2020年3月20日掲載
取材・文 深川 峻太郎、ブルーバックス編集部
「虫こぶ」って知ってますか?
アブラムシといえば、昔から個人的に気になっていることがあった。私が小学生の頃に流行った、あのねのねの『赤とんぼの唄』のことである。そこでは、赤とんぼの羽根を取ったらアブラムシになる、と歌われていた(さらに、アブラムシの足を取ったら柿の種になる、とも。なんて乱暴な歌なんだ)。
私は当時、この歌を聴くたびに、「アブラムシの身体ってそんなに長いか?」と首をひねっていたのだった。なぜみんな、あれを黙って受け入れていたのだろうか。じつに不思議である。
しかし、今回の探検で解き明かされる謎はそんなことではない(当たり前だが)。産業総合研究所の生物プロセス研究部門で主任研究員をつとめる沓掛磨也子さんらは、「兵隊アブラムシが巣を修復するしくみ」を解明したというのだ。
でも、兵隊アブラムシってなんだ? アブラムシから何かを取ったら、兵隊アブラムシになるのか?
興味津々でつくばの産総研にある研究室を訪ねたわれわれ探検隊に、沓掛さんがまず見せてくれたのは、アブラムシではなく、木の枝だった。よく見ると、葉や茎に、何やら不穏な変形がある。ちょっと病気っぽい雰囲気もなくはない。
「これは、『虫こぶ』と呼ばれるものです」
沓掛さんは言った。
「虫こぶというのは、植物に寄生した昆虫が、植物をさまざまに変形させて、巣として利用しているものです。虫こぶを作る昆虫はいろいろいますが、アブラムシの中にも虫こぶを作る種があるんです。アブラムシの種類によって、作られる虫こぶの形も違います。これはイスノキという常緑樹に作られた、モンゼンイスアブラムシの虫こぶです」
寄生したアブラムシが、針のような構造の口でチクチクと芽や葉の表面などを刺すと、その部分が活発に細胞分裂を始めて、虫こぶになるのだという。
「いわば細胞が『がん化』するようなものです。おそらく、アブラムシの唾液の成分に植物の形状を変えてしまう化学物質が含まれているのだと思われますが、詳しいことはまだわかっていません。植物には発生のプロセスを司るホルモンがあるので、それと似た物質を使って、植物を乗っ取っているのかもしれませんね」
恥ずかしながら私は「虫こぶ」なる言葉を初めて知った。だが、沓掛さんの手元には『虫こぶハンドブック』や『虫こぶ入門』といったタイトルの本もあった。世の中には、野草ウォッチングや野鳥ウォッチングなどと同じく、虫こぶウォッチングの愛好家もたくさんいるのだという。世界は広く、そして、深い。
「世界には約5000種のアブラムシが存在しますが、虫こぶを作るのはそのうち10%程度です。アブラムシには社会性を持つものもいて、それらの多くは、虫こぶを作ることが知られています。ただし、虫こぶを作るからといって、社会性があるとはかぎりません」
アブラムシの世界もなかなか複雑なのだ。
兵隊アブラムシは国防軍の幼年兵
社会性がある昆虫といえば、よく知られているのはアリやハチだ。「女王アリ」や「働きバチ」といった階級があり、子孫を残す個体と、子孫を残さずひたすらコロニー(群れ)のために奉仕する個体がいる。アブラムシにも、社会性を持つ種が80種ほど存在することがわかっているという。
「ハチ、アリ、そしてシロアリに続いて、アブラムシが第4の社会性昆虫だとわかったのは、わりと最近のことです。1977年に、当時まだ大学院生だった青木重幸さん(現・立正大学教授)が発見しました」
それは、進化生物学における大発見だったという。
「ただし、アブラムシはハチやアリと違って、そのコロニーで子孫を残せる個体は『女王』だけ、というわけではありません。多くの個体が子孫を残すことができます」
アブラムシ、意外に民主的? と思いきや、話には続きがあった。
「その一方で、外敵から仲間を守るためだけに存在する個体もいるんです。それが、兵隊アブラムシです。青木さんがアブラムシに社会性があることを明らかにしたのも、不妊の兵隊アブラムシを発見したことがきっかけでした」
♪アブラムシから繁殖能力を取ったら兵隊アブラムシ……ものすごく字余りではあるが、あのねのねなら、そう歌うかもしれない。
しかし実のところ、兵隊アブラムシとは「本来あるはずの繁殖能力を失った個体」とはちょっと違う。むしろ、「繁殖能力を身につける前の個体」といったほうがいい。つまり「幼虫」なのだ。アブラムシの社会では、未成年を徴兵して「国防」にあたらせている。何ともムゴい話である。
ただし、すべての兵隊アブラムシが不妊というわけではないという。このあたり、アブラムシの社会はいささか込み入っているので、順を追って説明しよう。
複雑怪奇なアブラムシ社会
まず、アブラムシは基本的に単為生殖(メスがメスを生む)という形式で殖えていくので、子はみんな親と同じ遺伝子を持つクローンである。したがって、基本的にはみんな、メスなのである。
また、社会性を持つアブラムシは「真社会性アブラムシ」と「前社会性アブラムシ」という2つのタイプに大別される。
真社会性アブラムシの場合、同じ齢の幼虫が「生殖型幼虫」と「兵隊幼虫」に分かれる。遺伝子が同じなのに、姿かたちや生き方が大きく違うのは不思議だが、どの遺伝子が発現するかによって違いが生じるのだという。遺伝子の発現のしかたは、後天的な環境によって決まるそうだ。いずれにしても真社会性アブラムシは、兵隊になると、もう生殖型には戻れない。
しかし、一方の「前社会性アブラムシ」はそこまで役割分担が厳密ではなく、ある時期まで幼虫はみんな兵隊である。それが成虫にまで育つと、生殖能力が備わるのだという。兵隊の期間は、外敵からコロニーを守るために戦わなくてはならない。明日をも知れぬ状況で戦いつづけて、運よく大人になるまで生き延びた個体だけが、子孫を残すことができるのだ。
社会性アブラムシには、さらに面白い特徴がある。
「基本的には、おおむね1ヵ月に1世代のペースで、メスが単為生殖でクローンのメスを生むのですが、1年に1回だけ、オスとメスの両方が生まれるんです。そしてこのときだけは、オスとメスによる有性生殖が行われるんですね。やはり、ずっとクローンばかりで繁殖するのは、遺伝的に不都合が生じやすいのでしょう」
有性生殖によって生まれた個体のことを、「幹母」という。そしてなんと、この幹母だけが、虫こぶを作る能力を持っているのだという。
春に生まれた幹母は、虫こぶ作りにとりかかる。できあがった虫こぶの中には、最初は幹母が一匹だけ住んでいる。それが単為生殖でどんどん増殖し、多ければ数百匹のコロニーになるのだ。ところが、季節が進むと、虫こぶに穴が開く。新天地をめざして、よそに「移住」する個体がいるからだ。
「羽根の生えた個体が生まれて、虫こぶの脱出口から飛び立って、別の植物に移るんですね。新しい場所では、虫こぶを作らずに増殖していくことが多いようです」
ええっ、アブラムシにも羽根が生えるのか! あのねのねによって「アブラムシには羽根がない」と思い込まされてきた世代にとっては、かなり衝撃的な事実であった。
命と引き換えの勝利
しかし、そんなことに驚いている場合ではない。今回の探検は、ここからが本題なのだ。兵隊アブラムシは、どのようにして外敵から仲間を守っているのか。それを調べていた沓掛さんらは、実に面白いことを次々に発見したというのである。
まず沓掛さんは、アブラムシの敵であるガの幼虫を、兵隊アブラムシが攻撃しているところを撮影した動画を見せてくれた。
「ふつうのアブラムシなら、こんな大きな敵がやってきたら抵抗できずに逃げるか、食べられるかしかありません。でも兵隊アブラムシたちは、こうして敵に群がって、針状の口から毒を注入します」
「私たちは2004年に、この毒の主成分がカテプシンBというタンパク質消化酵素であることを突きとめました。タンパク質消化酵素なのに、普通幼虫からは検出されず、兵隊幼虫からだけ検出されたので、通常の消化酵素として機能しているわけではないとわかったんです」
この毒を注入すると、侵略者は死亡するか、麻痺して木から落ちてしまう。国防軍の勝利である。ところが、敵を撃退した兵隊アブラムシたちも戦いによるダメージは大きく、ほとんどがそのまま死んでしまうらしい。敵もろとも木から転落して、そのまま巣に帰れなくなることも多いという。戦えるのは一生に一度きりなのだ。
しかし、兵隊アブラムシの任務は、毒を使って敵を攻撃することだけではなかった。
悲壮感ただよう「虫こぶ修復」
モンゼンイスアブラムシの兵隊には、コロニーを守るために、もうひとつ重要な仕事がある。
「植物の液をエサにしているアブラムシにとって、虫こぶは住まいであるだけでなく、食べものでもあるんです。つまり、虫こぶは栄養満点な状態になっているんですね。しかしそれは、鳥やガの幼虫などにとってもご馳走となるわけですから、とても狙われやすい。とくに虫こぶが急激に大きくなる春先は、壁が薄くてやわらかいので、簡単に穴を開けられてしまうんです」
虫こぶにできた穴は、放っておくと大変なことになる。植物の組織が乾燥して死んでしまい、ついには虫こぶそのものがダメになって、中にいるアブラムシが全滅してしまうのだ。そこで、またしても兵隊アブラムシの出番となる。今度は虫こぶの修復である。
「修復」と聞くと、最初に幹母がゼロから虫こぶを作ったのと比べて、穴をふさぐだけなのだから簡単だろうと読者も思われるのではないだろうか。
しかし、沓掛さんが実況しながら見せてくれた動画は、壮絶だった。
「虫こぶの穴は、私が実験のために開けました。すると、まず近くにいた一匹が、お尻の角状管から白い体液をドバドバと放出したんです。おそらくこの液の中に、仲間を集めるフェロモンのようなシグナルがあるのでしょう」
やがて兵隊たちがどんどん集まってきて、みんなで体液を出しはじめた。出すだけでなく、一生懸命に混ぜている。これによって、体液が固まりやすくなるらしい。こうして見る見るうちに、穴はふさがっていった。みごとな匠の技である。
「しかし、中には自分が体液に塗り固められて身動きできなくなってしまったり、穴の外で作業をしていて修復後に取り残されてしまったりする兵隊もいます。そうなると、そのまま死んでしまいますから、ほとんど捨て身の仕事です。生還できたアブラムシでも、体液を大量に出して体が3分の1ほどに縮んでしまっているので、すぐには死ななくても、生ける屍のような状態になってしまいます」
兵隊アブラムシが出す体液は、いわば血液のようなものだそうだ。「血税」とは、もともとは徴兵制度を意味する言葉だが、アブラムシの兵隊はまさに、自らの血を大量に提供することで、仲間の暮らしを守っているのだった。嗚呼!
私たちは「部品」である
「虫こぶの修復された部分は、次第に変色して、茶色いかさぶたのようになります。私たちは昨年、アブラムシの体液に含まれる成分が固まるしくみを解明して、フェノール酸化酵素という物質が大きな役割を果たしていることを突きとめました」
「これは、昆虫がけがをしたときに、かさぶたを作るのに使われる酵素なんですね。この酵素が、兵隊アブラムシの血液にはたくさん蓄積されていました。まさに、自分がけがをしたときのようにかさぶたを作って、虫こぶを修復しているわけです」
そのあとの沓掛さんの言葉は、じつに考えさせられるものだった。
「昆虫が自分の体にかさぶたを作るのには、血球が関わっています。だとすれば、兵隊アブラムシは一匹一匹が、血球のような役割を果たしているともいえます」
アリやハチのような社会性昆虫では、「女王」を中心とするコロニー全体がひとつの「超個体」と見なされることもある。そう考えれば、自らは子孫を残さない働きアリや働きバチの利他的な行動も、「超個体」の遺伝子を次世代につないでいくためと理解できるわけだ。
それと同じように、社会性アブラムシのコロニーも「超個体」だとすれば、兵隊アブラムシはその「細胞」のひとつと見なせるということである。“彼女たち”はいわば、かさぶたを作って巣を修復するための「部品」となるために進化したということだろうか。
植物の再生までやっていた
「じつは、虫こぶの修復はこれで終わりではなくて、まだ続きがあるんです」
兵隊たちの修復を映した動画が終わったあと、沓掛さんはそう言った。
「私たちがけがをすると、かさぶたの下で新しい皮膚が再生しますよね? それと同じように、兵隊アブラムシが作ったかさぶたの下では、植物の組織が再生するんです。それは植物が自分でやっているわけではありません。私たちの実験によって、兵隊アブラムシが組織の再生を誘導していることがわかったんです」
虫こぶを作るときと同じように、唾液で刺激することによって、1ヵ月ほどかけて再生させるのだという。命がけで体液を放出して作るかさぶたは、その時間を稼ぐためのいわば応急処置だった。兵隊アブラムシの虫こぶ修復作業は、そういう二段構えになっているのだ。
これだけ聞かされればどうしても、兵隊アブラムシに感情移入してしまう。しかし考えてみると、ここまでアブラムシに支配されている植物のほうも、気の毒なのではないだろうか。穴をふさいだり組織を再生したりしてくれるのはいいけれど、そもそも虫こぶを作られなければ、襲われて穴が開くこともない。それとも、植物の側にも何かよいことがあるのだろうか。
「植物の側にはおそらくメリットはないでしょうね。虫こぶができすぎると、木に悪影響を及ぼすかもしれません。でも、そもそもアブラムシがどうやって虫こぶを作るのかがまだよくわかっていません。どうして植物の形や性質を変えることができるのかがわからないんです」
「それを理解するために、もっと研究を続けなければいけません。昆虫が植物のホルモンに似た物質を合成できることは徐々にわかってきているのですが、ほかにもさまざまな物質が関与しているはずです」
実験室でアブラムシに虫こぶを作らせるのは難しいので、沓掛さんは春になると、野生の虫こぶを集めるためにあちこちに出かけるそうだ。花見は自粛ムードが広がる今年の春だが、散策しながら木々を眺めるのは問題あるまい。身近なところでこんな自然の奥深さを垣間見ることができるなら、私も虫こぶウォッチャーになってみようと思う。