独立行政法人 産業技術総合研究所【理事長 吉川 弘之】(以下「産総研」という)ナノカーボン研究センター【研究センター長 飯島 澄男】カーボン計測評価チームの 末永 和知 研究チーム長と劉 崢 研究員および、ナノテクノロジー研究部門【研究部門長 横山 浩】自己組織エレクトロニクス研究グループの片浦 弘道 研究グループ長と柳 和宏 研究員らは、独立行政法人 科学技術振興機構【理事長 沖村 憲樹】(以下「JST」という)と共同で、生体分子一つ一つを電子顕微鏡で観察する手法を考案しました。具体的には、目の網膜内で光により構造変化を起こす「レチナール」という分子を、フラーレン分子と結合させることによりカーボンナノチューブ内に閉じ込め、単分子の構造変化を直接観察することに成功したものです。
レチナール分子には構造上シス形とトランス形があり、光によってシス形からトランス形への構造変化を起こします。その変化が視覚(網膜に入った光が電気信号となり視神経を伝わり脳に伝達される)の第一ステップとされますが、単分子レベルでレチナール分子のシス形とトランス形を識別したのは世界初です。
生体分子をカーボンナノチューブに閉じ込めて観察する手法は、生体機能を原子・分子レベルで解明していくための新しい手段であり、今後幅広い応用が期待されます。
本研究の詳細は、Nature Nanotechnology 2007年7月号(7月1日(英国時間)オンライン公開)に発表される予定です。
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カーボンナノチューブに閉じ込められたレチナール分子。左:シス形、右:トランス形 |
最近の分子生物学においては、生体機能の基礎的理解のために、単一分子を直接観察する単分子イメージング技術の需要が急速に高まっています。電子顕微鏡は光学顕微鏡などと比較すると空間分解能が非常に高く、単分子レベルの構造の観測も可能ですが、生体分子については単分子レベルでの観察の成功例は多くありません。それは、生体分子が電子線によるダメージを受けやすく、観察中のダメージを軽減する手法や、観察するための試料の固定法などが確立されていないためでした。目の網膜内で光を感じて形を変えるレチナール分子など、炭素の二重結合(-C=C-)に起因するシス形とトランス形の構造変化の観察は、視覚のメカニズムを分子レベルで理解する上で非常に重要ですが、高い空間分解能と観察精度が要求されるためこれまでには実現されていませんでした。
産総研は、研究ミッションとして「有機分子・生体分子を含むカーボン物質の原子レベルでの評価技術開発」に取組んでおり、「ナノチューブ内に束縛された原子・分子の構造制御と物性解明」(文部科学省 科学研究費補助金)を目指していました。それらの成果を生かして、特に2006年度からは、JSTの戦略的創造研究推進事業チーム型研究(CREST)「ソフトマターの分子・原子レベルでの観察を可能にする低加速高感度電子顕微鏡開発」(研究代表者:末永 和知)で具体的な装置の開発に取り組んでいます。これらの研究課題では、「有機分子・生体分子を、あたかもその分子模型をみるようにその構造変化を観察する」ことを目標としています。特に、カーボンナノチューブの中に分子を閉じこめ動きを遅くし、かつ、電子線の作用による熱や電荷の発生を抑え、また、隣り合う分子同士の化学反応の可能性をなくすことで、単一分子を直接観察する方法を考案してきました。これらの技術に加えて、本研究では電子顕微鏡の加速電圧を低く保ったままでも空間分解能(電子顕微鏡の解像度)を改善させることができる磁界レンズの球面収差補正技術を導入して、空間分解能を0.21nmから0.14nmにまで向上させました。これらの技術を駆使して単一分子のシス・トランス異性体の識別を試みました。
レチナール分子の構造変化が明瞭に捉えられたことで、同様の機能を持つバイオセンサーの開発や、また他の生体機能を原子・分子レベルで理解することに繋げていく予定です。