発表・掲載日:2006/05/09

超高密度ハードディスク用の高性能TMR素子を開発

-1平方インチ当たり500ギガビット以上の高密度記録に対応できる磁気ヘッド技術-

ポイント

  • 次世代の超高密度ハードディスクには、低い素子抵抗と高い磁気抵抗比を兼ね備えた高性能な磁気ヘッドが不可欠であるが、その両立はこれまで困難だった。
  • 酸化マグネシウム(MgO)を用いたTMR素子の作製法を改良し、非常に低い素子抵抗(1平方ミクロン当たり0.4Ω)と高い磁気抵抗比(57%)を併せ持つTMR素子の開発に成功した。
  • 記録密度が現在の4倍以上(1平方インチ当たり500ギガビット以上)のハードディスクの高速再生が可能となり、MgOを用いたTMR磁気ヘッドが次世代技術の最有力候補となった。

概要

次世代磁気ヘッドに要求される特性と今回の成果の図
次世代磁気ヘッドに要求される特性と今回の成果

 独立行政法人 産業技術総合研究所【理事長 吉川 弘之】(以下「産総研」という)エレクトロニクス研究部門【部門長 和田 敏美】とキヤノンアネルバ株式会社【代表取締役社長 今村 有孝】(以下「キヤノンアネルバ」という)は、超高密度ハードディスクの読み出し磁気ヘッドとして有望視されるトンネル磁気抵抗素子(Tunneling Magneto-Resistance(TMR)素子)の飛躍的な性能向上およびその量産化技術の開発に成功した。

 産総研とキヤノンアネルバが2004年に共同開発した酸化マグネシウム(MgO)をトンネル障壁に用いたTMR素子(以下「MgO-TMR素子」という)の作製法を改良し、磁気ヘッド応用に不可欠な低抵抗TMR素子を開発した。この素子は、1平方ミクロン当たりの素子抵抗が0.4Ω(µm)2(従来の5分の1)であり、かつ57%という高い磁気抵抗比を両立している。低い素子抵抗は高速データ転送に不可欠であるが、これまで1Ω(µm)2以下の低抵抗TMR素子の実現は困難だった。

 今回開発した高性能MgO-TMR素子は、磁気ヘッドの生産現場で標準的に用いられているスパッタ装置をそのまま利用することで実現でき、製造設備への負担は少ない。今回の成果は、1平方インチ当たりの記録密度が500ギガビット以上(現在の4倍以上)の次々世代ハードディスクにまで対応できる技術であり、新型TMR素子が次世代磁気ヘッドの最有力候補となったといえる。今後は、情報家電や携帯機器の高性能化、例えば携帯機器による高画質映画の録画再生などを可能とする技術として期待される。

 この詳細は、2006年5月8~12日に米国サンディエゴで開催される国際会議「INTERMAG 2006(インターマグ)」で発表予定である(発表日:5月10日、講演番号:DD-08)。



研究の背景と経緯

 1988年に磁性金属多層膜の巨大磁気抵抗効果(GMR効果)が発見され、この現象を利用したハードディスクの読み出し磁気ヘッド(GMRヘッド)が98年に製品化された【図1参照】。GMRヘッドはそれ以前の磁気ヘッド(MRヘッド)に比べて非常に出力性能(磁気抵抗比)が高かったため、ハードディスクの記録密度の飛躍的な上昇(一時は年率2倍の伸び)と低価格化が可能となり、現在までに1平方インチ当たり100ギガビットを越える高記録密度のハードディスクが実現されている【図2参照】。現在、ハードディスクの用途はパソコンやサーバーに限定されず、ビデオレコーダーやカーナビ、デジカメ、携帯機器などへも用途が広がっている。ただし、GMRヘッドは磁気抵抗比が15%程度しかないためにこれ以上の高密度記録に対応するのは困難であり、現在はGMR効果よりも磁気抵抗比が高いTMR効果【図3参照】を用いたTMRヘッドが主流となっている。しかし今後のハードディスクの発展に目を転じると、トンネル障壁に酸化アルミニウムを用いた現在最先端のTMRヘッドでも磁気抵抗比が20%~30%しかないため、今後2~3年以内に限界が来ると予想される。また、現状のTMRヘッドは素子抵抗が2~3Ω(µm)2と高い。このため、信号読み出し回路とのインピーダンス整合の関係上、データ転送速度(読み出し速度)の高速化が今後困難になるという深刻な問題を抱えている。これらの問題を解決する次世代技術の候補として、(1) 酸化マグネシウム(MgO)を用いた新型TMRヘッド、(2)GMR素子の膜厚に垂直な方向に電流を流すCPP-GMRヘッド、という2種類の磁気ヘッドが提案され、現在盛んに研究開発が行われている。

ハードディスクの構造図

図1(A):ハードディスクの構造
 
  磁気ヘッドの構造図

図1(B):磁気ヘッドの構造
 

ハードディスクの記録密度の磁気ヘッドの種類の図
図2:ハードディスクの記録密度の磁気ヘッドの種類

TMR素子のトンネル磁気抵抗効果の図
(a) 磁石の向きが平行なとき
素子の電気抵抗(RP):小さい
 
(b) 磁石の向きが反平行なとき
素子の電気抵抗(RA):大きい
 
磁気抵抗比 = (RA RP ) ÷ RP(%)

素子抵抗 = RP(Ω(µm)2

図3: TMR素子のトンネル磁気抵抗効果(TMR効果)

 1平方インチ当たり500ギガビットを越える次々世代ハードディスク用の磁気ヘッドに要求される重要な条件は、(i)記録ビットからの弱い磁界信号を検出するための磁気抵抗比の増大(磁気抵抗比50%以上)、(ii)データ転送速度を高速化するための素子抵抗の低減(素子抵抗1Ω(µm)2以下)であり、この二つの条件を両立させる技術の開発が求められている【図4参照】。CPP-GMRヘッドは現状では、(ii)素子抵抗は0.1~0.5Ω(µm)2程度であり丁度良いが、(i)磁気抵抗比が約10%以下しかなく、今後も磁気抵抗比の飛躍的な増大は非常に困難な状況にある。一方、2005年4月に産総研とキヤノンアネルバは共同で、酸化マグネシウム(MgO)をトンネル障壁に用いた磁気ヘッド用TMR素子を開発し、(i)138%という高い磁気抵抗比と、(ii)2.4Ω(µm)2という比較的低い素子抵抗を同時に実現することに成功した。しかし、素子抵抗を1Ω(µm)2以下に下げると磁気抵抗比が10%以下にまで下がってしまうことが問題として残っていた。このため、(i)と(ii)の条件を両立する次世代磁気ヘッド素子の開発が強く求められていた。

*2005年3月31日 発表(プレスリリース) 磁気ヘッドに最適な高性能TMR素子を開発

次世代の磁気ヘッドに要求される特性図
図4:次世代の磁気ヘッドに要求される特性

成果の内容

(1)非常に低い素子抵抗と高い磁気抵抗比を同時に実現

 磁気ヘッドの製造現場で標準的に用いられているスパッタ装置(キヤノンアネルバ製C-7100【図5参照】)を用いて、大径シリコン基板(熱酸化シリコン下地)の上にMgO-TMR素子をスパッタ成膜により作製した。TMR素子の素子抵抗を1Ω(µm)2以下まで下げるためには、MgOトンネル障壁の厚さを1ナノメートル(1 nm:10億分の1メートル、わずか原子5個分)以下まで薄くしなければならない。前回、同じ装置を用いてMgO-TMR素子を作製した際は、MgOトンネル障壁を1ナノメートル以下まで薄くすると下地のCoFeB電極表面が過剰に酸化され、MgOの結晶の品質も低下してしまうという問題のために、磁気抵抗比が減少したものと考えられた。そこで今回は、MgO成膜時に不純ガス(特に水分子(H2O))を徹底的に除去する工夫を施した。具体的には、水分子を強く吸着する性質のある金属層(タンタル)を予めスパッタ装置内に堆積しておくことによって、不純ガス濃度が極めて低い環境下でMgOトンネル障壁を作製することができた。この工夫により、下地電極層の過剰酸化の抑制とMgO結晶の高品質化に成功した。図6は作製したTMR素子の断面を示す電子顕微鏡写真である。このようにして作製した新型TMR素子によって、わずか0.4Ω(µm)2という極めて低い素子抵抗(従来の5分の1)と、57%という高い磁気抵抗比を同時に実現することに成功した【図4、図7参照】。

磁気ヘッド生産用スパッタ装置の写真
図5:磁気ヘッド生産用スパッタ装置
 
 
作製したTMR素子の断面を示す電子顕微鏡写真
図6:作製したTMR素子の断面を示す電子顕微鏡写真
 

超低抵抗MgO-TMR素子の諸特性図
図7:超低抵抗MgO-TMR素子の諸特性
素子抵抗: 0.4Ω(µm)2
磁気抵抗比:57 %(室温)
素子サイズ:70 nm×170 nm

(2)次々世代の超高密度ハードディスクにまで対応できる磁気ヘッド技術

 次世代磁気ヘッドの座をめぐるTMRヘッドとCPP-GMRヘッドの間の開発競争は、昨年までは全く混沌とした状態にあった。従来型TMR素子を用いたTMRヘッドが、CPP-GMRヘッドに先んじて製品化されたものの、「TMR素子の素子抵抗を1Ω(µm)2以下に下げることは技術的に困難であり、500 Gbit/in2の次々世代ハードディスクには対応できない」という見解も根強く残っていた。しかし、今回の超低抵抗MgO-TMR素子の実現により、記録密度500 Gbit/in2以上の超高密度ハードディスクがより確実なものとなった。今回の成果により、今後の次世代磁気ヘッドの開発はMgO-TMR素子を中心に展開していくことになるものと予想される。

 本研究開発は、独立行政法人 新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)ナノテク・先端部材実用化研究開発(ナノテク・チャレンジ)の「超高密度HDDのためのナノオーダー制御高性能トンネル磁気抵抗素子の開発」の一環として行われたものである。今回はキヤノンアネルバが薄膜作製を行い、産総研において素子加工と評価を行った。

今後の予定

 今後とも両者の共同研究体制により、次のような課題に取組んでいく予定である。

  • 磁気ヘッドに要求されるその他の特性(耐久性など)の評価
  • MgOトンネル障壁の平坦性の向上
  • 磁気ヘッド加工法の改良


用語の説明

◆(ハードディスクの)読み出し磁気ヘッド【図1参照】
ハードディスクの記録媒体上に磁気記録された情報を読み出すために用いられる磁気センサーを磁気ヘッドと呼ぶ。記録媒体上に「磁区」として記録されたデジタル情報パターンから生じる微小な磁界を磁気ヘッドによって検出し、電気信号に変換して情報の読み出しを行う。微小磁界を高い感度で電気信号に変換するために、GMRヘッドやTMRヘッドといった高性能な磁気ヘッドが開発されている。読み出し磁気ヘッドが高性能になればなるほど、微小な磁界信号の検出が可能となるため、ハードディスクの記録密度を上げることが可能となる。[参照元へ戻る]
◆トンネル磁気抵抗素子(TMR素子)、トンネル障壁、磁気抵抗比、TMR効果、TMRヘッド【図3参照】
厚さ数ナノメートル以下の非常に薄い絶縁体(トンネル障壁という)を2枚の強磁性金属の電極で挟んだ素子をトンネル磁気抵抗素子(TMR素子)という。2つの強磁性電極の磁化の相対的な向きが平行な時と反平行な時で、TMR素子の電気抵抗が変化する。この現象をトンネル磁気抵抗効果(TMR効果)と呼ぶ。また、この時の電気抵抗が変化する割合を百分率で表したものを磁気抵抗比と呼ぶ。TMR素子はMRAM (Magnetoresistive Random Access Memory。TMR素子を用いたコンピュータ用メモリがMRAMである。)の記憶素子に用いられるほか、ハードディスクの読み出し磁気ヘッド(TMRヘッド)にも応用できる。トンネル障壁の絶縁体として従来は酸化アルミニウム(Al-O)が用いられてきたが、2004年に産総研が酸化マグネシウム(MgO)を用いて巨大なTMR効果を実現して以来、MgO-TMR素子が研究開発の主流となっている。[参照元へ戻る]
◆ 酸化マグネシウム、酸化アルミニウム
従来型TMR素子のトンネル障壁に用いられてきた酸化アルミニウムは、原子配列が不規則なアモルファス物質である。一方、新型TMR素子のトンネル障壁材料である酸化マグネシウムは、原子が規則的に配列した結晶の性質を持つ。このため、電子が散乱されずに直進できることによって、より大きなトンネル磁気抵抗効果を得ることができる。[参照元へ戻る]
◆ 低抵抗TMR素子、素子抵抗【図3参照】
TMR素子やCPP-GMR素子の電気抵抗の値(平行磁化状態のときの値RPを用いる)を素子抵抗という。通常、素子面積1平方ミクロン当たりの電気抵抗値で表す(「Ω(µm)2」という単位を用いる)。TMR素子の場合、トンネル障壁の厚さを変えることによって、1平方ミクロン当たり数Ωから数メガΩあるいは数ギガΩまで素子抵抗を変えることが可能である。磁気ヘッド応用のためには、素子抵抗が1平方ミクロン当たり4 Ω以下の低抵抗TMR素子が必要となる。一方、MRAM応用のためには、1平方ミクロン当たり100Ωから10kΩ程度の比較的高い素子抵抗が最適である。[参照元へ戻る]
◆ スパッタ装置、スパッタ成膜【図5参照】
真空容器内に導入したAr(アルゴン)等の不活性ガスに高電圧を印加してプラズマを作り、電界をかけて加速したプラズマ中のイオン(Ar+イオン)を、ターゲット(成膜材料)に突入させる事によりターゲットから叩き出された粒子が基板に付着する現象を利用して薄膜を作る方法およびその装置。蛍光灯のガラス端部が黒くなるのは、スパッタ効果により電極材料がガラス内壁に付着するためである。[参照元へ戻る]
◆(ハードディスクの)記録密度【図1,2参照】
ハードディスクでは、“0”、“1”のデジタル情報を磁気ディスク上に2次元的に記録する。その記録密度は、1平方インチの面積当たりの記録ビット数で表される(「bit/in2」という単位を用いる)。現在の最先端のハードディスクでは、記録密度が1平方インチ当たりの100ギガビットを越えている。[参照元へ戻る]
◆ギガビット(Gbit)
“ bit(ビット)”は情報量の最小単位で、2進法の1桁(つまり“0”か“1”)である。“ G ”(ギガ)は109、つまり10億のことである。[参照元へ戻る]
◆巨大磁気抵抗効果(GMR効果)、GMRヘッド、CPP-GMRヘッド
厚さ数ナノメートルの非磁性金属層(通常は銅を用いる)を2枚の強磁性層で挟んだ磁性金属多層膜に、電流を薄膜の面内方向に流すと、2枚の強磁性層の磁化の向きが平行なときと反平行なときで薄膜の電気抵抗が変化する。この現象を利用すれば、外部磁界の方向を電気抵抗の変化として検出することが出来る。すなわち、GMR素子は磁界信号を電気信号に変換する磁気センサーであるため、ハードディスクの読み出しヘッドに用いることができる【図1参照】。これはGMRヘッドと呼ばれ1998年に実用化されたが、現在はTMR素子を用いたTMRヘッドが主流となっている。一方、次世代の磁気ヘッドの候補として、GMR素子の膜面に垂直方向に電流を流す「CPP-GMRヘッド」の研究開発も行われている。[参照元へ戻る]

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