国立研究開発法人 産業技術総合研究所【理事長 中鉢 良治】(以下「産総研」という)スピントロニクス研究センター【研究センター長 湯浅 新治】金属スピントロニクスチーム 田丸 慎吾 招へい研究員、同研究センター 久保田 均 総括研究主幹、福島 章雄 副研究センター長は、スピントルク発振素子の周波数を安定化するため、スピントルク発振素子の特性にあわせた位相同期回路(PLL)を開発し、安定したマイクロ波発振を実現した。
スピントルク発振素子は、直流電圧を加えることによりマイクロ波を発振できるナノメートルサイズの磁気抵抗デバイスである。今回、開発した位相同期回路により153 MHzの低い周波数の基準信号により7.344 GHzの高い発振周波数の揺らぎを抑制し、スペクトル線幅を測定限界値(1 Hz)以下にまで低減できた。発振周波数が数GHz以上の場合、単一のスピントルク発振素子のスペクトル線幅は、産総研が実現した約3 MHzがこれまで最小であったが、今回開発した位相同期回路により周波数安定性が飛躍的に向上した。今回の成果により、スピントルク発振素子の電圧制御型発振器としての実用化が加速すると期待される。
なお、この成果は、Nature Publishing Groupの学術誌Scientific Reportsオンライン版で近く公開される。
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開発した位相同期回路の写真とマイクロ波発振器の発振スペクトル |
近年、携帯電話、無線LANなどのマイクロ波帯の無線通信が広く普及している。これらのデバイスでは、半導体素子と共振器からなる電圧制御型発振器が使われている。しかし、共振器は数百マイクロメートルとサイズが大きく、集積化、低コスト化の面で課題がある。これに対して、スピントルク発振素子は、ナノメートルサイズの磁気抵抗素子から構成されており、共振器が不要であるため、従来の電圧制御型発振器に比べて非常に小型の発振器として期待されている。しかし、これまでは発振周波数の安定性が低くスピントルク発振素子の実用化には至っていなかった。
産総研は、磁気メモリーの開発で培ったスピントロニクス素子技術を応用してスピントルク発振素子の薄膜材料技術、微細素子構造作製技術の開発を進めてきた。スピントルク発振素子を実用化するには、発振出力の高出力化と発振周波数の高安定化の両立が必須である。そのため、発振出力が高い強磁性トンネル接合素子をベースに、発振周波数の安定化を目指している。これまでに、スピントルク発振素子としては当時世界最高の発振出力、また、単一素子で当時世界最高の周波数安定性を実現してきた(2008年8月28日産総研プレス発表、2014年1月8日産総研プレス発表)。
なお、本研究開発の一部は、独立行政法人 日本学術振興会 科学研究費補助金基盤研究(S)「高周波スピントロニクスの研究」(平成23~27年度)による支援を受けて行った。
今回、スピントルク発振素子を電圧制御型発振器とするため、スピントルク発振素子の発振特性の改善とスピントルク発振素子に適合した位相同期回路の開発を行った。スピントルク発振素子には、約1ナノメートルの極薄MgO層絶縁体と、鉄を含むアモルファス合金強磁性層を組み合わせた強磁性トンネル接合を用いた。このMgO層と強磁性層との界面では、界面に垂直な方向にスピンが向く性質があり、この性質を利用してスピンの歳差運動の軌道を安定化させた。このスピントルク発振素子は、加える電圧を高くすると発振周波数が低くなる。図1に位相同期回路の模式図と写真を示す。この位相同期回路は、スピントルク発振素子の発振周波数を1/48にして、その位相を153 MHzの周波数の基準信号の位相と比較し、スピントルク発振素子に加える電圧にフィードバックして位相を調整する機能を持つ。また、フィードバック信号に含まれる高周波のノイズによってスピントルク発振素子の発振が乱されることを防ぐ機能も付加して発振周波数の高安定化を実現した。
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(a) |
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(b) |
図1 開発した位相同期回路を含む電圧制御型スピントルク発振器の (a)回路模式図、(b)写真 |
図2に今回開発したマイクロ波発信器の発振スペクトルを示す。発振の中心周波数は、7.344 GHzである。発振周波数の揺らぎを示すスペクトル線幅が非常に小さく、測定器の測定限界である1 Hz以下であり、高い周波数安定性が得られている。
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図2 開発したマイクロ波発信器の発振スペクトル |
今後は、さらに磁気抵抗素子の発振特性の向上、特に周波数の電圧による制御性を向上し、併せて位相同期回路の周波数特性を改善して、電圧制御型発振器としての性能の向上を図る。スピントルク発振素子を電圧制御型発振器として実用化し、安価で小型のマイクロ波発振器の実現を目指す。