社会課題を科学技術で解決する
社会課題を科学技術で解決する
2021/01/29
社会課題を科学技術で解決する 変化する社会の中で、社会のために、
産総研が果たすべき役割とは
- #エネルギー環境制約対応
- #少子高齢化対策
- #国土強靭化・防災
- #感染症対策
環境・エネルギーや少子高齢化の問題など解決すべき課題が山積しているなか、2020年には新型コロナウイルス感染症の世界的な拡大という新たな問題も発生した。
これらの重要な社会課題に対し、科学技術は何ができるのか。
日本で最大級の公的研究機関である産総研はこの命題に対し、どのように臨んでいくのか。
石村理事長に産総研の方針と今後の展望について聞いた。
社会課題の解決を技術の社会実装で実現する
──2020年4月、産総研の理事長に着任されて1年弱が経過しました。まず、率直な感想をお聞かせください。
石村私は産総研に着任する前、AGCで40 年以上、商品をつくり、それを世の中に出していく製造業の仕事に従事していました。それに対して産総研は、モノ・商品は基本的につくらず、研究開発をして、その成果を何らかのかたちで社会に実装していく組織です。このような組織での仕事は経験したことがなく、最初は「まったく違う世界にきたな」と感じました。
製造業であれば、商品価値やユーザーの利便性の向上を追求し、その結果がビジネスになるというわかりやすさがあります。では、こうした直接の貢献が難しい産総研では、どのようにアウトプットを出していけばよいのか、ということを最初に考えました
産総研は2020年度から第5期中長期目標期間に入り、「世界に先駆けた社会課題の解決と経済成長・産業競争力の強化に貢献するイノベーションの創出」をミッションに掲げています。「社会課題の解決」も「産業競争力の強化」も目的は明確ですが、成果を測定することも、実際にそこに向けてどのような研究開発をしたかを評価することも難しいと感じています。
──その中で産総研の役割をどのように認識し、どのようにかじ取りをしていこうとお考えでしょうか。
石村諸外国に比べて資源が豊富ではない日本は、何らかの付加価値を生み出し、世界にその価値を届けなければ生き残っていけません。だからこそ科学技術を高度化して価値を生んでいくことが重要となります。先端的な科学技術の研究開発を行う産総研は、そのなかで非常に重要なミッションを担っていると実感しています。ただ、それを実現していくに当たっては、まず、これまでの取り組み方を検証し、変えるべきところは変えていく必要があります。
社会課題の解決として、当初は「エネルギー・環境制約への対応」「少子高齢化の対策」「強靭な国土・防災への貢献」の3点にフォーカスしていましたが、現在は「新型コロナウイルス感染拡大防止対策」にも重点的に取り組んでいます。しかし、社会課題の真の解決は、産総研の研究開発だけで果たすことはできません。世の中で人の役に立つためには、最終的に人が使うモノやサービスというかたちで提供される必要があるからです。企業などによって研究開発の成果が実装され、社会に展開されることで、初めて社会課題が解決できたり、その結果として産業競争力が高まったりするのであり、そこまでやらなければミッションを果たすことにはなりません。
私が理事長に着任したのが4月1日で、その少し後に緊急事態宣言が出されたため、しばらくはリモートで産総研の研究を見ることになりました。現場で実際に見ることができたのは5月の連休明けからで、つくばをはじめとした研究拠点に行けたのはさらにその後のことでした。その中で私は、産総研はどのようにミッションを果たしていくべきかを考え、周囲の所員とも相談をして、考えをまとめました。それが9月に発表した新たな経営方針です。
10月には所内向けのオンライン中継により全所員に経営方針を説明しました。社会課題の解決と産業競争力の強化という私たちのミッションを果たすためには、最終的に私たちの研究成果が実装されなくてはいけない。直接的にモノやサービスをつくっていない私たちは、その出口として社会実装を担う企業との連携を模索していく必要がある。そういうことを明確に示しました。
研究開発が魅力的ならオープンイノベーションも加速する
──産総研はこれまでも、産業界への技術の橋渡しをミッションとしてきました。
石村この10〜20年、日本の産業競争力が低下していく中で、産業界としてもどのようにイノベーションを起こして競争力を強化するかを模索してきました。そこで期待されたのがオープンイノベーションです。政府も経済団体も、自前主義を捨て、オープンイノベーションによってイノベーション・エコシステムを強化しようと言ってきたわけです。
では、実際に日本でどのくらいオープンイノベーションに取り組んだかというと、2018年の日本の民間企業における研究開発費14兆円のうち、国立研究機関に投資された額は380億円、わずか0.3%にすぎません。大学との共同研究を含めても1000億円程度にとどまります。一方、ドイツでは民間企業の研究開発費9兆円のうち、5〜6%に当たる5000億円が大学などに投資されています。これを見て、日本で現実にオープンイノベーションが行われたと言えるでしょうか。
取り組みが進まない原因は企業だけにあるわけではないでしょう。企業がオープンイノベーションによって競争力を強化できると思わないとすれば、もちろん大学や研究機関の宣伝が足りないことも一因だと思いますが、何より研究機関の研究開発に魅力を感じていないということです。そこで私は、産総研の研究開発の魅力を向上させ、相手に選ばれる研究機関に変わっていくことを運営方針の目的に掲げています。研究成果を企業の製品やサービスに実装できれば、産総研のミッションを果たすことに近づきますし、企業にとっても技術開発が効率的に進むことはメリットになります。ぜひ、これを実現させたいと考えています。
──具体的にどのように進めていくのでしょうか。
石村ポイントは主に3点あります。まず大切なのは、企業からみた魅力的なテーマとはどういうものか、という視点です。私たちのターゲットである「社会課題の解決」は、企業にとっても重要なビジネスチャンスにつながるものです。つまり、研究テーマが「社会課題」からバックキャストして設定されていることが重要です。
次に、産総研は7つの研究領域をもつ総合研究所であるわけですが、「総合」であることで何ができるか、どのような効果があるか、企業にご理解いただけるようにすることです。多くの研究テーマがあることは産総研の特徴ではあっても、それだけでは必ずしも魅力とはなりません。企業からすると、それぞれのテーマを専門にやっている研究所に別々に相談してもよいわけです。総合性を魅力に変えるには、7領域がシナジー効果をどのように出せるのかが重要になるでしょう。社会課題の解決に向けて必要な提案を、総合研究所ならではの「融合」をもって提示していけるよう、私たちは変わっていきたいと思っています。
最後は、産総研のもともとの強みである規格化・標準化です。日本は新しい技術を開発して特許は取得するのですが、規格化・標準化に力を入れなかったために、ルール自体を変えて勝負をかけてくる欧米に太刀打ちできないところがありました。規格化・標準化の戦略は産業全体の流れをも変える力があるという点で非常に重要であり、私たちは開発の初期から標準化まで、パッケージで追求していこうと考えています。
この3点を強化して産総研の魅力を打ち出すことにより、産総研と一緒に研究開発をしていこうという企業は増えるでしょう。各研究者もそのような意識でそれぞれの研究テーマを見直し、社会実装につなげて、ミッションの実現を加速させてほしいと考えています。
また、社会課題の解決に向け、新たにいくつかの領域融合テーマを設定しました。本誌で紹介する新型コロナウイルス感染症対策の研究もそのひとつですが、ここを研究開発の起点とし、軌道に乗ってきたところで国家プロジェクトとして応用研究を進め、社会実装につなげていければと考えています。
感染の拡大防止に産総研ができること
──新型コロナウイルス感染症対策の研究開発はどのように進めていくのでしょうか。
石村7領域の研究テーマをもつ産総研は、感染症対策に 適用可能な技術シーズをある程度もっています。課題の解決につなげられるよう、そのシーズをできるだけ早く実用化することが初動として重要だと考えています。
新型コロナウイルス感染症に関する具体的なニーズのひとつとして、大規模集客イベントなどにおいて、どうすれば効率的に感染の抑止ができるのか、ということがあります。従来はイベントの企画も参加も自由にできたわけですが、それが一時的にすべて中止となりました。経済活動が止まっただけではなく、人々の楽しみも失われ、果たしてこんな世の中でよいのだろうか、という思いがあります。感染をゼロにしなくても、ウィズコロナとしてやっていけるのだという方法を科学的な知見と検証をもとに提示できれば、社会にとって大きな意味があるでしょう。こういった課題に対する答えはタイムリーに出すことが極めて重要です。換気の目安となるCO2濃度測定や、人流計測、画像解析を用いた密集の度合いの割り出しなど、産総研のもつさまざまな技術を用いた計測を行い、早急な指針策定を目指しています。
また、今後、国同士の移動制限が緩和された場合、各国でPCR検査の評価基準が異なっていては混乱のもととなりま す。産総研では世界の研究機関と連携してPCR検査の信頼性向上を目指します。具体的には、新型コロナウイルス由来のRNAを対象とした測定能力の国際比較を進めています。ほかにもPCR検査の迅速化のための研究や、地下鉄の換気実験など、各分野でさまざまな研究を行っていますが、いずれにおいても重要なことは、早期に結果を出すことです。
──新型コロナ対策以外の研究テーマをご紹介ください。
石村領域融合の典型的な例としてゼロエミッションに関する研究があります。中心となるのはエネルギー・環境領域ですが、他の領域からも研究者が集まっています。2020年1月にはゼロエミッション国際共同研究センター(GZR)を発足させました。これは2019年のG20における安倍首相(当時)の提案によって始まった組織で、研究センター長には2019 年のノーベル化学賞受賞者である吉野彰博士を迎えています。コロナ禍の現在はバーチャルでの活動が多いですが、今年5月には研究拠点の整備が終わり、研究者もこのつくばの拠点に集まります。再生可能エネルギーによる高効率な発電技術や人工光合成など、本格的に研究活動をスタートさせる予定です。
──新しい経営方針を打ち出されてから、研究者の意識の変化を感じていますか。
石村現在は各領域で今後の研究の進め方を議論しているところで、変化を実感するのはこれからになると思います。先に目標を掲げ、それを解決するにはいつまでにどこまでやらなくてはならないのかを常に考える。研究者の意識がそのように変わっていくことを期待しています。
もちろん私は、研究者個人の興味・関心から出発する研究を否定しているわけではまったくありません。何に化けるかわからない未知の挑戦をするのは、非常に意義深く重要なことです。ただ、それだけではなかなか社会課題の解決に結びつかないので、社会課題からバックキャストすることで解決につながる研究に力を入れていきたいと考えているのです。企業や他の研究機関の皆様には、産総研にご期待いただき、社会課題の解決のために一緒に連携していただければと強く願っています。ご支援とご協力をお願いいたします。
理事長
石村 和彦
Ishimura Kazuhiko