は小さくなり、半整数個(0.5, 1.5, 2.5,・・・)の波があるとき磁気抵抗は大きくなると理論的に予想される。つまり、今回観測された磁気抵抗の周期的な変動は、電子が波動性を保ったまま素子の中を伝搬していることを示す直接的な証拠である。今回の成果により、電子が波動性を保ったまま伝搬することによって巨大な磁気抵抗が現れるというメカニズムが初めて実証された。
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図4 トンネル障壁(酸化マグネシウム)の厚さを変えると、磁気抵抗は周期的に変動(振動)する。赤矢印の厚さで大きな磁気抵抗、青矢印の厚さで小さな磁気抵抗になる。
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図5 酸化マグネシウム層の中に整数個(1, 2, 3,・・・)の周期の波があるとき磁気抵抗は小さくなり、半整数個(0.5, 1.5, 2.5,・・・)の周期の波があるとき磁気抵抗は大きくなる。
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(2)TMR素子の大幅な高出力化に成功
MRAMの高集積化のためには、TMR素子の出力電圧を上げることが極めて重要であるが、このためには、(i) 磁気抵抗の向上、(ii) 電圧特性の改善の両方が必要となる【図6参照】。今回、各種の試作品によって実験することにより、酸化マグネシウムのトンネル障壁を平坦にすると電子の波動性がより良く保たれ、その結果TMR素子の電圧特性が改善することを発見した。酸化マグネシウムを作製する温度を200℃まで上げることにより(従来は室温で作製)、トンネル障壁と電極の界面を原子レベルで平坦にして、原子の乱れが極めて少ないTMR素子【図7参照】を実現し、電圧特性の改善に成功した。その結果、世界最高の出力電圧(550mV)を達成した。これは、これまでの最高値(380mV)を遙かに超える出力電圧である【図8参照】。
このような高い出力電圧を用いれば、MRAMの多層記憶が可能となる。現在のMRAMは、トランジスタの上にTMR素子を1層だけ積層した構造である【図1参照】。しかし、高い出力電圧を示す新型TMR素子を用いれば、トランジスタ上に多層(4層程度)のTMR素子を積層することが可能となり、MRAMの高集積化(従来の4倍)が実現される。一つ一つのTMR素子を小型化することによってもMRAMの高集積化は可能であるが、その場合は書込み電力の低減というもう一つの課題を解決しなければならない。これに対して、多層化によってMRAMを高集積化する場合は、書込み電力は問題にならない。従って、多層記憶はMRAMの高集積化のための容易な解決策といえる。
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TMR素子に電圧を印加すると磁気抵抗が減少してしまう。これを電圧特性と呼ぶ。TMR素子の出力電圧を増やすには、(i) 磁気抵抗の増大と(ii) 電圧特性の改善の両方が必要となる。 |
図6 TMR素子の電圧特性と出力電圧の関係
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図7 TMR素子の断面の電子顕微鏡写真
酸化マグネシウム層の中に見える白い粒々が原子。原子が規則的に配列し、乱れの少ない高品質の「結晶」であることが分かる。
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図8 TMR素子の出力電圧の歴史
赤△印は量産技術(スパッタ法)で作製したTMR素子
赤○印は超高真空蒸着法で作製したTMR素 |
今回得られた成果にさらに検討を加えることにより、TMR素子を高出力化する技術を量産プロセスであるスパッタ成膜に応用する手法の実現を目指す。