国立研究開発法人 産業技術総合研究所【理事長 中鉢 良治】(以下「産総研」という)電子光技術研究部門【研究部門長 森 雅彦】分子集積デバイスグループ【研究グループ長 阿澄 玲子】 則包 恭央 主任研究員らは、アゾベンゼンという単純な構造を持つ有機物質の結晶が、光照射によってガラス板の上を変形しながら移動する現象を発見した。さらに、垂直に立てたガラス板を垂直方向に上ることも確認した。
今回発見した現象は、市販のガラス板に載せたアゾベンゼンの結晶に、結晶が液化する波長の光(紫外光)と、結晶化する波長の光(可視光)を異なる方向から同時に照射すると結晶が移動する現象である。紫外光の光源から遠ざかる方向に移動するため、結晶の移動方向を制御できる。また、この現象は、ガラス板の特殊な表面処理や、レーザーなどの特殊な光源を必要としない。今回の結晶固体が光で固体基板上を変形しながら移動する現象はこれまでに報告がない。将来的には、微小な領域での物質や物体の運搬やバルブなどへの応用が期待される。
なお、この研究の詳細は、2015年6月18日に英国の学術誌Nature Communicationsに掲載される。
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結晶が光で移動する現象の模式図(左)と顕微鏡写真(右) |
近年、省エネルギー、省資源、コストダウンなどの目的から、さまざまな産業分野において装置の小型化が求められている。その延長として、極めて小型化されたマイクロマシンやマイクロ工場などが提案されている。これらを実現するためには、既存の部品や装置の小型化や微細化だけでなく、新しい技術や仕組みの開発が必須である。特に、物体や物質を動かす技術の開発は重要であるが、屈曲、伸縮、振動については、MEMS、高分子、フォトクロミック化合物を用いたアクチュエーターなどが知られている。一方、物体や物質の移動については課題が多い。これまで、固体表面上の液滴や固体を、光を照射して移動させた例が報告されているが、特殊な表面処理を施した基板や、光照射の精密な制御、光源としてレーザーを必要とするといった問題があった。
産総研では、これまでに、光を照射するだけで固体から液体に変化する有機材料(2010年12月2日 産総研プレス発表)や、光による液化-固化を繰り返す材料(2012年4月6日 産総研プレス発表)の開発に取り組んできた。アゾベンゼンは光異性化を起こす代表的な化合物であるが、溶液中での光異性化反応は良く知られている一方で、結晶固体中での光異性化反応はあまり知られていない。産総研では、アゾベンゼンの光異性化を利用した、光液化固化現象(光を照射することで液化と固化(結晶化)する現象)を起こす有機化合物を開発して以来、この現象のメカニズムの解明や、応用技術の開発を目指して、さまざまな分子構造を持つアゾベンゼン誘導体について研究を行った結果、今回の発見に至った。
なお、本研究の一部は、独立行政法人 日本学術振興会 科学研究費助成事業「フォトクロミック反応を活用した平版印刷法の開発と有機エレクトロニクスへの展開(23760680)」とキヤノン財団研究助成プログラム「産業基盤の創生」による支援を受けて行った。
今回、単純な分子構造を持つアゾベンゼン誘導体である3,3'-ジメチルアゾベンゼン(DMAB)に着目して研究を行った。この化合物は室温で結晶(トランス体の融点:53 ℃)であるが、紫外光(波長365 nm)を照射するとトランス体からシス体への光異性化に伴って液化する。逆に、可視光(波長465 nm)を照射するとシス体からトランス体への光異性化によって結晶化する。ガラス板上に載せたDMABの結晶(大きさ:数十 µm、厚さ:数 µm)に紫外光と可視光を互いに反対方向から斜めに照射すると、紫外光から遠ざかる方向に結晶が移動した(図1)。結晶の移動速度は、光の強さや角度によって変わるが、例えば、紫外光と可視光をそれぞれ200 mW cm-2、50 mW cm-2の強度、角度45度で照射したところ、複数の結晶の平均移動速度は毎分約1.8 µmであった。この実験では、光源として一般的な光化学実験で用いられるLEDや高圧水銀灯、ガラス板として市販のカバーガラスを用いており、レーザーなどの特殊な光源や基板の表面処理は不要であった。また、光は結晶全体に照射しており、結晶の一部だけ照射するなどの光の制御は不要である。
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図1 結晶が光で移動する現象の様子
結晶が移動する現象の模式図(左)と顕微鏡写真(右) |
今回発見した移動現象は、結晶に二つの光を同時に照射する場合にだけ起こる。すなわち、完全に液化した液滴に光照射を行っても液滴の移動は観測されなかった。また、結晶に紫外光か可視光のいずれかの光だけを照射しても移動しなかった。さらに、それぞれの光の強度のバランスが重要であった(図2)。
ガラス板を垂直に立てた状態での光照射による結晶移動を試みたところ、結晶が壁面を上る(鉛直方向に移動する)ことも可能であった(図3)。
今回発見した結晶の移動現象の詳細なメカニズムの解明は今後の課題であるが、結晶が動く方向に対して、後方では液化が、前方では結晶化が同時に起こり、それによって結晶が移動すると考えられる。そこで、この現象の一般性を調べるために、より単純な分子構造のアゾベンゼン結晶についても移動現象を調べた。アゾベンゼンはDMABと異なり、室温では紫外光照射によって液化しないが、50 ℃では紫外光照射で液化する。50 ℃に保持したまま、紫外光と可視光を同時に照射すると、結晶が移動した。この結果は、光で液化と結晶化を起こす化合物であれば移動の現象が起こりうることを示している。
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図2 結晶が光で移動するための条件
結晶が移動する条件を示す模式図(上)と移動する光強度のプロット(下) |
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図3 垂直に設置したガラス板の上を結晶が移動する様子
結晶が移動する現象の模式図(左)と顕微鏡写真(右) |
今回発見した、光で結晶が移動する現象の詳細なメカニズムの解明を目指す。また、物質や物体移動の自在制御やバルブなどの応用技術の開発に向けて、より速く移動する化合物や、より弱い光でも移動する化合物についての研究を行う予定である。