産総研マガジンは、企業、大学、研究機関などの皆さまと産総研をつなぎ、 時代を切り拓く先端情報を紹介するコミュニケーション・マガジンです。

「観察する」を極める。

「観察する」を極める。

2023/03/15

「観察する」を極める。 同位体を原子レベルで識別・可視化することに成功

顕微鏡と千賀さんの写真
    KeyPoint ナノメートルサイズの材料を安全かつ効果的に利用したり、性能を向上させたりするためには、その性質を詳しく知ることが必要不可欠だ。これまでは、ナノ材料の小ささから一定程度の量がある集合体から平均的な数値を計測するしかなく、測定できる試料にも限りがあった。産総研は、2019年に新たに開発した透過型電子顕微鏡を使って、これまでと比べて分解能が2桁高い10 nm以下の範囲でナノ材料の物性計測を可能にした。さらに2022年には、その透過型電子顕微鏡を用いて、さまざまな物質や生体・化学反応の変化や分散の過程を追うためなどに使われる「同位体」を原子レベルで識別することに世界で初めて成功した。その研究開発の過程をたどる。
    Contents

    透過型電子顕微鏡による同位体検出は不可能なのか!?

     ミクロやナノの世界は、研究者の探求心と技術の発達で少しずつ可視化されてきた。1930年代に実用化された電子顕微鏡は、原理的には0.1ナノメートル(nm)以下の分解能を持ち、生物学、物理学、化学、工学などさまざまな分野で活用されている。現在では高分解能の電子顕微鏡を用いれば、原子レベルの大きさのものも観察可能だ。例えば、高精度の透過型電子顕微鏡(TEM)は結晶中の原子の配列や欠陥の観察や電子線が試料を通過する際に失うエネルギーを計測して試料に含まれる元素や電子の状態を調べる、といったこともできるようになった。

     ナノ材料研究部門電子顕微鏡グループの千賀亮典は、「これまでの透過型電子顕微鏡は、原子を観察してその構造を調べることが基本的な使われ方でした。ナノテクノロジーの分野でも顕微鏡観察は不可欠ですが、弱点の一つが同じ種類の元素の『同位体』は識別できないということでした」と語る。

     同位体とは、陽子の数が同じで中性子の数が異なる元素のことで、本来の原子と化学的な性質はほとんど変わらず、質量数だけが異なる。

    炭素の安定同位体の模式図
    炭素の安定同位体、12Cと13C の比較

     原子や分子の構造がわかるほどの高い分解能を誇る透過型電子顕微鏡でも、同位体を識別できないと考えられていた。透過型電子顕微鏡の像には原子の荷電状態が反映されるのだが、電荷を持たない中性子の数は像に反映されないため、中性子の数が異なる同位体を区別することはできないとされていたのだ。

     このことは透過型電子顕微鏡の持つ原理的な制約と考えられてきたのだが、千賀たちのグループは、放出電子のエネルギーをそろえる技術を利用し、中性子一つ分の重さの違いを原子の振動エネルギーの差として検出することで、高い空間分解能で同位体元素を検出する技術を開発することに成功した(2022/3/3プレスリリース記事)。これは、レーザーや放射線を使った既存の同位体検出技術よりも1~2桁以上高い性能だ。

    グラフェンの「格子振動」を世界で初めて計測する

     なぜ透過型電子顕微鏡で同位体識別が可能になったのか。

     結晶中の原子が振動する「格子振動」という現象が知られている。格子振動を正確に計測するとナノ材料の熱物性を検証することもでき、材料の性質を詳細に理解するには欠かせない。

     「格子振動を捉えるためには、まず高いエネルギー分解能と空間分解能を持つ装置で、かつ十分な信号が得られる条件を達成しなければなりません。エネルギー分解能に関しては、電子顕微鏡メーカーの日本電子株式会社と共同で、ある特定の波長の光のみを取り出せるモノクロメーターを搭載した低加速の電子顕微鏡を開発し、世界最高レベルのエネルギー分解能を達成することができました。しかし、空間分解能の向上や計測できる信号の量が課題となっていたのです」と、千賀は当時を振り返る。

     格子振動そのものは、これまでも他の分光法で計測されていた。だが、従来の方法で計測できる試料は数マイクロメートル(µm)から1ミリメートル(mm)程度と大きく、試料にも一定の厚みが必要だ。例えば、新しいナノ材料として注目されているグラフェンは厚みがほぼ原子1個分、1 nmほどしかなく、格子振動の計測は不可能だった。

     さらに、隣り合う原子がすべて炭素という非極性物質であることが、グラフェンの格子振動解析を阻む要因ともなっていた。従来の分光法では、すべて同じ原子からなるグラフェンのように、電子の配置に偏りの無い非極性物質の格子振動は計測できなかったのである。

    六角形格子構造を持つ炭素でできたシート状の物質のイメージ図
    グラフェンは六角形格子構造を持つ炭素でできたシート状の物質。格子振動(原子の振動によって生じる波)をとらえる(イメージ)

     しかし、千賀たちのグループは、モノクロメーターを搭載した透過型電子顕微鏡を使った実験を、ウィーン大学、ローマ・ラ・サピエンツァ大学、日本電子株式会社と共同で続けた。

     「なんとかしてグラフェンのような非極性物質の信号を計測したいと考えていたのです。透過型電子顕微鏡では、照射した電子線はほとんどの場合、真っすぐ下に透過しますが、まれに電子が原子核のすぐ近くを通ると、引力に引き寄せられて、曲がって遠くに散乱するという現象が起こります。その量は微量すぎて、そこから意味のある信号は取れないと考えられていました。ところが、実験と計算を重ねることで、電子の雲と原子核との間に、格子振動に起因する電気的な力が働いていることを突き止めたのです。この電気的な力の検出で、振動自体の信号を検出できるようになりました」

     この研究により、隣り合う原子の極性の有無によらず、あらゆる物質の格子振動を計測できることが判明した。この研究成果は2019年8月の学術誌Natureに掲載され、大きな反響を呼んだ。(2019/08/13 プレスリリース記事

    散乱した微量な電子から格子振動に起因する電気的な力を検出するの図
    まっすぐ下に過透した電子ではなく、散乱された微量な電子から格子振動に起因する電気的な力を検出する

     「大型の円形加速器シンクロトロンを使えば格子振動の計測はできますが、例えば日本のシンクロトロン『SPring-8』の直径は約500 mもあって、ちょっとした実験をするにも大変な準備が必要です。ある研究者はこの研究を『卓上シンクロトロン』と呼んでくれました。実験室サイズの顕微鏡で格子振動が観察できる。私たちの研究は、電子顕微鏡の新しい使い方を示したという意義もあったと考えています」

     千賀たちはさらに研究を継続し、3年後、同じくNatureで論文「格子振動計測の手法を応用した同位体元素の識別」を発表した。

    中性子一つ分の重さの違いを振動エネルギーの差として検出

    顕微鏡に資料をセットする千賀の写真
    高さ3.5 mほどもある顕微鏡に、慎重に試料をセットする。

     同じ原子でも質量が異なる同位体が、乾板写真をつかって初めて観察されたのが1897年のことである。後に、この質量の差は原子核の中にある中性子の数によるものということが解明され、さまざまな計測手法が開発された。今では、十分な量の試料があれば、高い精度で同位体の性質が測定できるようになった。現在では、例えば同じ分子でも同位体の割合が地域ごとに異なることを利用して食品の産地を特定したり、化石の年代推定や生態系の分析するにも、同位体の計測は欠かせない。さらに、化学反応中の分子の動きを知るにも、同位体は重要な手がかりになる。ただ、常に十分な量の試料を確保できるとは限らない。美術品や微小な化石などを分析する際は、ごく微量のサンプルからわずかな同位体を検出する必要がある。さらに既存技術では、数十から数百nm程度の分解能が一般的で、0.1 〜10 nmの単原子や単分子サイズでの分析は困難だった。

     これまで透過型電子顕微鏡で同位体が検出できなかったのは、同位体に質量の差をもたらす中性子が電荷を持たない物質だからだ。しかし、先の格子振動の研究で、透過型電子顕微鏡でもあらゆる物質の振動エネルギーを観測できるようになり、電荷を持たない中性子の情報も、像として捉えることが可能となった。特に、モノクロメーターを搭載した透過型電子顕微鏡を使って、中性子一つ分の重さの違いを振動エネルギーの差として検出できるようになったのは大きい。中性子の数がわかれば原子の質量がわかり、同位体を識別できるからだ。

     格子振動の観察では、原子核と衝突して大きく散乱された電子にこそ情報があり、それを選択的に利用すれば、高い分解能を実現できることを証明した。千賀たちは、同位体検出にあたっても、この「常識外れ」の方法を応用することにした。これまでスポットが当たることはなかった電子の通り道の外側にあえて検出器を置いて信号を集める。大きく散乱された電子を効率的に分光する、暗視野法というものだ。同時期にいくつかの研究チームからも透過型電子顕微鏡を使って同位体を検出した例が報告されたが、すべて明視野法を利用しているため、光やイオンを使った既存の同位体検出技術に対する優位性はそれほど高くなかった。今回の暗視野法では、千賀たちが予想していた通り高い空間分解能が得られ、1~4個といったごく微量の原子の同位体まで透過型電子顕微鏡で検出することに成功した。

    開発した「暗視野法」による同位体の検出の図
    開発した「暗視野法」によって、原子1~4個の同位体を検出できるようになった。

    同位体が位置交換する様子を「その場観察」でリアルに捉える

     それだけではない。この研究が画期的なのは、同位体を検出するのに試料を分解せずに済むようになったことだ。一般に使われる質量分析法では、試料を分解して計測するため、同位体原子があった位置までを知ることはできなかった。

     「これまでの同位体検出は、基本的に物質の中にどれくらいの数の同位体があるのか――つまり感度を知るというものでした。検出感度を上げるには、魚に例えれば、まるごとの魚体をいったんすり身にするようにして試料を用意しなければならなかった。感度は上がりますが、すり身状態なので、もう元の状態には戻せません。物質のどの場所にその同位体があったかを知るのも難しい。しかし、この方法なら、試料を壊さずに同位体がどの位置にありどう移動するかもリアルタイムで観察できます」

     千賀が示してくれたのは世界で初めて撮影に成功した、透過電子顕微鏡の中でグラフェンの同位体が裂け目を埋め立てて、拡散する映像だ。地球上の炭素の約1.1 %存在する炭素の同位体13Cで作られたグラフェンの中の「裂け目」に注目する。試料の温度を650 ℃ ~700 ℃に設定し、この裂け目に電子線を照射すると、裂け目を埋め立てるようにグラフェンが成長する。埋め立てられた場所の炭素原子は12Cだということがわかる。

    グラフェンの同位体が裂け目を埋め立てていく様子

     同位体の質量の差を色で識別する技術を使うことで、裂け目の部分に12Cが集まっていること、また、グラフェン内部で炭素原子がお互いに位置交換しながら移動する様子を追跡することもできた。このように炭素原子が移動することは、これまで理論的に指摘されていたが、電子顕微鏡下で視覚的に見せることに成功したのは今回が初めてだ。

     「グラフェンの裂け目を埋め立てる原子がどこからきているかについても、さまざまな議論がありました。電子顕微鏡の中に漂っているガス(12C)を原料にしているという説と、グラフェン自体から出てくるもの(今回は13C)を使って埋め立てている、自己修復という二つの説がありました。誰も証明しようがなかったのです。しかし、今回の実験で、電子顕微鏡内の真空に近い世界に限っていえば、ガス(12C)を材料にして成長していることが証明されました。理論だけでは解明できない現象を、実験を通して理解することができた一つの例ともいえます」

    グラフェンの画像のgif

     化学反応過程を、顕微鏡を使ってリアルタイムで直接観察する手法は「その場観察」と呼ばれる。

     「例えば、生物学では細胞が入れ替わるターンオーバー現象で、どの細胞がどうやって組み変わっていくのかを同位体を指標に追いかける研究があります。量子コンピュータの開発や創薬分野でも、より詳細に原子の動きを追えるとわかることが多くあります。透過型電子顕微鏡でできる同位体の『その場観察』手法の確立は、これらの分野の研究でも大きな意義を持つと思います」今後、ナノ材料の開発だけでなく、生物学の基礎研究や創薬研究など幅広い分野での応用が広がりそうだ。

    「未知の現象に対して真摯になる」ことは人間にしかできない

    顕微鏡と千賀

    研究者として千賀の根底を貫くのは、「未知の現象に対して真摯になる」という姿勢だ。現象を一度見たとしても、もしかしたら偶然かもしれないし、再現性があるのかもしれない。しかし、起こった現象には必ず理由があり、メカニズムがあり、条件がある。

     「電子のふるまいには、さまざまな情報があるわけです。いわば電子は、物質のすべてを知っている。しかし、人間が利用できているのは、そのほんの一部にすぎません。自然界と向き合って、そこから情報を少しでも引き出そうとするのが、私たちの仕事です」

     大学の博士課程で、千賀はカーボンナノチューブ(CNT)を研究していた。その時、CNTへの加熱の具合で、CNTが膨らんだりへこんだりする不思議な現象を観察した。

     「この、ペッコンペッコンと動くCNTの様子は、現象と率直に向き合うという、私の科学的好奇心を刺激しただけでなく、科学者としての基本的姿勢にも大きな影響を与えています。最近のサイエンスは、人工知能の活用もあって、理論が実験よりも先行する傾向があります。しかし、人工知能は、未知の現象に出会った時、それに驚くとかその現象の意味を考えることはできません。そこでの発見を意味づけることができるのは、人間のほうが得意でしょう」

     千賀たちは透過型電子顕微鏡を使って、次は何を見るのだろうか、彼らの今後の研究に期待が膨らむ。

    ナノ材料研究部門
    電子顕微鏡グループ
    主任研究員

    千賀 亮典

    Senga Ryosuke

    千賀主任研究員の写真
    産総研
    材料・化学領域
    ナノ材料研究部門
    • 〒305-8565 茨城県つくば市東1-1-1 つくば中央第5
    • nmri-info-ml*aist.go.jp
      (*を@に変更して送信してください)
    • https://unit.aist.go.jp/nmri/

    この記事へのリアクション

    •  

    •  

    •  

    この記事をシェア

    • Xでシェア
    • facebookでシェア
    • LINEでシェア

    掲載記事・産総研との連携・紹介技術・研究成果などにご興味をお持ちの方へ

    産総研マガジンでご紹介している事例や成果、トピックスは、産総研で行われている研究や連携成果の一部です。
    掲載記事に関するお問い合わせのほか、産総研の研究内容・技術サポート・連携・コラボレーションなどに興味をお持ちの方は、
    お問い合わせフォームよりお気軽にご連絡ください。

    国立研究開発法人産業技術総合研究所

    Copyright © National Institute of Advanced Industrial Science and Technology (AIST)
    (Japan Corporate Number 7010005005425). All rights reserved.