独立行政法人 産業技術総合研究所【理事長 野間口 有】(以下「産総研」という)ナノスピントロニクス研究センター【研究センター長 湯浅 新治】理論チーム 今村 裕志 研究チーム長、荒井 礼子 産総研特別研究員は、強磁性ナノコンタクト素子に直流電流を流すことにより5~140 ギガヘルツ(GHz)の発振が可能であることを理論的に示した。
従来の巨大磁気抵抗素子や強磁性トンネル接合素子を利用した発振では発振周波数が低く、ミリ波(30 GHz~300 GHz)の発振が必要なレーダーなどへの応用は難しいとされていた。しかし、強磁性ナノコンタクト素子に電流を流すことで誘起されるスピンの歳差運動を産総研が開発したシミュレーターを用いて解析したところ、強磁性ナノコンタクト素子に流れる電流を変化させるとマイクロ波からミリ波の領域で電流制御型発振素子として強磁性ナノコンタクト素子が振る舞うことが予測された。このような強磁性ナノコンタクト素子が実現できれば、次世代の無線通信技術やセンサー技術への応用が期待できる。
なお、この技術の詳細は、米国の科学誌(Applied Physics Letters)に近くオンライン掲載される。
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強磁性ナノコンタクト素子の模式図(左)と、高周波領域の発振挙動(右) |
近年の微細加工技術の急激な進歩によって、強磁性体を用いたナノメートルサイズの素子の作製が可能になった。現在では、電子のもつ電気(電荷)としての性質とともに磁石としての性質であるスピンを積極的に利用した高度な機能をもつスピントロニクス素子が開発・実用化されている。スピントロニクス素子の代表的な例として、巨大磁気抵抗素子や、強磁性トンネル接合素子などがある。これらの素子は、ハードディスクの読み出しヘッドや磁気抵抗ランダムアクセスメモリー(MRAM)の不揮発性メモリーセルなどに利用されており、大容量かつ高速な情報記録技術の基盤となっている。
情報記録技術分野での応用のほかにも、磁性体中のスピンがマイクロ波に対応する周波数で振動する歳差運動を利用した発振・受信素子などの開発も行われている。発振・受信素子がナノメートルサイズになると従来より高空間分解能、高感度な性能が見込まれるため、高周波技術分野への応用や、微細素子同士の無線通信への応用が期待されている。しかし、巨大磁気抵抗素子や強磁性トンネル接合素子による発振は、発振周波数が十数GHz程度と低く、ミリ波の発振周波数が必要なセンサーやレーダーへの応用は難しいと考えられていた。また、無線通信技術へ応用するには、制御可能な周波数範囲が狭いことが課題となっていた。
産総研では高性能強磁性トンネル接合の高周波技術応用を目指して研究開発を行い、高性能強磁性トンネル接合が高周波の信号を復調するダイオードとして働くことを発見し、この効果を用いてスピントロニクス素子の動作を精密に評価する方法を開発した(2005年11月17日、2007年11月26日産総研プレス発表)。また、巨大磁気抵抗素子の100倍以上の発振出力(0.1µW以上)を実現するなどの成果をあげてきた(2008年8月28日産総研プレス発表)。2009年以降は、国立大学法人 東北大学 佐橋 政司 教授の研究グループと共同で強磁性ナノコンタクトを用いた超小型マイクロ波発振素子の開発に取り組み、今回の電流制御型発振素子の理論提案に至った。
なお、本研究開発の一部は、独立行政法人 新エネルギー・産業技術総合開発機構の委託事業、省エネルギー革新技術開発事業/挑戦研究「チップ間信号伝送用マイクロ波発振素子の開発」(平成21~23年度)により実施し、佐橋 教授(研究開発責任者)の研究グループと協力して行った。
シミュレーションに用いた強磁性ナノコンタクトは、側面が絶縁体で覆われた1辺4ナノメートルの立方体であり、上下は強磁性体の金属電極で挟まれている(図1)。上側の強磁性電極(固定層)のスピンは一方向に固定され、一方、下側の強磁性電極(自由層)のスピンは自由に運動できる。外部磁場を加えて自由層と固定層の磁化の向きを反平行にそろえると、強磁性ナノコンタクト内に磁壁と呼ばれるねじれたスピン構造を閉じ込めることができる。その状態で固定層側から電子を注入すると、スピンの方向がそろった電流(スピン電流)がナノコンタクト内を流れるので、スピントルクによってナノコンタクト内のスピンが回転運動を始め、強磁性ナノコンタクトと接する自由層にスピン波が生じる。
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図1 強磁性ナノコンタクトと強磁性電極の模式図
強磁性ナノコンタクトの中には磁壁を閉じ込めることができる。 |
シミュレーションによって得られたスピン波の発振周波数の電流依存性は、特徴的な3つの領域(A、 B、 C)に分けられる(図2)。スピン波の空間的な広がりは、領域A、Cでは自由層全体に広がっているのに対し、領域Bではナノコンタクト近くに局在していた。このことから、領域A、Cの発振では自由層の性質で発振周波数が決まってしまうのに対し、領域Bの発振ではナノコンタクトに閉じ込められた磁壁の歳差運動によって発振周波数が決まっていることが分かった。ナノコンタクト内の磁壁のスピン構造はナノコンタクトを流れるスピン電流の値によって変化するため、領域Bではスピン電流密度を変化させることで発振周波数を5 GHz~140 GHzの範囲で連続的に制御できる。
このような素子が実現できれば、巨大磁気抵抗素子や強磁性トンネル接合素子による発振周波数の限界を打破し、三次元実装されたチップ間の高速無線通信やミリ波を利用したナノサイズの生体センサーの実現に大きく寄与すると期待される。
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図2 発振周波数の電流密度依存性
特徴的な3つの領域(A、B、C)に分類できる。発振しない領域はグレーで示した。 |
今後は、今回の理論提案に基づいた高周波発振素子の試作・評価、受信素子の研究開発を行い、強磁性ナノコンタクトを用いた無線通信システムの実現に向けて研究を進めていく。