独立行政法人 産業技術総合研究所【理事長 吉川 弘之】(以下「産総研」という)生物機能工学研究部門【研究部門長 巌倉 正寛】生物共生相互作用研究グループ 沓掛 磨也子 研究員、深津 武馬 研究グループ長らは、ミツバチやアリなどのように社会性を有する“社会性アブラムシ”において、兵隊アブラムシが自己犠牲的に多量の体液を放出し、その固化によって植物組織の傷を塞ぐのみならず、塞いだ傷の周りに兵隊アブラムシが集結して植物組織を口針で刺激することで、その再生治癒を誘導するという驚くべき現象を発見した。
体液凝固によるかさぶた形成で傷口を迅速に塞いで安定化し、続いて周囲の組織の補償増殖により傷がゆっくり完全に治るという、いわゆる「創傷治癒過程」は我々ヒトを含む脊椎動物のみならず、昆虫などの無脊椎動物にも広くみられる。しかし、昆虫がまったく異なる生物種である植物の傷を、自身の体液凝固による“かさぶた”の形成で応急処置し、さらには植物組織の治癒促進までするという現象は前代未聞である。植物組織の成長や増殖の外部要因による制御の観点から基礎生物学的に興味深いのみならず、将来的には植物の成長や育成の制御技術にも新たな展開を期待できる知見である。
本研究成果は、英国の学術専門誌「Proceedings of the Royal Society B」(英国王立協会紀要)のウェブサイトで2009年2月25日にオンライン発表される。
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写真:自己犠牲的に放出した体液で植物組織の傷を修復する モンゼンイスアブラムシの兵隊幼虫(お尻から白色の体液を出し、体長は1/3ほどに縮んでしまう)。
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多種多様な生物が様々な相互作用を繰り広げながら進化して、現在我々が目の当たりにしている高度な生物機能がうみだされてきた。現在地球上に存在する生物多様性の中から見いだされるこれら特異かつ巧妙な生物機能の数々は、基礎科学的な探求の対象であるのはもちろんのこと、生理活性物質や医薬のリード化合物として大きな応用的、経済的価値の創出につながる場合もある。生物多様性のこのような側面はしばしば「生物遺伝子資源」と形容されるが、これまでに人類の探索が及んでいる領域は、実際の膨大な生物多様性に比すればごくわずかな部分にすぎず、広大な未探索のフロンティアが残されている。
我々は共生、寄生、操作、社会性などの高度な生物間相互作用を伴う生物現象を主たる標的として研究開発を進めてきた。なかでも昆虫のような生物が植物のような他生物の形態を自分の都合の良いように改変してしまう「形態操作」は、現象的に興味深いのみならず、外部要因によって生物の形態や発生を制御する技術等に発展しうる潜在性を有しているが、その解明はほとんど進んでいないのが現状である。
モンゼンイスアブラムシ(図1左)は、イスノキという木に直径8cmほどの虫こぶ(ゴールともいう。図1右)を形成する。虫こぶとは、アブラムシが植物の組織を肥大、変形、成長させて形成する構造で、内部は空洞になっており、多数のアブラムシが虫こぶ内壁から植物の汁を吸って生きている。アブラムシにとって虫こぶとは、良質の食物の供給源であるとともに、安定な環境を提供する閉鎖空間であり、外敵の侵入を許さない防護壁ともなっており、アブラムシの生存に不可欠な“巣”のようなものである。ただ、ミツバチやアリの巣と大きく異なり、アブラムシの虫こぶは生きた植物組織からできている。
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図1:(左)モンゼンイスアブラムシの成虫(5令;上)と兵隊幼虫(1令;下)。
(右)修復直後の虫こぶ。放出体液で塞がれた穴を赤矢印で、修復後虫こぶの外に取り残された兵隊幼虫を黄矢頭で示す。
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図2:大量の白色体液を出して植物の傷を修復する兵隊幼虫。 |
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このアブラムシにも様々な天敵が存在し、例えば春先の虫こぶがまだ柔らかい時期に、ある種のガの幼虫が食い破って穴をあけ、虫こぶの組織や内部のアブラムシを食い荒らす。多くの社会性アブラムシにおいては、兵隊幼虫の攻撃行動によってこれら天敵を撃退することが知られていたが(参考:
2004年7月27日産総研プレスリリース 兵隊アブラムシの攻撃毒プロテアーゼ)、モンゼンイスアブラムシについては2003年に「自己犠牲的虫こぶ修復」というまったく新しいタイプの防衛行動が報告された。春先の虫こぶに傷をつけて穴をあけると、多くの兵隊幼虫が穴の周囲で自己犠牲的に尾端から大量の白色の体液を放出する。体サイズが1/3ほどに縮んだ自己犠牲兵隊は、脚で自分の体液を撹拌しながら引きのばし、虫こぶの傷口に塗り付ける。体液はすぐに粘性を増して凝固する。多数の兵隊が次から次へと自己犠牲的に体液を放出することによって、直径1~2mmほどの穴なら、1時間以内に凝固体液により完全に塞がれてしまう。
しかし、当時は自己犠牲的虫こぶ修復の現象的記載にとどまり、体液凝固によって塞がれた虫こぶがその後どうなるのか、虫こぶ修復がアブラムシの生存に本当に有効なのか、といった生物学的に重要な点については不明であった。
これらの問題に対する回答を与えるべく、数年間にわたる詳細な野外調査および実験的解析を行った結果、図3に示すように、動物が植物の創傷を治癒するという前代未聞の現象を発見した。
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図3:アブラムシによる植物組織の修復・再生現象の模式図 |
~自己犠牲的虫こぶ修復はアブラムシの生存に役立っている~
春期にモンゼンイスアブラムシの野外の虫こぶに直径2 mmほどの穴をあけたところ、1時間以内にほとんどすべての虫こぶで兵隊の凝固体液により穴は完全に塞がれた。1ヶ月後に調べると、約8割の虫こぶが生存しており、大きく成長していた。一方、兵隊の放出体液をティッシュペーパーで2時間ほど吸い取って除去することにより、修復を阻害して穴が空きっぱなしの虫こぶを作成することができた。それらを1ヶ月後に調べると、すべての虫こぶが枯死していた。ところが、修復を阻害した虫こぶの穴をボンド糊で人工的に塞いだ場合には、1ヶ月後でも約9割の虫こぶが生存していた。これらの結果より、兵隊幼虫が虫こぶの穴を塞ぐという行動が、アブラムシ野外コロニーの生存において重要な役割を果たしていることがわかった。
~兵隊体液による虫こぶ修復に引き続いて植物組織の再生が起こる~
実験的にあけられた虫こぶの穴は、兵隊幼虫由来の凝固体液で迅速に塞がれるものの、これは応急処置にすぎない。虫こぶの成長に伴い、体液が固化しただけの栓がはずれる可能性も充分にある。そこで兵隊の体液で修復された穴がその後どうなるのかを、野外の虫こぶで追跡調査したところ、修復2週間後くらいから穴の周囲の植物組織が顕著に成長しはじめ、修復1ヶ月後までに植物組織で完全に裏打ちされてしまった(図4)。すなわち、兵隊幼虫の凝固体液は虫こぶの穴を迅速に、しかし一時的に塞ぐ“かさぶた”の役目をしており、その後に植物組織である虫こぶ壁の再生が起こることがわかったのである。
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図4:兵隊幼虫の凝固体液による虫こぶ修復に引き続いておこる植物組織の再生治癒過程。
Sはアブラムシの凝固体液、*印は虫こぶ壁に人工的にあけられた穴の領域、矢印は増殖隆起した植物組織を示す。
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~植物組織の再生には兵隊幼虫が重要な役割を果たす~
再生途中の虫こぶを割ってみたところ、虫こぶ壁の穴のちょうど内側の領域に多数の兵隊幼虫が集合していることが観察された(図5)。
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図5:(左)凝固体液で修復後の虫こぶ内側における傷領域への兵隊幼虫の集合(多数の白い丸い粒々が兵隊幼虫)。
(右)虫こぶ壁の植物組織が再生途中の時期において、傷領域(白)の兵隊幼虫の密度は無傷領域(黒)よりも有意に高い。
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彼らはいったい何をしているのだろう?それを調べるため再生途中の虫こぶを殺虫剤処理して内部のアブラムシをすべて殺したところ、虫こぶ壁の植物組織の再生は阻害された(図6)。すなわち、彼ら(おそらくは主に兵隊幼虫)の存在が、植物組織の再生に必要であることが判明した。虫こぶの穴を凝固体液で塞いだ後も、内側で兵隊幼虫は引き続き傷の周囲に集合して、おそらくは口針の刺激(植物ホルモン様の化学物質の注入などが想定される)により植物組織の増殖再生を促しているものと考えられる。
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図6:(左)修復30日後には虫こぶ内壁の植物組織は完全に再生治癒する。
(右)修復過程で殺虫剤処理により虫こぶ内部のアブラムシを除去すると、植物組織の再生治癒は阻害される。
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~昆虫による植物組織の修復・再生現象の発見~
以上の結果から、モンゼンイスアブラムシの兵隊幼虫は、巣でもあり食物供給源でもある虫こぶに穴があいた場合、自己犠牲的に多量の体液を放出し、その固化によって植物組織の傷を塞ぐのみならず、塞いだ傷の周りに集合して口針で刺激することにより、植物組織の再生治癒を誘導するものと考えられる。
体液凝固による“かさぶた”形成で傷口を迅速に塞いで安定化し、続いて周囲の組織の補償増殖により傷がゆっくり完全に治るという、いわゆる「創傷治癒過程」は我々ヒトを含む脊椎動物のみならず、昆虫などの無脊椎動物にも広くみられ、多細胞生物の生存に重要な役割を果たす一般的な機構である。しかし、昆虫がまったく異なる生物である植物の傷を体液凝固による“かさぶた”形成で塞ぎ、さらには植物組織の治癒まで促進するというのは前代未聞の現象であり、植物組織の成長や増殖の外部要因による制御という観点からも興味深い知見である。
昆虫による植物組織の修復機構の解明は、将来的に植物の発生工学や再生制御における新規技術の開発につながる可能性もあり、以下の諸点について研究開発を進めていく予定である。
- 植物組織の再生治癒を誘導する昆虫側の機構について、特に植物ホルモン様の生理活性物質を標的として探索する。
- 兵隊幼虫の体液が迅速に植物の傷を塞ぐ分子機構について、特に体液凝固系の関与を中心に明らかにする。
- 最終的には、虫こぶ形成や再生治癒誘導といった昆虫による植物の形態操作の基盤について解明するとともに、その機構を利用した植物組織の成長や育成の制御技術への展開を検討する。