発表・掲載日:2016/12/16

電子スピンを用いた高周波発振器「スピントルク発振素子」で世界最高出力

-ナノメートルサイズの発振器で水晶振動子に並ぶ高出力を実現-

ポイント

  • 10マイクロワットを超える高周波出力のスピントルク発振素子を開発
  • 高周波発振器の大幅な小型化への道を拓く
  • 安価で小型な無線通信機器への応用に期待


概要

 国立研究開発法人 産業技術総合研究所【理事長 中鉢 良治】(以下「産総研」という)スピントロニクス研究センター【研究センター長 湯浅 新治】金属スピントロニクスチーム 常木 澄人 研究員、薬師寺 啓 研究チーム長、同研究センター 久保田 均 総括研究主幹は、スピントルク発振素子の高周波出力を、10マイクロワット(μW)を超えるまでに向上させることに成功した。

 スピントルク発振素子は、ナノメートルサイズの磁気抵抗素子に直流電流を流してマイクロ波を発生させる高周波発振器である。今回、磁気渦型の磁化構造をもつスピントルク発振素子(磁気渦型スピントルク発振素子)の磁気抵抗比を190 %まで向上させ、スピントルク発振素子として初めて10 μWを超える出力を達成した。これは無線通信などで一般的に用いられる水晶振動子に匹敵する高い出力である。小型で安価なスピントルク発振素子の実用化が一層加速され、高周波デバイスの小型化に貢献すると期待される。

 なお、この成果の詳細は、米国の学術誌Applied Physics Lettersのオンライン版で近く公開される。

スピントルク発振素子のマイクロ波出力の推移の図
スピントルク発振素子のマイクロ波出力の推移


開発の社会的背景

 近年、次世代無線通信機や車載レーダーなどの高周波デバイスの小型化と低価格化が求められている。これらの多くのデバイスでは基準信号源として水晶振動子が使われているが、周波数の安定度が非常に高い反面、デバイスサイズがミリメートルサイズと大きいことが高周波デバイスの小型化を阻んでいる。これに対して、スピントルク発振素子は、自励発振ができるため従来の発振器では不可欠だった共振器が不要になり、デバイスサイズをマイクロメートルサイズ以下に小型化できる。さらに、デバイス作製プロセスは既存の半導体製造プロセスとの整合性が高く、安価に製造できると見込まれる。これらのことから、スピントルク発振素子は、小型で安価な高性能次世代高周波信号源として期待されている。しかし、スピントルク発振素子は、高周波出力が小さい、発振周波数の安定性が低いといった課題があり、基本性能の向上が求められている。

研究の経緯

 産総研は、不揮発性磁気メモリー STT-MRAMの開発で培った薄膜材料技術、微細素子構造作製技術を応用し、スピントルク発振素子の実用化研究を行っている。スピントルク発振素子の実用化には、高周波の高出力化と発振周波数の高安定化の両立が必須であり、これらを目指して、高周波発振用磁気トンネル接合素子の開発をすすめてきた。これまでに産総研は、さまざまな成果を挙げており、世界トップレベルのスピントルク発振素子の研究開発を行っている。(2008年8月28日2014年1月8日2015年12月14日産総研プレス発表

 スピントルク発振素子の高周波出力は、実用上10 μW以上が必要とされるが、これまでは最大でも1 μW程度であった。今回、構造と材料の両面から高周波出力の高出力化を目指し、大きな磁気抵抗比を示す磁気トンネル接合素子の開発に取り組んだ。

 なお、本研究開発の一部は、独立行政法人 日本学術振興会「科学研究費補助金基盤研究(S)/高周波スピントロニクスの研究(平成23~27年度)」による支援を受けて行った。

研究の内容

 スピントルク発振素子の高周波出力は磁気抵抗比の2乗に比例するため、高出力化には磁気抵抗比の増大が有効である。約1ナノメートルの極薄の酸化マグネシウム絶縁体層と、鉄合金強磁性層を組み合わせ、強磁性層を4ナノメートルと厚くすると、図1の模式図に示すような渦巻き状の磁化構造(磁気渦)をもつ磁気渦型スピントルク発振素子となる。このタイプの素子は強磁性層が厚いため、大きな磁気抵抗比と高周波出力が得られやすい。今回、磁気渦型スピントルク発振素子の絶縁体層と鉄合金強磁性層の界面に結晶性の鉄コバルト合金層を挿入した。これにより、磁気抵抗比を従来の約2倍の190 %に増大させることができた。

今回開発した磁気渦型スピントルク発振素子の模式図
図1 今回開発した磁気渦型スピントルク発振素子の模式図
矢印は磁化の向きを表す。磁気抵抗比を大きくするために、鉄合金層と絶縁体層との界面に鉄コバルト合金層を挿入した。

 磁気渦型スピントルク発振素子に直流電流を流すと、図2(a)に示すように磁気渦中心が回転運動する。この回転運動が磁気抵抗効果によって電気信号に変換され、200メガヘルツ(MHz)程度の交流電圧が発生する。図2(b)に、今回作製した磁気渦型スピントルク発振素子の発振出力特性を示す。高周波出力は10.1 μW (電圧の振幅22 mVrms)であり、水晶振動子の発振出力に匹敵する。また、出力密度のスペクトル線幅は100キロヘルツ(kHz)程度であり、周波数安定性も高いことが分かった。

スピントルク発振素子の高周波測定回路の模式図と、今回作製した磁気渦型スピントルク発振素子の出力信号の図
図2 (a)スピントルク発振素子の高周波測定回路の模式図と、
(b)今回作製した磁気渦型スピントルク発振素子の出力信号
電流を流すと、磁気渦中心が回転運動を始める。磁気渦中心の回転に伴って、電気抵抗が変化し、交流電圧が発生する。

 従来の水晶振動子を発振回路に用いると、チップの基板への配置とチップと基板との配線が必要であり、基板は大面積が必要であった。これに対して、スピントルク発振素子には半導体発振素子などに用いられる共振回路が不要なので、発振素子をナノメートル単位のサイズに小型化できる。また、発振回路作成時の前工程で発振素子を作製でき、しかも配線がないためデバイスに必要な面積も小さくできる。そのため、磁気渦型スピントルク発振素子が実用化されれば、発振デバイスの大幅な小型化と低価格化が期待される(図3)。

発振回路にスピントルク発振素子を埋め込む利点と模式図
図3 発振回路にスピントルク発振素子を埋め込む利点と模式図

今後の予定

 スピントルク発振素子の高周波特性をさらに向上させて、安価で小型の高周波発振器の実現を目指す。今後は実用に耐える程度に周波数安定性を向上させるとともに、開発が進められているハイエンド水晶振動子の周波数帯域である2-4 GHz帯域をターゲットに研究を行う。



用語の説明

◆スピントルク発振素子
磁気抵抗デバイスを微細加工プロセスによって形成した素子。この素子に直流電流を流すと、電子が持つ磁石の性質により、素子に含まれる強磁性体中のスピンが歳差運動をおこすため、素子の両端に交流電圧が生じる。半導体素子とは異なり、スピントルク発振素子は共振器や周波数を高めるための回路などを必要とせず、マイクロ波帯の交流信号を直接発生させることができる。[参照元へ戻る]
◆磁気抵抗素子、磁気抵抗比、磁気トンネル接合素子
強磁性体層/非磁性体層/強磁性体層の積層薄膜を基本構造とし、2層の強磁性体層の磁石(スピン)の相対的な向き(平行または反平行)によって電気抵抗値が変化する素子を「磁気抵抗素子」という。その電気抵抗値の変化率を「磁気抵抗比」という。特に非磁性体として厚さ1~2ナノメートルの絶縁体層を用いた磁気抵抗素子は「磁気トンネル接合素子」と呼ばれる。絶縁体層に酸化マグネシウムを用いた高性能な磁気トンネル接合が2004年に産総研により開発され、スピントルク発振素子、不揮発性メモリーSTT-MRAM、磁気センサー素子などに幅広く用いられている。[参照元へ戻る]
◆マイクロ波
100メガヘルツ(MHz)~3テラヘルツ(THz)の周波数帯の交流信号のこと。携帯電話では800 MHz~2ギガヘルツ(GHz)の周波数が使われている。[参照元へ戻る]
◆磁気渦、磁気渦型スピントルク発振素子
数百ナノメートルサイズの強磁性体層では、「磁気渦」と呼ばれる渦を巻いた安定な磁気構造が生じる。磁気渦の中心が数100MHzの周波数で歳差運動してマイクロ波信号を発生させるデバイスは「磁気渦型スピントルク発振素子」と呼ばれる。他のタイプのスピントルク発振素子に比べて発振周波数の安定性が高い。[参照元へ戻る]
◆水晶振動子
水晶の圧電効果により、安定して振動する受動素子。クロックデバイスの水晶発振器などにするためには、振動子の他に駆動回路が必要である。周波数は年々高くなっており、現在10 MHzから100 MHz程度の振動子が使用されている。[参照元へ戻る]
◆自励発振
外部のエネルギーを回転運動に変換し、周期運動を継続する現象。[参照元へ戻る]
◆共振器
高周波発振回路の構成要素のひとつで、一般的にはコイルとコンデンサーからなる。信号をある一定時間蓄え、放出することができる回路。[参照元へ戻る]
◆スペクトル線幅
周波数の安定性を示す指標の一つ。スペクトル線幅が狭いほど周波数が安定である。[参照元へ戻る]


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