本当に気流制御によるゾーニングはできているか?
本当に気流制御によるゾーニングはできているか?
2021/01/29
本当に気流制御による ゾーニングはできているか? 空気の流れを計測し、感染リスクの低減につなげる
新型コロナウイルスの感染リスクが高い医療機関などでは、少しでも感染リスクを下げるために気流制御によるゾーニングが導入されている。しかし、もし室内の気流が想定通り動いていなければ、ゾーニングの効果は発揮されない。産総研では、室内の空気の流れを常時モニタリングできる、安価で高精度な三次元微風速計の技術開発および商品化の可能性を企業に提案、高い信頼性を担保する仕組みも含め、包括的に社会へ実装されることを目指している。
プッシュプル装置やエアカーテンを効果的に使うには?
新型コロナウイルス感染症が蔓延し、いかに感染を防ぐかが社会の重要な関心事となるなかで、感染リスクを下げるためにさまざまな方法が提案され、実行されている。特に新型コロナウイルスの感染者も非感染者も訪れる医療機関においてどのように感染を防いでいくのかは、解決すべき喫緊の重要課題だ。
医療機関で感染防止に用いられる設備としては、中の気圧を外よりも低くすることによって、中の空気が外に漏れないようにして感染の拡散を防ぐ陰圧室や陰圧テントがよく知られている。しかし、これらは、いわゆる「設備」であり、既存施設の状況に応じてフレキシブルに用意するのは難しい。そこで導入されつつあるのが、プッシュプル装置やエアカーテンのような、室内に後付けできる気流制御装置である。
プッシュプル装置は、一方から風を流し、もう一方でその風を吸い込む2枚1組のパネル状の装置である。医療従事者などが風上に、患者が風下に位置することで、患者の飛沫を浴びることを避け、感染リスクを低減することを目的としたものである。
エアカーテンは一方向に風を吹き出し、気流によって空間を区分け(ゾーニング)する装置である。夏場にビルの入り口付近で、外の熱気が内部に侵入するのを防ぐかたちで広く使われている。医療機関などでは、感染者のいる区域とそうでない区域の空気が混ざり合わないよう、エアカーテンで両者の空気を遮断する。ただし、激しい乱流混合を生じさせるとゾーニング効果が逆に低下してしまうため、気流の最適化には細心の注意が必要だ。
今後、もし感染者が爆発的に増え、体育館のような広い空間に患者を収容せざるを得なくなった場合、各ベッドの左右にプッシュプル装置を配置したり、エアカーテンで患者のいる区域とそれ以外の区域を区分したりすることで、非感染者がウイルスにできるだけ接触しない環境が作れ、感染拡大が防止できるのではないかと考えられている。
しかし、これらの気流制御によってゾーニングできるのは、あくまで装置を設計した意図の通りに空気が流れている場合である。実際の病室では、ドアや窓が開いたり、ベッドの横を人が通ったりする。そのような日常の行為ひとつで気流は瞬時に乱れてしまう。果たしてそんなときでもウイルスはプッシュプル装置から出た気流に乗って、拡散されることなく、設計通りそのまま対の装置に吸い込まれていくのだろうか?
計量標準総合センターの高辻利之は言う。
「もし、実際の気流が想定と異なっており、横で人が動くたびにウイルスが未感染者の方に流れていたら、感染リスクを低減するつもりで装置を設置しても、実際は有効ではないことになってしまいます。確実に感染リスクを減らしていくためには、まず、実際に空気がどう流れているのかを測定したうえで、適切な感染症対策を行う必要があるのです」
産総研の計量標準総合センターは「はかる」ことのプロフェッショナル集団である。高辻らは感染リスクの低減に向け、まだ十分に把握できていない室内の空気の流れ方について、世界最高レベルの計測技術をもって測定を行うことにした。
実際に精度よく測定しなければわからないことがある
例えば、新型コロナウイルス感染症の初動対応として必須の胸部レントゲン診断を行うためにX線測定車を用いる際、車内の換気扇は相当強力に空気を吸い込むのだが、それでも実際に車内の気流を測定してみると、換気扇から離れた場所では空気が淀んでいることが明らかになったという。
部屋の換気も同様だ。換気の際には窓を2カ所開けることが推奨されているが、それでも窓から離れたところの空気は、十分に交換できていないかもしれない。
「病院だけではなく会社の執務室、学校など、人が集まるあらゆる場の空調設備に関して、どのように風が流れるのかを把握しておくことは、感染症対策として大変重要になるでしょう。気流を把握するには、気流センサが必要です。気軽に使える安価な気流センサを空間内にいくつも設置し、その場の空気の流れを常時モニタリングすることができれば、科学的にエビデンスのある感染症対策につなげられると考えられます」
問題は、安価で精度の高い気流センサがまだ世の中にはないということだ。
微風速も風向も測れる安価なセンサの開発をスタート
気流センサにはそれぞれ特徴の異なるいくつかの種類がある。超音波風速計はとても高精度で微風でも風向きも捉えることができるが、価格が非常に高い。熱式風速計は超音波風速計より安価である一方、微風になると正確な把握がしにくくなることに加え、現在販売されている製品はどの方向から風が吹いているのかを捉えることができないものが多い。微風の強さと風向を合わせて計測することは、実はまだ容易なことではないのだ。
しかし、今、医療現場で導入されつつあるプッシュプル型の気流制御装置が効果的に稼働しているかを知るためには、設定されている0.3 m/sec程度の微風速と、想定している方向へ気流が流れていることが計測できなければならない。
「そこで私たちは、気流制御によるゾーニング効果の検証を高精度に行うという最終的な目標に向け、もともと計量標準総合センターが所有している微風速計の精度向上を進めるとともに、安価な三次元微風速センサ(全方位の風向きを計測できる微風速センサ)と、微風速センサの校正装置を開発するプロジェクトも開始しました」
産総研つくばセンターの地下には、風速計の精度を測るために、100 mを超える風洞がある。そこには、0.05 m/secまで測れる国家標準の計測設備がある。地下にあり安定した温度環境にある無風状態の風洞内を、風速計の乗った走行台車を50 m走らせることで相対的に風速を計測する仕組みだ。台車の移動速度をレーザ干渉計で測定することにより、風速を知ることができる。
高辻らは、市販の安価な三次元微風速センサを片端から計測し、一方向の風だけ計測できる安価な微風速センサをいくつか組み合わせることによって、三次元計測が可能な風速計ができるというめどをつけた。それは超高精度というわけではないが、職場や家庭での感染症対策に必要な精度は満たせる風速計である。
「開発している風速計の精度を調べるのは私たちの得意なところです。試作品をつくっては校正し、さらに精度を上げるべく改良を続けています」
高辻らは、こうして開発した三次元微風速センサをサンプルとして、企業に提供していきたいと考えている。企業がセンサ開発に乗り出し、安価な風速計をつくるためには、精度測定にかかる時間とコストを少しでも減らさなければならない。そのことも想定して、現在トンネル内にもうひとつ小型のトンネルを設置し、効率よく高精度の計測ができるように計測設備全体を更新しているところである。
安心して暮らせる安全な社会のために産総研の計測技術を役立てたい
このプロジェクトは感染リスクを低減させるという社会課題の解決を目指すものだが、高辻らが行っているのは、あくまで「気流を正確に測ること」である。
「気流を計測しても、それだけで感染防止率がわかるわけではありませんが、気流制御装置が正しく使われ、きちんと空間がゾーニングされているのかどうか、計測して把握しておいた方がよいのは間違いありません。実際にゾーニングできているかどうかを、開発した装置を使って計測し、検証する予定です」
現時点ではまだ具体化しているわけではないが、今後、医学・衛生学の専門家や環境評価分野の専門家などにデータを提供するかたちで社会実装につなげていく方法を探っていくべきと考えている。来年度以降、三次元計測のできる安価な微風速センサの開発を本格化させ、将来的な実用化を進める。
高辻は研究過程で得られた成果を企業などに広く開示していくと言う。それは、企業にも微風速センサの必要性を認識してもらい、積極的に開発に取り組んでほしい、そのための協力は惜しまないという高辻の思いの表れでもある。
今回の研究はコロナウイルス感染症をどう予防できるかという喫緊の社会課題からスタートしたが、飛沫感染や空気感染する感染症はコロナだけではない。微風速計測の技術によって気流制御によるゾーニング効果が明らかになれば、今後、気流をうまく制御することで、大勢の人が集まる場などで空間をゾーニングし、感染リスクを下げるだけでなく、より快適に、より安全に暮らすことのできる社会の実現につなげることができる。産総研ならではの高度な計測技術は、測ることで社会基盤を支えるだけでなく、社会課題の解決にも積極的に貢献していくだろう。
計量標準総合センター
研究戦略部
上席イノベーションコーディネータ
高辻 利之
Takatsuji Toshiyuki
「はかる」ことでわかることがあります。微風速の計測を活用してみたい方はぜひご連絡ください。
産総研
計量標準総合センター
工学計測標準研究部門