国立研究開発法人 産業技術総合研究所【理事長 石村 和彦】(以下「産総研」という)ゼロエミッション国際共同研究センター【センター長 吉野 彰】熱電変換・熱制御研究チーム ジュド プリヤンカ 研究員、太田 道広 主任研究員は、国立研究開発法人 新エネルギー・産業技術総合開発機構【理事長 石塚 博昭】(以下「NEDO」という)「未利用熱エネルギーの革新的活用技術研究開発」プロジェクトにより、室温付近で優れた性能を示すセレン化銀(Ag2Se)から成るn型の熱電変換材料を開発しました。
近年、IoTなどのスマート技術の急速な発展に伴い、熱電発電を用いた自立電源や熱電冷却を用いた局所冷却に大きな注目が集まっています。これらの幅広い応用を実現するには、熱電変換技術の核となる熱電変換材料のさらなる高効率化が不可欠です。今回開発した熱電変換材料の高い性能は、結晶構造の安定化による電荷を運ぶキャリアの移動度の向上と、キャリア濃度の最適化に起因します。IoT用電子機器などで使用できる自立電源や電気機器の局所冷却などでの利用が期待されます。
なお、この技術の詳細は、2020年5月28日(日本時間)に英国王立化学会の発行する学術論文誌Journal of Materials Chemistry Aに掲載されます。
開発したAg2Se熱電変換材料の走査型透過電子顕微鏡写真と熱電性能指数ZT
(a)単斜晶系の結晶構造がわずかに存在するZTの低い試料
(b)Seをわずかに過剰とすることにより、単斜晶系結晶構造の形成が抑制されたZTの高い試料
熱と電気とを相互変換できる熱電変換は、未利用熱エネルギーを有用な電気に変換できる熱電発電デバイスへの応用が期待され、また電気を利用して精密冷却できる熱電冷却デバイスで使用されています。近年、IoTなどのスマート技術の急速な発展に伴い、電子機器に電力を供給する自立電源の開発や電子機器の熱制御が課題となっており、熱電発電デバイスや熱電冷却デバイスへの期待が高まっています。熱電発電デバイスの本格普及と熱電冷却デバイスのさらなる普及には、熱電変換技術の核となる熱電変換材料の高効率化、すなわち熱電性能指数ZTの向上が不可欠です。
NEDOと産総研では、熱電変換材料の高性能化と熱電発電モジュールの発電性能評価技術に関する研究開発を進めてきており、例えば、ナノテクノロジーを用いてこれまでの性能を凌駕する熱電変換材料(2018年5月22日NEDOプレス発表)や熱電発電試験用標準参照モジュール(2020年1月14日産総研プレス発表)を開発しました。また、産総研では、これまで非常に高い変換効率の熱電発電モジュールなどを開発しました(2015年11月26日、2018年5月22日産総研プレス発表)。
これまで、室温付近で使用できる熱電変換材料として、テルル化ビスマス(Bi2Te3)が数十年使用されていましたが、今回の開発では、高効率化をめざして新しい材料であるセレン化銀(Ag2Se)を用いることとしました。電荷を運ぶキャリアの移動度の向上と、キャリア濃度の最適化による熱電性能指数ZTの向上に取り組みました。
なお、産総研での開発の一部は、一般財団法人熱・電気エネルギー技術財団第26回研究助成の支援を受けました。
高い発電性能や優れた冷却性能を示す熱電変換材料には、高い熱電出力因子と低い熱伝導率が要求されます。Ag2Seは、低い熱伝導率を示すことから、近年、n型の熱電変換材料として精力的に研究されてきましたが、熱電出力因子が低く、高効率化に不可欠なZTは低い値に留まっていました。
(1)原子レベルでの観察による低い熱電出力因子の原因究明
今回の研究開発では、最先端の走査型透過電子顕微鏡を用いた観察により、低い熱電出力因子の原因を原子レベルで探りました。その結果、概要図に示す通り、Ag2Seには本来の直方晶系の結晶構造の領域のほかに、単斜晶系の結晶構造の領域がわずかに存在することがわかりました。この単斜晶系の結晶構造の領域がキャリアの移動を妨げるため、表1に示す通り、この試料では電荷を運ぶキャリアの移動度が1500cm2V−1s−1と低い値となります。さらに、熱電変換材料では、キャリア濃度の最適化も必要ですが、表1に示す通り、Ag2Seの場合は6.0×1018cm-3と、熱電変換材料としては高すぎます(「キャリア濃度の最適化」の用語の説明を参照)。原子レベルでの観察により、低いキャリア移動度と高いキャリア濃度の結果、熱電出力因子が低くなっていたことを解明しました。
(2)キャリア移動度を増加させ、加えてキャリア濃度を減少させて、熱電性能指数の向上を達成
単斜晶系結晶構造を抑制するために相図などを用いた熱力学的な観点から検討し、化学組成でAg2Seよりもセレン(Se)をわずかに過剰にしたり、硫黄(S)をわずかに添加することで、単斜晶系の結晶構造の形成が抑制された試料を作製できました(概要図)。結晶構造を直方晶系に安定化させたことで、表に示す通り、キャリア移動度が増加しました。移動度は、セレンをわずかに増やした化学組成Ag2Se1.01の試料で2500cm2V−1s−1、硫黄をわずかに増やした化学組成Ag2SeS0.01の試料で2000cm2V−1s−1まで向上しました。また、セレンの増加や硫黄の添加によりキャリア濃度も減少しました。それらの結果、熱電出力因子が改善されました。化学組成Ag2Se1.01では、熱電出力因子は高い値である3000μWm−1K−2に達しました。
熱電出力因子の改善により、概要図に示す通りZTも改善して、100℃のときは、化学組成Ag2Seの0.4から、セレンを増やしたAg2Se1.01で1.0、硫黄を添加したAg2SeS0.01で0.9まで向上しました。この値は、数十年もの間、唯一の実用材料であったBi2Te3に匹敵するものです(図1)。ナノメートルレベルでの構造制御という新しい材料設計指針によって、室温付近で使用できる熱電変換材料のZTを大きく向上できることを実証しました。
表1 Ag2SeとAg2Se1.01、Ag2SeS0.01の電荷キャリア移動度とキャリア濃度と熱電出力因子
※30℃のときの測定値。
|
キャリア移動度(cm2V−1s−1) |
キャリア濃度(1018cm−3) |
熱電出力因子(μWm−1K−2) |
Ag2Se |
1500 |
6.0 |
2200 |
Ag2Se1.01 |
2500 |
3.7 |
3000 |
Ag2SeS0.01 |
2000 |
3.6 |
2400 |
図1 Ag2SeとAg2Se1.01、Ag2SeS0.01の熱電性能指数ZT
※既存材料であるBi2Te3の熱電性能指数ZTもあわせて示す(出典:Nature Materials 2008, Vol.7, pp.105–114)。
今後の予定
NEDOと産総研、TherMATは、Ag2Seのナノ構造の最適化によるさらなる性能向上と、熱電発電デバイスや熱電冷却デバイスへの搭載を通した動作実証を通して、IoT用電子機器に応用するための熱電変換技術の研究開発を推進します。また、高価なAgなどの代替技術も開発します。