発表・掲載日:2007/02/23

小さな分子の形の変化を直接観察

-世界初の有機分子の構造の電子顕微鏡観察:分子の構造変化の動画撮影に成功-


発表概要

 刻々と時間変化する有機分子の一分子一分子の形と運動の直接観察に世界で初めて成功した。研究目的に合わせてまず、細胞膜の主成分である脂質分子に似せた化合物を合成した。これを真空中で揮発させてカーボンナノチューブの中に入れて、高分解能電子顕微鏡で観察すると、飽和炭化水素の鎖の動きや、チューブの中を往復する様子を秒の単位で観察できた。これまで誰も見たことのなかった分子の動きが約一分にわたる動画として記録された。

一分子の有機分子の秒単位の形の変化画像

一分子の有機分子の秒単位の形の変化が約一分にわたる動画として記録された
右下は同一分子の二つの形(模型)を示す


発表内容

 科学技術振興機構 戦略的創造研究推進事業 総括実施型研究(ERATO)中村活性炭素クラスタープロジェクトのもと、研究総括である中村栄一 教授(東京大学)、末永和知 博士(産業技術総合研究所)と東京大学の磯部寛之 助教授の共同研究チームは、小さな有機分子の化学構造を透過型電子顕微鏡(TEM)により観察することに世界で初めて成功した。これまで誰も見たことのなかった分子の動きが約一分にわたる動画として記録された。この研究は、目にも留まらぬ速さで飛び回るハチ(分子)をガラスのチューブ(カーボンナノチューブ)に閉じこめて、ハチが羽根を震わせながら歩き回る様子を観察したようなものといえる。

 「あたかも分子模型を見るがごとくに有機分子の形の変化を観察する」ことは研究者の長年の夢であった。このためにはTEMが最善の手段になるだろうと考えられていたが、観察対象分子が真空中では素早く飛び回ること(一秒間に数十メートル)、また有機分子が電子線照射下で壊れ易いことなどから、実現困難であると考えられてきた。中村教授らの共同研究チームは、これまでの研究では薄膜状の固体として、有機分子を観察してきたことに問題があると考えた(電子線のエネルギーが熱エネルギーとなり、分子同士が反応して分解する)。そこで、分子を真空中に孤立させることで、単一の有機分子が観察できるのではないかと着想した。中村教授らは、カーボンナノチューブのなかに有機分子を閉じこめ動きを遅くし、かつ電子線の作用による熱の発生を抑え、また分子同士の化学反応の可能性をなくすことで、単一分子の直接観察に成功した。実験には解像度2.1オングストローム、加速電圧120kVのTEMを用いた。

 これまでの常識を覆すためには、観察対象とする分子の設計が重要と考えた。共同研究チームは、目印となる分子(ホウ素クラスター)と柔軟な鎖状分子(炭化水素)を結合し、脂質分子に似た特徴的な構造をもつ一連の分子を設計・合成した。0.9nmの直径を持つ細目のナノチューブに分子をとじ込め、固定して、顕微鏡観察下で電子線エネルギー損失スペクトルを取ることによって、ホウ素原子が存在することを確認し、さらに特徴的な分子構造を確認することで、単一小分子の電子顕微鏡による観察が可能であることをまず実証した(図1、2)。顕微鏡の解像度が炭素-炭素結合の長さである1.5オングストロームに及ばないことと、分子が熱運動するために、炭素原子一原子一原子を確認することはできないが、炭素の鎖やホウ素からなる球状部分をはっきりと確認することができる。

 1.2nmの直径を持つ少し太めのチューブに分子を詰めると、分子が動く様を秒単位で直接画像化できることを明らかにした。すなわち、二つの炭化水素鎖を持つ分子の二つの鎖がチューブの中でゆっくり回転する様子が40秒にわたる連続画像(露出時間0.5秒、2.1秒単位撮影)で撮影できた(図3、4とビデオ)。

 この映像で特徴的なのは、炭化水素の鎖が連続的ではなく、ある形からある形へと飛び跳ねるように変化することである。このような現象が実験的に分子レベルで観察されたのは初めてであり、今後の実験および理論研究が待たれる。

 また、1.2nmのチューブ中の分子が、前後に1秒当たり10nm程度の速度で前後に運動する様子も観察された。速度変化をグラフに表すと、速度が頻繁に変化すること、ときおりチューブの一部に引っかかって動きが止まることなどもわかった(図5)。チューブと有機分子の「分子レベルでの摩擦」が分子とグラファイトの相互作用の微妙な変化によって大きく影響を受けることがわかる。

 分子の形の変化が段階的に起きることは、今回の分子設計のモデルとした、脂質分子が細胞膜内で動く時にも、同じように段階的に構造変化していることを予想させるものである。また炭化水素分子が潤滑油として汎用されていることを考えると、潤滑油と固体表面の相互作用も分子レベルでは連続的でないと想像される。つまり、潤滑の現象は無数の分子の相互作用の総和として生じる物理現象として理解されてきたが、今回結果は、一分子一分子のレベルではすべての分子が同時に滑らかに動く訳ではないことがわかる。人間社会の観察(物理としての潤滑現象)が必ずしも、人間一人ひとりの行動予測(今回の観察結果)に役立たないのと似ている。

 電子顕微鏡の改良や分子を一分子一分子固定するための新しい化学的手法の開発により、今後、この単一分子観察手法がさまざまな有機分子や無機分子に適用され、これまで知られていなかった分子一つ一つの挙動の解明に役立つと期待される。ERATO中村活性炭素クラスタープロジェクトでは、分子をみるために特化した電子顕微鏡開発を進めている。昨年、産業技術総合研究所内に観察対象を零下269度まで冷却するなどのさまざまな工夫を凝らした最新鋭電子顕微鏡が設置された(図6)。

 この研究成果は、中村活性炭素クラスタープロジェクトのもと、研究総括である中村栄一教授(東京大学)、末永和知博士(産業技術総合研究所)と東京大学の磯部寛之助教授の共同研究チームが文部科学省科研費補助金(萌芽研究)も使って行ったものであり、米国科学振興協会(AAAS)発行のサイエンス(Science)誌の電子速報版Science Expressで公開、その後、同誌のウエッブサイトおよび印刷版で公開される。
http://www.sciencemag.jp/contribinfo/geneinfo.html

炭素鎖長12の一重鎖を持つ分子の電子顕微鏡観察像とモデル図サムネイル画像
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いくつかの分子の電子顕微鏡観察像、モデル図とシュミレーション図サムネイル画像
図2へ
炭素鎖長22の二重鎖をもつ分子の連続観察像サムネイル画像
図3へ
炭素鎖長22の二重鎖をもつ分子の連続観察像サムネイル画像
図4へ
炭素鎖長12の二重鎖をもつ分子の電子顕微鏡観察像とモデル図サムネイル画像
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最新鋭電子顕微鏡の写真サムネイル画像
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発表雑誌

サイエンス(Science)誌、論文名:Imaging of single organic molecules in motion(動く単一有機分子の画像化)

添付資料


炭素鎖長12の一重鎖を持つ分子の電子顕微鏡観察像とモデル図
図1.カーボンナノチューブに閉じこめられた、炭素鎖長12の一重鎖を持つ分子の電子顕微鏡観察像(上)とモデル図(下)。バーの長さは1ナノメートル。モデルの原子はピンクがホウ素、灰色が炭素、白が水素。[参照元へ戻る]


いくつかの分子の電子顕微鏡観察像、モデル図とシュミレーション図
図2.いくつかの分子の電子顕微鏡観察像(A-D)、モデル図(E-F)とシュミレーション図(I-J)。(A, E, I)炭素鎖長12の一重鎖を持つ分子。バーの長さは1ナノメートル。(B, F, J)炭素鎖長12の二重鎖を持つ分子。(C, G, K)炭素鎖長22の一重鎖を持つ分子。(D, H, L)炭素鎖長22の二重鎖を持つ分子。(M, N, O, P)分子とチューブの電子顕微鏡像からチューブの像を差し引いて求めた分子像(上)と同様の処理をシュミレーションで行った図。数値は、顕微鏡像に写っている物質の質量と一定の関係を示すことが知られている、画像の濃さの比。[参照元へ戻る]


炭素鎖長22の二重鎖をもつ分子の連続観察像
図3.(A)炭素鎖長22の二重鎖をもつ分子の連続観察像。分子がカーボンナノチューブのなかで動き、回転する様子が見て取れる。図の下の数字は観察開始からの時間(秒)。バーの長さは1ナノメートル。(B)観察開始から4.2秒後の分子のモデル図。(C)観察開始から6.3秒後の分子のモデル図。[参照元へ戻る]


炭素鎖長22の二重鎖をもつ分子の連続観察像
図4.(A)炭素鎖長22の二重鎖をもつ分子の連続観察像。分子がカーボンナノチューブのなかで動き、回転する様子が見て取れる。図の下の数字は観察開始からの時間(秒)。バーの長さは1ナノメートル。[参照元へ戻る]


炭素鎖長12の二重鎖をもつ分子の電子顕微鏡観察像とモデル図
図5.炭素鎖長12の二重鎖をもつ分子の電子顕微鏡観察像とモデル図。分子がカーボンナノチューブのなかで動き、移動する様子が見て取れる。図の下の数字は観察開始からの時間(秒)。バーの長さは1ナノメートル。[参照元へ戻る]-


最新鋭電子顕微鏡の写真-
図6.中村活性炭素クラスタープロジェクトで開発している最新鋭電子顕微鏡(日本電子社製)。「分子をみる」ために特化した世界初の顕微鏡。より精度良く観察するために、観察対象を零下269度(液体ヘリウム温度)まで冷却できるなどさまざまな工夫がなされている。今後、分子の新しい世界が見えてくると期待される。[参照元へ戻る]


用語の説明

◆電子顕微鏡
電子顕微鏡:観察対象に電子をあてて拡大像を得る顕微鏡。1931年にベルリン工科大学のマックス・クノールとエルンスト・ルスカ(1986年ノーベル物理学賞)により初めて開発された。観察対象を透過してきた電子を利用して観察する透過型電子顕微鏡(TEM)や、反射した電子を利用する走査型電子顕微鏡(SEM)などがある。これまでウィルスやたんぱくなど比較的大きな生体分子の観察に利用されてきたが、小分子を直接観察することは実現できていなかった。[参照元へ戻る]
◆カーボンナノチューブ
飯島澄男(産総研 ナノカーボン研究センター長)が1991年に発見した、ダイヤモンド、非晶質、グラファイト、フラーレンに次ぐ5番目の炭素材料。グラファイトシートが直径数ナノ(10億分の1)メートルに丸まった極細チューブ状構造を有している。カーボンナノチューブはその丸まり方、太さ、端の状態などによって、電気的、機械的、化学的特性などに多様性を示し、次世代産業に不可欠なナノテクノロジー材料として、現在、世界中で最も注目されている材料である。[戻る]

 



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