国立大学法人 東京大学 【総長 五神 真】(以下「東京大学」という)大学院工学系研究科物理工学専攻の上村 洋平 大学院生、荒井 俊人 講師、長谷川 達生 教授(兼)国立研究開発法人 産業技術総合研究所【理事長 中鉢 良治】(以下「産総研」という)フレキシブルエレクトロニクス研究センター【研究センター長 鎌田 俊英】総括研究主幹、同研究センター 堤 潤也 主任研究員、堀内 佐智雄 上級主任研究員らの共同研究グループは、強誘電体(注1)内で自発分極(注2)の向きが揃った強誘電ドメイン(注3)の境界をなす3次元的なドメイン壁の構造を、CMOSカメラ(注4)を用いて、高速・大面積・非接触に可視化する新しい測定技術の開発に成功しました。
強誘電体は、固体内で電気分極が一方向に整列し、かつその向きを自由に変えられる性質を持つことから、ICカード等のメモリ素子や各種センサ素子を含む幅広い用途のため用いられています。近年、塗布によるデバイスの製造が可能で、かつ非常に優れた特性を示す有機強誘電体が多数見出され、その実用化が期待されています。これらの特性を理解するには、強誘電体内に存在するミクロなドメイン壁の挙動を明らかにする必要がありますが、従来、その観察は材料表面付近に限られることや、測定に長時間を要するなど、さまざまな制約がありました。そこで、強誘電体に電圧を印加した際の光透過率の微小変化をCMOSカメラにより高感度で画像化し、材料内部のミクロな様子も含めた広い領域のドメイン壁の構造を、高速・大面積・非接触に可視化できる手法を新たに開発しました。さらにこれを用いて、水素結合型有機強誘電体薄膜のドメイン壁が、予想に反して、薄膜内で大きく傾斜していることを明らかにしました。
① 研究の背景
強誘電体は、エレクトロニクスや各種センサ、エネルギーハーベスティング(注5)への応用においてさまざまな役割を果たす、重要な機能性材料として知られています。自発分極の向きによりメモリ機能を持つことに加え、自発分極の大きさの制御による電気信号と機械的動作の変換、熱と電気信号の変換や、電気エネルギーの蓄積など、多面的な用途にわたる幅広い展開が期待されています。近年は、無機材料を用いた強誘電体に加えて、柔らかな有機物質を素材とし、塗布法による大面積で簡易なデバイス製造が可能な有機強誘電体材料の開発も進められています。従来から知られるポリマー系の強誘電体に加えて、低分子同士が水素結合で繋がった水素結合型有機強誘電体(注6)において、非常に大きな自発分極を有し、かつ分極反転に必要な電界(抗電界)が小さく鋭い分極反転動作を示す優れた強誘電材料が多数見出され、その実用化が期待されています。
強誘電体の分極反転動作は、固体内で分極方向の異なるドメイン同士の境界(ドメイン壁)が移動することによって生じます(図1)。このため強誘電特性の理解には、強誘電体内でドメイン壁がどのように存在しているのか、またそれらがどのようにミクロな運動をしているのかを明らかにする必要があります。特に、水素結合型有機強誘電体内のドメイン壁の挙動は、従来の硬い素材からなる無機強誘電体とは異質なものになると考えられていますが、材料内部のミクロなドメイン壁の様子を調べることは難しく、これまでその様子を明らかにすることはできませんでした。強誘電ドメインを観察する手法には、走査型プローブ顕微鏡の一種である圧電応答力顕微鏡(PFM、注7)やレーザー光照射による第二次高調波発生(SHG)法(注8)を用いた手法が知られています。しかし、材料表面に近い2次元的な情報しか得られないことや、測定に長時間を要し、大面積の測定が難しいなどの制約がありました。このため、強誘電ドメイン壁の3次元的な分布やその運動挙動を調べることが可能な、高速・大面積・非接触なイメージング技術の開発が求められていました。
② 研究の経緯
本研究グループは、塗布によりフレキシブルな電子デバイスを製造するプリンテッドエレクトロニクスの実現を目指した研究開発の一環として、水素結合型有機強誘電体と呼ばれる新しいコンセプトの強誘電体材料の開発と、これらを薄膜デバイス化するための研究に取り組んでいます。
水素結合型有機強誘電体では、分子同士を繋ぐ水素結合中の水素原子が、固体内で全て、ある向きに偏ることによる非常に大きな自発分極を有しています(図2)。分極反転は、これら水素原子が一斉に逆の向きに移動することにより生じますが、その際に水素原子以外の原子位置は、π結合の切り替え以外はほとんど変化しないことから、他の材料系と比べ、格段に低い抗電界での分極反転が可能という特徴を持っています。しかし薄膜デバイス開発に必要な強誘電ドメインの形成機構や運動挙動の理解は進んでいませんでした。
今回、反転対称性を持たない強誘電体が一次の電気光学効果(注9)を示し、外部電界の印加によって生じる光吸収率の僅かな変化が電界の向きにより符号が変わることに着目し、これを用いて強誘電ドメインを可視化する新たな測定手法を開発しました。電界の印加により生じた僅かな光吸収率の変化を高感度にイメージングするための手法としては、CMOSカメラを用いて、有機トランジスタのチャネル内のキャリア分布を高感度に画像化する「変調イメージング技術(注10)」を用いました。強誘電体中の強誘電ドメイン構造を、高速・大面積・非接触に可視化できるこの新しい手法を「強誘電体電界変調イメージング(FFMI; Ferroelectric Field Modulation Imaging)法」と呼び、測定観察技術の高速・高感度化を進めるとともに、これを水素結合型有機強誘電体に適用し、実際のドメイン壁構造の観察、PFM法による測定結果との比較、及びX線回折法による結晶軸との相関を詳細に調べることにより、今回の成果が得られました。
なお、本研究開発の一部は、JSPS科研費基盤研究A(16H02301)、JSPS科研費若手研究A(16H05976)、JST戦略的創造研究推進事業CREST(JPMJCR18J2)による支援を受けて行なわれました。
③ 研究内容
本研究では、水素結合型有機強誘電体の一種であるHdppz-Hcaを用いました(図2)。この物質は、結晶内で2種類の分子(dppzとH2ca)が水素結合により交互に結ばれ、室温で、分子間のプロトンの移動により自発分極の向きが切り替わる強誘電性を示します。その単結晶薄膜化は溶液プロセスを用いて行いました。
薄膜の面内方向に電圧を印加した状態で、薄膜面に光を照射し、その光透過率の変化を測定したところ、印加する電界の向きにより透過率の増減が切り替わることが分かりました。また電界を一方向に印加した状態では、薄膜内のある領域の透過率が増加するのに対し、別の領域では透過率が減少するという、互いに逆の応答が見られました。以上の観察結果は、薄膜内に自発分極の向きが揃った強誘電ドメインが存在し、印加電界とこれらの分極の向きの相関によって、光の透過率(または吸収率)が増減することを意味しています。このような透過光強度の変化の様子を薄膜面に対してマッピングすることにより、自発分極の向きが揃った強誘電ドメインを可視化できます。
そこで、ある波長での光透過率が電界の印加によって変化することによる光学イメージのわずかな変化を、CMOSカメラの差分画像として取り出しました(図3)。ここでは、画素数が数百万画素に及ぶCMOSカメラの各画素で、吸収率の変化をそれぞれ高感度に検出する手法を用いているため、広い面積にわたる薄膜上の吸収率の変化を、一括して高速にマッピングすることができます。そのためFFMIは1cm2以上の大面積(PFMの100倍以上)を3分程度の短時間(PFMの数10倍の速さ)で測定可能です。このFFMI法でHdppz-Hca薄膜の強誘電ドメインを観察した結果を図3bに示します。赤色と青色の領域がそれぞれ分極方向の異なるドメインを表しており、一般的に用いられるPFM法による測定結果(図3c)とよく一致することが確認されました。なお、電界の印加によって生じる実際の透過率の変化は僅か(0.01 %程度)であるため、実際の高感度な差分イメージの取得にあたっては、まず約3万枚の差分イメージを取得し、これらを平均化する画像処理を行うことで電気信号の乱れ(ノイズ)による効果を低減する手法を用いました。
FFMI法は、薄膜内に分布する強誘電ドメインを、比較的広い面積にわたって短時間で一括して測定することが可能できることから、強誘電ドメインの運動の観察に適しています。自発分極が反転する途中のドメイン構造の変化を、FFMI法により観察した様子を図4に示します。自発分極が反転する程度の高い電界の印加により、ドメインが時間とともに変形していく様子を詳細に可視化することができました。
さらに、ドメイン境界付近をまたぐFFMI像の信号強度の変化を詳細に調べたところ、信号強度が急激に変化するドメイン境界と、信号強度がなだらかに変化するドメイン境界の2種類があることが分かりました(図5aに示したドメイン壁Aとドメイン壁B)。そこで、PFM法による測定結果と比較してみたところ、PFM像では、いずれのドメイン境界でも、分極方向は急激な変化を示すことが分かりました。これは、薄膜の厚み方向に対して異なる向きのドメインが共存したためと考えられます。すなわち、FFMI像でみられた信号強度のなだらかな変化は、ドメイン壁が薄膜面の面直方向から大きく傾いているため見られることが分かりました。信号が変化する領域の幅と薄膜の膜厚との関係を詳しく調べた結果、ドメイン壁は基板面と約10°~ 12°の傾きをなすことが分かりました。その一方、信号が急激に変化する領域では、ドメイン壁は基板面に対し垂直になっていると考えられます。
最近の第一原理計算を用いた解析によると、自発分極の向きはab面に垂直な方向、すなわち基板面と約11°の傾きをなすと予測されています。そこで、X線回折法により薄膜の結晶方位を決定し、これら2種類のドメイン壁と結晶軸の相関を確認しました。その結果、薄膜面上から見て自発分極の方向と平行なドメイン壁Aだけではなく、一見自発分極と直交しているように見えるドメイン壁Bも、実は、ドメイン壁が薄膜中で大きく傾いており、自発分極の方向に平行で、電気的に中性なドメイン壁であることが明らかになりました(図5b)。すなわち、Hdppz-Hca薄膜で観察された2種類のドメイン壁は、いずれも自発分極の方向と平行な、中性のドメイン壁であるとの結論が得られました。特にドメイン壁Bは、薄膜内での面積が大きく界面エネルギーは大きいと考えられますが、柔らかな有機強誘電体中では、静電エネルギーの効果が勝り、より強く安定化したものと推測されます。このように、膜厚方向の情報をもつFFMI法を用いることにより、従来の手法では観測が困難だった3次元的なドメイン構造の詳細が明らかになりました。
FFMI法が光学スペクトルにもとづく非接触で簡易な測定手法であるという利点を活用し、多くの有機強誘電体のドメイン壁の挙動を調べるために用いていく予定です。これにより強誘電ドメインの形成・運動機構の理解が大きく進むとともに、有機強誘電体の開発とデバイス応用が加速されると期待できます。さらにCMOSカメラによる変調イメージング技術が、さまざまな物性測定やその他の微小イメージングに展開していくことが期待されます。
雑誌名:Physical Review Applied(オンライン版:日本時間 1月24日)
論文タイトル:Field Modulation Imaging of Ferroelectric Domains in Molecular Single-Crystal Film
著者:Yohei Uemura*, Shunto Arai, Jun’ya Tsutsumi, Satoshi Matsuoka, Hiroyuki Yamada, Reiji Kumai, Sachio Horiuchi, Akihito Sawa, Tatsuo Hasegawa†
DOI番号:10.1103/PhysRevApplied.11.014046
アブストラクトURL:https://journals.aps.org/prapplied/abstract/10.1103/PhysRevApplied.11.014046