独立行政法人 産業技術総合研究所【理事長 吉川 弘之】の人間系特別研究体【系長田口隆久】は、オーダーメイド医療の標的である遺伝子変異(SNP)した蛋白質を可視化し、その機能異常を世界に先駆け解明した。この成果は、1月24日発行の米科学誌専門誌(Cell, バイオでは最も有名な雑誌のひとつ)に発表された。
我々のゲノム上には、「一塩基多型SNP(Single Nucleotide Polymorphism)」と呼ばれるDNA変異が、数百塩基に一個の割合で存在し、その出現パターンは各人で異なっている。そこで、SNPによる個々人の遺伝子差に応じて投薬を行う「オーダーメイド医療・創薬」が世界的に期待されているが、SNP配列をもった遺伝子産物(蛋白質)の機能解析技術の開発はまだ進展していない。発表者(小島正己)は、神経特異的遺伝子である神経栄養因子(BDNF)の蛋白質配列の中にあるバリン(Val)をメチオニン(Met)に置換するSNPに注目し、この2種類のBDNF遺伝子を合成した。このわずかな配列の違いは、従来の生化学的手法ではうまく解析できないので、クラゲ由来の緑色蛍光蛋白質(GFP)を用いた「蛋白質の可視化法」を応用した。つまり、各BDNFをGFPと融合させた遺伝子を脳神経細胞に導入し、その融合蛋白質を発現させた。GFPはレーザー光の照射時のみ緑色の蛍光を放つ蛋白質であり、BDNFにGFPを付加すると(荷札のような役割を果たして)、BDNFの細胞内動態が観察可能になる。以上の細胞機能解析技術を用いた結果、Metに置換されたBDNF蛋白質は、ValのBDNFに比べて細胞内をスムーズに動くことが難しく、正しい場所に移動できない、つまり、正常機能が発揮できないことをつきとめた。
一方、共同研究者であるワインバーガー博士(米国立精神健康研究所)・ルー博士(米国立子供健康研究所)は、BDNF蛋白質のValとMetのわずかな違いがヒトの記憶力の良し悪しに影響することをみつけた。過去に体験したことをどれだけ思い出せるかの「エピソード記憶力」のスコアが、ValのBDNFをもつヒトに比べてMetのBDNFをもつヒトで有意に低下していることがわかった。しかし、言葉を覚える記憶力や文章読解力などについては、両者で差はなかった。
以上の研究成果から次のことが展望される。SNPの機能診断を生きた細胞を用いて行ったことは世界初であり、「オーダーメイド医療と創薬」の本格化に向けて応用展開が期待される。すなわち、オーダーメイド創薬にむけて一歩前進したようである。なぜなら、生きた細胞を用いてSNP配列の研究ができるようになったこと、あるいは、SNP配列の蛋白質機能への影響が可視化できるようになったことで、創薬スクリーニングの研究が十分可能になるからである。また、神経細胞を用いた研究成果が、ヒト記憶力のテスト結果に相関していたことは、ここで開発した「神経細胞を用いたSNPによる神経特異的蛋白質の可視化解析法」が今後益々SNP研究に応用されていくことを強く期待させる。
本成果は、米科学誌セル【2003年1月24日号*】に掲載された。
*Cell, "The BDNF val66met Polymorphism Affects Activity-Dependent Secretion of BDNF and Human Memory and Hippocampal Function" by Michael F. Egan, Masami Kojima(小島正己), Joseph H. Callicott, Terry E. Goldberg, Bhaskar S. Kolachana, Alessandro Bertolino, Eugene Zaitsev, Bert Gold, David Goldman, Michael Dean, Bai Lu, and Daniel R. Weinberger
結果:ValあるいはMetのSNPをもったBDNFとGFPの融合蛋白質の発現パターンの違いを発見した。
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Val-BDNFは、Met-BDNFよりも分泌顆粒に乗りやすく、神経突起の先端に運ばれやすい(矢印で示した)。
その結果、Val-BDNFの分泌能はMet-BDNFよりも有意に高かった。
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