独立行政法人 産業技術総合研究所【理事長 野間口 有】(以下「産総研」という)ナノシステム研究部門【研究部門長 八瀬 清志】スマートマテリアルグループ 吉田 勝 研究グループ長、松澤 洋子 研究員は、分子構造を検討し、紫外光照射によって単層カーボンナノチューブ(SWCNT)の孤立分散状態と凝集状態を容易に制御できる新しい分散剤を開発した。
SWCNTをはじめとする各種のカーボンナノチューブ(CNT)は、ナノ炭素材料の一つとして大きな注目を集めているが、溶媒に溶解しない点が応用上の制約となっている。近年、SWCNTを溶媒中に分散させる分散剤の開発が内外で活発に行われているが、SWCNTの分散状態を精密に制御する技術は確立されていなかった。今回新たに合成した分散剤は、高効率のSWCNT分散能を持つとともに、クロモフォア(光反応性の部位)を持つため、紫外光照射による光反応で、構造が変化し容易にSWCNT表面から脱離させることができる。このような非接触の刺激で分散剤の除去が可能となる技術は、SWCNTの精製法の改良や、各種CNTを基材とするさまざまな材料への応用が期待される。
なお、この技術の詳細は、2011年7月26日付で、「Advanced Materials」誌にオンラインで発表される。
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(上)光で脱離する分散剤の概念図(青色は今回開発した分散剤)
(下)光照射前後で分散性の変化したSWNCT水溶液(光照射前:分散、光照射後:凝集)
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近年、ナノテクノロジー分野の発展とともに、その基幹材料として単層、多層を含む各種のカーボンナノチューブ類の産業応用が注目されている(経済産業省「技術戦略マップ2010」)。その応用の鍵となる技術の一つとして、半導体SWCNTや金属SWCNTの分離に代表される、高度精製技術がある(2011年5月11日産総研プレス発表)。多くの精製技術では、溶解性を持たないSWCNTに対して適切な分散剤を用いてSWCNTを孤立分散状態にした溶液の調製が極めて重要である。このような分散剤は多数知られているが、分散状態を精密に制御する技術は確立されておらず、一旦調製した分散溶液から選択的に分散剤を取り除く技術は、SWCNTだけでなく各種CNTの応用に向けて大きな課題となってきた。
産総研では、新しい分散剤の研究を進め、カチオン性電解質構造をもつ有機化合物が高い分散能を発揮することを発見した(2007年5月25日産総研プレス発表)。また、新しい光機能材料の開発にも精力的に取り組み、加熱することなく光を照射するだけで、固体から液体へと融解し、さらに元の固体状態に戻すこともできる有機材料を開発した(2010年12月2日産総研プレス発表)。今回、このような異種研究を融合させて、新たな分子設計に基づいて有機電解質化合物に光反応性基を導入することにより、これまで知見の乏しかったSWCNT分散能の光制御について取り組んだ。
なお、本研究開発の一部は、独立行政法人 日本学術振興会の科学研究費補助金「基盤研究(C)(平成22~24年度)」による支援を受けて行ったものである。
今回の技術開発では、光反応する部位として、スチルベンとして知られる芳香族化合物に着目した。スチルベンは、紫外光照射によりE体からZ体へと変化(光異性化)し、さらに溶存する酸素を酸化剤とする脱水素反応により、フェナントレンへと構造変化することが知られている(図1)。今回は、分子設計に基づいて、光反応性のスチルベン部位をコアとし、水溶性を与えるためアンモニウム基を持つベンズアミド基を分子の両端に導入して、SWCNT分散能と光反応性の両立を試みた。実際には、市販の化学試薬を用いた2段階の反応によって、新しい水溶性スチルベン化合物1(図2)を高収率で合成し、その評価を行った。
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図1 スチルベンの光異性化反応と環化反応
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図2 (上)開発した光応答性SWCNT分散剤の構造式と(下)分子モデル
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分子軌道計算によって最適化構造を求めた結果から、スチルベン化合物1は直線的で平面性の高い板状構造をもっているが、紫外光照射によってフェナントレン化合物2へと変化すると、極度に折れ曲がった構造となることがわかった(図2)。この分子構造の大きな変化が、SWCNT表面と分散剤分子との相互作用(SWCNT表面との親和性)の変化に大きく寄与するので、吸着(SWCNTを分散化)と脱着(SWCNTを凝集化)を紫外光照射により制御することができる。
図3には、分散剤の分子構造の違いによるSWCNTの分散性の変化について評価した結果を示す。スチルベン化合物1は、SWCNT表面との親和性が非常に高く、SWCNT表面に吸着してSWCNT同士の強い分子間相互作用をほどき、水中に分散させる。そのため、SWCNTに特徴的な吸収スペクトルが観測できる(図3・黒線)。スチルベン化合物1がカチオン性の電荷(プラス)を持つため、1で覆われたSWCNTは水と親和性の高い静電性の衣で覆われることになる。そのため、互いの静電反発によって凝集できなくなり、非常に安定に水中に孤立分散するのでSWCNTの吸収スペクトルが観測できたと考えられる。一方、フェナントレン化合物2は屈曲した分子構造なのでSWCNT表面との親和性が低く、同じ条件下でもSWCNT表面に吸着することができず、SWCNTを水中に分散させることが全くできないことが明らかになった(図3・青線)。
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図3 (左)分子構造変化による光吸収スペクトルの変化(重水中)
(右)紫外光照射前後によるSWCNTの分散性変化(光照射前:分散、光照射後:凝集)
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実際にスチルベン化合物1を分散剤として調製したSWCNT分散液を撹拌しながら紫外光を連続的に照射したところ、SWCNTは水中に分散していることができなくなり、凝集することがわかった(図3・赤線および写真右)。紫外光照射によってSWCNT表面上のスチルベン化合物1では、図1に示した光反応(環化と酸化)が徐々に進行し、SWCNT表面と親和性の低いフェナントレン化合物2に変化するためと考えられる(現在の所要時間:6時間程度)。これは、既に知られているスチルベンの光環化反応を、SWCNTの分散状態制御に利用した世界初の成功例である。なお、紫外光照射を行わない対照実験ではSWCNTは凝集せず、SWCNTの凝集は光照射によるものであることが確認された。今回は、光吸収による分散状態の評価が容易なSWCNTを用いて、新しく開発した分散剤の分散制御を評価したが、原理的には他のCNTにも容易に適用ができる分散制御技術と考えられる。
紫外光照射でSWCNT分散能を制御する技術は新規性が高く、今後は分散状態と凝集状態のスイッチングの高速化や、新たな分子設計によって繰り返し利用できるSWCNT光応答分散剤の開発を目指す。さらに、外部へのサンプル提供を視野に入れながら、大量合成法の確立を目指すとともに、実際にSWCNT高度精製技術や各種のCNTを利用したデバイス作成プロセスなど、これまで分散剤に覆われていることでCNTの充分な特性評価が困難であった各種分野において、分散剤の容易な除去技術としての応用を、所内外との連携で検討していく予定である。