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- よい睡眠は食事でつくれる!?
- 睡眠に悩む現代人が増えている その理由とは…
講談社ブルーバックス編集部が、産総研の研究現場を訪ね、そこにどんな研究者がいるのか、どんなことが行われているのかをリポートする研究室探訪記コラボシリーズです。
いまこの瞬間、どんなサイエンスが生まれようとしているのか。論文や本となって発表される研究成果の裏側はどうなっているのか。研究に携わるあらゆる人にフォーカスを当てていきます。(※講談社ブルーバックスのHPとの同時掲載です。)
2017年10月4日掲載
日本人の5人に1人は睡眠に問題をかかえている
「スリーマイル島の原発事故(1979年)、チェルノブイリの原発事故(1986年)、あるいはスペースシャトル・チャレンジャー号の爆発事故(1986年)など、重大な産業事故につながる失敗が起こりやすいのは深夜から早朝にかけてですが、この時間帯は“魔の時間”と呼ばれています」
そう語ってくれたのは、産業技術総合研究所・生物時計研究グループのグループ長を務める大石勝隆(おおいし・かつたか)さんです。
近年、大きな社会問題となっている睡眠障害。厚生労働省によれば、日本人の成人の5人に1人が睡眠に問題を抱えていると言われています。睡眠障害は、単に個々人の精神的、肉体的な問題というだけではなく、経済的にも大きな社会問題となっています。日本大学医学部の内山真(うちやま・まこと)教授が2006年に発表した試算では、睡眠不足や不眠症によって生じる経済損失は日本国内だけで3兆5000億円、医療費を含めると、なんと5兆円にものぼると見積もられています。
魔の時間の存在によって、ひとたび大きな事故が発生すれば、さらに大きな経済的な損失、取り返しのつかない問題につながる可能性すらあるのです。
いったいなぜ睡眠に悩む人がこれほど増えているのでしょうか。大石さんによれば、そこには社会の生活時間の変化が関係しているそうです。
「社会の24時間化によって、昼夜のリズム、あるいは食生活のリズムが乱れています。本来であれば眠っているはずの魔の時間に活動をすることが求められたり、私たち人間が、生物として生まれながらに持っている生活のリズムとは異なるタイミングで食事をしていたりする。そのようなリズムの乱れが、睡眠障害をはじめとして、肥満とか高血圧とか糖尿病といった生活習慣病の増加と関係していると言われています」
大石研究室では、この睡眠障害という問題に対して、食を中心とした生活習慣を変えることによって、生体リズムを改善していくことを目標にしています。
「たとえば睡眠薬を使って無理やり寝かせて、どうだ、治っただろうというような対症療法ではなくて、根本的な治療に結びつく技術を開発していきたい」
そう意気込みを語る大石さんは現在、どのような研究をしているのでしょうか?
「睡眠障害の研究をするといっても、はじめから人を対象として試験をすることはできません。まずは動物モデルを使って、たとえば、睡眠障害を改善するような食品成分を探索することになります」
実際に大石研究室では、マウスを使った実験によって、いくつかの食品がストレス性の睡眠障害を改善する効果があることを発見するなど、さまざまな成果を挙げています。たとえば、世界で初めて、乳酸菌が睡眠に効くことを明らかにしています。
睡眠を研究することのむずかしさ
動物を用いた研究で、よく用いられるのはマウスですが、実は、マウスで睡眠の研究をするのは、想像するほど簡単ではありません。これまでの多くの実験では単純に眠らせないようにした(断眠させた)マウスを使っていましたが、大石さんは、それでは睡眠障害の特徴を見逃してしまう可能性があると指摘します。
「たとえば糖尿病の治療薬を開発するときには、糖尿病のモデル動物が必要になります。同じように睡眠障害の研究をするためには、長期的に見て睡眠のリズムが乱れたようなモデル動物が必要です。健康なマウスを一時的に断眠させたのでは、睡眠障害の真のメカニズムは解明できないと考えています」
睡眠のリズムが乱れたマウスをつくる!? いったいどうやって? どんな疾患でも、その原因は遺伝的な要因と、環境要因とにわけることができます。たとえば、遺伝的な要因からみると、生物には生体リズムを制御している時計遺伝子というものがあり、この時計遺伝子を欠損させたマウスは、たしかに睡眠障害に陥るのです。しかし、これは多くの人が悩んでいる睡眠障害とは異なるものです。
「環境的な要因によって体内時計を乱す、睡眠を乱す、そういうモデル動物を開発しないと、人の疾患メカニズムというのは、わからないだろうと考えています」
そこで大石さんが着目したのが、ストレスです。動物を使ったストレス実験はさまざまなものがありますが、実際に睡眠が乱れるようなストレスというのは、意外にもなかなか見つからなかったそうです。大石さんが見出したのは、飼育するケージの底に、薄く水を張るという方法です。聞いてしまえばとても単純なものですが、この方法を発見するまでには、さまざまな試行錯誤があったそうです。こういう意外なところに、研究者の苦労が隠れているんですね。
この、睡眠障害のマウスを使うことで、予想通り、これまで見えていなかった事実が明らかになってきました。たとえば、それまでの研究で睡眠障害になると脳内での量が増えると言われていた、「HOMER1」というタンパク質があります。断眠したマウスと睡眠障害のマウスで比較してみたところ、「HOMER1」は一時的な断眠状態にしたマウスではたしかに増えているけれど、大石さんが開発した手法で睡眠障害にしたマウスではじつはあまり変わっていなかったことが明らかになりました。
「つまり、HOMER1が睡眠障害の特徴であるという従来の考えは誤りである可能性があります。短期的な断眠実験と、長期的な睡眠障害にしたモデル動物では、別の特徴を見ていると考えています」
また、このような実験から、睡眠障害のときには、普段は厳密に保たれている血中のアミノ酸バランスがどのように変化するかを調べることで、睡眠障害を客観的に評価する基準をつくることができる可能性もあるそうです。
食生活でマウスの睡眠障害が改善
マウスを睡眠障害にする方法を開発したことで、睡眠障害を改善するための研究も進んでいます。一例として、サッポロビールとの共同研究について紹介してもらいました。
「サッポロビールがもっているSBL88(Lactobacillus brevis SBC8803)という乳酸菌を用いています。この菌については、すでに整腸効果以外にも、アレルギー性体質を改善する効果や、飲酒に対する肝機能の保護効果が報告されていて、睡眠にも効くかもしれないといわれていました。これをまず健康なマウスに食べさせて睡眠中の脳波のリズムを測ってみると、活動している時間帯をより元気にするような作用があるのではないかということがわかってきました。さらに、睡眠障害にしたマウスにも食べさせてみたところ、睡眠の乱れを原因とする活動量の低下が抑えられるというような効果が見えてきました」
実験の結果を詳しく見てみましょう(図1)。横軸は時間で、左半分が昼間(マウスは夜行性なので、この間が睡眠時間帯となります)、右半分が夜間(マウスの活動時間帯)です。縦軸は、一時間あたりの輪回しの回転数、つまり活動量を表しています。健康なマウス(青の線)では、昼に活動性が低く、夜に活動性が高くなっています。一方で、睡眠障害にしたマウス(水色の線)では、夜間の活動性が低下し、逆に昼間の本来なら寝ている時間(8時から12時)に活発に活動していることがわかります。
このマウスにSBL88乳酸菌を与えるとどうなるでしょうか。睡眠障害にしたマウスにSBL88乳酸菌を摂取させたところ(赤の線)、夜間(夜行性のマウスにとっての活動期)の活動量の低下が抑えられたのです。
SBL88乳酸菌については、人での試験も行われており、同じように改善効果が見られたという論文も発表されています。ただし、どのようなメカニズムで乳酸菌が効いているのはまだよくわかっておらず、これからの研究課題になっています。大石さんは、どう考えているのでしょうか?
「乳酸菌のもっている物質が腸内の免疫系に作用しているんじゃないかとか、乳酸菌の細胞壁に含まれる成分が作用しているのではないかとか、自律神経系を介して脳に作用しているのではないかとか、そういったことを考えています」
また、最近では、乳酸菌の他にもオキアミ油(クリルオイル)などで、乳酸菌とは全く異なる睡眠障害の改善効果が見つかってきています。オキアミ油には、EPAやDHAなどの様々な機能性成分が含まれており、サプリメントとしてすでに利用されていますが、睡眠への作用が明らかになってきたのはとても興味深いことです。
生活リズムを決めているのは「時計遺伝子」
そもそも、人間の規則正しい睡眠のリズムはどのようにして作られているのでしょうか? ここで重要な役割をはたしているのが、私たちの体に備わった体内時計と呼ばれるものです。体内時計とは、地球上のほとんどすべての生物がもっている、地球の自転周期に一致した約24時間のリズムを刻むシステムです。最近の研究から、この体内時計が時計遺伝子と呼ばれる遺伝子群によって動いていることがわかってきました。
それでは、睡眠リズムの乱れ=体内時計の乱れ、と考えてよいのでしょうか? 実は、それほど簡単ではないようです。
「哺乳類の体内時計の中枢は、脳内の視床下部に存在しており、中枢時計とよばれています。中枢時計の位相は、環境の明暗リズムによってほとんどすべて決まってしまっていて、食のリズムをかえても、中枢時計のリズムは変化しないんです。睡眠のリズムが乱れるというのは、実は、時計自体ではなくて、時計から睡眠を制御するメカニズムにおいて何らかの問題が起こっているのではないかと考えています」
つまり、体内時計の刻む時間と、睡眠をはじめとする生理機能のリズムがうまく合っていないような状態が、疾患として現れると考えられているのです。
大石研究室では、より積極的に体内時計のメカニズムを利用する方法についても研究を行っています。たとえば、同じものを食べる場合でも、朝食べるのと夜食べるのでは、どのように体への影響が異なるのか? といったことが体内時計との関係で明らかになってきているというのです。次回はこのような「時間」と「食」をつなぐ「時間栄養学」について大石さんにお話を伺います。