国立研究開発法人 産業技術総合研究所(以下「産総研」という) 電子光基礎技術研究部門 分子集積デバイスグループ 真部 研吾 研究員、則包 恭央 研究グループ長、製造技術研究部門 トライボロジー研究グループ 中野 美紀 主任研究員は、疎水親油性処理を行った部材表面上に、植物油の構成物の一種であるオレイン酸をぬれ広がらせ、その油面上に水を載せた、複数の潤滑流体を保持した表面を開発し、摩擦係数0.01以下の超低摩擦を実現させることに成功した。
従来、大量の潤滑油、あるいはグラフェン等の高価な潤滑材料を用いることで摩擦を低減させていたが、本技術では、疎水親油性表面上に薄くぬれ広がった植物油と少量の水のみで超低摩擦状態を実現できる。本技術の応用により、低摩擦化が必要な機器の接触部位に、潤滑油膜上に水を添加するだけで、低コストかつ低環境負荷な超低摩擦潤滑流体表面として、自動車や産業機器等における摩擦によるエネルギー損失を減らし、エネルギーの効率的利用の促進を通じて、CO2削減への貢献が期待される。
なお、この技術の詳細は、2021年12月12日に米国化学会の学術誌Langmuir誌に掲載された。
超低摩擦表面の模式図(左)と摩擦係数および摩擦後の表面観察結果(右)
疎水親油性処理した部材表面上にオレイン酸をぬれ広がらせ、その上に水を載せた表面。
界面における摩擦は、自動車や産業機器等の損傷や劣化、そしてエネルギー損失の原因となっており、低摩擦技術を確立することは、エネルギー利用の飛躍的な効率化につながり、その結果として得られるCO2削減効果を期待できることから重要な研究開発課題である。従来、低摩擦表面、特に摩擦係数0.01以下の超低摩擦状態を得るためには、大量の潤滑油、あるいはグラフェン等の高価な潤滑剤が用いられていたが、環境やコストへの懸念から適応箇所は限られている。また、水やエタノールといった低環境負荷な潤滑流体が注目を集めており、特に水系潤滑流体は資源が豊富で低コストであることから有望視されているが、低粘度なため界面での流体保持が難しく、十分な厚さの液膜を作りにくいことから、少量では安定した低摩擦性を得ることは難しかった。
ウツボカズラを模倣した表面は高い撥水・撥液性を有していることから、新たな潤滑性表面として注目を集めている。このバイオミメティクスを用いた表面は、液体を滑らせることを主眼に発展を遂げてきたが、対固体の摩擦・摩耗を扱うトライボロジーの観点では先行事例が少なく、摩擦係数0.01以下の超低摩擦はいまだに達成されていなかった。
産総研は、材料界面において摩擦や付着・接着、滑りを制御する応用技術開発を推進している(2018年2月19日、産総研主な研究成果)。その中でわれわれは、生物の優れた機能や構造を模倣するバイオミメティクスや地球環境の保全に貢献するバイオ・トランスフォーメーション(BX)を利用した新規の低摩擦表面の研究開発に取り組んできた。
なお、本研究開発の一部は、独立行政法人 日本学術振興会の科学研究費補助金(研究活動スタート支援 19K23501、基盤研究B 20H02456)による支援を受けて行ったものである。
今回、ウツボカズラの表面が、液体に対する高い潤滑性と水平時の液体保持性の両方を併せ持つことから着想を得て、固体間の摩擦・摩耗を低減可能な、新たな低摩擦表面を開発した。
ウツボカズラ表面を模倣するために、フェニル基を有するシランカップリング剤を用いてガラス部材の表面を疎水親油性に処理し、その上に潤滑流体としてオレイン酸を使用した。オレイン酸は部材表面上に安定にぬれ広がり、水に対して高い撥水性および滑性の両方の性質を併せ持つことを確認した。
本開発表面は、その安定保持されたオレイン酸の上に水を載せるだけで実現できる。水の上方から未処理のガラスピン(ϕ 3 mm × 20 mm)により本開発表面に荷重をかけて往復摺動試験を行ったところ、摩擦係数は未処理表面の0.63に対し、本開発表面は0.015を示し、1/42に減少した(図1左)。試験後の表面を顕微鏡観察したところ、未処理表面は摩耗により損傷していた一方で、本開発表面には摺動痕が見られず、表面とピンが接触することなく低摩擦状態を維持していたことが分かった。
水が表面に存在するだけでなぜ低摩擦状態が生み出されるのか、その理由を調べるために、摺動試験中にガラス部材の裏面から摩擦のその場観察を実施した(図1右)。オレイン酸のみを表面に保持し、水を載せていない場合には、ピンと表面が直接接触し、物質間に潤滑流体が存在していない時が観察された。一方で、オレイン酸上に水を30 μL載せた表面においては、水がピンに沿って広がるが、ピン先端と本開発表面の接触時に2面間に水が残る、もしくはピン先端を囲むように水が存在していることが観察され、これは摺動中においても維持された。従って、物質間、もしくは物質周囲に水が存在することで、流体潤滑状態の維持に加え、水を囲むオレイン酸との表面張力差によって生じたラプラス圧が物質を上方に持ち上げたと考えられる。水がピンの先端に存在しない場合でも、水はピンの先端へと自発的に移動し、低摩擦状態を実現することが分かった。
図1 往復摺動における未処理表面と本開発表面の比較(左)、および摺動中の水のその場観察(右)
本実験で用いたガラスピン(ϕ 3 mm × 20 mm)に対し、オレイン酸上に載せる水の液量が摩擦係数に与える影響を評価したところ、液量が少ない場合は水の分布が自発的に最適化するまでに時間がかかるが、1 μL以上の水が存在するだけで摩擦係数は大きく低減できることが分かった(図2左)。
回転摺動による摩擦係数の評価を行ったところ、摺動速度によらず本開発表面が最も低い摩擦係数を示した(図2右)。特に、摺動速度が30 rpmの場合に、摩擦係数が0.0098となり、摩擦係数0.01以下の超低摩擦を実現させることに成功した。
従来、潤滑油を表面にぬれ広がらせるためには親水親油性表面が用いられてきたが、この方式では潤滑油層上に水を保持することは困難なため、摩擦低減のために1種類の潤滑流体が大量に用いられてきた。本開発手法では、疎水親油性に部材表面を処理することで、表面上において相対的に水よりも潤滑油がぬれ広がりやすい状態を生み出した。これにより、水を潤滑油上に載せることが可能になり、少量の流体を複数用いることで超低摩擦状態を発現させるという、新たな低摩擦手法として今後の発展が期待できる。
図2 往復摺動における水の添加量の影響(左)、および回転摺動時の摩擦係数の比較(右)。
摩擦試験はガラスピン(ϕ 3 mm × 20 mm)に荷重(50 mN)をかけて実施。
今後は、本技術の確立に向けて、より広範な部材や流体の組み合わせにおける摩擦・摩耗への影響を調査し、表面性能の向上・高度化を目指す。また、今回開発した表面を自動車・輸送機器、医療機器、住宅・建設等、幅広く応用することにより、低摩擦化と同時に低コスト・低環境負荷化が期待されるため、企業との連携を推進し用途開発にも取り組んでいく。
論文誌:Langmuir
論文タイトル:Green Superlubricity Enabled by Only One Water Droplet on Plant Oil-Infused Surfaces
著者:Kengo Manabe, Miki Nakano, and Yasuo Norikane
DOI:10.1021/acs.langmuir.1c02689