凸凹が生み出す機能性ディスプレー素材
凸凹が生み出す機能性ディスプレー素材
2022/04/13
凸凹が生み出す機能性ディスプレー素材 人のつながりが生み出す連携のカタチ
4K、8Kなどの高精細ディスプレー、IoTや自動運転技術を支える高品質で安価なセンサなど、これらに使われる光学部材は、その用途の広がりとともに、反射しないことや曇らないことなどの機能面での向上が必須となり、加えて長時間使用への耐久性も求められている。さらに事業化するとなれば、製造コストの低減も必要だ。産総研は民間企業二社との共同研究を通して、基材への入射角度が小さく、斜め方向から観察しても青色から赤色までの広い波長範囲で反射しにくい効果が実現できることに加えて、曇りにくい効果を併せ持つナノ構造体の開発に成功した。その中核には自己形成柱状成膜技術と呼ばれる革新的な技術がある。さらに事業化に向けてナノ構造体を大量生産する技術の実現、そしてさまざまな産業領域での事業化など、企業とのコラボレーションは広範囲にわたる――企業と産総研の連携の歴史を振り返る。
メーカー×商社×産総研 長年の共同研究が結実
2020年秋、産総研は曲面金型の表面に形成したナノ構造体を用いて、射出成形だけで反射防止機能を持つモスアイ(Moth-eye)構造のパネルをつくる技術が完成したことを発表した(2020/11/24プレスリリース記事)。物質の構造そのもので反射防止できるこのパネルは、入射角60度での反射率が従来の反射防止フィルムに比べて7分の1まで低減されるなど、世界最高レベルの低反射特性を有し、同時に高い防曇性も持つ。従来の低反射特性を作り出すために使われていた薄膜コーティング技術よりも、はるかにコストが削減できることも重要なポイントだ。この画期的な研究は、伊藤光学工業株式会社(以下、伊藤光学工業)と東亜電気工業株式会社(以下、東亜電気工業)の2社と産総研の、長きにわたる共同研究の成果だ。研究の実用化までの道のりがなかなか見えない中で、あきらめることなく共同研究を続けた企業と産総研の研究者たちの努力は、果たしてどのようなものだったのか。
産総研には、以前から光ディスク研究の過程で、金型表面に微細な金属ナノ粒子を形成する技術が蓄積されていた。2007年には、ナノ粒子を利用した反射防止機能付レンズの大量生産技術を開発したことを発表している(2007/4/23プレスリリース記事)。これは今回の金型技術のベースになるもので、メガネレンズ製造で知られる伊藤光学工業と産総研などが共同で開発したものだ。
「このとき開発したのは、ナノ粒子を転写パターンを描くマスクとして利用し、表面を削り取るエッチング法により、ナノ構造を付けた金型を作製する方法です。複雑な形状の金型表面にもナノ構造を作製することができるうえ、この金型は射出成形にも利用でき、高性能レンズを大量生産することが可能になりました」と、当時からこの技術に関わってきた製造技術研究部門研究主幹の栗原一真は振り返る。
伊藤光学工業は、その頃、メガネのレンズ製造で培った真空蒸着技術を生かした、光学部品への高付加価値コーティングの開発に取り組んでいた。
「コーティング膜によって反射を防ぐのではなく、物質の構造そのもので反射防止できるという栗原さんたちの技術を知って、これからはこれが主流になるのではないかと直感し、2007年から共同研究に参加しました」と語るのは、伊藤光学工業の齊藤裕二だ。
一方、伊藤光学工業とは別のスキームで、2015年から東亜電気工業と産総研の共同研究も並行して進んでいた。東亜電気工業はエレクトロニクス商社だが、開発部門をもつユニークな企業で、センターインフォメーションディスプレイやヘッドアップディスプレイの表面処理など車載部品の製造販売を主力としている。 東亜電気工業開発部の福井博章は、共同研究に参加したきっかけを次のように語る。
「私たちは日頃からユーザーの声をよく聞ける立場にいるため、技術のシーズと産業界のニーズをマッチングできることが最大の強みです。以前から、太陽光を反射しにくい車載パネルが欲しいという要望を自動車業界のユーザーからいただいていたので、産総研の反射防止効果を持つナノ構造体をつくる技術に大きな関心を持ちました」
研究を支えた事業化への意欲と信頼関係
二社と産総研の間で各々行っていた研究活動が三者共同のプロジェクトになったのは、2019年のことだ。東亜電気工業からナノ構造体を用いた事業展開の話が持ち上がり、産総研が仲介する形で事業のあり方を検討した結果、2012年度からすでに事業を実施していた伊藤光学工業と東亜電気工業が協力して事業を進めることになった。
「伊藤光学工業は、ナノ構造の金型製造に強みがあり、東亜電気工業はそれでつくられた製品の市場開拓に強みがある。両社が協力することで、産総研の技術が社会に広く出ることになる、そう私たちは期待しました」(栗原)
共同研究スキームに変化はあったものの、二つの企業は一貫して、産総研からの技術移転とその事業化に熱心だった。そして産総研も両社の期待と熱意に応えるべく、試行錯誤しながらの研究にチャレンジを続けた。
「試行錯誤しながらの研究への投資は短期間で中断する企業も多くあるなか、長年の間、私たちの立ち位置がぶれなかったのは、新しい技術を心待ちにしている顧客企業がついてきてくれたからです。研究開発当初から関わっている開発者の一人として、この技術を諦めるわけにはいかなかった。産総研も私たちの立場をよく理解して、一緒に研究を続けてくれました」と、伊藤光学工業の齋藤は振り返る。
東亜電気工業の福井もまた、「産総研のナノ構造体技術が普及し、センターインフォメーションディスプレイなどの市場を切り開くには、金型サイズの広面積化がカギを握ると考えていました。実現可能性を探る調査研究と経営判断を踏まえ、伊藤光学さんとパートナーシップを組んで進めるのが最善と判断しました」と、同社のビジネス戦略にとって重要な決断だったと語る。
表面の柱状構造で反射防止効果を作り出す
ここであらためて、この研究の革新性について振り返ってみよう。そもそも、今回の研究が志向したモスアイ構造体とは、どういうものなのか――モスアイ(Moth-eye)の語源となる「蛾(ガ)」など夜行性の昆虫は、暗い夜でも自由に飛び回る。これが可能なのは、複眼の表面にナノレベルの微細な角膜突起が一定間隔で並び、その構造によって、光をほとんど反射することなく取り込むことができるからだ。こうした原理が「蛾(ガ)の目=モスアイ」と呼ばれ、反射防止フィルムなどに広く利用され、モスアイフィルムは、生物模倣技術(バイオミメティクス)を実用化した代表的な例とされている。
三者の共同研究は、広くはこのモスアイ構造の精密化を促すものだが、構造体の生成に新しい技術が用いられている。従来の反射防止フィルムは、真空蒸着法を使って何層もの屈折率の違う薄膜を重ねることで反射を防止するが、今回は薄膜を重ねる代わりに、素材表面の柱状構造に凹凸をたくさんつくることで反射防止効果を出すことに成功したのだ。こうした形状をつくる金型ができれば、それを射出成形に利用して、フィルムだけでなくさまざまな形状のモスアイ構造部品を大量生産できるようになる。
新技術で作り出す素材表面の柱状構造は、「自己形成柱状膜」と呼ばれる。電子顕微鏡で観察すると、これまでの技術ではナノ構造体の表面に無機粒子の平らな薄膜が成膜されるだけだったのだが、自己形成柱状膜では、ナノ構造体の内部に、まるでスポンジのような柱状の構造が自己形成されていることが確認できる。このスポンジ構造があることで、入射角が浅くても光を反射しづらくなると考えられている。
この複雑な構造体を形成するためには、成膜工程における技術的な革新があった。通常、成膜時には、無機材料の粒子と粒子が、散乱源による散乱(衝突)で相互に妨害されること無く進むことのできる距離である「平均自由行程」を十分にとり、粒子が衝突しないように制御する。しかし、今回の技術では粒子の平均自由行程を従来の10分の1の長さにまで短くするよう装置を制御することで、粒子と粒子が互いに衝突し、ナノ構造体の中に、別のナノ構造体がつくられるようにしたのだ。これは、「成膜時には粒子を衝突させない」という従来の常識を逸脱した方法だった。
ところが実は、この発見は意図したものではなかった。
「きっかけは、東亜電気工業から『車載用のカーナビパネルの耐スクラッチ性を高めるために表面硬度をもっと上げられないか』という相談があったことでした。そこで無機膜でコーティングすることを思いついたのですが、そのうち性能に特徴があるものができた。これは何だろうと突き詰めて調べたり、評価したり、検証を進めた結果、こうした特徴的な柱状の構造体ができあがっていることがわかったのです。平均自由行程を短くすると分子の直進性が下がるというのは一般的に言われていることで、これを使えば表層が堅くなるだろうと予測してはいたのですが、単なる堅い表層膜ではなく、不思議な柱状構造ができているのを見たときは驚きでした」と、栗原は語る。
思わぬ“副産物”として防曇(ぼうどん)効果
予想していなかった新しい構造体の発見。それはさらに思わぬ“副産物”を生んだ。それが防曇効果(曇りにくさ)だ。
そもそも、なぜガラスなどの物質の表面は曇るのか。それは水滴が原因である。湿度の影響で表面に付着した水滴が光の波長以上の大きさに成長すると、水滴表面で光が散乱し、それが視界をさえぎるようになる。曇り止めで重要なのは、この水滴を光の波長以上に大きくさせないこと、あるいは水滴を小さなままで水膜にしてしまうことだ。水膜にすれば表面は平たんとなり、光は散乱せず、結果的に曇り止め効果を生む。
今回のナノ構造体が、なぜ高い防曇効果をもつのかについて、栗原は「詳細なメカニズムはまだ解明できていない」としつつも、「これもまた低反射性とのメカニズムと同様に、複雑な柱状構造が一種のスポンジ効果を生んでいるためではないか。つまり、編み目のように広がる柱状構造が水を吸い込むというしくみがナノレベルで起こっていて、水滴が形成されにくいからだろう」と、推測している。
新しいナノ構造体の表面に生成する親水性の無機膜は長期間にわたって維持でき、それが高い防曇効果を発揮する。昼夜を問わずクリアな視界が保たれることが望まれる自動車や家電製品のディスプレーパネルや、センサ部品として長時間厳しい環境で稼働することが望まれる小型超広角レンズへの適用などが期待されている。ほかにも、マスクをしていても曇らない医療用シールド、水滴が付着しても視界が妨げられることのないカバーガラスなど、幅広い産業用途への応用も期待できる。
伊藤光学工業と東亜電気工業の両者は事業提携関係を強め、産総研からライセンス供与を受けた大面積ナノ構造体金型や、その金型による成形品を市場に供給する事業を進めている。2021年には、約50 cm角の大面積3次元ナノ構造金型量産製造ラインの操業を開始、自動車やファクトリーオートメーション、一般消費者向けなどの市場への投入が一気に進む見込みだ。
このように、長期間にわたる企業とのパートナーシップ、そこで生まれた企業同士のコラボレーションは、産総研にとって大きな財産である。
「画期的な新技術を生み出すだけでなく、技術を移転し、企業で使われている装置を用いて製品をつくることをサポートすることが、わたしたちの役割です。今後も、社会に必要とされる技術を作り出せるよう、未来を見据えた研究開発に取り組んでいきます。その過程で、企業の方からの情報、産総研側からの技術の提供は必須です。産総研から技術の「橋渡し」が行われるだけでなく、技術情報が循環し、実りある関係を構築していくことがひとつの連携のカタチではないかと考えています」 栗原はこれまでの組織と組織、そして人と人との連携を振返り、そう締めくくった。
「企業からの情報や要求からバックキャストして、技術を改良し、新しい技術をつくりだし、それをさらに企業にフィードバックする、そのような関係を今後も続け、新しい事業の創造に貢献していきたいと思います。」と、栗原は技術の橋渡しの先にある事業化に対する期待を語った。
エレクトロニクス・製造領域
製造技術研究部門
研究主幹
栗原 一真
Kurihara Kazuma
東亜電気工業株式会社
営業開発本部
開発部
開発2課
課長
福井 博章
Fukui Hiroaki
伊藤光学工業株式会社
光学事業部
営業課
モスアイ加工室
課長
齊藤 裕二
Saito Yuji
産総研
エレクトロニクス・製造領域
製造技術研究部門