国立研究開発法人 産業技術総合研究所【理事長 石村 和彦】(以下「産総研」という)地圏資源環境研究部門【研究部門長 光畑 裕司】地圏微生物研究グループ 片山 泰樹 主任研究員、吉岡 秀佳 研究グループ長、生物プロセス研究部門【研究部門長 鈴木 馨】生物資源情報基盤研究グループ Nobu Masaru Konishi (延 優) 研究員、草田 裕之 研究員、孟 憲英 テクニカルスタッフ、鎌形 洋一 招聘研究員、玉木 秀幸 研究グループ長は、日本電子株式会社【代表取締役社長兼COO 大井 泉】EM事業ユニット 細木 直樹 主事、株式会社マリン・ワーク・ジャパン【代表取締役社長 杉山 和弘】海洋地球科学部 植松 勝之 専門課長と共同で、天然ガス田などの地下環境でのメタン生成活動に重要な役割を担う細菌(バクテリア)、RT761株の培養に成功した。この菌株は一般的な細菌とは細胞の構造が根本的に異なり遺伝情報を持つゲノムDNAが細胞内で「膜」に覆われていた。また、RT761株が最も上位の分類階級にあたる「門」レベルで新しい細菌種であることを証明し、この菌株を代表とした新しい門をAtribacterota(アトリバクテロータ)、この菌株を新種Atribacter laminatus(アトリバクター ラミナタス)とする新学名を提案した。
生物は"原核"生物(例:大腸菌や乳酸菌などの細菌)と"真核"生物(例:ヒト、動植物、カビなど)の2つに大別される。両者の決定的な違いの1つはゲノムDNAが細胞内で膜(核膜)に包まれているかどうかであり、原核生物で核膜を持ったものは発見されていなかった。しかし、今回、培養したA. laminutus RT761株は、本来、原核生物が持つはずのない「ゲノムDNAを包む細胞内膜」を持っていた。原核生物の根源的な特徴を改めて見直し、その再定義を迫る可能性を示す。また、この菌株を代表とする新たな門Atribacterotaは世界中のメタンが賦存する地下環境(天然ガス田やメタンハイドレートなど)に広く生息する細菌グループの1つであることから、地下環境で見られる活発なメタン生成活動に果たす地下微生物の実態や役割の解明への貢献が期待される。
なお、この成果は2020年12月14日(英国時間)、Nature Communications誌に掲載される。
新しい門の細菌Atribacter laminatus RT761株
顕微鏡観察に基づいてイラスト化した分裂中のRT761株の細胞内構造。ゲノムDNA(灰色線)が細胞内膜(クリーム色)に包まれている。
微生物は肉眼では見えないほど小さいため、ある微生物種の性質を知るには実験室で培養し増殖させるのが一般的である。ところが、地球上のさまざまな環境に生息する微生物の大部分は、人工的に培養して増殖させることができない。培養を介さずに環境から直接遺伝子を解析すると、培養可能な既知の菌種とは異なる種が実に多様に存在している。これら未知・未培養の微生物を培養し、性質を知ることができれば、地球の営みを支える環境微生物の活動を理解し、ひいては、地球環境の保全や地球資源の安全で効率的な利用に貢献できる。
天然ガスの主成分であるメタンの一部は地下微生物によるメタン生成活動によって生成されたと考えられており、地下環境での微生物活動の理解は、天然ガス資源の効率的な利用や資源量の正確な評価につながる。さらに、多様な未培養の微生物が存在する地下環境は、新たな微生物資源の開拓の格好の場である。
産総研では、地質調査総合センターと生命工学領域による分野融合研究として、天然ガス田や油田などの地下環境を対象に、そこに生息する微生物活動の解明を目指している。千葉県に分布する南関東ガス田には、地下の微生物の活動によって生成されたメタンが大量に賦存しており、天然ガスとして生活を支えている。その効率的な利用の面から重要な研究対象である。今回、この分野融合研究を通して培ってきた培養技術や知識、経験、ノウハウを活用し、南関東ガス田の地層水と堆積物試料から細菌を分離、培養することに取り組んだ。
なお、本研究の一部は、文部科学省 科学研究費補助金(JP17K15183、JP18H05295、JP18H02426)、国立研究開発法人 科学技術振興機構(JST)ERATO「野村集団微生物制御プロジェクト」(JPMJER1502)の支援を受けて実施した。
今回、南関東ガス田の地層水と堆積物試料から5年の歳月を費やして新しい門に分類される新種の細菌、RT761株を分離、培養した。門は細菌の分類階級の中で最上位にあたることから、同菌株の新規性は極めて高く、分類学上重要な成果と言える。また、これまでRT761株やその近縁種は深海堆積物や温泉、油田、メタン発酵槽など酸素の無い環境から、遺伝子情報としてだけ、その存在が広く見つかっていた。特に、メタンハイドレートが分布する深海底の堆積物ではその環境を代表する未培養の細菌種として見つかっており、この細菌グループがメタンハイドレートや地下の天然ガス資源の成因に果たす役割の解明に高い関心が集まっていた。
透過型電子顕微鏡を用いてRT761株の細胞内構造を観察したところ、グラム陰性菌と同じ細胞膜構造(外膜と細胞膜)に加え、細胞内にもう1つ別の膜がゲノムDNAを覆う形で存在していた(図1)。蛍光顕微鏡イメージング技術により細胞分裂中(図2A)のゲノムDNAの局在性を調べた結果、2つに分かれたゲノムDNA(図2B、青)は共に細胞内の膜(図2B、赤)によって覆われていることが明らかとなった。真核生物の特徴とも言える「ゲノムDNAを包む細胞内膜」が原核生物であるRT761株の細胞で観察されたことは非常に驚くべき結果であった。
図1 RT761株の細胞の内部構造
細胞内膜(矢印)がゲノムDNA(N)を包んでいる。
図2 RT761株の細胞に局在するゲノムDNA
(A)分裂中の細胞。細胞膜の位置に相当する細胞の輪郭を白線で示した。(B)脂質で構成される膜(赤; 輪郭を赤線で示す)とゲノムDNA(青)を染色した(A)の細胞。
細胞内の膜構造をさらに詳細に観察するため、日本電子株式会社の電界放出形クライオ電子顕微鏡(CRYO ARMTM 300)を用い、世界最高レベルの分解能で自然状態に近い細胞を観察し、立体的に可視化したところ、RT761株は独立した3つの膜を持つことが確認された(図3)。遺伝情報を分配するゲノムDNAの複製が細胞内の局所空間で行われている点や、DNA複製の場とは物理的に区切られた別の空間でも生命活動を駆動するタンパク質が合成されている可能性など、生命活動の根本的なあり方が既知の細菌とは異なる可能性が高い。細菌を含む原核生物の細胞構造・機能の組織化や細胞の進化を理解する上でも興味深い発見である。
図3 RT761株の細胞の膜構造
(A) RT761株の細胞内構造。(B)膜構造の拡大写真。(C) (A)の細胞をさまざまな角度から撮影し復元した立体構造。細胞内膜(黄)、細胞膜(青)、外膜(橙)、リボソーム様粒子(緑)。リボソーム様粒子は細胞内膜の内側と外側の両方に観察された。
ユニークな細胞構造の他にも、RT761株は地下の有機物を分解してメタン生成菌に水素を供給する能力を持つことが分かった。これはRT761株が代表する新しい門に分類される細菌が地下の天然ガス資源を形成する過程で重要な役割を担っていることを示している。
今回、RT761株を培養したことで初めて明らかになったユニークな細胞構造に因んで、「層状」を意味するラテン語「laminatus」を含め、正式な学名Atribacterota(アトリバクテロータ)門を命名提案するとともに、Atribacterota門を代表する標準細菌株RT761を新属新種Atribacter laminatus(アトリバクター ラミナタス)として提案した。これで、産総研が新たな門とそれに分類される細菌を命名提案するのは3例目となる(1例目:2003年11月10日産総研プレス発表、2例目:2011年6月1日産総研プレス発表)。
今回の知見をもとに、Atribacterota門の細菌が深部地下環境で実際にどのような活動を行っているのか、メタン生成プロセスに果たす役割の解明を含めてその詳細を明らかにする。また、細菌の進化の早い段階で分岐したAtribacterota門がユニークな細胞構造を持つに至った進化的な道筋の解明にも取り組む。