動く情報提示「ダイナミック・サイン」を安全で見やすく
動く情報提示「ダイナミック・サイン」を安全で見やすく
2023/02/22
動く情報提示「ダイナミック・サイン」を安全で見やすく標準化でけん引する未来のサイン
産総研は三菱電機株式会社(以下、三菱電機)と共同で、動的情報提示技術である「ダイナミック・サイン」の国際標準化を推進し、2021年末、その第一歩となる一般的要求事項の規格化を実現した。(2021/12/07 プレスリリース記事)この国際標準は、ダイナミック・サインが重視する見やすさや安全性、多くの人に向けた使いやすさの標準を定めた規格で、産総研と三菱電機が中心となって、2015年からISO規格化を進めてきたものである。ダイナミック・サインの効用と将来の可能性から標準化の必要性に着目し、日本主導で進めてきた標準化の歩みを、2人の研究者にたずねた。
「動く」「変えられる」ことで情報を的確に伝達
「ダイナミック・サイン」という言葉を目にしたり耳にしたりしたことはあるだろうか。
この言葉自体はあまり一般的に使われていないが、「エスカレーターや動く歩道の乗り口を動く矢印で示しているサインなど」と聞けば、「ああ、あれか」と気づく人も多いだろう。複数のエスカレーターが並列している駅などでは、時間帯によって上り下りが制御されていて、矢印から進入禁止のマークに変化するようなサインもある。このように、動きや表示の変化で情報を伝えてくれるものがダイナミック・サインである。
産総研でダイナミック・サイン国際標準化に取り組んできた、人間情報インタラクション研究部門の渡邊洋は、ダイナミック・サインについて次のように説明する。
「ダイナミック・サインは、『動く』『変えられる』という2つの機能を備えたサインのことを指します。動くことで見やすく、見つけやすくなり、誘導や警告のメッセージを的確に伝えられます。もう一つの重要な機能が、プログラム次第でその時に必要な表示に変えられるので、最適なメッセージを提供できることです」誘導や警告を動きと可変表示で伝える情報提示技術がダイナミック・サインというわけだ。
プロジェクターやLEDなどの表示技術の発達と、小さなチップで表示内容を制御できるような情報処理技術の進化に伴い、多くの場所でダイナミック・サインが使われるようになってきた。エスカレーター以外にも、美術館の展示室への順路の表示、レストランの誘導、工場のフォークリフト待機の案内など、世界中、様々な場所で使われている。
三菱電機は、産総研との標準化作業と並行して、手軽にダイナミック・サインを導入できるアニメーションライティング誘導システム「てらすガイド®」を開発し、2020年に製品化した。このシステムは床置きの小型投影機で、標準的な案内図のテンプレートに加えて編集アプリケーションも提供し、「動く」「変えられる」サインを手軽に投影できる。
三菱電機統合デザイン研究所産業システムデザイン部の坂田礼子は、「駅や病院などで案内を表示したり、新型コロナワクチン接種会場への動線の案内に利用したりする際に、『てらすガイド』が使われています。表示を動的に変えられる機能を利用して、駐車場の混雑状況に応じて入場車両を誘導する矢印の向きを遠隔操作で変えるといった使い方もあります」と事例を紹介する。「てらすガイド」は、床置きで必要な場所に自由に移動して情報を提示できるため、ダイナミック・サイン活用の自由度をさらに高めているという。
渡邊は、「新幹線の車内で古くから電光掲示板に流れる文字でニュースや駅の案内が表示されているように、動く情報を提示することのメリットは広く知られていました。そこに最近のプロジェクターやLEDの技術進化が組み合わさり、ダイナミック・サインの活用が拡大してきています」と現状を分析する。
動く情報を見やすく安全に提示する基準の必要性
一方、ダイナミック・サインの普及によって、思わぬリスクが生じる可能性もある。
「文字が小さく、煩雑なサインは、動いても見やすくありませんし、階段の上部に提示すれば、ダイナミック・サインに見とれて足を踏み外すこともあるでしょう。見せ方や動かし方によって、伝えるべきものが伝わらないだけでなく、危険につながることもあります。単に普及させるだけでなく、人間工学的な配慮が求められるようになってきました」(渡邊)
そこで、科学的データに基づいたガイドラインを国際標準規格として作るプロジェクトが動き始めた。今ではこの情報提示技術はダイナミック・サインと呼ばれているが、国際標準化プロジェクトが動き出した当初は、定まった名称もなかった。
「最初はプロジェクションサインと呼ぶ案も有力でしたが、プロジェクターなどの投影機器の種別を想起させることから、ダイナミック・サインに決まりました」(渡邊)、プロジェクトのスタートにあたり、ダイナミック・サインの規格がカバーする範囲も議論に上った。動く、変わるという要件を満たすサインであっても、非常口の表示など避難誘導にかかわるものはダイナミック・サインの範疇から切り離した。人命にかかわるものや、広告としての利用はダイナミック・サインに含めず、「誘導」「警告」の用途に限ったものとして線引きをしたのである。
渡邊は、「ダイナミック・サインに起因する重大な事故はまだないと思います。しかし、普及すればリスクは高まります。事故やリスクを回避するためにも標準化が必要との認識から、規格化を進めました」と説明する。坂田も「これから普及スピードが高まるタイミングで、ダイナミック・サインの用語、定義、ルールを早いうちから作ってしまおうというプロジェクトを立ち上げたことが、今回の規格化の成果につながっていると思います」と語る。
ISOに提案し日本主導で規格化を実現
ISO(国際標準化機構)で規格化されたのは、ダイナミック・サインに関する国際標準化規格の一般的要求事項であるPart 1の部分だ。(ISOのWEBサイト)ISOには数多くの技術委員会(TC)があり、人間工学に関する議論はTC159で行う。そのなかの分科委員会の一つとして、ダイナミック・サインに関する作業グループを設立し規格化を進め、産総研と三菱電機は、このグループの中心となって活動した。ISOで実際の活動が始まったのは2018年のことで、日本、韓国、中国、マレーシア、イタリア、英国、イスラエルの各国からメンバーが参加して、議論を進めた。
Part1の一般的要求事項(General requirements)では、「視認性」「安全性」「アクセシビリティ」について考慮すべき内容をまとめている。「視認性」では、文字の提示やサインの色や形、動かし方について、「安全性」では光の点滅でショックを生じさせる光感受性や映像酔いについて、そして「アクセシビリティ」では高齢者や車いす利用者、言語などの多様性への対応について、ガイドラインを設けている。
産総研と三菱電機が共同でダイナミック・サインの規格化に向けて取り組みを始めたのは、ISOでの活動を始める3年前、2015年であった。「ISOの規格化の検討を始めてから2年ほどはロビー活動をしました。ダイナミック・サインの規格化が必要なことの訴求が受け入れられ、比較的スムーズにWG7の設置まで進みました」(渡邊)
とはいえ、規格化のプロジェクトは3年間(36カ月)で規格発行に至らないと消滅してしまう。各国の事務局やエキスパートの考え方の相違、担当者の引き継ぎの問題などで手間がかかることもあり、時間との戦いであった。予期せぬトラブルもあった。WG7の設置の段階で、ISOの事務局側の手続きミスでプロジェクト開始がキャンセルされていて、立ち上げすらできない可能性が生じたのだ。「キャンセルの表示を見て驚きましたが、交渉してプロジェクトが再開できたときはホッとしました」と、坂田はいう。国内では経済産業省のサポートを得て賛同する企業を募り、関係者と連携しながら、規格化のステップを登っていった。
実際の規格化の活動については、「現場でかかわっているのは人間工学分野の研究者ばかりで、人のために技術を向上させたいとの意欲をもって研究していますし、使っている言葉や考え方も近く、やりやすかったです」と、坂田は振り返る。一方で、「2021年末に規格化したPart1の一般的要求事項は、いわば総論です。これまでは総論だからうまく議論が進んだという面もあり、ここから先の各論では反対意見が多くなる恐れもあります」(渡邊)とも見ている。
各論では、ダイナミック・サインを構成する要素について詳細な議論が進み、各国や地域の考え方の違いが表面化してくる可能性もある。そうしたなかで、日本の強みは「規格文書を作るだけでなく、実験環境を持って実験データを取ることができます。データがこう言っているというエビデンスを持って、規格化にさらに貢献していくつもりです」(渡邊)
「高齢者には見えにくい」、実験で検証して規格化の根拠に
ダイナミック・サインの効果自体については、三菱電機が標準化プロジェクトと並行して検証を行ってきた。坂田は、「事業部にダイナミック・サインの投影機器のコンセプトを提案し、研究所で作ったプロトタイプを使って実験を重ねました。スポーツイベントの会場では、階段や踊り場に案内を掲示しました。ある鉄道の駅では、行先と違う改札に間違って入場してしまう客が多いことから、ダイナミック・サインを導入しました。大きなポスターなどで掲示しても気づかない人も、ダイナミック・サインで動く掲示にすると注意が喚起され、入場の間違いが減りました」と検証の様子を振り返る。ダイナミック・サインに効果があることは、重ねた実験で確認できたのである。
さらに、ダイナミック・サインがあることで事故を誘引しないかも、実証実験で確認した。「階段付近にダイナミック・サインを掲示する際は、流す情報を整理する必要があることなどがわかってきました。実証実験はISOの規格化にも貢献しています」(坂田)
他方で産総研では、VR(仮想現実)を使った実験環境を用意して、どのような掲示の仕方でダイナミック・サインが有効に機能するかを検証してきた。渡邊は、「日常生活のシーンを模擬して、ダイナミック・サインが出たときに意図を読み取れるかを検証しています。具体的には、地下街で正面が丁字路になっているシーンで、ダイナミック・サインを掲示して、行きたい店が右側か左側か、近いか遠いか、を読み取るものです」と説明する。
掲示の仕方としては、点滅がいいのか、スライドがいいのか、提示の時間は2秒、4秒、6秒にするとどうか、繰り返し表示は1秒間に1回、2回、3回、そして並べ方はどうか。ISOの一般的要求事項に沿ったかたちで、データを収集している。
これらの検証を通してわかってきたことは、情報提示対象者の年代による大きな差異だった。「20代は、どんな条件でもほぼ100点が取れます。一方で60代になると、点滅やスライド、並べ方のパターンによってぐんと点数が落ちてしまいます。表示を複雑にすると、高齢者にはわかりにくいことがデータからも明らかになりました」(渡邊)。ここから、ダイナミック・サインの有効な使い方も見えてくる。若者がメインとなるエンターテインメント施設などでは、デザイナーなどが求める表現スタイルを自由に使ってダイナミック・サインを掲示してもいい。一方で、高齢者が多い病院や介護施設では、個性的なパターンのダイナミック・サインは伝わりにくい。用途に応じた掲示の仕方が求められる。
「ここで、ダイナミック・サインの『変えられる』メリットが生きてきます。IoT技術などと組み合わせれば、若者と高齢者をセンサなどで認識して、ダイナミック・サインの掲示方法を切り替えることも将来的には可能です」(渡邊)。
こうした産総研の取り組みをパートナーである坂田は、「企業の研究所では、規格の内容に合わせてすぐに実験できる環境までは用意できません。条件を変えながらさまざまな実験を迅速に行えるのは、産総研の力だと感じています」と、評価する。
世の中にまだないものの標準を作ることの意義
国際標準化された規格というと、細かく数字で決められた工業規格のイメージが先行する。しかし、ダイナミック・サインのような人間工学的な分野の規格は、少し性格が異なる。「ネジなどの規格とは違って、ガチガチに数字で決めてしまうと使いにくくなります。法律的な存在ではなく、多くの人にとっての合意事項を規格に盛り込んでいくことが重要です」と渡邊は語る。坂田も「デザイナーが、自分がダイナミック・サインをデザインするときに評価基準として使うものというイメージです。整然さ、明るさ、動き方などを評価する際に使ってもらいたいです」という。
産総研と三菱電機のプロジェクトを発端に、ダイナミック・サインの国際標準化が比較的スムーズに進んだことについて、渡邊はこう感想を漏らす。
「多くの人にとって必要性を感じる題材だったからではないでしょうか。デザイナー、ビルなどの設計をする人など、皆さんの関心にマッチしたから協力してもらえたと思います。将来、ダイナミック・サインは、ビルや施設の表示に限定されたツールではなく、情報提示のプラットフォームになりうる技術だと思います。高齢者や車いすの人が近づいてきたら、それに対応した表示をするといった、人や環境に適応した情報提示システムであり、社会のインフラになるべきものです」
さらに坂田は「以前は、標準化は世の中にあるものをルールとして統一することが多い、と考えていました。しかし、今回の経験から、標準化には世の中にまだないものを用意し、けん引していく力があるのだと実感しました」と語る。
これから世の中に求められるインフラでありプラットフォームになる技術を、将来の科学技術と社会の変化を予測しながら規格化する。産総研と三菱電機が主導したダイナミック・サインの規格化への道筋から、日本企業と国際標準化の関わり方の一例が見えてきそうだ。
人間情報インタラクション
研究部門
行動情報デザイン研究グループ
主任研究員
渡邊 洋
Watanabe Hiroshi
三菱電機株式会社
統合デザイン研究所
産業システムデザイン部
ビルシステムグループ専任
坂田 礼子
Sakata Reiko
産総研
情報・人間工学領域
人間情報インタラクション研究部門