発表・掲載日:2010/12/16

グラフェンの炭素原子一つ一つの性質の違いを世界で初めて観察

-ナノデバイス開発や単分子の機能探索に貢献-


 JST 課題解決型基礎研究の一環として、産業技術総合研究所の末永 和知 上席研究員らは、電子顕微鏡を用いてグラフェン注1)の炭素原子一つ一つを観察しながらその電子状態を調べる手法を開発し、同じ炭素原子でも存在する場所によって性質が異なることを実験的に明らかにしました。

 従来の分析手法では、個々の原子の元素を識別することは可能でしたが、同じ元素の原子ごとの電子状態や性質の違いまで詳細に調べることはできませんでした。例えば同じ炭素原子でも、反応しやすい炭素原子と反応しにくい炭素原子を区別することは、化学反応の正確な制御や、ナノデバイスの設計・開発のために極めて重要であるため、このような原子の性質を調べる技術の開発が望まれていました。

 本研究グループは、JST CRESTのプロジェクトで開発した世界最高感度を持つ新しい電子顕微鏡を応用して、炭素原子からできているグラフェンを詳細に調べ、同じ炭素原子でも、グラフェンの端に存在する炭素原子が通常の炭素原子とは電子状態が大きく違うことを世界で初めて確かめました。この結果から、グラフェンが電子デバイスとして応用される際に、グラフェンの端に存在する炭素原子の性質が大きく影響を及ぼすことが分かりました。

 この手法を開発したことにより、物質中の反応活性な部位を原子レベルで詳細に特定することが可能になり、今後、ナノデバイスの開発や新物質合成の設計に役立つものと期待されます。

 本研究成果は、2010年12月15日(英国時間)に英国科学雑誌「Nature」のオンライン速報版で公開されます。
 本成果は、以下の事業・研究領域・研究課題によって得られました。
  戦略的創造研究推進事業 チーム型研究(CREST)
研究領域: 「物質現象の解明と応用に資する新しい計測・分析基盤技術」
(研究総括:田中 通義 東北大学 名誉教授)
研究課題名:「ソフトマターの分子・原子レベルでの観察を可能にする低加速高感度電子顕微鏡開発」
研究代表者: 末永 和知(産業技術総合研究所 ナノチューブ応用研究センター 上席研究員)
研究期間:  平成18年10月~平成24年3月
 JSTはこの領域で、物質や材料に関する科学技術の発展の原動力である新原理の探索、新現象の発見と解明に資する新たな計測・分析に関する基盤的な技術の創出を目指しています。上記研究課題では、従来不可能であった、電子顕微鏡を使った有機・生体分子など「軽元素からなる非周期性物質(ソフトマター)」の観察を可能とするべく、低加速電子顕微鏡と新型収差補正技術を中心とする電子顕微鏡開発を行っています。


研究の背景と経緯

 ナノ材料に含まれる元素は、同じ元素であっても通常の元素とはその性質が大きく異なることがあります。これはナノテクで扱う材料は極めて小さく、端や表面に存在する特殊な状態の原子がその性質を支配するためです。そのため通常とは異なる性質(電子状態)の原子を一つ一つ調べて、ナノデバイスの機能を予測・検証する手法の開発が望まれていました。

 本研究グループは、新しい電子顕微鏡を用いて個々の原子の可視化や元素分析を実現する研究を行ってきました。ところが元素の種類を識別することはできても、同じ元素でありながら性質の違う原子を区別することはこれまで誰も実現していませんでした。それは原子の詳細な分光を行う際に、十分高い分解能と感度が得られなかったためです。

 そのため、個別の原子を識別し、その性質を特定することは、ナノテクノロジー発展の鍵となっていました。

研究の内容

 本研究グループは、世界最高感度を持つ電子顕微鏡を開発し、それを用いることでグラフェンの構造を詳細に調べました。その結果グラフェンの端に存在する原子は、通常の炭素原子と異なり全く違う性質を持つことが、電子線エネルギー損失分光注2)の結果から明らかになりました。電子線エネルギー損失分光を用いて、原子の詳細な電子状態を調べるのに成功したのは世界で初めてです。

 グラフェンの炭素原子は、六角形網目構造をしているため、通常は隣り合う3つの炭素原子と結合しています。ところが同じ炭素原子でもグラフェンの端に存在する炭素原子は、隣り合う炭素原子の数が2つであったり、時には1つであったりします(図1)。そのためこのような炭素原子は通常とは異なる性質(電子状態)を持っています。電子線エネルギー損失分光を用いてスペクトルの微細構造を観測すると、同じ元素であっても、その性質の違いを詳細に調べることができます。ただし、これまでこの手法はバルク(たくさんの炭素原子)を対象に用いられていて、たった1つの炭素原子からの微細構造は測定できていませんでした。

 本研究グループは、JST CRESTのプロジェクトで開発した球面収差注3)5次の幾何収差注4)を同時に補正するデルタ型収差補正装置を組み込んだ電子顕微鏡を用いて、電子線エネルギー損失分光の感度を従来のほぼ10倍にまで向上させました。また、用いる電子線の加速電圧を低く保つ(ここでは60kV(キロボルト))ことで、分析中に原子がなくなってしまう(試料ダメージ)現象を抑えることに成功しました(図2、図3)。

 そしてグラフェンの端の炭素原子一つ一つから電子線エネルギー損失分光を行うことに成功し、1)端の炭素原子は通常の炭素原子と異なる電子状態を持つこと、2)端の炭素原子には性質の異なる2種類が存在すること、3)端の炭素原子の状態は7・8個離れた炭素原子にまで影響していること、などが明らかになりました。

今後の展開

 今回の実験結果は、グラフェンを電子デバイスとして応用する際に端の炭素原子が大きく影響することを示唆するものです。逆に端の炭素原子の特異な性質を利用して、新しい機能を持つグラフェンデバイスを考案することも可能になります。

 また、この手法は幅広く応用が可能です。対象になる元素も炭素原子に限りません。例えば、さまざまな性質を持つシリコン原子が混在するドープ型シリコンやアモルファスシリコンは太陽光発電に欠かせない材料ですが、原子レベルでどのような性質を持つシリコン原子が光-電気変換に寄与しているか調べることができていません。とくに光-電気変換に大きく寄与するシリコンの電子状態を解明できれば、より高効率なデバイス開発に指針を与えることができるようになります。また、遷移金属などを用いた触媒反応などにおける反応活性な原子とそうでない原子を特定することで、反応のメカニズムを詳細に理解し、より効率の高い反応を設計することができるようにもなります。

 さらに、環境負荷の高い有害金属元素も原子から解析できます。例えば環境汚染物質である六価クロムや七価マンガンといった有害金属は、酸化数を変えてより無害な低酸化数の金属へと変化しますが、この手法を用いれば個々の原子からその有害性をモニターし、生物や人体に与える化学反応性などを詳細に調べることに役立つと考えられます。

 一般に、有機合成では炭素の反応性を利用して、全く新しい性質を持つ有益な化合物を作製します。福井 謙一博士とロアルド・ホフマン 博士がノーベル化学賞を受賞したフロンティア分子軌道理論では、有機分子の中でどの原子部分がもっとも反応しやすいかを理論的に予測できることを示しました。ここで、今回示したような原子ごとの素性が分かる分析技術を利用すれば、理論的な計算を用いずに直接原子の反応位置を測定することも夢ではありません。例えば、理論計算が苦手とする巨大分子系での反応を直接観察することができるようになれば、巨大なたんぱく質の合成や、新規の薬物設計などに利用されるかもしれません。

参考図

グラフェン端のモデル図
図1 グラフェン端のモデル図
通常の炭素原子は、3つの隣り合う炭素原子に囲まれていますが(吹き出し1)、端の炭素原子は隣り合う炭素原子の数が2つであったり(吹き出し2)、1つであったりします(吹き出し3)。

グラフェン端における性質が異なる2種類の炭素原子の図
図2 グラフェン端における性質が異なる2種類の炭素原子
(a)
電子顕微鏡で撮影されたグラフェン端の構造。白く見えるのが炭素原子で通常は六角形の網目構造を取っていますが、端ではそれぞれ網目構造が壊れています。
(b)
矢印で示された炭素原子のモデル図。通常の炭素原子(緑)は、3つの炭素原子と隣り合っています。ところが端の炭素原子(青と赤)はそれぞれ2つ、もしくは1つの炭素原子としか結合していません。
(c)
それぞれの炭素原子から得られた電子線エネルギー損失スペクトルで、おのおのの電子状態を反映しています。通常の炭素原子スペクトル(緑)に比べて、端の炭素原子からはそれぞれ異なる位置にピークが見られ(青と赤)、電子状態が異なっていることを示しています。

グラフェン端から順番に行われた炭素原子ごとの分析の図
図3 グラフェン端から順番に行われた炭素原子ごとの分析
(a)
グラフェン端の電子顕微鏡像。白く見えるのが炭素原子です(スケールバー=0.5nm)。
(b)
上記電子顕微鏡像から得られたグラフェン端のモデル構造。グラフェン端では六角形の網目構造が壊れ、突き出した炭素原子が見られます。
(c)
上図の矢印(AからB)に沿って電子線プローブを移動させた際の散乱強度(赤の実線)。強度が強いところに炭素原子が存在することになります。予想されたプロファイル(水色の実線)と比べると、端から8つの炭素原子が検出できていることが分かります。
(d)
端から8つの炭素原子のEELSスペクトル(8色で表示)。一番端の炭素原子(番号1)に特有のピークが見られます(矢印)。端に近い炭素原子ほど影響を受けやすいのですが、6番目以降(7番目、8番目)の炭素原子(番号7、番号8)は端の炭素原子の影響をほとんど受けていません。すなわちグラフェンを用いたデバイスでは、およそ1.5nm程度までは端の電子状態の影響を強く受けるため、通常のグラフェンとは異なる性質を示すことが分かります。

用語解説

注1)グラフェン
2010年にノーベル物理学賞の研究対象となった新素材で、炭素原子が六角形の網目構造を取って一面にだけ存在する。[参照元へ戻る]
注2)電子線エネルギー損失分光
高性能の電子顕微鏡と組み合わせることで、試料中の元素分析や状態分析を可能にする分光法。入射した電子線のエネルギー損失を測る。単原子の元素分析は末永上席研究員らによって2000年に世界で初めて実現されたが、単原子の状態分析はこれまで実現されていなかった。元素分析は、特定の損失を被る電子を数えるだけでよいが、状態分析のためには微細構造と呼ばれる詳細なスペクトルを取得することが必要であり、これまでは原子1つから微細構造を得るだけの感度を実現できなかった。[参照元へ戻る]
注3)球面収差
収差とは、理想的な結像と実際の結像とのズレを指す。電子顕微鏡の分解能は、「入射電子の加速電圧」と「レンズの球面収差」の2点で決まる。球面収差補正は、電子顕微鏡の分解能を向上させるために対物レンズの収差(球面収差)を補正する新技術で、加速電圧を上げることなく分解能を向上させることができる。球面収差は3次の幾何収差の1つ。[参照元へ戻る]
注4)5次の幾何収差
電子顕微鏡において球面収差を補正した後に残存する収差の1つで、球面収差補正を施した電子顕微鏡の空間分解能を制限する因子。5次の幾何収差は、六回対称の非点収差を生じさせる。そのため、この5次の幾何収差を低減・補正すると電子顕微鏡の分解能はさらに向上する。[参照元へ戻る]


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