独立行政法人 産業技術総合研究所【理事長 野間口 有】(以下「産総研」という)ナノチューブ応用研究センター【研究センター長 飯島 澄男】カーボン計測評価チーム【研究チーム長 末永 和知】越野 雅至 研究員、岡﨑 俊也 主任研究員およびナノテクノロジー研究部門 自己組織エレクトロニクスグループ 片浦 弘道 研究グループ長は、独立行政法人 科学技術振興機構(以下「JST」という)新見 佳子 技術員、国立大学法人 東京大学大学院 理学系研究科化学専攻 中村 栄一 教授と共同でフラーレン分子の二量化反応について、その反応性と選択性を原子レベルで解析することに成功した。
今回、単層カーボンナノチューブ中にフラーレン分子を閉じ込め、密度、温度、金属原子の効果、与えるエネルギーなどを変化させて反応性を最適化し、収差補正機構を備えた電子顕微鏡による高分解能観察技術を用いて、反応の可視化に成功した。一つひとつの分子の向きが反応に直接影響することなどが明らかになった。今後このナノテク分析技術を応用して、さまざまな反応機構の解明や新薬の開発といった分子設計などに幅広く応用されることが期待される。
なお、この研究成果は、JST 戦略的創造研究推進事業 ERATO型研究「中村活性炭素クラスタープロジェクト」(研究総括、中村 栄一 教授)および同事業 チーム型研究(CREST)「物質現象の解明と応用に資する新しい計測・分析基盤技術」研究領域(研究総括:田中 通義 東北大学 名誉教授)における研究課題「ソフトマターの分子・原子レベルでの観察を可能にする低加速高感度電子顕微鏡開発」(研究代表者:末永 和知 研究チーム長)によって得られたものである。研究成果の詳細は、2010年1月11日 午前3時(日本時間)に英国科学雑誌Nature Chemistryのオンライン速報版に掲載される。
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C60フラーレンのモデル図
2つの分子がくっつくとき、5角形、6角形どの頂点あるいは辺でくっつくのだろうか?
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化学反応とは、呼吸、消化といった生命活動に欠かせない身近なものから化学合成、エネルギー変換などの近代産業を支えるものまでさまざまである。分子の中でどの部分が最も反応しやすいかは理論からある程度予測できるが、実際の化学反応には予測が非常に難しいものもある。いくつもの異なる化学反応が同時に起こったり、多様な生成物が得られるフラーレン分子の融合反応がその一例である。実験的に調べようとしても従来の化学分析手法が非常に多数の分子の平均的な挙動を解析するものであるため、多様な生成物が混在する反応に対してはあまり有効でなかった。これに対し、新しいナノテクノロジーの分析技術を用いると、個々の分子の挙動を1つずつ解析してその反応を明らかにできると考えられている。特に、化学反応の途中の原子情報が得られれば、これまで分からなかったさまざまなことが明らかになると期待され、そのような新たな分析技術の開発が待たれている。
有機分子は炭素などの軽い元素でできている。これまでこのような軽い分子の動きを原子レベルで観察するのは非常に困難であった。しかしここ数年、小さい有機分子1つをナノメートルスケールの内部空間を持つカーボンナノチューブに閉じ込めることで分子の動きを観察できるようになり、分子レベルの挙動解析に応用できることが示されてきた。次の目標の1つは、化学反応する1つ1つの分子を原子レベルで可視化することである。これにより他の分析手法では得られなかった知見が得られるとともに、原子レベルでの反応の理解や反応機構の解明に貢献できると期待される。
今回、カーボンナノチューブに閉じ込めたフラーレン分子を低加速電圧、収差補正機構といった電子顕微鏡技術と、高速フーリエ変換を用いた画像処理技術を組み合わせることにより、原子レベルで反応過程を観察することに成功した。また電子顕微鏡技術の開発により極低温(セ氏-269度)や低加速電圧(80 kV)といった、さまざまな環境における高分解能観察が可能になり、分子の挙動や化学反応をコントロールできることを見いだした。
フラーレン分子2個に電子線を照射すると二量化反応が起こることが知られている。本研究では、フラーレン分子(直径0.7~0.8 nm)をカーボンナノチューブ(内径約1.2~1.5 nm)の中に閉じ込め、収差補正機構を備えた電子顕微鏡を用いて、フラーレン分子の二量化反応の様子を原子レベルで観察した。
図1に示すように、カーボンナノチューブの中に閉じ込めたC60フラーレン分子の電子顕微鏡像は、透過像であるため透かし絵のように見える。分解能が上がりよく見えるようになると、カーボンナノチューブ自身の縞模様がC60フラーレン分子自身の模様と重なって現れ、構造解析の妨げとなってしまう。この画像に数学的な処理(高速フーリエ変換など)を施すとチューブの縞模様だけを消すことができ、C60フラーレン分子の模様だけが浮かび上がり、原子レベルでの観察が可能となった。なお、C60フラーレン分子の上下にある2本の線はカーボンナノチューブの壁である。
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図1 カーボンナノチューブの中に閉じ込めたC60フラーレン分子の電子顕微鏡像(上)とナノチューブの縞を消した像(下)
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電子線を照射して二量化反応によって融合していくC60フラーレン分子の変化を観察した電子顕微鏡像を図2に示す。左から右にかけて同じ分子に電子線を照射していくと、二量化反応が進行していく。aの各画像からコントラスト(明暗)を強調した画像bでは分子の中の模様が浮かび上がっている。下段の各画像cは反応中に分子がどのように向き合っているかを示すモデル図である。
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図2(a)電子線照射により二量化がすすみ融合していくC60フラーレン分子の変化を捉えた電子顕微鏡像。左から右にかけて電子線照射量が増加し、化学反応が進行している。
(b)分子のコントラスト(明暗)を強調した画像。
(c)分子のモデル構造。
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電子線を照射してまず最初に分子がくっつくとき、どこの面で結合が形成されるのか、C60フラーレン分子の5角形部分か6角形部分か、あるいは頂点の炭素原子なのか、といった反応途中の情報を得る分析手法はこれまでなかった。実際の顕微鏡像(図2a一番左の図)と電子顕微鏡像のコンピューターシミュレーションの比較を行ったところ、二量化反応の初期段階は、いくつかの結合様式が予想される。多数の構造が考えられる中、図2cに示す[2+2]環化縮合のモデル構造が実験像をうまく説明できることが分かった。これは左側の分子の5角形と6角形の間の辺、右側の分子の6角形と6角形の間の辺どうしが環状の結合を形成した構造をしている。
徐々に電子線を照射して反応がさらに進むとC60フラーレン分子が融合したピーナツ構造が観察された(図2a、左から2番目)。この構造には、5つの異なるモデル構造が予想されたが、分子の中に現れるコントラスト(明暗の模様)から、モデル構造の1つ(図2c、左から2番目)に絞り込むことができた。
さらに電子を照射していくとピーナツ型の分子はチューブ状に変化した(図2a、右から2番目)。チューブはその巻き方(網目模様)から、金属的あるいは半導体的な性質を示すことが知られている。観察されたチューブのコントラストから、金属的性質を示すジグザグ型のチューブであることが分かった。最終的には、最初に生じたピーナツ型よりも少し大きなピーナツ型に変化したが(図2a、一番右)、その像のコントラストはモデル構造から予想されるシミュレーション像のコントラストとよく一致した。
このように、C60フラーレン分子の二量化反応が進むにつれて2つの分子の電子顕微鏡像が変化していく様子から、分子同士が初めに接触した後どのように相互作用し、さらにどのように結合の再構成が起こるかを明らかにすることができた。
これらに加えて、カーボンナノチューブ内に閉じ込めた分子の数(濃度)や温度、金属原子の有無、反応に使われるエネルギーの大きさなど、さまざまな外部要因が化学反応に与える影響を詳細に調べることにより、いろいろな実験条件で原子レベルでの化学反応の可視化が可能であることを示した。
化学反応を原子レベルで観察し、温度、濃度、分子の向き、金属原子の存在、与えるエネルギーなど実験的な環境を調整することで、分子一つひとつの反応を制御し解析できるようになった。今後はこの技術を有機分子や生体分子へ応用することにより、生命の鍵を握る個別分子の反応機構の解明、分子間相互作用の動的な解析、さらには新薬開発など構造化学に基づく分子設計などの幅広い分野での発展が期待される。
M. Koshino, Y. Niimi, E. Nakamura, H. Kataura, T. Okazaki, K. Suenaga, S. Iijima: “Analysis of the reactivity and selectivity of fullerene dimerization reactions at the atomic level” (フラーレン分子の二量化反応における反応性と選択性の原子レベル解析), Nature Chemistry, advanced online publication(2010). http://dx.doi.org/10.1038/nchem.482