発表・掲載日:2010/03/11

セシウムで表面処理した高性能光触媒を開発

-太陽光を用いた新しい水素製造システムの実現に近づく-

ポイント

  • セシウムによる表面処理で酸化タングステン光触媒の反応活性が大幅に向上
  • 可視光に対する量子収率は従来報告値の約50倍
  • 光触媒の効果により水分解の電解電圧をほぼ半減でき、水素製造の低コスト化が可能

概要

 独立行政法人 産業技術総合研究所【理事長 野間口 有】(以下「産総研」という)エネルギー技術研究部門【研究部門長 長谷川 裕夫】太陽光エネルギー変換グループ 佐山 和弘 研究グループ長、三石 雄悟 研究員らは、従来に比較して飛躍的に高い可視光量子収率を示す酸化タングステン(WO3光触媒(写真1の左上)を開発した。この触媒を用いた光触媒―電解ハイブリッドシステム(写真1)は太陽光を有効利用する水素製造システムであり、水を酸化して鉄3価イオン(Fe3+)を鉄2価イオン(Fe2+)に還元しながら酸素を生成する光触媒と、Fe2+をFe3+に再酸化しながら水を還元して水素を生成する低電圧電気分解を組み合わせた産総研の独自開発システムである。

 この光触媒の高効率化は、WO3光触媒を、セシウム(Cs)で表面処理する手法を開発したことにより実現した。Cs処理した新しい触媒の活性は未処理触媒に比べて10倍以上に向上した。可視光量子収率は波長420 nmで19 %であり、これまでに報告された値(0.4 %)と比較して約50倍である。太陽エネルギーを用いることで水分解の電解電圧はほぼ半減するので、低コストの水素製造が期待できる。

 この技術の詳細は、2010年3月19日に東海大学で開催される第57回応用物理学関係連合講演会エネルギー環境研究会企画シンポジウムで発表される。

今回開発した高性能光触媒と光触媒―電解ハイブリッドシステムの全体模型の写真
写真1 今回開発した高性能光触媒(左上)と光触媒―電解ハイブリッドシステムの全体模型
太陽エネルギー変換する光触媒反応を利用して水分解水素製造の電解電圧を低減する。

開発の社会的背景

 二酸化炭素の排出を抑え持続可能な社会を構築するためには、再生可能エネルギーの有効利用が不可欠である。最も膨大な再生可能エネルギーである太陽エネルギーの有効利用技術の1つとして、光触媒で水を直接分解して水素と酸素を製造する低コスト太陽光水素製造技術は、将来の水素社会実現の基盤技術として活発に研究が行われている。もし、太陽電池並みの高い効率で、同時に植物栽培と同じようなシンプルで安価な光触媒システムが開発されれば、化石資源に依存しないエネルギー社会の実現に大きな貢献が期待できる。しかし、現時点での量子収率や太陽エネルギー変換効率は依然低く、性能の高い光触媒システムの開発が望まれていた。

研究の経緯

 産総研では、これまでの光触媒水素製造の欠点を克服できる光触媒―電解ハイブリッドシステムを考案し、研究を進めてきた(図1と図2)。このシステムでは、光触媒の効率向上の可能性だけでなく、純粋な水素が製造でき、水素捕集のための大面積透明フードが不要という利点がある。通常の水の電解水素製造と比較しても電解電圧の低下による低コスト水素製造が期待できる。つまり、従来の光触媒法と通常の電解法の両方の長所を活かした技術と言える。酸化還元反応に用いるレドックス媒体にはいくつかの候補があるが、Fe2+イオンからの低電圧水素製造は既にその技術が確立していることを考慮すると、鉄レドックス媒体(Fe2+とFe3+イオン対)の利用が現状では最も現実的である。以上より、本ハイブリッドシステム実現の残された重要課題は、水から酸素を発生させながらレドックス媒体の還元(Fe3+からFe2+へ)を行う高性能な光触媒の開発であった。

光触媒-電解ハイブリッドシステムの仕組みの図
図1 光触媒-電解ハイブリッドシステムの仕組み

さまざまな水分解水素製造の反応機構のポテンシャル図
図2 さまざまな水分解水素製造の反応機構のポテンシャル図
(a)光触媒による水分解 (b) 本発表の光触媒-電解ハイブリッドシステム (c)通常の水の電気分解。大きな電圧が必要

 

研究の内容

 WO3半導体光触媒は可視光を吸収でき、環境浄化利用分野でも銅やパラジウム助触媒を表面に担持することで従来のTiO2系光触媒より著しく高い性能を示すことを既に報告している(産総研プレス発表2008年7月9日)。本研究では水から酸素を発生させながらFe3+イオンの還元を行う反応に対して、WO3光触媒粉末の調製条件や表面処理条件の最適化による活性向上を行った。その結果、セシウム金属塩による表面処理を行うと活性が著しく向上する効果を見いだした(表1)。Fe2+イオンは比例して化学量論的に生成していた。活性向上した触媒では、水に溶解しないCs化合物が表面に存在していることが確認できた。 WO3半導体粒子の表面積、粒子形状、光吸収、および内部構造はCs処理でほとんど変化していなかった。Cs表面処理法は水熱処理溶液にCs金属塩を添加する方法および炭酸セシウムをWO3粒子に含浸して500 ℃程度で焼成する方法のいずれも高活性であった。このCs表面処理したWO3光触媒は強酸性水で洗浄して表面のCsイオンを強制的に除去したり、硫酸鉄(FeSO4)水溶液で洗浄すると活性はさらに向上し、未処理のWO3光触媒(18 µmol/h)に比べて10倍以上の活性(196 µmol/h)になった。

表1 水熱処理法および含浸法により炭酸セシウム水溶液で表面処理したWO3光触媒による可視光照射下での酸素生成反応
水熱処理法および含浸法により炭酸セシウム水溶液で表面処理したWO3光触媒による可視光照射下での酸素生成反応の表

 Cs表面処理によるWO3光触媒活性向上のメカニズムについて調べた。CsはWO3表面に偏在しているが、このCsを強酸性水で強制的に除去することで、通常のWO3表面には無かったイオン交換サイトが生成する。このイオン交換サイトにはプロトン(H+)と水がH3O+の形で特異吸着し、ここで水の酸化による酸素発生が効率的に進行すると考えられる。イオン交換サイトの一部はFe2+にもイオン交換し、ここでFe3+のFe2+への還元反応がすみやかに進行すると考えられる。

 最も活性が高い条件に最適化した光触媒の酸素発生の経時変化を図3に示す。実験の最初に添加したFe3+イオンがすべてFe2+に還元されるまで酸素発生反応が効率よく進行した。鉄塩水溶液は硫酸塩でも塩化物でも100 %化学量論的に反応が進行し、塩化鉄水溶液の方が高い活性(256 µmol/h)を示した。繰り返し実験しても触媒の活性劣化は無かった。可視光での量子収率19 %(420 nm)は、Fe3+イオンからの酸素発生WO3光触媒に関するこれまでの報告値0.4 %(405 nm)の48倍であった。太陽光のエネルギーがFe2+イオンという化学エネルギーに変換される太陽エネルギー変換効率は0.3 %に達し、粉末光触媒水分解による光エネルギー変換の既報告値の中で最も高い。また、光合成の炭化水素への太陽エネルギー変換効率と比較すると、この値はバイオ燃料の有望原料作物として有名なスイッチグラス(0.2 %)を超える値である。このような著しい活性向上は人工光合成の実現に大きく前進する成果である。光合成のバイオマスを原料としてエタノールなどの二次利用しやすいエネルギー形態に変換するバイオ燃料製造では、収穫や運搬、粉砕、発酵などの処理工程が非常に複雑である。一方、光触媒―電解ハイブリッドシステムでは図1に示したようにFe2+イオンを含む水溶液を低電圧電解することで直接水素製造ができる。図4は光触媒反応で生成したFe2+イオンを使って水素製造する小型電解装置における電解電圧と電流との関係を示している。0.8 V程度の低い電圧で電解電流が観測され、対極からは電流に対応した水素が発生する。Fe2+イオンが存在しない通常の水電解水素製造では、理論上1.23 V以上の電解電圧が必要であり、さらに酸素の過電圧が大きいので1.6 V以上の電解電圧が必要である。光触媒を用いて光エネルギーをFe2+イオン水溶液の形で蓄積できたために電解電圧を低くすることが可能になった。電解用の電源としては太陽電池や夜間電力などさまざまな電力が利用できる。

 今回の研究成果は安価な粉末光触媒システムを利用して、将来の水素エネルギー社会構築のための太陽エネルギーを用いた低コストによる水素製造の実現を目指す上で大きな進歩である。

最も性能が高い条件に最適化したWO3光触媒のFeCl3水溶液からの酸素発生の経時変化の図
図3 最も性能が高い条件に最適化したWO3光触媒のFeCl3水溶液からの酸素発生の経時変化
点線はFe3+(1260 µmol)が100 %Fe2+に変化した場合の酸素の理論発生量。酸素発生と比例して化学量論的にFe2+が生成する。耐久性の確認のために同じ光触媒で反応を3回繰り返している。

光触媒-電解ハイブリッドの小型セルによるFe2+還元と水素発生の実証実験における電流と電圧の関係の図
図4 光触媒-電解ハイブリッドの小型セルによるFe2+還元と水素発生の実証実験における電流と電圧の関係
(a)通常の電気分解 (b)光触媒反応で生成したFe2+イオン存在下

 なお、本研究は独立行政法人 新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)の「水素製造・輸送・貯蔵システム等技術開発/次世代技術開発・フィージビリティスタディ等革新的な次世代技術の探索・有効性検証に関する研究開発/可視光応答性半導体を用いた光触媒および多孔質光電極による水分解水素製造の研究開発」(平成20年度開始)の成果である。

今後の予定

 量子収率をさらに向上させて、480 nm以下の波長の光をすべてこの反応に利用できれば、その理論限界太陽エネルギー変換効率は2.4 %に達する。さらにWO3よりも長波長の光を利用できる半導体を開発し、600 nmまで利用できれば、その理論限界太陽エネルギー変換効率は7.5 %に達する。今後は光触媒を改良して太陽エネルギー変換効率を向上させていきたい。

 

※文献
W. Erbs, J. Desilvestro, E. Borgarello, M. Grätzel, J. Phys. Chem., 1984, 88, 4001-4006.



用語の説明

◆量子収率
本研究での量子収率は「外部量子収率」で表している。入射する光子の数に対して、反応に利用された光子の割合であり、見かけの量子収率とも言う。光子が反射または透過して吸収されなかった場合や、吸収されて電子-正孔対ができても再結合して熱になった場合、その量子収率は低くなる。一方、吸収された光子の数に対して、反応に利用された光子の割合の場合は内部量子収率と言う。外部量子収率は内部量子収率より低くなる。[参照元へ戻る]
◆酸化タングステン
黄緑色の可視光応答性の半導体。調製法により異なるが、光吸収スペクトルの吸収端は460~480 nmであり、それよりも短い波長の光を吸収できる。環境浄化利用分野でも銅やパラジウム助触媒を表面に担持することで高い有機物分解性能を示す。強酸性でも非常に安定。[参照元へ戻る]
◆光触媒
光触媒は光吸収により励起され、酸化反応および還元反応を引き起こす触媒物質である。不均一系の半導体光触媒や均一系の色素光触媒などがあるが、本発表は前者。半導体触媒は伝導帯と価電子帯が禁制帯で隔てられたバンド構造を持つ。バンドギャップ以上のエネルギーを持つ光により、価電子帯の電子が伝導帯に励起され、伝導帯に電子が、価電子帯にその抜け殻の正孔が生成する。伝導帯に励起された電子は価電子帯の電子よりも還元力が非常に強く、暗時では起こらない還元反応を起こすことができる。同様に、正孔も強力な酸化反応を起こす。今回の反応の場合、正孔により水が酸化されて、酸素が生成される。一方、伝導帯に励起された電子はFe3+を還元し、Fe2+が生成する。[参照元へ戻る]
◆太陽エネルギー変換効率
単位時間当たりの、入射する太陽エネルギーに対して、取り出したエネルギーの割合。本研究の場合、ソーラーシミュレーターからの疑似太陽光(ラジオメーターで調整)に対して、水を酸素に分解してFe3+をFe2+に還元する反応として蓄積されたエネルギーの割合を示す。農作物の場合は、年間の太陽エネルギー総量に対して、年間で収穫された作物の乾燥物から計算した蓄積エネルギーの割合を示す。[参照元へ戻る]
◆レドックス媒体
酸化と還元を安定に繰り返す物質。二次電池材料にも用いられる。本研究についてはFe2+とFe3+のイオン。植物の光合成にも酸化や還元を起こす部分に電子移動を仲介する有機物のレドックス媒体が多数存在する。[参照元へ戻る]
◆スイッチグラス
イネ科・キビ属の永年性草本植物。米国では大統領の一般教書演説でバイオエタノールを生産するための有望燃料作物として言及されて有名になった。トウモロコシと同じ光合成能力が高い種類で、乾燥にも耐え、農地に適さない土地でも栽培容易なのが特徴。[参照元へ戻る]
◆人工光合成
研究分野によって定義は異なる。例えば錯体化学では、植物の光吸収用ポルフィリン錯体や酸素発生用マンガン錯体の機能を部分的に模倣する研究自体を示す。反応で区分する場合は、光エネルギーを化学エネルギーに「直接」変換・貯蔵する反応(エネルギー蓄積型反応またはアップヒル反応)を起こすシステムを示す。本研究の水を酸素に分解してFe3+をFe2+に還元する反応もエネルギー蓄積型反応である。水を水素と酸素に完全分解する反応、炭酸ガスと水から有機物を合成する反応、窒素と水からアンモニアなどを合成する反応も典型的なエネルギー蓄積型の人工光合成反応である。(均一・不均一)光触媒反応や光電極反応がその範疇になる。太陽電池と電気分解を組み合わせた水素製造では、直接的な変換ではないので、人工光合成ではない。[参照元へ戻る]

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