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世界初、糖鎖の変化で肝臓の線維化を診断

世界初、糖鎖の変化で肝臓の線維化を診断

2017/09/30

世界初、糖鎖の変化で肝臓の線維化を診断 双方向の共同研究が迅速な実用化を実現

研究者4人の写真
    KeyPoint 血液検査で診断をすることで、患者の身体的・経済的な負担を大きく軽減。
    Contents

     

    ウイルス性肝炎やその他の原因による肝臓疾患は、進行すると肝硬変や肝臓がんに至る危険な病気だ。急性肝炎は、自覚症状も出るうえに診断薬もあるが、いったん症状が治まり慢性化すると、徐々に肝臓の線維化が進む。この慢性肝炎による線維化の進行が肝臓がんなどにつながるのだが、その重篤度を判定する診断薬はこれまでなかった。さらに今までは、身体に針を刺して肝臓の生体組織を採取するという肉体的に負担が大きな検査法や高額な画像診断装置を使った検査法が一般的だった。
    産総研とシスメックス株式会社は、世界で初めて糖鎖マーカーを用い、血液検査だけで、しかもたったの17分で高精度な判定ができる肝線維化検査技術を開発した。この製品の研究開発はどのように進められたのか、実用化までの道のりを聞いた。

    世界で誰も着手していない次世代の研究にいち早く取り組む

    成松糖鎖とはさまざまな種類の糖が鎖状につながったもので、あらゆる細胞の表面に存在するタンパク質や脂質と結合して存在しています。また血清中やその他の体液(唾液、リンパ液、消化管分泌液など)中に溶け込んでいるタンパク質のほとんどに、糖鎖は結合しています。さらに細胞膜上の糖鎖は、細胞間の結合に深く関係しています。この細胞間の結合は、免疫能に関係したり、がん細胞の転移能などにも深く関係します。一方でインフルエンザウイルスに代表されるような、いろいろな種類のウイルスの受容体になるのも糖鎖です。私はよく、糖鎖は細胞やタンパク質の洋服のようなものだと言っています。細胞は生まれてから死ぬまでの間に、分化し、成熟していきます。そのような細胞の変化によって、細胞表面にある糖鎖の構造も、服を着替えるように変化します。

     タンパク質は、細胞の種類や成熟度が変わっても構造が変化することはありません。それに対して糖鎖構造はこうした細胞の変化をよく反映するので、糖鎖の構造を見ればその細胞の種類や分化状態がわかります。そのため、糖鎖を解析し、その機能を明らかにしていくことで画期的な病気の診断技術ができると考えたわけです。

    肝炎の進行に伴い血中に糖鎖構造が変化した糖タンパク質が増える
    肝炎の進行に伴い血中に糖鎖構造が変化した糖タンパク質が増える

    久野成松さんが産総研に入所したのは2001年、産総研が発足する少し前のことですね。以来、糖鎖医工学研究センター(当時)センター長として産総研の糖鎖研究を先導して来られました。このセンターの大きな成果の一つが、肝線維化検査技術です。

    成松研究開発の経緯の前に、ライフサイエンスの近年の歴史を振り返らせてください。1980年代後半に、DNA解読のための国際プロジェクトが立ち上がりました。私もそこに少しかかわっていましたが、国際協力のおかげで10年ほどで解読が完了し、2000年前後には皆、次のアイデアを探していました。そこで有力視されたのがタンパク質です。ちょうどそのころ開発されたタンパク質の解析技術を使えば、タンパク質の新しい機能が次々と発見できたのです。

     そのような中で私は、タンパク質世代よりさらに次世代の研究に取り組むべきだと考えました。ここでいち早く糖鎖研究に取り組み、日本が世界のイニシアチブをとるよう経済産業省に提案したのです。それが受け入れられ、2001年、私は産総研でNEDOの糖鎖プロジェクトを率いることになり、まずは糖鎖の解析技術の開発に取り組みました。

    久野それまで生体成分に含まれる微量タンパク質上の糖鎖の構造分析は世界的に手付かずでした。それは、糖鎖がDNAやタンパク質よりはるかに複雑で、種類も多く、構造も刻々と変化していくためです。

     2003年当時、糖鎖工学研究センターの糖鎖構造解析チームでチーム長をされていた平林さんは、解析技術開発を立ち上げる中で、糖鎖のある決まった形の部分を認識して結合するレクチンという種類のタンパク質のツールへの利用を考案し、私もこの開発プロジェクトに携わりました。まず、どの種類のレクチンと、どの構造の糖鎖との親和性が高いかについての研究を進め、その情報の蓄積をもとに、 2005年にレクチンアレイという40種程度の特異性の異なるレクチンへの反応から糖鎖構造の特徴を抽出する画期的なシステムを発表したのです。

    成松他国が未踏の分野である時期に、私たちはいち早く糖鎖研究に乗り出し、このような基盤技術の開発を果たしたことで、産総研はプロジェクト開始から数年で糖鎖研究の世界的な先進拠点となりました。

    新しい診断法で300万人の慢性肝炎患者の負担を減らしたい

    成松私は医学部出身で、医療分野に貢献したいという思いが強くあります。次の段階では、糖鎖を用いて実際の医療に役立てられる研究開発をしようと、2006年、やはりNEDOプロジェクトで、数社の企業と協力して診断薬の開発をスタートさせました。

     対象疾病として、国内の患者数が約300万人と非常に多く、血液検査によって分子を同定しやすい肝臓病を標的にしました。肝炎ウイルスに感染すると、急性肝炎から慢性肝炎を経て、次第に肝細胞が線維化していき、さらに肝硬変、肝臓がんへと進行します。それまでの一般的な肝臓疾患の検査はとても大変でした。バイオプシー(Biopsy)と呼ばれる検査で、患部に直接針を刺して細胞を採取し、病理医が線維化の度合いを診断するのです。肝臓は出血しやすいため、数日間の入院が必要で、身体的だけでなく経済的にも患者に大きな負担がかかります。もし、血液検査で診断ができれば、そういった負担を大きく軽減できると考えました。

    高浜血液や尿などを用いて行う検体検査に必要な機器、試薬、ソフトウェアの研究開発から製造、販売・サービス、サポートを一貫して行う総合メーカーである当社は、創業以来血球計数検査をビジネスの柱として事業を展開しておりましたが、1987年にラテックス粒子の凝集反応を利用したタンパク質の検出システム(免疫凝集測定装置 PAMIA-10)を開発しました。このシステムは測定結果が出るまで15分という迅速性もあり、当時大きな脚光を浴びました。また、診断薬としてはAFP、CEAなどの腫瘍マーカーを最初に上市し、90年代からはB型肝炎、C型肝炎などの肝炎ウイルスやエイズウイルスなど、感染症の診断薬開発に注力しました。その後、システムを2007年に最新の高感度化学発光法を利用した全自動免疫測定装置 HISCL®-2000iに更新し、さらに肝臓疾患にフォーカスをあてて研究を進めていたところ、NEDOプロジェクトのことを知り、公募を経て「糖鎖マーカーを利用した肝線維化検査の開発」プロジェクトに2009年9月から参加しました。

    18時間を17分に!高精度に加え迅速化を追求

    久野当時、肝臓の線維化の進行度を高精度に測定するマーカーは見つかっていましたが、レクチンアレイによる分析では18時間かかっており、新たな技術を市場に出すには測定速度の迅速化が不可欠でした。それを実現するためにシスメックス株式会社の技術が必要だと考えました。

     シスメックスの参加で糖鎖マーカーを用いた肝線維化検査の迅速化は大きく前進しましたが、2011年、市場化への入口段階でNEDOプロジェクトは終了します。実はこの時点では道半ばであり、試薬の完成までには、さらに長い開発期間が必要でした。

    成松ここで終わらせるわけにはいかないと、その後は厚生労働省からの大型の補助も受けながら、全国の大学、研究所の肝臓専門の臨床医と共同研究を始めました。産総研では、サンプルを集めることは非常に難しいのですが、厚労科研費によって組織された研究班のおかげで、全国の主たる病院から患者サンプルを集めることができました。さらにシスメックスとの共同研究により、肝線維化マーカーを自動測定する技術の開発を続けることになりました。

    鶴野現在、私はシスメックスで製品開発を担当していますが、そのころは、国内留学で社外研究を行っていました。留学期間が終わりに近づき、もう少し研究を続けたいと考えていたころ、高浜さんから「2日かかる分析を17分にしたくないか?」と連絡がありました。驚きとともに、これは面白そうだと、会社に戻ることにしたのです。

    高浜当時は、試薬の保存安定性が悪く、3日で使えなくなっていました。それを1年間は安定して使える仕様にしたい。そこで、この分野の経験が豊富な鶴野くんの知識と経験、技術が必要だと考えたわけです。

    鶴野測定時間をいきなり十数分にするのは難しいので、まずは18時間を1時間に短縮する目標を立てました。糖鎖とレクチンの結合は弱く、反応も早くありません。したがって汎用的な自動分析器で測定すると糖鎖とレクチンの結合が保持できないため、レクチンを加工し反応性を高めたり、試薬中に安定化剤や増感剤の成分を加えたりなど、当社のノウハウを用いて感度や安定性を改善していきました。それまでレクチンの加工経験はなかったのですが、技術的な部分を久野さんに教えていただきながら、当社のノウハウと融合させて、誰がどこで測っても同じ結果が得られることを目標に開発を進めていきました。

    高浜3カ月後、3種類のマーカーで計測し、その組み合わせで診断する試薬ができました。しかし、これだと時間もかかる上に試薬コストが3倍、それに前処理も必要です。1種類のマーカーで検出する方法を求め、マーカーと試薬の開発をセットで進めていきました。幸い最初の試薬ができてからは加速度的に開発が進み、2012年には17分での高感度診断を実現しました。それが2013年に発売された「HISCL® M2BPGi®試薬」です。

    全自動免疫測定装置と開発された試薬の画像
    (左)検査に使用される全自動免疫測定装置HISCL®-800(右)開発された「HISCL® M2BPGi®」試薬(提供:シスメックス株式会社)

    最大の難関は臨床サンプルの収集

    成松開発にあたって最も苦労したのは、先ほども述べましたが患者の血液や患部の細胞(臨床サンプル)を集めることでした。医療系の研究開発は臨床サンプルがなければ不可能です。糖鎖マーカーが高感度で正確だと証明するには、糖鎖マーカーを用いた診断試薬での測定結果と、信頼のおける病理医が行った診断結果の突き合わせを、より多くのサンプルを用いて行う必要があるわけです。しかし、サンプルを長期間にわたって保管している医療機関自体が少なく、あらゆる関係を頼って協力を依頼していきました。厚労省科研費による研究班が立ち上がったおかげで、最終的には15の医療機関から6000検体を集めることができました。

    久野医療機関側としては、貴重な臨床サンプルを外部にはあまり提供したくないものです。しかし、産総研の糖鎖マーカーならごく微量のサンプルがあれば十分なので、提供していただきやすかったと思います。それができたのも、とにかく感度が高かったからです。市場化に向けては、まずは高感度な解析技術でマーカー開発を実現し、医療機関の信頼を得て、その後に臨床現場用に迅速化を進める。この順序が有効だったと思います。

     また、開発当初から臨床医と意見のキャッチボールをしながら進められたことも、早期の実用化に役立ちました。肝臓の線維化診断をターゲットに始めた研究ですが、現在は臨床医のニーズを汲み、肝臓がんの予知を次のターゲットに取り組んでいます。

    成松長崎医療センターでは、数百人の肝炎患者から30年以上にわたって経時的に採取した血清サンプルを保管してありました。これはとてつもなく貴重なサンプルでした。新たに開発した「HISCL® M2BPGi®試薬」の測定値により、肝線維化の程度や肝硬変の重篤度を判断でき、さらに発がんまでの時間をかなり高精度に予測できることがわかりました。つまり慢性肝炎の重篤度を血清の測定値で判定できるようになったわけです。重篤度が判定できれば、検査や投薬の要不要が判断でき、無駄な検査や投薬を避けることができます。これで医療費も抑制できるわけです。

     さらに言えば、これまで肝線維化の診断には高額な画像解析装置が用いられていましたが、そのような装置を個人経営の開業医が導入するのは難しいでしょう。この技術なら採血して検査機関に送るだけでよいため、国民病ともいえる肝炎の予防や早期の発見・治療に広く力を発揮すると思います。

    技術の「橋渡し」はともに橋を架けること

    鶴野診断薬の迅速な開発には、多くの医療機関や臨床医の方の協力が不可欠です。15もの医療機関の協力は一企業ではとても得られるものではなく、産総研の存在は非常に有難かったです。臨床性能評価に耐えうる例数、症例を得られたのが開発・薬事申請が円滑に進んだ要因です。

    高浜当時、当社はグローバルメジャー企業と対等以上の勝負をしていこうとしていたところでした。検査を迅速化したい産総研と、新たな価値のある肝臓疾患マーカーを開発したい当社とは目指すところが一致し、互いに補いあえる、まさにWIN-WINの関係にあったと言えます。

    久野産総研は「技術の橋渡し」とよく言いますが、共同研究をして思ったのは、産総研が一方的に橋渡しをするのではなく、半分は企業からも橋をかけてもらっているということです。実用化に向けてどのように技術を完成させていけばよいのか、一緒に研究開発をすることで大変勉強させていただきました。その経験は、その後の技術開発にとても役立っています。

    アジア市場への展開と新たなバイオマーカーの開発

    高浜「HISCL® M2BPGi®試薬」は2013年に薬事認可を受け、2015年には保険の適用を受けました。現在は国内を中心に販売していますが、中国でもすでに当社の全自動免疫測定装置「HISCL®シリーズ」の市場導入が進んでおります。中国は肝炎患者が多い国なので、今後「HISCL® M2BPGi®試薬」が認可されれば、医療面で貢献できるだけではなく、大きなビジネスとして育っていくことが期待されます。アジア圏での展開をファーストステップとし、その後は欧米へもこの検査システムを普及させていきたいと考えています。

    久野私は2015年に産総研の技術移転ベンチャー支援制度を利用し、ベンチャー企業(グライコバイオマーカー・リーディング・イノベーション(GL-i)株式会社)を立ち上げました。成松さんは2001年以来、産総研に装置も人もそろえ、 100人を超える研究者が複数のバイオマーカーを同時に開発している体制をつくりあげ、そこから肝線維化マーカーも磨かれていったわけです。産総研では同一の開発プラットフォームを利用して、他にも10以上のバイオマーカーの開発が進められており、私はこのマーカー、プラットフォームを多くの企業に還元し、実用化を見届けたいと考えました。現在はGL-i株式会社とともに企業との間で技術の橋渡しを行っています。

    鶴野私はM2BPGi®で培った測定技術や分析、診断技術をもとに、第2、第3のバイオマーカーの開発に取り組んでいます。現在有力なのは胆道がん用のマーカーです。胆道がんは進行してから見つかるケースが多いのですが、早期発見できる可能性が見えてきています。

    成松胆道がんのマーカー開発も、ご支援いただいた臨床機関に保管していた数十年分の血清などのサンプルを提供していただけたからできることです。研究者が医療機関と個別に交渉するのは大変な労力を要するので、国には大規模なサンプル収集と管理を行う公的機関をできるだけ早急につくってもらいたいですね。それは今後の疾病診断薬の開発に大いに役に立つはずです。

    高浜最後に、私から産総研へのお願いがあります。日本は技術力が高く、科学論文も豊富ですが、その成果を応用した欧米企業に知財を抑えられて苦しい思いをすることがよくあります。これから重要なことは、オールジャパンで知財をいかに上手く橋渡ししていくかでしょう。技術面での権利範囲設定はもちろん、そこから商業化までの分割特許などについても戦略的に進め、知財の海外流出をブロックする仕組みづくりについて、積極的に取り組んでいただけるとありがたいです。

    成松知財にしても分野ごとの特殊事情があるので、産総研も今後きめ細かく対応していく必要がありますね。いずれにしても、これからも研究成果を企業に効果的に移転し、協力しながら実用化を進めて社会に貢献していきたいと考えています。バイオマーカーの分野で共同研究に興味のある方は、ご連絡をお待ちしています。

    創薬基盤研究部門
    糖鎖技術研究グループ
    上級主任研究員

    久野 敦

    Kuno Atsushi

    久野 敦上級主任研究員の写真

    創薬基盤研究部門
    招聘研究員

    成松 久

    Narimatsu Hisashi

    成松 久招聘研究員の写真

    シスメックス株式会社
    第一エンジニアリング本部長

    高浜 洋一

    Takahama Youichi

    高浜 洋一本部長の写真

    シスメックス株式会社
    第一エンジニアリング本部
    タンパク技術グループ
    課長

    鶴野 親是

    Tsuruno Chikayuki

    鶴野 親是課長の写真
    産総研
    生命工学領域
    創薬基盤研究部門
    シスメックス株式会社

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