独立行政法人 産業技術総合研究所【理事長 中鉢 良治】(以下「産総研」という)ナノチューブ応用研究センター【研究センター長 飯島 澄男】末永 和知 首席研究員と カーボン計測評価チーム 千賀 亮典 研究員は、二種類の元素が交互に並んだ原子の鎖(原子鎖)を合成し、その原子レベルの物理特性を評価した。
カーボンナノチューブ内部の微細空間にヨウ化セシウム(CsI)を閉じ込めることで陽イオンであるセシウムイオン(Cs+)と陰イオンであるヨウ素イオン(I-)が交互に一列に並んだイオン結晶性のCsI原子鎖を合成した。さらに最新鋭の収差補正型電子顕微鏡を用いて、陽イオンと陰イオンの動的挙動の違いなどCsI原子鎖に特有の新たな物理現象を発見した。また、密度汎関数法を用いた理論計算からこのCsI原子鎖は三次元のCsI結晶とは異なる光学特性を示すことが分かり新しい光学デバイスへの応用が期待される。
なお、本研究成果は、独立行政法人 科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業および、独立行政法人 日本学術振興会科学研究費助成事業の一環として行われ、この研究の詳細は、Nature Materialsに2014年9月15日(日本時間)オンライン掲載される。
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カーボンナノチューブに閉じ込めたCsI原子鎖の実際の電子顕微鏡像と模式図 |
コンピュータやスマートフォンに使われる電子デバイスは高速・肥大化する情報化社会の中で高性能化・高効率化が常に求められてきた。電子デバイスの材料として現在期待が集まっているのが、原子一個から数個分の幅や厚みしかない低次元材料である。中でもグラフェンに代表される二次元材料は優れた電気輸送特性など、三次元材料には見られない特殊な物理特性が注目され幅広く研究されている。
一方、さらに微細な構造を持つ原子一個分の幅しかない原子鎖は、二次元材料同様、優れた電気輸送特性などが予想され、集積化という観点からは二次元材料よりも期待が大きいが、これまでほとんど注目されていなかった。これは、原子鎖の合成から解析に至る学術研究の種々のプロセスが技術的に困難であるためで、学術的な理解もまだ深まっていない(図1)。
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図1 材料研究における注目素材の変遷 |
産総研では、カーボンナノチューブ、グラフェンといった低次元材料の性質を大きく左右する不純物やドーパント、欠陥などの一部の特殊な構造を検出するために、単原子レベルの元素分析手法の開発に取り組んでいる(2009年7月6日、2010年1月12日、2010年12月16日、2012年7月9日 産総研プレス発表)。今回、これらの技術的な蓄積を活用して、低次元材料である原子鎖の合成や解析に取り組んだ。なお、本成果は、JST戦略的創造研究推進事業(平成24~28年度)および、独立行政法人 日本学術振興会科学研究費助成事業「ナノスペースを利用した低次元材料の原子スケール評価と応用に向けた要素技術開発(平成26~28年度)」による支援を受けて行っている。
今回開発した技術は、直径1 nm以下のカーボンナノチューブに、CsIの蒸気を接触させて、これをカーボンナノチューブ内部の微細空間に高確率で取り込む技術であり、CsとIの二種類の元素が交互に並ぶ原子鎖を合成できた。また、収差補正型電子顕微鏡による観察と電子エネルギー損失分光法(EELS)と呼ばれる電子分光技術を組み合わせて、この原子鎖の詳細な構造解析を行った。1 nm以下の間隔で並んだ原子を破壊することなく一つ一つ区別するために、電子顕微鏡は1 nm程度の十分な空間分解能を保持しつつ、加速電圧を通常より著しく低い60 kVまで下げて電子線による試料へのダメージを低減している。図2にはこれまで確認されている最小のCsI結晶と今回合成したCsI原子鎖を示した。
図3はCsI原子鎖のADF像とEELSによって得られたCsとIそれぞれの元素マッピングである。二つの元素が交互に一列に並んでいることが分かる。この単純かつ理想的な構造については、実際に作製・観察に成功したという報告はこれまでなく、材料科学における基盤ともいうべき重要な知見である。
また、通常、ADF像では原子番号が大きいものほど明るく見えるが、今回のCsI原子鎖ではCs(原子番号55)よりI(原子番号53)の方が明るく見えている。これは陽イオンであるCsイオンがより活発に動いているため(より正確にはCs原子から散乱される電子の総量自体はI原子とほとんど変わらないが、Cs原子が動き回っていることで散乱される電子に空間的な広がりが生まれるため)で、大きな三次元の結晶の中では起こりえない陽イオンと陰イオンの動的な挙動の違いを示している。また、Cs原子一つ、あるいはI原子一つが原子鎖から抜けた場所(欠陥)があることも分かった(図3右)。
こうした特異な原子の振る舞いや構造は、各種物理特性に影響を及ぼす。密度汎関数法を用いて光吸収スペクトルを計算したところ、CsI原子鎖の光に対する応答は光の入射方向によって異なることが分かった。また欠陥を持つCsI原子鎖の電子状態としてI原子が抜けた場所は電子を放出しやすいドナー準位を、Cs原子が抜けた場所は電子を受け取りやすいアクセプタ準位をそれぞれ持つことが分かった。これらの物理特性を利用することで、例えばCsI原子鎖中の欠陥一個からの発光を利用した微小光源や光スイッチなど、新規の電子光学デバイスへの応用が考えられる。また今後この成果をきっかけに他の元素の組み合わせについても研究が進めば、新たな材料開発、デバイス応用につながる可能性があり、さらなる微細化・集積化が求められるデバイス用の次世代材料としても期待される。
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図3 二層カーボンナノチューブ内部に合成されたCsI原子鎖
(左から、ADF像、CsおよびIの元素マップ、構造模式図、欠陥を持つCsI原子鎖のADF像) |
CsI原子鎖は目に見えるような大きな結晶とは著しく異なる光学特性を示すことから、例えばCsI原子鎖中の欠陥一個からの発光を利用した微小光源や光スイッチなど、新規の電子光学デバイスへの応用が期待される。今後これら応用に向けて光学特性をはじめとした各種物理特性の詳細な検討を実験的な取り組みを中心に行っていく。また本技術をCsIだけでなく他の材料系にも応用しさまざまな元素を組み合わせた新たな材料の開発にも取り組んでいく。
さらに直近の課題として現在実用化が進められている放射性物質の吸着剤(カーボンナノチューブ、ゼオライト、プルシアンブルーなど)はいずれも材料中の微細空間に放射性原子を取り込む方式であり、今回得られた微細空間でのCs原子の挙動に関する知見を吸着性能の向上などにも役立てていきたい。