独立行政法人 産業技術総合研究所【理事長 吉川 弘之】(以下「産総研」という)エレクトロニクス研究部門【部門長 和田 敏美】とキヤノンアネルバ株式会社【代表取締役社長 今村 有孝】(以下「キヤノンアネルバ」という)は、超高密度ハードディスクの読み出し磁気ヘッドとして有望視されるトンネル磁気抵抗素子(Tunneling Magneto-Resistance(TMR)素子)の飛躍的な性能向上およびその量産化技術の開発に成功した。
産総研とキヤノンアネルバが2004年に共同開発した酸化マグネシウム(MgO)をトンネル障壁に用いたTMR素子(以下「MgO-TMR素子」という)の作製法を改良し、磁気ヘッド応用に不可欠な低抵抗TMR素子を開発した。この素子は、1平方ミクロン当たりの素子抵抗が0.4Ω(µm)2(従来の5分の1)であり、かつ57%という高い磁気抵抗比を両立している。低い素子抵抗は高速データ転送に不可欠であるが、これまで1Ω(µm)2以下の低抵抗TMR素子の実現は困難だった。
今回開発した高性能MgO-TMR素子は、磁気ヘッドの生産現場で標準的に用いられている
スパッタ装置をそのまま利用することで実現でき、製造設備への負担は少ない。今回の成果は、1平方インチ当たりの
記録密度が500
ギガビット以上(現在の4倍以上)の次々世代ハードディスクにまで対応できる技術であり、新型TMR素子が次世代磁気ヘッドの最有力候補となったといえる。今後は、情報家電や携帯機器の高性能化、例えば携帯機器による高画質映画の録画再生などを可能とする技術として期待される。
この詳細は、2006年5月8~12日に米国サンディエゴで開催される国際会議「INTERMAG 2006(インターマグ)」で発表予定である(発表日:5月10日、講演番号:DD-08)。
1988年に磁性金属多層膜の巨大磁気抵抗効果(GMR効果)が発見され、この現象を利用したハードディスクの読み出し磁気ヘッド(GMRヘッド)が98年に製品化された【図1参照】。GMRヘッドはそれ以前の磁気ヘッド(MRヘッド)に比べて非常に出力性能(磁気抵抗比)が高かったため、ハードディスクの記録密度の飛躍的な上昇(一時は年率2倍の伸び)と低価格化が可能となり、現在までに1平方インチ当たり100ギガビットを越える高記録密度のハードディスクが実現されている【図2参照】。現在、ハードディスクの用途はパソコンやサーバーに限定されず、ビデオレコーダーやカーナビ、デジカメ、携帯機器などへも用途が広がっている。ただし、GMRヘッドは磁気抵抗比が15%程度しかないためにこれ以上の高密度記録に対応するのは困難であり、現在はGMR効果よりも磁気抵抗比が高いTMR効果【図3参照】を用いたTMRヘッドが主流となっている。しかし今後のハードディスクの発展に目を転じると、トンネル障壁に酸化アルミニウムを用いた現在最先端のTMRヘッドでも磁気抵抗比が20%~30%しかないため、今後2~3年以内に限界が来ると予想される。また、現状のTMRヘッドは素子抵抗が2~3Ω(µm)2と高い。このため、信号読み出し回路とのインピーダンス整合の関係上、データ転送速度(読み出し速度)の高速化が今後困難になるという深刻な問題を抱えている。これらの問題を解決する次世代技術の候補として、(1) 酸化マグネシウム(MgO)を用いた新型TMRヘッド、(2)GMR素子の膜厚に垂直な方向に電流を流すCPP-GMRヘッド、という2種類の磁気ヘッドが提案され、現在盛んに研究開発が行われている。
図1(A):ハードディスクの構造
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図1(B):磁気ヘッドの構造
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(a) 磁石の向きが平行なとき
素子の電気抵抗(RP):小さい
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(b) 磁石の向きが反平行なとき
素子の電気抵抗(RA):大きい
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磁気抵抗比 = (RA - RP ) ÷ RP(%)
素子抵抗 = RP(Ω(µm)2)
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図3: TMR素子のトンネル磁気抵抗効果(TMR効果)
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1平方インチ当たり500ギガビットを越える次々世代ハードディスク用の磁気ヘッドに要求される重要な条件は、(i)記録ビットからの弱い磁界信号を検出するための磁気抵抗比の増大(磁気抵抗比50%以上)、(ii)データ転送速度を高速化するための素子抵抗の低減(素子抵抗1Ω(µm)2以下)であり、この二つの条件を両立させる技術の開発が求められている【図4参照】。CPP-GMRヘッドは現状では、(ii)素子抵抗は0.1~0.5Ω(µm)2程度であり丁度良いが、(i)磁気抵抗比が約10%以下しかなく、今後も磁気抵抗比の飛躍的な増大は非常に困難な状況にある。一方、2005年4月に産総研とキヤノンアネルバは共同で、酸化マグネシウム(MgO)をトンネル障壁に用いた磁気ヘッド用TMR素子を開発し、(i)138%という高い磁気抵抗比と、(ii)2.4Ω(µm)2という比較的低い素子抵抗を同時に実現することに成功した*。しかし、素子抵抗を1Ω(µm)2以下に下げると磁気抵抗比が10%以下にまで下がってしまうことが問題として残っていた。このため、(i)と(ii)の条件を両立する次世代磁気ヘッド素子の開発が強く求められていた。
*2005年3月31日 発表(プレスリリース) 磁気ヘッドに最適な高性能TMR素子を開発
(1)非常に低い素子抵抗と高い磁気抵抗比を同時に実現
磁気ヘッドの製造現場で標準的に用いられているスパッタ装置(キヤノンアネルバ製C-7100【図5参照】)を用いて、大径シリコン基板(熱酸化シリコン下地)の上にMgO-TMR素子をスパッタ成膜により作製した。TMR素子の素子抵抗を1Ω(µm)2以下まで下げるためには、MgOトンネル障壁の厚さを1ナノメートル(1 nm:10億分の1メートル、わずか原子5個分)以下まで薄くしなければならない。前回、同じ装置を用いてMgO-TMR素子を作製した際は、MgOトンネル障壁を1ナノメートル以下まで薄くすると下地のCoFeB電極表面が過剰に酸化され、MgOの結晶の品質も低下してしまうという問題のために、磁気抵抗比が減少したものと考えられた。そこで今回は、MgO成膜時に不純ガス(特に水分子(H2O))を徹底的に除去する工夫を施した。具体的には、水分子を強く吸着する性質のある金属層(タンタル)を予めスパッタ装置内に堆積しておくことによって、不純ガス濃度が極めて低い環境下でMgOトンネル障壁を作製することができた。この工夫により、下地電極層の過剰酸化の抑制とMgO結晶の高品質化に成功した。図6は作製したTMR素子の断面を示す電子顕微鏡写真である。このようにして作製した新型TMR素子によって、わずか0.4Ω(µm)2という極めて低い素子抵抗(従来の5分の1)と、57%という高い磁気抵抗比を同時に実現することに成功した【図4、図7参照】。
図5:磁気ヘッド生産用スパッタ装置
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図6:作製したTMR素子の断面を示す電子顕微鏡写真
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図7:超低抵抗MgO-TMR素子の諸特性
素子抵抗: 0.4Ω(µm)2
磁気抵抗比:57 %(室温)
素子サイズ:70 nm×170 nm
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(2)次々世代の超高密度ハードディスクにまで対応できる磁気ヘッド技術
次世代磁気ヘッドの座をめぐるTMRヘッドとCPP-GMRヘッドの間の開発競争は、昨年までは全く混沌とした状態にあった。従来型TMR素子を用いたTMRヘッドが、CPP-GMRヘッドに先んじて製品化されたものの、「TMR素子の素子抵抗を1Ω(µm)2以下に下げることは技術的に困難であり、500 Gbit/in2の次々世代ハードディスクには対応できない」という見解も根強く残っていた。しかし、今回の超低抵抗MgO-TMR素子の実現により、記録密度500 Gbit/in2以上の超高密度ハードディスクがより確実なものとなった。今回の成果により、今後の次世代磁気ヘッドの開発はMgO-TMR素子を中心に展開していくことになるものと予想される。
本研究開発は、独立行政法人 新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)ナノテク・先端部材実用化研究開発(ナノテク・チャレンジ)の「超高密度HDDのためのナノオーダー制御高性能トンネル磁気抵抗素子の開発」の一環として行われたものである。今回はキヤノンアネルバが薄膜作製を行い、産総研において素子加工と評価を行った。
今後とも両者の共同研究体制により、次のような課題に取組んでいく予定である。
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磁気ヘッドに要求されるその他の特性(耐久性など)の評価
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MgOトンネル障壁の平坦性の向上
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磁気ヘッド加工法の改良