国立研究開発法人 産業技術総合研究所【理事長 石村 和彦】(以下「産総研」という)ゼロエミッション国際共同研究センター【研究センター長 吉野 彰】人工光合成研究チーム 佐山 和弘 研究チーム長、三石 雄悟 主任研究員、奥中 さゆり 研究員は、可視光に応答する酸化物半導体の光電極に太陽光を照射することで、食塩水や海水などの塩化物イオン(Cl-)を含む水溶液から低い電解電圧で水素と酸素を選択的に製造する人工光合成技術を開発した。この光電極の表面のごく一部にマンガン(Mn)の酸化物を担持するだけで、副反応である塩化物イオンの酸化による次亜塩素酸(HClO)の生成が抑制されることを見出した。今回の成果は、光電極を用いた人工光合成技術による水素製造システムの実現のみならず、天然光合成系の酸素発生中心の進化の過程で『なぜマンガンが選ばれたのか』を解く一つのカギとなる可能性が示唆され、実用化・基礎研究の両方に大いに貢献することが期待される。
なお、この技術の詳細は、米国のCell Pressの学術誌iScienceに2020年10月9日(日本時間)にオンライン掲載される。
人工光合成のMn修飾光電極の反応と天然光合成の酸素発生中心での酸素生成の概略
太陽光を利用して、光電極や光触媒で水を分解して水素と酸素を製造する技術は、低コストでクリーンな製造手法であり、将来の水素社会実現に向けた基盤技術として盛んに研究が行われている。そのシステムを更に低コスト化するには、システムの反応溶液として、豊富に存在する海水を用いることが望まれる。しかし、海水や塩水などの塩化物イオン(Cl-)を含む水を反応溶液として用いると、水の酸化による酸素生成と同時に、塩化物イオンが酸化されて次亜塩素酸(HClO)が生成する。HClOは、酸素よりも高付加価値の殺菌・消毒用の化成品として期待される一方で、大規模な水電解水素製造システムでは、システムの腐食劣化を促進する有害物質として問題となる。そのため、HClOの生成機構を明らかにし、酸素だけを生成させることができる光電極の開発が求められている。
産総研は、これまでに太陽光を利用して低い電圧で水を効率的に水素と酸素に分解できる酸化物半導体光電極(BiVO4/WO3/FTO)を独自に開発した。また、酸化タングステン(WO3)やバナジン酸ビスマス(BiVO4)など可視光を吸収する酸化物半導体光電極を用いた、過酸化水素、過硫酸、次亜塩素酸などの無機系酸化剤の合成法や、シクロヘキサンからKAオイルなどの有機物質を効率的に合成する手法を開発してきた(産総研プレス発表、平成24年3月12日、平成27年3月6日、平成30年8月2日)。
今回、表面を金属酸化物で部分的に修飾した光電極を作製し、広範囲の塩化物イオン(Cl-)濃度や低いpH範囲などの各種反応条件における反応選択性への影響を調べ、触媒機構の解明および水電解水素製造システムの高度化に取り組んだ。
なお、本研究開発の一部は、文部科学省新学術領域研究「光合成分子機構の学理解明と時空間制御による革新的光―物質変換系の創製」(平成29-33年度)による支援を受けて行った。
可視光を吸収できるBiVO4/WO3/FTO光電極は、タングステンイオン、またはビスマスイオンとバナジウムイオンを含む前駆体溶液を導電性ガラス(フッ素ドープ酸化スズ、FTO)の上にスピンコート法で塗布し、大気下で焼成して簡単に作製できる。今回、このような光電極の上に、マンガンなど各種金属イオンを含む前駆体溶液をスピンコートで塗布し、大気中で焼成して、さまざまな金属酸化物を触媒として修飾した光電極を作製した。
作製した光電極と対極を、イオン交換膜を介した二室型反応容器中に配置し、塩化ナトリウム(NaCl)を含む反応溶液を用いた電気化学反応システムで、水の還元・酸化による水素・酸素生成能力やCl-イオンの酸化によるHClO生成能力を評価した(図1左図)。水素発生は対極で進行する。光電極に疑似太陽光を照射すると、何も修飾していない光電極を用いた場合は、光電極から酸素とHClOが同時に生成した。一方で、マンガンで表面を修飾した光電極を用いると、HClOがほとんど生成せず、高い選択性(90%以上)で酸素だけが生成した(図1右図)。また、マンガン以外の金属元素を修飾した光電極を用いた場合には、HClOと酸素が生成した。マンガンで修飾した光電極においてHClO生成が著しく抑制される挙動は、用いたNaCl水溶液のpHやCl-濃度、マンガン前駆体やマンガン酸化物の結晶構造の違い、異種元素との複合(Mn/Ca=4のカルシウム複合など)によってもほとんど変化せず、マンガンは非常に広範な条件下で選択的にHClO生成を抑制しながら酸素を発生できる非常に特異な元素であることを明らかにした(図2)。この挙動は多種多様な共存イオンを含む人工海水でも再現されることを確認した。このマンガンの特異な特性は酸素生成に比べてHClO生成の過電圧が相対的に著しく高くなるというマンガン元素に固有の触媒作用によって発現していることが示唆された。
今回の成果は海水を用いた太陽光水素製造技術の実用化に貢献するだけでなく、天然光合成の理解の深化にも貢献する。天然光合成の酸素発生中心は、マンガンの酸化物集合体で構成されているが、マンガンという元素が使われる理由は不明であった。今回の光電極を用いた実験結果から、「生物にとって有害なHClO生成を幅広い条件下で抑制できるというマンガンの特異的な性質が酸素発生中心の進化に関与している」という新たな仮説を提唱できた。天然光合成と人工光合成研究の相互理解と融合が進むことで、革新的なシステム構築に寄与すると考えられる。
図1 左図:光電極によるNaCl水溶液からの酸素とHClO生成反応の評価装置
右図:表面修飾酸化物がこの反応システムの選択性に及ぼす影響
図2 マンガンで修飾した光電極によるNaCl水溶液からの酸素とHClO生成反応への反応溶液条件の影響
今後は、今回開発した光電極の長期安定性の向上など、太陽光による水素製造の実用化を目指した研究開発を行う。また、今回提唱した天然光合成の進化についての仮説の明確な立証を行っていく。