独立行政法人 産業技術総合研究所【理事長 野間口 有】(以下「産総研」という)光技術研究部門【研究部門長 渡辺 正信】分子薄膜グループ【研究グループ長 阿澄 玲子】則包 恭央 研究員、ナノシステム研究部門【研究部門長 八瀬 清志】スマートマテリアルグループ 吉田 勝 研究グループ長らは、加熱することなく光を照射するだけで、固体から液体へと融解(相転移)し、さらに元の固体状態に戻すこともできる有機材料を開発した。
今回開発した有機材料は、一度状態を変えると元に戻せない(不可逆)感光性樹脂と違い、光異性化反応による状態変化なので元の状態に戻すことができる(可逆)のが特長である。これまで、光異性化反応によって分子の構造(形)が変化する有機化合物は数多く知られているが、光異性化反応は溶液中では起きるものの、結晶中ではほとんど起きないとされていた。今回、合成した新規有機化合物は、分子量が1,100~1,700程度で、結晶中でも光異性化反応が起き、融解によって固体状態から液体状態へと変化する。これは、物質の融解現象の基本原理にもかかわる重要な発見である。今後はこの有機材料を大量に合成する手法の確立を目指すとともに、フォトリソグラフィーなどさまざまな応用への可能性を探る。
この研究成果は、英国の科学雑誌Chemical Communicationsにて、2010年12月2日にオンライン公開される。
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図1 2種類の有機化合物(上段、下段)の相転移の様子。液体部分は黒く観察される。
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偏光顕微鏡による観察 |
光学顕微鏡による観察 |
水に見られるような、固体(氷)-液体(水)-気体(水蒸気)の状態変化は、あらゆる物質の基本的な性質であり、通常は熱の移動(温度の変化)によって生じる現象である。一方、光を照射することで、物質の状態が変化する材料に感光性樹脂がある。この材料は、光によって液体から固体、固体から液体への変化などが生じる。これらは、印刷用の製版やエレクトロニクス分野での微細加工技術などに広く用いられており、産業の発展において極めて重要な役割を担っている。しかし、感光性樹脂のほとんどは、光重合反応や光分解反応を利用しているため、一度使用すると元の状態に戻すことができず再利用できない。持続可能な社会を構築する上でも、再利用可能な光応答性材料の開発は、省エネにつながるグリーンイノベーションの一環として重要な課題の1つである。
産総研では、再利用可能な新しい光応答性材料の開発を進め、可逆的な光化学反応である光異性化反応に注目し、合成化学の観点からさまざまな検討を行ってきた。今回、新たな分子設計により、これまで知見の少なかった結晶中における光異性化反応について取り組んだ。
なお、この研究開発は、独立行政法人 日本学術振興会の科学研究費補助金「若手研究(B)(平成21~22年度)」、社団法人 新化学発展協会の「平成21年度研究奨励金」による支援を受けて行ったものである。
産総研では、再利用可能な可逆的反応性をもつ光応答性材料の開発に関連して、光異性化反応を起こす代表的な分子であるアゾベンゼンに注目してきた。図2に示すように、アゾベンゼンは紫外光を照射すると、トランス体からシス体へ構造が変化し、逆にシス体は可視光を照射するか加熱するとトランス体へと戻る。この現象は、一般的に溶液中でだけ起き、結晶中ではほとんど起きない。これは、分子が結晶中では周囲の分子にブロックされて自由に動けず構造変化が阻害されるためである。近年、結晶中での光異性化反応が起こる稀な例として、光によって形が変わる結晶などが報告されているが、固体から液体に可逆的に変化するような現象の報告はなく、そのような現象がそもそも原理的に可能かどうかすら明らかになっていなかった。
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図2 アゾベンゼンの光異性化反応。トランス体とシス体の間で可逆的に光異性化する。
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このような状況から、まず固体と液体の中間ともいえる液晶状態から液体状態への光による相転移の研究を行うため、図3に示す2種類の新規有機化合物を合成した。これらの有機化合物は、アゾベンゼンを環状に連結して適度に柔らかい側鎖を付け加えた構造の化合物で、分子内の複数のアゾベンゼン部位の光異性化に伴って、分子全体の形状が大きく変化する。これらの化合物では、液晶状態から液体状態への光による相転移のほかに、結晶状態から液体状態への相転移も確認できた。図4にその偏光顕微鏡写真を示す。熱でこれらの物質を融解させるには、100 ℃以上の温度が必要であるが、室温状態で光を照射した部分だけが融解していることがわかる(融解した部分は結晶に特有の複屈折が消失して等方的になるので、偏光顕微鏡写真では黒い暗視野として観察される)。
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図3 開発した2種類の有機化合物の構造式(上)と、それを用いた相転移の模式図(下)。紫外光や熱によって固体状態(左)と液体状態(右)の間を相転移する。
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図4 有機化合物1(上段)と2(下段)の25 ℃における偏光顕微鏡写真(膜厚は5 μm)。紫外光でシス体構造に変化し液体になる(黒く観察された部分)。また、熱でトランス体構造に変化し固体へ戻る。
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また、光反応の効率の高い微結晶粉末を薄膜化することで、結晶の融解の光学顕微鏡観測にも成功している。この状態変化は、照射する光と温度の2種類の条件を制御することで、何度も繰り返して起こすことができる。これらの結果から、適切な分子設計によって、結晶中での光異性化反応が可能になり、その反応によって結晶中の分子配列の秩序性が乱され、融解、すなわち液体状態への相転移が起きることが明らかになった。今回の成果は、通常では加熱によってだけ起きる固体から液体への状態変化が、光異性化反応で起きることを示した世界初の報告である。
光で物質が融解するという、物質科学的に興味深いこの現象のメカニズムの解明を目指し、反応の詳細な解析や、類似の有機化合物についての検討を行うことにより、分子構造と性質との関連について取り組んでいる。
今後は、外部へのサンプル提供を視野に入れながら、大量に合成する手法の確立を目指す。これと並行して、光で融解する現象を活用した、繰り返し使用が可能であるフォトリソグラフィー材料や、光を当てることで容易にはがれる接着技術等への応用についても検討していく予定である。