独立行政法人 産業技術総合研究所【理事長 吉川 弘之】(以下「産総研」という)生物機能工学研究部門【研究部門長 巌倉 正寛 】生物時計研究グループ 石田 直理雄(のりお)研究グループ長 兼 上席研究員、大石 勝隆 主任研究員らは、徳島大学医学部 勢井 宏義(せい ひろよし)教授との共同研究で、人の高脂血症治療薬であるフィブレートが動物の冬眠などの体内季節時計に影響を及ぼすことを発見した。
社会の24時間活動化、高齢化、IT化などによって冬季うつ病などの季節病が介護の現場などでも増えている。これらの季節病においては体温調節や睡眠において冬眠動物のような症状を示す。このことは、われわれのような冬眠しなくなった哺乳類においても、冬眠時代の分子メカニズムが残されている可能性を示唆しており、このメカニズムを解明することによって、冬期うつ病のような治療の難しい病気に対する治療法開発につながると期待される。
われわれはフィブレートを餌に混ぜてマウスの飼育を行い、冬眠状態の生理と似た状態がマウスに現れることを発見した。フィブレートは肝臓細胞の核内受容体PPARαに結合することが知られており、われわれは昨年、フィブレートが日周体内時計を前進させ、それによる睡眠障害の治療効果があることを発見した。今回、核内受容体PPARαが日周体内時計だけでなく、体内季節時計をも動かすことを発見した。
本成果の一部は、米国内分泌学会誌Endocrinology10月号に掲載される。また、本成果は、2008年10月20日~21日に産総研つくばセンターで開催される「産総研オープンラボ」で公開する予定である(「体内時計分子からの創薬」として研究室公開予定)。
近年、哺乳類の体内時計の分子メカニズムの研究が急速に進展している。また、動物の季節性のリズム現象は古くから知られており、脳内の日周時計中枢を破壊したクマやリスの冬眠のタイミングが異常になるという観察から、日周体内時計と体内季節時計が関連のあることは認識されている。しかしながら、日周体内時計と体内季節時計を結ぶ分子レベルでのメカニズムの研究は皆無であった。
最近の日本社会の高齢化、24時間活動化に相まって、睡眠障害を訴える患者が増大している。また、高度管理化、IT化に伴って概日リズム睡眠障害や、冬季うつ病の増加が社会問題となっている。一般人の8人に1人、高齢福祉を支える職員の3人に1人がうつ状態であるというデータ(ファイザー株式会社「潜在的うつ病の実態調査」2008年4月11日)も出ており、季節時計を分子レベルで理解することはますます重要となっている。
産総研では、遺伝子レベルの研究から脂肪酸分解系が体内時計に強く制御されていること、特に肝臓で脂肪酸分解の中心的役割を担う核内受容体PPARαのリズム発現が体内時計に支配されていることを見出した。さらに、昨年このPPARαに働く高脂血症治療薬フィブレートが、朝寝坊マウス(睡眠相後退症候群)を早起きにさせる効果、すなわち日周体内時計を進める効果のあることを発見し、プレス発表した(2007年4月25日プレス発表)。その後、フィブレートの季節時計に対する効果の研究を行ってきた。
フィブレートの投与が日周体内時計を進める効果のあることを発見した実験条件は、昼夜均等12時間(12時間の昼間と、12時間の夜間)であった。
今回、マウスの体内季節時計について調べるために、人工的に昼間を長くした条件(長日[夏]条件)あるいは、逆に夜間を長くした条件(短日[冬]条件)下で飼育した。長日条件としては18時間の昼間と6時間の夜間を設定し、短日条件としては6時間の昼間と18時間の夜間を設定した。
その結果、フィブレート投与による日周体内時計の位相前進効果は長日条件で飼育した時にのみ見られ、短日条件で飼育すると見られなかった(図1)。
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図1:フィブレートありでは、餌に0.5%のフィブレートを混ぜた。日周体内時計の位相前進(早起き)効果は、長日[夏]条件下のみで観察され、短日[冬]条件下では観察されなかった。
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次に昼夜が12時間ずつ均等になる条件で、2週間フィブレートを餌に混ぜて飼育してから、体温・脳波・筋電図を24時間測定した。その結果、2週間のフィブレート投与によって体温・脳波において冬眠のような現象を引き起こしたことが確認された。また深いノンレム睡眠状態が継続して睡眠時間も長くなった。6時間の睡眠妨害(断眠)を加えると、フィブレート投与群では冬眠のような深い睡眠が持続的に見られた。図2にはフィブレート投与前(1)、投与後(2)、投与後通常食を5週間与えた後(3)の体温測定の結果を示す。フィブレート投与の影響は通常食を5週間与えた後には無くなっていることがわかる。
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図2:マウスを全実験期間(9週間)、昼夜均等12時間の条件で飼育し、フィブレート食を2週間投与した。測定(1)(2)(3)の時点で体温・脳波・筋電図を24時間測定した。グラフでは体温のみ示されている。
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フィブレートが体内季節時計に影響を与える分子メカニズムを解明するために、フィブレート投与によって脳内で増加する物質を探索したところ、脳内視床下部においてニューロペプチドY(NPY)の増加が確認された(図3)。
NPYは摂食促進や肥満、エネルギー調節に重要な役割を果たしている物質と考えられ、生物の脂肪代謝と体内季節時計が密接な関係にあることが伺われる。
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図3:フィブレート投与で脳内視床下部のNPYが上昇。昼夜均等12時間の条件で飼育し、フィブレート食を2週間投与した。
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これらの現象はいずれも冬眠する動物に特徴的な現象であり、われわれのような冬眠しなくなった哺乳類にも冬眠のような現象をもたらす分子メカニズムが残っている可能性を示している。今回の研究から日周体内時計は核内受容体PPARαを介して体内季節時計をも動かすことが明らかになった。このメカニズムをさらに解明することで、人の冬期うつ病のような治療の難しい病気に対する新しい治療方法を開発できると思われる。
今後は、特にマウスへのフィブレート投与による抗うつ効果や抗不安効果の確認、末梢(まっしょう)時計から脳内時計へ伝達分子の同定、長日条件下で特異的に時計を動かす分子メカニズムの解明などを目指す。それらの分子メカニズムの解明を通じて、現在治療の難しい冬季うつ病等の創薬のターゲットとなりうる情報を提供していきたい。