国立研究開発法人 産業技術総合研究所【理事長 中鉢 良治】(以下「産総研」という)スピントロニクス研究センター【研究センター長 湯浅 新治】電圧スピントロニクスチーム 野﨑 隆行 研究チーム長は、国立大学法人 東北大学 電気通信研究所の辻川 雅人 助教、国立研究開発法人 物質・材料研究機構の大久保 忠勝 グループリーダー、国立大学法人 大阪大学の三輪 真嗣 准教授、公益財団法人 高輝度光科学研究センターの鈴木 基寛 チームリーダーらと共同で、電圧制御型の磁気メモリー(電圧トルクMRAM)用の新材料を開発し、高効率な電圧スピン制御を実現した。
電圧をかけて金属磁石薄膜の磁化の向きやすい方向(磁気異方性)を制御する電圧スピン制御技術は不揮発性固体磁気メモリー(MRAM)の駆動電力を低減するキーテクノロジーとして注目されている。今回、典型的な磁石材料である鉄(Fe)に低濃度のイリジウム(Ir)を添加したFeIr超薄膜磁石では、実用上求められる垂直磁気異方性を保ちつつ、電圧スピン制御効率が従来よりも約3倍高効率化することを見いだした。これにより電圧トルクMRAMの実用化に向けた性能目標が初めて達成された。電圧トルクMRAMは、現在のMRAM開発の主流である電流方式よりも書き込みに必要なエネルギーを大幅に低減できる可能性が有り、待機電力が不要で、駆動電力が小さい新たな不揮発性メモリーの実現につながると期待される。この成果の詳細は、2017年12月1日(英国現地時間)にNPG Asia Materials (ネイチャー・パブリッシング・グループ アジアマテリアルズ) にオンライン掲載される。
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今回開発した鉄イリジウム超薄膜磁石の特性(赤星印)と素子構造の模式図
垂直磁気異方性と電圧スピン制御効率の双方で実用化に向けた性能目標を初めて達成した。 |
IoTやAIが切り開く次世代IT社会ではビッグデータの高速処理が必須となり、IT機器の消費電力低減はますます重要な課題となる。例えばモバイルIT機器の場合、CPU、メモリーで消費される電力は全体の消費電力の30~40 %にも達し、頻繁な充電を必要とする1つの要因となっている。CPU、メモリーの消費電力を低減する有効なアプローチに不揮発性メモリーの導入がある。
磁気トンネル接合(MTJ)素子の記録層の磁化の向きを制御して情報を記録し、トンネル磁気抵抗(TMR)効果で情報を読み出す固体磁気メモリー(MRAM)は、書き込みのエネルギーを与えない限り磁化の向きが保持されるため、情報の維持に電力を必要としない不揮発性メモリーである。しかし、現在製品開発が進められているMRAMは電流で情報を書き込むため、電流による発熱に起因する電力消費が生じる。そのため既存の半導体メモリーよりも駆動電力が数桁大きく、用途が制限されている。一方、電圧トルクMRAMは、電圧で情報を書き込むので、駆動電力も小さい理想的な不揮発性メモリーの実現が期待されている。しかし、その実用化では、電圧スピン制御効率の増大が課題となっている。
電圧トルクMRAMを実現する基盤技術として我々が注目しているのが、電圧による磁気異方性制御である。これは厚さを1ナノメートル(100万分の1ミリメートル)程度まで超薄膜化した金属磁石に、酸化マグネシウム(MgO)などの誘電層を介して電圧をかけると磁化の向きやすい方向(磁気異方性)が変化する物理現象である。本資料ではこの方法を用いた磁化制御方法を電圧スピン制御技術と呼ぶ。産総研では、これまでに電圧スピン制御技術を適用したMTJ素子の磁化反転制御の実現と安定性実証 (2017年7月12日 産総研プレス発表)や物理起源の解明(2017年6月26日 産総研プレス発表)、回路シミュレーションによるメモリー動作検証 (2016年12月5日 産総研プレス発表)など電圧トルクMRAMの有効性を示してきた。磁化の向きとして情報を保存するためには室温の熱エネルギーに対して磁化方向を安定化(熱安定性)させる必要があり、そのために素子が小さくなるほど大きな磁気異方性が求められる。一方、磁化を反転させるにはこの磁気異方性を打ち消す必要があるため、電圧トルクMRAMを大容量化するには電圧スピン制御効率を向上させる必要がある。実用的な容量のメモリーでは300以上の効率が必要とされているが、現状では100程度に留まっており、電圧スピン制御効率の向上が課題となっていた。今回、制御効率向上を目指した新材料開発に取り組んだ。
なお、本研究は、「革新的研究開発推進プログラム(ImPACT)」の研究開発プログラム「無充電で長時間使用できる究極のエコIT機器の実現」(プログラム・マネージャー:佐橋 政司)の一環として行った。
図1(左)に今回作製した素子構造の模式図を示す。上部電極と下部電極との間に電圧をかけることにより、酸化マグネシウム(MgO)層の下の超薄膜磁石の磁気異方性が変化する。これまでは典型的な磁石材料である鉄コバルト(FeCo)系合金を用いていたが、今回Feの中に5~10 %程度の低濃度でイリジウム(Ir)が分散したFeIr合金の超薄膜磁石を開発した。膜厚は1ナノメートル程度である。図1(右)はFeIr超薄膜磁石の電子顕微鏡の例であり、Ir(黄色矢印)がFe内にランダムに分散していることが確認できる。このFeIr超薄膜磁石は、Fe内に適度に分散したIrが持つ磁気異方性により、純粋なFe/MgO接合と比較して約1.8倍の垂直磁気異方性を示した。
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図1 今回用いた素子構造の模式図(左)とFeIr超薄膜磁石の電子顕微鏡像(右) |
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図2 FeIr超薄膜磁石の電圧スピン制御の観測例(左)と今回と従来との特性比較(右)
今回 (赤星印)初めて電圧トルクMRAM実用化のターゲット(水色領域)を満たす特性を達成した。 |
さらに上部電極にも金属磁石(Fe)を用いたMTJ素子構造とし、TMR効果を介した電圧スピン制御効率の評価を試みた。図2(左)に垂直磁気異方性の電界強度依存性を示すが、この傾きが電圧スピン制御の効率を表す。電圧トルクMRAMでは電圧で異方性を打ち消して磁化反転を制御するため、電界によってどれだけ異方性を下げられるかが重要となる。図2(右)に、これまでにMTJ素子構造で報告されている高速応答性を持つ電圧スピン制御の効率と垂直磁気異方性を示す。水色の領域が各種メモリー用途に求められる仕様値である。これまでの鉄コバルト(FeCo)をベースとした超薄膜磁石の電圧スピン制御効率は100程度に留まっていたが、今回開発したFeIr合金超薄膜磁石は3倍以上の効率(赤星印)を示し、電圧トルクMRAMの実用化ターゲット領域(水色領域)に初めて到達した。
また、理論的な解析により、このFeIr合金での効率向上は、分散させたIr原子が重要な役割を担っていることが判った。Irは通常磁気的な性質を持たない非磁性材料であるが、Feと隣接すると磁気的な性質を帯びる。Irのような重い元素が磁気的な性質を帯びると大きな電圧スピン制御効率が得られる可能性は理論的に予測されていたが、一方でIr原子同士が隣り合うと垂直磁気異方性を小さくする特徴が課題となっていた。今回、Feベースの超薄膜内に低濃度でIrを分散させると、垂直磁気異方性と電圧スピン制御効率を両立させることができると分かった。
今回開発した材料の量産技術を開発するとともに、垂直磁気異方性と電圧スピン制御効率の一層の向上を目指した新材料・構造の開発を進め、電圧トルクMRAMが使えるメモリー用途の拡大と、実メモリー回路への展開に取り組む。